用心は必要だけども
「三日後にまた来る。考えておいてくれ」——。
そう言い残して、妖精たちは去っていった。
なんとも騒がしい時間を過ごしたおかげで、どっと疲れが襲ってくる。とはいえ向こうも同じだろう。……予期せぬ邂逅にしては軋轢がなかったと安堵するべきかもしれない。
ともあれ、陽が沈んで、夜。
僕らはリビングで、今後の対応について話し合う。
なお、ミントは庭ですやすやしている。というか、ミントが寝るのを待った形だ。
あの子は妖精との出会いを無邪気に喜んでいた。シビアな内容——結論もそうなるかもしれない——はできるだけ聞かせたくない。
「まず僕が気になってるのはやっぱり、危険がないかどうかだよ」
悪気や悪意はなさそうに見えた。
こっちに危害を加えるような意思もだ。
けど、だからといってそれが即ち安全ということにはならない。
「地球……向こうの世界で『妖精』は、人間とは違う価値観と理屈で動いてるような恐い存在と定義されてることがあった。そのギャップで残酷な結果になる、みたいなお話もあったよ」
妖精が、仲良くなった人を魔法で草木に変えて。
これでずっと一緒にいられるよ——とか。
これはプレイしてたゲームで描かれたストーリーだったけど、伝承の『妖精』とはそういうものだ。どんなに無邪気で人懐こくても、決して相容れない存在だとされていることが多かった。
「なるほどねえ。こっちには、そういう類の伝承はない……と思うわ」
母さんがティーカップを傾けながら考え込む。
ちなみに我が家のお茶は最近、アイスの麦茶からホットの紅茶に移行しつつある。夏が終わりかけているせいか、夜になると涼しさが勝るんだよね。
温かい紅茶でふうとひと息ついた後、母さんは続けた。
「こっちのお伽話では、職人が寝ている間にお手伝いしてもらったとか、森で迷子になった子供が妖精の導きで無事に帰れたとか、そういうのばかりだったはずよ。あとは昼間も話したけど、エルフの祖であるとかの、神話に類するものね」
「ただ、絶対じゃないと思う。少なくとも下調べは入念にしておきたい」
「ええ、その点はカレンに賛成よ」
「そっか。僕がいちばん怖いのはその、倫理観とか価値観のギャップかな……ミントやショコラが警戒してなかったから、少なくとも悪意がないことは信用していいと思ってる」
「わふっ?」
「お前を頼りにしてるってことだよ」
「あおんっ!」
足元で身体を丸めている我が家の愛犬が、名前を呼ばれたのに反応して顔を上げる。その頭を軽く撫でると、遊んでもらえるのかと思って膝に前脚を乗せてきた。
「そういやお前、警戒どころか、背中を触られてもぜんぜん気にしてなかったよな」
「くぅーん。わふう」
「名前に『妖精』って入ってるし、案外こう、種族として近かったりしてな」
「わうっ!」
頬から首、顎、そして身体をわしゃわしゃする。気持ちよさそうに目を細めるショコラを横目に、僕は続けた。
「あとは、浦島太郎になったら怖いなって思う。ヨモツヘグイとかも」
「うらしまたろう? よもつ……なに?」
「日本に伝わってるお伽話だよ。浦島太郎は、海の中にある国でちょっと過ごして帰ってきたら、地上では何百年も経ってました、っていう童話。ヨモツヘグイは、死者の世界で食事をした人が二度と現世には戻れなくなった、っていう神話」
「なにそれ、こわい……さっきから聞いてると、スイのいた世界のお伽話は、そういうやつが普通なの?」
「いや、そんなでもない……とは思う、けど」
危険性の話をしてるからそういうのばかり例に出てくるってのもあるし……。
「事前に、妖精王に尋いておかなきゃいけないわね。もし本当にそういうことが起きたとして、言うの忘れてました、じゃ済まされないもの」
「明日、ジ・リズにも来てもらおうよ。アルラウネの時みたいに、竜族ならなにか知ってるかもしれない」
「そうね。あいつには悪いけれど、ついでに王都まで行ってきましょうか。……封印図書館になにか手掛かりがあるかもしれないし」
いや、封印図書館ってなに。なんかすごいやばそうな名前なんだけど。
母さんそこに立ち入れるの……?
「ヴィオレさま、王宮には報告するの?」
「やめておくわ。……ちょっと持て余すもの」
妖精の実在が知れ渡るのももちろんだが、問題は彼らを認識する方法だ。
『意思なきもの』による観測——つまりは、カメラ。
写真も動画もこの世界にはまだない技術で、今のところそれをなし得るのは僕のスマートフォン、それから父さんのノートパソコンのみ。
仕組みを教えてくれと言われても詳しくわからないし、分析したいから貸してくれと言われても渡す訳にはいかない。ましてや強奪しようなんて目論まれたら面倒すぎる。森の中に住んでいる限りは強行手段なんて取れないだろうけど、だからといって街に出た時にまで狙われるようになるのはごめんだ。
「なんにせよ、できるだけ前向きには検討したいな。もちろん、調べられることは可能な限り調べて、僕らに危険がなければ……ってのが大前提だけど」
「そうね。ミントも楽しみにしていたから、がっかりさせたくないもの」
「ん。私も、エルフのいろんな話が聞けるかもしれない。本当に始祖なのか、とか」
僕の言葉に、母さんもカレンも追従する。
各々がそれぞれの理由を口にしていたが、それ以前に——僕らの中には共通した思いがあった。
それは妖精王——四季さんが話してくれた、彼らの事情だ。
彼は僕らを『妖精境域』へ招待したいと切り出した後、続けた。
「ぼくには、妻がいる。名前を『色』……ぼくとともにこれらの主である、妖精の女王だ。彼女は事情があり、『常若の城』から出られない。現世を見ることができないまま、もうずっと、城の中で過ごしている。ぼくは……妻に、外の世界を見せてやりたい。外の世界と触れ合わせてやりたいんだ」
その顔は、悲しげで、それでいて慈しみに満ちていて、同時に僕らへ縋るようで。
嘘を言っているようには、見えなかったんだ。