やっぱり親子で似てしまうのか
「では、お代をいただくとするか」
酒を飲み交わして——僕は唇に付けた程度だったけども——笑い合い、そうして互いを祝った後、ノビィウームさんは職人の顔に戻って言った。
「約束してた額、持ってきましたよ」
僕はポーチに入れていた小切手を取り出す。ただの紙切れなのに感じる重みは、そこに書かれた金額の大きさによるものだろう。
包丁の代金、しめて二百万ニブ。
こっちと日本とじゃあ物流とか生産業の規模なんかが大きく違っていて、貨幣価値は一概に比較できない。だからあれこれと買い物をした上でなんとなくの感覚にはなるが——王国通貨の一ニブが、日本でだいたい十円くらいと考えていいと思う。
つまり二百万ニブというのは、日本円にして二千万円だ。
向こうに残してきた財産、父さんの遺産やら生命保険料やらを合わせた金額がおよそ一千万円くらいだった。その二倍だから途方もない。
だけど高いとは感じなかった。仕入れた材料費もけっこうなものだし、ひとりの素晴らしい職人が最高傑作と自負する仕事の対価として、むしろこれでも足りないようのではという思いすらある。
——まあ、そう考えることができているのも、僕の財産がけっこうなものになっている幸運があるからなんだけども。
「……まったく、この金額を一括でほいっと払うか」
「例の、二角獣の変異種がものすごい買取額になってさ……」
四百万ニブだった。しかも税金とか全部引かれてそれ。
「ワシの楽しみを奪いよって。若いモンにツケ払いをさせるのは年寄りの娯楽だぞ」
「娯楽感覚で若者に借金を背負わせないでください」
逆に言えば、もし僕にお金がなかったらいつまででも待っててくれたってことなんだけど。母さんに頼ることは許さないって言われたのを思い出す。
「まあいいわい。確かに受け取ったぞ」
小切手の金額と、そこに魔導刻印されたギルドの証明書を確認するノビィウームさん。あれをギルドに持っていけば換金、もしくは口座へ入金してくれる仕組みだ。
「換金忘れないでくださいね。期限あるんですから」
「なんぼワシがズボラでもさすがにこの額は忘れんわ。……それにこれは、お前さんがきっちりやり遂げた証なんだ。失効なんぞさせたら鎚が折れる」
ががはと笑い、また酒をラッパ飲みする。
いや、そんな調子だから心配になるんですけど……?
僕が苦笑していると、ノビィウームさんがふと請うてきた。
「それはそうとスイ。お前さんに頼みがある」
「なんです? 僕にできることなら」
「そいつに、銘を与えてやってもらえんか」
「銘って……名前?」
予想していなかった言葉にきょとんとする僕に、ノビィウームさんが続けた。
「ワシらドワーフの職人に伝わる願掛けのようなもんだ。傑作が打てたのなら、使い手に銘を付けてもらう。それが最後の焼き入れとなり、刃は完成し、永遠となる……古い慣わしではあるがな、せっかくだ、お前さんに仕上げの鎚を振るってもらいたい」
「そっか……だから、父さんも」
いま僕の腰にある剣は、ノビィウームさんのお師匠さまに打ってもらったものだ。それを受け取った父さんは僕と同じようにお師匠さまに請われ、こいつに『リディル』と名付けたのか。
まあ由来はアレだけども、と苦笑したところで、はたと我に返る。
名前って、どうやって——どんな名前を?
「え、っと……名前。ちょっと待ってね。考える。考えます!」
しどろもどろになりつつ頭を巡らせる。
やばい、まずい。なにひとつとして思い浮かばない。
ずっと父さんに呆れていた。
好きだったネトゲに出てくる武器の名前をつけるなんてどうなの、と思っていた。
なんならビデオメッセージではちょっと自慢げで、もしや中学生くらいの年代に陥りがちな特定の精神状態を大人になってもずっと引きずっていたのか? と疑ってすらいた。
ごめん、父さん、マジでごめん。
呆れててすいませんでした。
いざ自分が同じ立場になってみるとわかる。
これ、名前って、どうすればいいんだ——。
「ショコラ、お前になにかいい案は……」
「くぅーん?」
「……ないよなあ」
ショコラは退屈なのか、店の隅に置いてある籠のにおいをくんくん嗅いでいた。竹だか蔦だかと放り込まれた鉄のにおいが混じってて興味をそそるのかな?
「母さん……に頼る訳にはいかないか」
「そうね。スイくんとノビィウームさんの間に入るほど野暮ではないわよ」
母さんもにっこりと微笑む。
たぶん母さんなら、こっちならではの神話とか伝承とかにも詳しいだろうし、そういうのからさらっと引用できるんだろうな。
でも僕は——地球にある架空の武器の名前? エクスカリバーとかフラガラッハとかそういうの? いや包丁だよ?
「……、そうだ、ノビィウームさん!」
「おわ、なんじゃい急にでかい声出して」
「あ、その……ノビィウームさんの名前。なにか意味があったりします? たとえば僕の『スイ』は『緑色』って意味があったりするんですけど」
「ん、ワシの名か。あるぞ」
「どんな?」
「古いドワーフの言葉で『神などいない』だ。職人の家じゃあ、子にはだいたい『神はいない』だの『神を超えろ』だの、そういう不遜な名を付けることが多い。神頼みなどせず己の腕のみを頼る職人になれ、って願いを込めてな。お師さまの名……『ウィリアムレム』も『神をぶちのめせ』って意味だ」
神などいない。
神は、無い。
そういう名前の武器が、確か——。
思い至った瞬間、僕は反射的に口走っていた。
「……『神無』」
「カンナギ……どういう意味だ?」
「僕の育った世界の言葉で『神の不在』を表す単語です。あなたに作ってもらった包丁だから、あなたと同じ意味を持つ名前にしたい。……ダメでしょうか?」
ややあってノビィウームさんは。
すごく嬉しそうに頬を緩めて——同時に、少しそっぽを向いて。
「ありがとうよ」
と、つぶやく。
そうして僕に向き直り、厳粛な面持ちで言う。
「わかった。『神無』——その銘入れをもって、その刃の所有をワシからお前さんに移す。存分に振るえ。それから家族の後でいい、そのうちワシにも、お前さんの料理を食わせてくれ」
「はい、『神無』—— 銘入れをもって、確かに受け取りました。だから近いうちに必ず、あなたに食べてもらいます。この包丁で作った、僕の料理を」
だから僕も包丁の柄に手を添え、友人に応え、誓う。
胸の内に恥ずかしさと、ほんの少しの罪悪感を秘めながら。
——ひとつ、嘘をついた。
日本語、というか漢字で『神無』と書いても『カンナギ』とは読まない。
『神無』はカンナ、と読むのが本当のところだろう。
でもそれだと鉋みたいで抵抗があって。
ふと『神無』と書いて『カンナギ』と読む武器があったなと思い出して。
あれは短刀の名前だから、包丁と似たようなものだなと考えたら——もう単語を口にしてしまっていた。
なんのことはない。僕は紛れもなく父さんの息子だったということだ。
アレな部分もしっかりと受け継いでいたということなのだ。
『神無』。
僕がこっちに来る前にプレイしていたネトゲに出てきた、武器の名前である。