元気にやってるようで
その後、ノビィウームさんと二、三の相談をしてから店を辞した。
彼に作ってもらいたいものがもう少しあるのだ。包丁ができたからもうおしまい——ということにはならなさそうで、苦労をかけるなと思うと同時、嬉しくもなる。
とはいえそっちは、包丁ほど頻繁な打ち合わせをする必要もない。素材の入荷に時間がかかりそうなので、手に入ったらその先を詰めていくということになった。
で、本日の用事は残すところあと一件。
冒険者ギルドに行って終わり——ではあるのだが。
「スイくん、帰りにお酒を少し仕入れてもいいかしら?」
ギルドへ向かう道中、おずおずと母さんがそんなことを尋いてきた。
「街の倉庫にはないの?」
「ええ、ないのよね。スイくんたちの生活に必要なものを、って片っ端から揃えてもらってたから……さすがにお酒はね」
倉庫とはシデラの街外れにある、僕らのための救援物資を保管している場所のことだ。境界融蝕現象に際して母さんとカレンが準備してくれていたたくさんのあれこれは、もちろんすべてを我が家へ持ち帰れるはずもなく——今はセーラリンデおばあさま管理のもと、一部を街の人々へ安値で放出しつつ、僕らは僕らで必要な時に必要なものをちょくちょく持ち帰っている。
「定期的に仕入れてもらうよう、おばあさまに頼んでおく?」
「それは……その……ちょっと恥ずかしくて……」
もじもじしながら目を背ける母さん。かわいい。
「まあ、お酒だしね」
「そんなにたくさん必要ではないのよ? たまに飲みたいなって思うことがあるくらいで」
「父さんとはよく一緒に飲んでたの?」
「時々、一緒に晩酌をするって感じだったわ。毎日じゃないわよ。お母さんも酔い潰れるほどには飲んでなかったから。……本当よ?」
「わかってるよ」
僕は苦笑とともに答える。
「お父さん、そっちでは飲んでいなかったの?」
「普通に飲んでたよ。冷蔵庫にはいつもビール缶があったし、夕食の時にちょいちょい。でも、ショコラがお酒のにおいが嫌いでさ。飲んだ後の父さんからはすって逃げるんだ。それでいつも拗ねてた」
「わうっ!」
あれは父さんが悪い——と言いたげなひと吠えに、背中を撫でる。
「そっか……お母さんも、飲んだ後は気を付けなきゃいけないわね」
「お酒じゃなくてビールのにおいが嫌だったのかな。ワインとかなら大丈夫なのかも。まあそれは、ショコラに聞いてみないとね」
「わう」
「ワインかなにかを少し買っておこうか。戸棚に入れたら『食糧庫』が効くし」
「本当? ありがとう。じゃあ飲みやすそうなものにしましょう。……スイくんが成人したら、一緒に飲みたいもの」
「そうだね、さっきノビィウームさんに渡されたやつみたいなのはちょっと……唇につけただけでうわってなったよ」
父さんも、成人した僕と一緒に飲みたかったんだろうな。
だからきっと母さんは、父さんの代わりに——。
少しだけ感慨に浸りつつ、大通りを歩く。
冒険者ギルドの建物に入ると、ロビーにいた面々がこちらを認めて一瞥してくる。今日は知らない人たちばかりだ。が、遠目に観察されてひそひそされている。
「お母さんのせいかしら。ごめんなさいね」
母さんが軽く肩をすくめた。
黒いとんがり帽子に、黒いマント——『魔女』にのみ許された装束は、その存在が国内外に知らしめられている。かつては魔女の称号を持つ者のほぼすべてが、この漆黒を身に纏っていたそうだ。
だけど今の時代において、この格好をしている『魔女』は母さんひとりだという。
ヴィオレ=ミュカレ。その稀代の魔導士が世に出た際、すべての『魔女』は畏敬と驚嘆をもって、黒い帽子をかぶるのを、黒いマントを羽織るのをやめた。
あの『天鈴』に比べれば、己などは『賢者』どころか『巫覡』、『八卦見』に等しい。魔導の頂点に位置する存在が『魔女』であるのなら、極致たる黒の装束は、彼女ひとりのものであるべきだ——と。
セーラリンデおばあさまからその話を聞かされた時は、そんな大袈裟な話あるの? と思った。だけど事実、おばあさまもカレンも『魔女』の称号を持っていながら、母さんと同じ格好をしているところを見たことがない。カレンいわく、称号を授与された時に王さまから下賜されたけど、一度も着ていないとのこと。『だってあれ、ヴィオレさまの服! って感じがするし……』だってさ。
ともあれシデラの街でも、魔女の装束を着た人が時折出没するというのが噂になっており、冒険者たちに至ってはそれが噂ではなく、紛れもない本物であると知っている。
「まだ帰ってきていないのかしら?」
母さんはしかし、周囲のそんな視線をまったく意に介さず、ロビーをぐるりと見渡す。
「時間にはなっているはずだけど……」
「森に出てるんだから、予定通りってわけにはいかないんじゃないかな」
「じゃあ、待たせてもらいましょうか」
そう言うと丸テーブルの置かれた場所へつかつか歩いていく。
「スイくん、こっち」
「あ、うん」
促されて椅子に座る。
いやこれ、めちゃくちゃ目立ってない……?
