インタールード - 王都ソルクス城:午餐堂
——その日。
王宮に住まう王家の面々は、午餐堂にて昼食を共にした。
国王シャップスと王妃ファウンティア。
王太子たる第一王子ルポと、王太子妃サラの夫婦。
軍を統べる第二王子ロラーボ。
未だ婚約者の定まらぬ第一王女、ユニア。
そして養子にして宰相を務める、エイデル。
その場にいないのは末弟であるノアップと、まだ赤ん坊であるルポとサラの息子のみ。
とはいえほぼ全員が集まっての昼食は珍しく、それには理由があった。
「……これは私たちが思っているよりも、とんでもないものかもしれません」
やがて——その品を食べ終えて、しばらくして。
全員が「なかなか美味だった」「心地よい食感だ」「濃厚で好みの味です」「面白いですわね」などと口々に感想を述べていた中、エイデルが宰相の顔をして、重苦しくつぶやいたのだ。
「おうおう、どうしたエイデル。またいつもの心配性か?」
豪快に笑うのは第二王子ロラーボである。大雑把でありながら勘が鋭い彼は、一方で論理的な思考を苦手とする。ただ本人もその性をよく自覚しており、他者の言葉には素直に耳を傾ける篤実さがある。
故に、義弟を揶揄ったのはほんの戯れ。
「だがお前がそう言うのだ、きっとなにかあるのだろう。聞かせてみろ」
続きを促すロラーボ王子。
エイデルは全員の顔を見渡しながら言う。
「まずは味の話をしましょう。ユニ、これをどう思いましたか?」
第一王女たるユニ——ユニアは、鋭敏な味覚と栄養学に深い造詣を持つことで知られている。平たく言えば美食家だ。
彼女は綿菓子のようにふわふわとした蓬髪を揺らしながら、楽しげに笑んだ。
「先ほども申し上げましたが、面白い品だわ。……理由のひとつに、これそのものに明確な味がない、ということが挙げられます」
ただその瞳の奥にあるのは、どこまでも真剣な探究の光だった。
「構成するのは濃厚な胡麻の風味と、舌にまとわりつくような食感です。じわりと口の中に広がって溶けていき、強く後を引く。ですが一方で、味付けはほぼなされていません。そしてそれ故に、いかようにも味を足せる。味を足すことで前菜にも副菜にも、デザートにすらなり得る」
口元を押さえて声音小さく、まるでひとりごとのようにつぶやく。
「胡麻という食材は、料理における脇役です。ですがこれは、その脇役を主役に押し上げている。どのようなソースをかけるかで味の方向性が決まる中庸さを持ちながら、かけられたソースは胡麻を十二分に堪能するための引き立て役となるのです」
それはユニアが思考に没頭している時の癖だったが、この食品にただならぬ興味を惹かれていることを家族たちは理解した。
「色合いもいいですね。もともと、王都で胡麻が好まれているのはその黒さもあってのことですが……表面の滑らかさが、宝石のような輝きを持っています」
「ユニ、その辺で。……では肝心なところです。この料理は、王都の民たちに受け入れられると思いますか?」
「適切な商品戦略さえあれば。つまり、王家が少しお手伝いするだけで、普及し大流行するでしょう。料理店と契約して専売しながら、あとはわたくしたちがお茶会で出せばご令嬢たちが飛びついてきますわ」
エイデルはその言葉に大きく頷いた。
「我らが姫の保証が得られたところで、次に経済効果の問題です。この料理が流行した際……もちろん胡麻をはじめとした各種原料の需要増加などはありますが——もっとも着目すべきは、下味としてレシピに挙げられている海藻です」
昆布、というらしい。
「専門家に尋いてみたところ、我が国どころか大陸中の海にあまねく自生する品種だとのこと。ですがこれまでは一部地域で食用になってはいるものの、基本的には見向きもされず、網にかかる邪魔物として捨てられているそうです」
その昆布を乾燥させたものを水に浸けておくと『出汁』なるものが抽出され、味により深みを与えるという。
「かの御仁が提唱する……新しい味覚、でしたか。それに関しては半信半疑ですが、王宮の料理長によると『上手く言語化できないが、使うのと使わないのとでは確かに違いがある』と。つまり、まあ有り体に申し上げますと……よくすれば、我が国に新しい産業がひとつ増えます」
昆布の漁獲と、そして乾燥しての製品化。
これまで捨てていたものに金が生まれるとくれば、海沿いの町々は歓喜にわきたつだろう。体力のない女子供や怪我人の活計にもなれば、不漁の際の助けにもなる。
「聞けば、この海藻から抽出できる『出汁』は、下味としてあらゆる応用が効くそうで。いま料理長が試しているところですが……いやまったく。さすが『終夜』さまと『天鈴』さまのご子息と言うべきでしょうか」
「カズテル殿とヴィオレ殿は、もっと正面から素直に殴ってくる感じだったなあ……。息子は予想もしないところから蹴りを入れてきた感がある」
一家の父たる国王が、困り果てた顔で眉根を寄せる。
