王家っていろいろめんどくさくて
「俺たちは、監視されているのだ」
「……今も?」
ノアくんの衝撃的な告白に、思わず付いて出たのはそれだった。
彼の視線は僕らの横——窓の外にあり、明るい客間からは暗闇しか見えない。
「ショコラ。外になにかいる?」
「ぐるるる……」
愛犬の背を撫でて問う。ショコラは鼻をひくつかせると窓の外を睨みつけ、わずかに牙を剥いて喉を鳴らした。
その仕草が意味するのは——襲いかかってくるような脅威ではないが視線を感じる、というもの。
「やはり見られているか。だがショコラ殿の反応を見るに、遠いな。声までは聞かれていないだろう」
ノアくんは薄く笑んだ。どこか諦観混じりに。
「もっとも、仮に聞かれていても構いはせんが」
「……それは、僕がいるから?」
「正確には、お主しかおらぬから、だ。『鹿撃ち』の位たる『天鈴の魔女』……その子息を前にして、王族の地位などなんの意味もない。そして同時に、第三者が見ている訳でもないから取り繕うこともない」
ノアくんはソファーへ浅く座り直し、脚を広げて大きく伸ばす。有り体に言うと行儀の悪い——王族らしくない所作で。
「なにから話をするか。そうだな、余が……いや、俺が、王宮内でどんな扱いをされていたのかは聞いているか?」
「母さんがきみに魔導を教えた理由。火の属性に水が少し混じってるってこと。それから、政治の場には、面倒くさい人たちがまだまだいる、って」
「その面倒ごとの原因になっている王室典範については?」
「知らない」
「王室典範の中にな、世継ぎに関する項目があるのだ」
身体を前に倒し、ワインを軽く呷り、言う。
「『世継ぎは必ず三名以上を設けること』。これ自体はまあ、血を絶やさぬために仕方ない。いつなんどきなにがあるかわからん以上、予備は必要だ」
「……っ」
予備。酷い言い方だ。けれど綺麗事ではないのだろう。
「そんな顔をするな。これは王族の義務だ。だがな……義務であるが故、もし王妃が三名以上の子を産めない場合、王は側室を娶らねばならん」
「……王国は、一夫多妻制なの?」
「いや、王だけだ。だが父上は、母上以外を——他の者を妻にすることをよしとしなかった。母上も、父上に側室などは認めたくない。幸運なことに父上と母上は仲睦まじかったし、母上の身体にも問題はなかった。いま、王室典範は守られている」
国王夫婦には養子を含めて、五人のお子さんがいるらしい。
長男であり王太子である、第一王子ルポ殿下。
次男の第二王子、ロラーボ殿下。
長女で第一王女のユニア殿下。
養子にした平民出身の、非王子エイデルさん。
そして最後に、第三王子のノアップ殿下——ノアくん。
「一方、だ。まあ権力に食い込みたい奴輩は考えた。どうにかして王族の縁戚になれないか。王家に口を出せる立場になれないか。そこで目を付けたのが、俺……出来損ないの、第三王子だ」
「どういうこと……?」
続けて聞かされた内容は、あまりに最悪で、あまりに底意地が悪く。
日本でのほほんと生きてきた僕の、想像を超えたものだった。
「第三王子は出来損ないで、世継ぎの資格がない。故に、もうひとり王子が必要なのではないか。王は側室を娶り、予備を増やすべきなのではないか。——奴らは遠回しにそう訴えかけ、息女を王室に送り込もうとしたのだ」
「は? 滅茶苦茶な……」
「確かに暴論だ。だが、『天鈴』さまが俺に魔導を教えてくれていなかったら、その暴論はまかり通った可能性が高い」
僕は呆れて、言葉も出ない。
ノアくんはそんな僕に微笑ましげな顔を見せ、説明してくれる。
「もちろん奴らは、俺が言ったこと、それそのままの主張をする訳ではないぞ? もっと迂遠に、嫌味ったらしく、ねちねちと、なんとも気長にやってくる。むしろ直接言ってくれた方がいいほどだ」
いわく。
かれこれ十数年をかけて、ノアくんや王妃さまにじわじわと嫌味を言い続け、疲弊させようとしてきた。いずれノアくんや王妃さまが音をあげることで、いずれ王さまに自分から「側室を娶る」と言わせようとしている。
王さまは凡愚と評されるお人好しで、だからその優しさを利用して、仕向ければいい。妻子が苦しむくらいならと、諦めさせればいい——。
「かつて父上と母上が即位する際、お主の親御殿……ハタノ家の助力により、腐った貴族は一掃された。昔に比べると政治はかなりまともになって、王国は持ち直したと言えるだろう。かつての王国であればもっと直截に、俺たち兄弟の誰かが暗殺されていてもおかしくなかったはずだよ」
物騒な時代は終わった。
だけど、
「それでも……だからこそ。こういうまどろっこしいやり方をしてくる輩が滅びを免れ、未だにいる。腐敗を表に出さず、決して法には触れず、むしろ法を巧みに利用して、己の欲望に正当性を持たせ、他者の良心をも利用する。まったくもって鬱陶しい」
「じゃあノアくんが王族らしく振る舞うのも、その対策なの?」
「うむ。……というより、俺の我儘を通すためのものだ」
うんざりしつつ、一方で清々しげ。
そんな顔で、ノアくんは肩をすくめる。
「俺は王宮を出て、冒険者として国内外を放浪している。これは俺のやりたいことであり、俺が俺らしく生きようとした結果の選択だ。だが、王族が城を出奔して冒険者になる——この行為だけを見れば、王子失格の烙印を押されるに相応しい放蕩だ」
「……でも王族らしい言動をしていれば、そこに付け込まれずに済む?」
「名分ができる。王族が市井に降り、民たちの声を直接に聞き、国に貢献しているということだ。俺は……『余』は第三王子であり、しかし敢えてその身分を問わず、いち冒険者として民と同じ目線に立っている。これは国の礎を支えるという王族の務めに合致しており、王家に相応しい行いである」
そこで僕は気付いた。
ノアくんが一人称を変えた瞬間、気配と、それに佇まいが切り替わったことに。
細かい所作だ。身体の動かし方、視線の移ろわせ方、発音の滑らかさや喋りにつけるわずかな強弱。そういったものを少しずつ、しかしすべて入れ替えることで、ノアくんは意識的に威厳を纏うのだ。
それは、王侯貴族らしさ。
僕が初対面の時に抱いた『なんだか偉い人なんだな』ってあの感じ。彼と話をするうちにいつの間にか薄れていたものを、再び意識させられる。
ノアくんは——ノアップ殿下の顔で、声で、居住いで、言う。
「俺が『余』であるだけで、それは政となる。民草に親しまれるため『冒険者として遇してもらう』ことは許されても、本当にただの冒険者となる訳にはいかない。故にこのような屋敷を買い、体裁を整えねばならん。だが体裁さえ整えれば、あとは知ったことではない。高価な絵画や壺を飾る趣味はないし、使用人を侍らせて雛のように口を開ける暮らしも望まない」
そして不意に表情を、態度を、声を、気配を、声音を崩し。
ノアップ殿下は——ノアくんは、笑った。
「俺が出来損ないなせいで母上が詰られ、父上がつらい思いをするのは、我慢ならん。かといって王宮で大人しく、いい子に振る舞うのも耐えられん。俺のこれはな、俺と家族を不埒者どもから守る鎧であり、我を通すための矛なのだよ」