「あ、あの! こんにちは。なにかお飲み物とかの注文がありましたら……」
受付嬢のお姉さんが慌てた様子でやってきた。僕も何度か顔を合わせたことがある。カレンと一緒の時は気さくな感じなんだけど、今は母さんに恐縮しきっている。
「柑橘の砂糖水割りをもらえるかしら? 氷は抜きでいいわ。スイくんは?」
「同じやつを。あ、これお代です」
「は、ひゃい! 少しお待ちくださいませっ」
やがてやってきたジュースを受け取ると、母さんはグラスの上で細かな氷を生成しからからと中に落とす。
「はい、スイくんの分」
「ありがとう」
グラスを傾ける。美味しい。けど周囲の空気は若干、気まずい。
国内外に名を轟かせる『天鈴の魔女』がロビーでくつろいでいるというのはたぶん冒険者のみなさんにとってめちゃくちゃ異様な状況で、いうなればハリウッドスターが同じ喫茶店にいるみたいな感じなんだろう。
もちろん、わざわざ声をかけてくる人やいちゃもんをつけてくるような人はいないし、つとめて普通にはしてくれている。でもその気の遣わせ具合は、正直申し訳ないというかいたたまれないというか……せめて知人のひとりでもいればよかったのに。
「そういえばスイくん、なにか必要なものはある? あるなら、お酒と一緒になにか買って帰りましょう」
「そうだなあ。果物があるといいかも。今が旬のやつってなにがあるのかな」
「それなら、今飲んでる柑橘ね。サマーオレンジっていって、これから収穫時期の最盛がくる品種があるの」
「バレンシアオレンジとか夏みかんみたいなもんか。じゃあそれにしよう。あ、そうだ……ショコラとミントの遊び道具もなにかないかな」
「わう?」
「木の枝とかボールの他にも、フリスビーみたいなやつ欲しいよね」
「わんっ!」
母さんがあまりにも平常運転なので、僕も普通に返してしまう。いや、むしろいつも通りに振る舞っておいた方が周囲も気が楽なのかな……こういう場の空気みたいなものに気を回してしまうのは、僕が日本育ちだからだろうか。それとも平然としている母さんが特別に図太いのか。
そんなことを考えていると、ようやく救世主が帰還してきた。
冒険者ギルドの扉が開き、十数名の集団が入ってくる。
全員が薄汚れた格好をしていて、だけどだからこそ、誇らしげに胸を張っている。
先頭を歩くいかつい顔をした大男と、その隣に控える痩身の青年が、僕らに気付いた。
「おう、スイじゃねえか。今日は『天鈴』殿とご一緒か」
「よう、こんな格好ですまんな」
ベルデさんとシュナイさんだ。
僕は立ち上がり、ふたりに駆け寄る。
「お帰りなさい。みなさん無事で?」
「おう。まあ今日は一泊だったし、そんな深くには行ってねえからな。それでもけっこうな大物が獲れたんで、成果は上々だ」
「それはよかった。あの、例のふたりは?」
僕が問うと、ベルデさんもシュナイさんも、不敵ににやりと笑む。
「あいつらなあ。たいしたもんだ」
「ああ。ここを根城にしてくれるってんなら大助かりだぜ」
「上手くやれてますか?」
「最初は面食らったがな。もう誰も気にしちゃいねえ。今は獲物の引き渡しをしてもらってるから、じきに来るだろ……っと、言ってる間に来たな」
ロビーに遅れて、ふたりの人影が入ってくる。
「査定に渡してきたぞ、ベルデ殿。いや、それにしてもさすが『虚の森』……木兎熊があの大きさとは、余も初めて見たな」
「受付のお嬢さんも驚いてたから、こっちでもかなり珍しかったんじゃない?」
細面の爽やかなイケメンと、狼の耳を生やしたボブカットの女性。
今日、僕らがシデラに来た目的のひとつ。
ノアップ殿下——ノアくんとパルケルさんに、僕らは会いに来たのだった。