だが、唇の端にどこか嬉しそうな色を浮かべていることに、家族みなが気付いていた。
王太子妃のサラが、目の前の皿を眺めながら言う。
「ご子息が前に考案した『コンソメ』も、ちゃっかり試作に混ぜ込んできているのが恐ろしいですわ。ついでに普及させようとなさっているのでしょうか」
「我が妻はコンソメに興味津々でな。ルクトガルカ家は香味野菜の栽培が盛んだろう? あれが流行ればルクトガルカも潤うと期待しているのだ」
「あなた? うちの実家のことは……いえ、関係ないとは言いませんが」
王太子妃の生家であるルクトガルカ侯爵家は、家格こそ高いものの近年は経済的にいまひとつ奮わず、事業の手をどう広げればいいのか悩んでいた。そこに来て、香味野菜——特にニンニクやタマネギのような寒冷地でよく育つものは、北に領土を持つ侯爵家にとって主要な特産のひとつである。
若い夫婦のやり取りに一同が顔を綻ばせる中、エイデルは話を再開する。
「……と、まあ。料理そのものが素晴らしく、流行する可能性は高い。おまけに新しい産業もひとつ増える。ついでに申し上げれば、柔らかい食べ物ですので歯の弱いご老人も喜びますし、原材料がすべて保存の効くものであるから軍事糧食としても活用できましょう。——そしてなにより、いえ、だからこそ」
福祉政策に力を入れている第一王子と、軍を統べる第二王子を順番に見て。
それから家族全員に微笑みながら、エイデルは言った。
「ノアの……第三王子の名は、大いに高まります」
全員が無言で、目を閉じる。
あのやんちゃで、家族思いで、けれど不遇な属性を持ったせいでずっとつらい思いをしてきた——可愛い末っ子のことを思いながら。
「義父上はかの御仁のことを『予想しないところから蹴ってくる』と形容なさいましたが、まったく同感です。正直なところ、意味がわからない。たかだか料理ひとつ……しかも、それそのものにたいして味のついていない、訳のわからない品で……ノアの境遇をひっくり返そうとするとは」
「……フギミアの領土では国内の堅香子、二割ほどを生産していたな。ウトシュクは広く海に面しているが、岩場が多く漁業は盛んでなかったはずだ」
エイデルの言葉に、長兄がにやりと悪どい笑みを浮かべる。
フギミア伯爵家にウトシュク辺境伯家。
王妃と第三王子を遠回しに貶め、側室を送り込もうと画策してきた貴族連中の派閥筆頭である。
「ノアの文には『真っ先に彼らに声をかけろ』とある。くく……失敗作だなんだと陰口を叩いていた相手の施しを受けて儲けるか、あるいは意地を張って大魚を逃すか。どちらにせよ貴族たちの間では笑いものになろう。奸計を巡らせていた俗物どもが、ものの見事にしてやられた形だ」
「これは本当に、ノアさまの考えついたことですか? 誰かの入れ知恵なのではありませんこと?」
くつくつと愉快げな夫へ、呆れたような顔をする妻。
「だとしたら政の才もおありですのね。わたくし、『終夜』さまのことは遠くからお顔を拝見したことしかありませんが……義母さまを唸らせたという方のご子息、興味が尽きませんわ」
「義姉上、政だけではないぞ。エイデルの言う通り、たかが一手で盤面をひっくり返した。軍略の才もあるやもしれん」
「わたくしとしてはあのような品を作り出した料理の才が気になります。ねえエイデル義兄さま。かのお方、いつか王都に来てくださるかしら?」
それに呼応するように第二王子、果ては第一王女まで。
この場にいない、会ったこともない相手に対し、あれこれと評価をし始める。
口々に、和気藹々と。
どこか楽しげに、愉快げに——言葉を交わし合う家族たち。
そんな中、小さく、けれど誰の耳にもはっきりと。
一家の母、つまりは王妃のつぶやきが聞こえた。
「カズテル、ヴィオレ……」
それは、ひとりごと。
この場にいない友人たちに向けた、遠い呼びかけ。
「ありがとう……。あなたたちの息子が、私たちの息子を救ってくれたわ」
長兄は、母の言葉を聞かなかったことにした。
義娘も、姑の感慨に優しく頬を緩ませるのみだった。
次男は嬉しそうに頭をがしがしと掻いた。
長女は片眉を上げ、義兄を見遣る。
養子である三男はそんな義妹の視線に、ほんの小さく頷く。
だから、王妃の言葉に返事をしたのは、その夫だけだった。
「うん。あの時と、おんなじだなあ」
※※※
その不思議な黒い食べ物は『ノアの夜雲』と名付けられた。
胡麻の風味を凝縮したゼリーのような塊はねっとりと柔らかく舌に溶け、乗せたソースによって味と役割を自在に変化させる。前菜にもなれば酒の肴にもなり、締めの菓子にもなればお茶請けにも化けた。
やがてそれは王室御用達の料理店や王妃たち主催のお茶会で供され、都の話題となる。
考案したとされる第三王子と『天鈴の魔女』の息子——ノアとスイの名とともに。
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