家に帰って落ち着いて……たら
ドラゴン一家、そしてラミアさんたちに見送られながら帰路についた。
少しだけもの寂しい。もちろん僕らの生活は基本的に気ままなもので、里へ赴くことに制限がある訳でもない。
ただそれでも、夏が終わりつつあるのも相まって——どうにも後ろ髪を引かれるような気持ちになってしまうのだった。
とはいえ帰りの道程は行きよりも、さくさくスムーズに進む。
行きで整えた道があまり荒らされないまま残っているためだ。
あるいは、もっと本腰を入れれば本物の『道路』——きちんと整備されたものを作れるのではないかと考えたこともあったが、現状それは不可能に近い。何故ならここ『虚の森』に棲息している生物たちの生存競争は激しく、しばしば環境の破壊や変化を伴い、森そのものの生命力もまた、それらに負けないほど強靭だからだ。
つまり、少しばかり木を切り崩し土を整えたところで、獣たちが踏み荒らし、草木が生い茂り、あっという間に元に戻ってしまうのである。
僕らの家周りのようにずっと住み続けるのでもない限り、開拓は難しいだろう。
まあ、僕らも狩猟や採取で糧を得ている以上、森に生かされていることに変わりはないのだ。大きな不便をしているでもなし、受け入れていこう。
——そんなこんなで三日ばかりを使い、懐かしの我が家へ辿り着く。
木々の隙間から屋根が見えてきたところで、出迎えてくれたのは刀牙虎の母子だ。
のっそりと茂みの奥から現れ、蜥車の横で立ち止まる。
「やあ。戻ってきたからな」
ぐるるる、と。母猫が唸って頭を下げた。いや正直、でっかい猛獣に喉を鳴らされても喜怒哀楽がよくわからないな……。ネコ科に馴染みがないからなおさらだ。
「わうっ!」
ショコラが挨拶を返すようにひと吠えし、それから傍にいる子猫たちをぺろぺろ舐める。子猫たちはくすぐったそうにショコラへ頬を擦り寄せた。
初めて会った頃よりもふた周りくらい成長してる気がする。みゃーみゃーって鳴き声ももう、幾分か太くなりつつあった。
「元気そうでよかった。またな」
「みいみいたち、ばいばい!」
蜥車の手綱をぴしゃんとやる。ポチの背中にまたがったミントがぶんぶんと手を振る中、刀牙虎たちは僕らを見送ると、再び茂みの奥へと消えていく。
「こういうのもご近所付き合いになるのかな」
「ん。知り合いが増えるのは悪いことじゃない」
僕の隣に腰掛けたカレンは、ちょっと楽しげにそう言うのだった。
※※※
門をくぐり、父さんのお墓にただいまを言う。
蜥車から荷物を降ろし、ワゴンを厩舎の隣にある車庫に入れ、ポチのハーネスをはずしてお疲れさまとねぎらう。
荷を家に運び入れ、汚れ物を洗濯したり、お土産を冷蔵庫に入れたり——帰り着いて後片付けを終えるまでが遠足です。面倒くささと楽しさと寂しさの入り混じった気持ちで、とにもかくにもすべてを終えたら、昼下がり。
残り半日をのんびり過ごすことに決め、僕は縁側へとだらしなく寝転がった。
「あら、お行儀が悪い。ミントが真似しちゃってるじゃない」
「ほんとだ」
母さんに言われて庭を見ると、ショコラのお腹を枕にしてだらだらするミントの姿がそこにあった。
「むー……しょこら、あったかい。もふわふする」
「わふっ……くぁー……」
寝そべりながらミントの頭部を受け止めるショコラは、あくびで応える。
「ほら、主人がだらしないからショコラも」
「よくないなあ」
「もう、他人事みたいに」
母さんが、めっ、としてみせるが、表情は柔らかい。
そうしていると不意に、僕の頭が後ろから持ち上げられる。
「えっ……」
そしてぽふんと乗せられたのは、柔らかいものの上。
「あらまあ」
母さんの声音が楽しそうな——揶揄ってくるようなものへと変わり、側頭部から伝わってくる体温と頬に触れる肌の感触に、なにをされたのかようやく気付く。
「カレン、ちょっ……」
「お疲れさま、スイ」
膝枕の相手——カレンの声が頭上で微笑み、頭をそっと撫でられる。
「いや、その……ありがとう」
「ん」
彼女を引き離す胆力は、僕にはなかった。
されるがままに僕は力を抜き、頭の体重をカレンに委ねる。
「スイくん、甘やかされちゃったわねえ」
「……からかわないでくれる?」
「お母さんはお茶でも飲もっかなあー」
すっとぼけた口調でキッチンへと去っていく母さん。
それを見送り、再び庭へと視線を戻して、カレンはくすりとした。
「ふふ、おんなじ」
「なにが?」
「あれ」
声の先には、ショコラのお腹に身を預けて空を見上げるミント。
確かにその——構図は似てるけども。
「僕はミント?」
「ん。ショコラはミントのお兄さん。私はスイのお姉さん。そこもおんなじ」
「そっかあ……まあ、そうかもなあ」
僕は反論する術を持たなかった。というか、反論しようとか逆らおうとか、そういう気持ちが頭から吸い取られていってる気がする。その、やわらかいので……。
「あ、そうだ。ミントといえば、写真。忘れてた」
反抗心と一緒に記憶まで溶けていく寸前、行き帰りでミントの遊び道具になっていたスマートフォンのことを思い出す。
ドラゴンの里ではイベント目白押しだったので使わなかったが、道中では退屈も多く、ちょうどいい暇つぶしになってくれたのだ。帰りにも充電が切れたので、モバイルバッテリーと繋いで僕の鞄に放り込んだまま、家に到着したのだった。
「後ろに僕のバッグない?」
「ん、ある。ちょっと待って……はい」
カレンが手繰り寄せた鞄の中からスマホを取り出す。
ロックを外して写真アプリを起動。カメラロールにはずらっと、森の風景とか木々とか地面とか空とか、それから僕ら家族の姿とか。
「それが、ミントの写真?」
「うん。みんなで一緒に見ようと思ったけど、画面が小さいからさ」
僕も私もと、渋滞しそうだ。
「こっそり先に見ちゃおう」
「ん、みんなには内緒」
カメラロールの写真を順番に、ふたりで眺めていく。
どれもこれも、現代日本で生きてきた僕にしてみれば——拙くて、訳がわからない。
森の風景は、ただ撮っただけ。
木々から覗く青空は、構図も半端。
ポチの後ろ姿も見切れている。
僕らの顔なんて、斜め後ろからだったり幌の隙間から顎しか見えてなかったり。
だけどそれが、たまらなく愛おしかった。
被写体とかピントとか構図とか、映えとか。そんな概念を持たないミントが、ありのまま、心の赴くままにシャッターボタンを押した結果がここにある。あの子がなにを感じ、なにを見て、なにを思って撮ったのか。それが全然わからなくて、わからないからこそ——写真から、ミントの息遣いを感じる。
「いいね」
「ん。どれも楽しい。全部、好き」
スライドさせながらふたりで微笑み合う。これは後で母さんにも見せて、それからミントを主役に鑑賞会をしよう。きっと楽しいだろうな。
そんな思いで、画面に指をすべらせていたところで。
「……え?」
森の写真、たぶん往路の最中に撮った一枚。
そこで僕の指は、止まった。
たっぷり三秒ほどそれを見て、がばりと身体を起こす。
カレンはなにも言わない。僕と同じで、スマホの画面に釘付けだ。
「ねえ、カレン。これ、なに……?」
それは、空中に浮かんでいる——ように見える。
ミントの身体を覆うものとどこか似た、だけどあれよりもシンプルな、ネグリジェみたいなドレスを纏う、十二、三歳くらいの外見をした女の子。
そしてその背中には——薄く透明な、二対四枚の、羽。
「えっと……こういうのが森にいるって訳じゃないんだよね? 僕が知らないだけで、この世界で認知されている種族とか」
「違う。こんなの、いない。存在するはずない。少なくとも……お伽話の中にしか」
あっちの世界でも同じだ。
お伽話によく出てくる、けれど実在などしないもの。
「……妖精」
そうとしか呼べないものが、カメラ目線で。
興味津々といった表情で、写真に映り込んでいた。