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序幕 永遠の傷を刻むもの

「やあ…よく来たな」


立て掛けの悪い…グレーの扉を開けると、九鬼に向けて、苦笑気味の笑顔が向けられた。


兜又三郎…。別名マッドキャベツ。


ここは、化学準備室という名の隔離室である。


大月学園別館の一番奥にある部屋は、薄暗くじめじめしているような印象があったが、そんなことはなかった。


さらっとした空気が、肌に心地よい。


兜いわく、ここが一番、月の光を集め易いそうだ。


「闇に近いから、危険ではない。太陽の光は、闇を隠しているだけだ。こういう場所の方が、逆に闇を防ぐことができる」






「失礼します」


一礼して、部屋に入った九鬼に、兜は苦笑した。


「君は…変わったな」


キャベツのような髪型をした兜は、一見抜けているように見えるかもしれないが、その眼光は鋭く…白衣で隠された肉体は傷だらけであった。


兜は、手に持っていたコーヒーカップの中身を啜ると、ポットを九鬼に示した。



「結構です。まだ学業中ですので」


真面目な九鬼の言葉に、兜はまた笑った。


「そう言うと、思ったよ」


そして、コーヒーカップを書類でおおわれたテーブルの隙間に、置いた。


「昔の…君を知ってる者からすれば…闇から、光に変わった程の衝撃を受けるだろうな」


「あたしは…闇の中にいただけです。それは…胎児と同じ…」


少し距離を取り、兜に近づいた九鬼を、じっと兜は無言でしばし見つめた。


九鬼もそんな兜を見つめながら、兜の言葉を待つ。


内容は予想できた。


だけど、九鬼は待った。


兜は、テーブルに置いたコーヒーカップをまた手にすると、ごくりと一口…喉を鳴らして飲んだ。


その数秒後、兜は口を開いた。


「闇の居場所を突き止めた…」


「どこです?」


間髪をいれずに、九鬼は訊いた。


そんな九鬼の瞳を覗くように無言で見つめた後、兜はため息とともに、言葉を続けた。


「今回は…この学園ではない」


兜は、じっと九鬼を見つめ…少し言葉を発するのを躊躇ったが、ため息とともに吐き出した。


「今回は、憑依型と違い…寄生型だ」


「寄生型?」


九鬼は眉を潜めた。


兜はこくりと頷いた後、少し首を傾げ、


「共生型ともいうべきかな…」


顎に手を当てた。


九鬼はそんな兜を、少し訝しげに見た。


兜は九鬼の視線に気付き、ゆっくりと背を向けた。


「…やつは、学園から離れたというのに、君を名指ししてきた」


兜は、奥の窓に映る九鬼の姿を見つめ、


「君を呼んでいる」


少し目を細めた。


「その意味は、何です?」


九鬼の質問に、兜は肩をすくめ、


「知らんよ」


ゆっくりと振り返ると、九鬼の足下に目を落とした。


そして、九鬼の影を凝視した。


「大方…仲間を倒した君に、復讐でもしたいんじゃないかね?」


「…」


その言葉を聞いた九鬼は、身を翻すと、準備室を出ていこうとした。


「待ちたまえ!」


兜は、九鬼を止めた。


「これは、罠だ!…そして」

「あたしを呼んでるならば…いくだけです!」


九鬼の叫びにかき消された続きの言葉を、兜は噛み締めた後、振り向いた。


「丸腰でいく気かい?」


九鬼に笑いかけると、兜は白衣のポケットから何かを投げた。


片手で受け取った九鬼は、目を見開いた。


「これは!?」


兜はフッと、口元を緩めた。


「こいつをあげよう。君が受け継いだ力よりは、数段レベルが落ちるが…。これがなければ戦えないだろ」


「しかし…これは、博士の一族のもの…」


九鬼の手にあるのは、黒い乙女ケース。


「フッ…。これは、俺には扱えんよ」


兜は乙女ケースに目をやり、またため息をついた。


「かつて…月の戦士を補佐する為に、つくられた…量産タイプともいえるこのケースが、今や…貴重とはな」


闇の軍勢と戦う9人の月の使者。その周りを補佐する…数千の巫女。


彼女達が身につけたのが、九鬼に渡された乙女ケースである。


「幾多の時代を得て…こいつは、一つしか残っていない」


九鬼は、黒の乙女ケースを握り締め、その表面を見つめた。


「何代か前の先祖が、研究の為に、こいつをいじくった。その過程で、バグが発生し…乙女でなくても、装着できるようになったが…」


兜は、九鬼の手にある乙女ケースを見つめた。


「いつ壊れるか…わからんがな」


「それでも、有難いです」


九鬼は、兜に頭を下げると、


「いってきます」


扉を開け、外に出た。


「…」


扉が閉まっても、兜はしばらく…九鬼がいた場所を見つめていた。


やがて、深く息を吐くと、自虐的に自分を責めた。


「だから…学者って、やつは…」


自ら戦地に赴くではなく、ただ戦士を送り出し、結果を待つだけの存在。


「結局…俺は、あいつに押し付けただけだ…。戦う理由を」


兜の脳裏に、初めて会った頃の九鬼の姿が浮かんだ。


漆黒の闇に、自らの血で色を塗る少女。


「少女ではないか…」


兜は苦笑し、少し目眩がしたのか…ディスクに手をついた。


「もし…あいつが、少女だったら…堪えられなかったと思う。例え、月の光を手にいれたとしても…」


(闇という牢獄で、あの子は死に絶えただろう)


兜は頭を振ると、考えるのをやめた。


「心配ないさ…あいつならば」


自分で自分を納得させた。





「病院?」


九鬼は、巨大な市民病院の前にいた。


病院で、待ち合わせとは聞いたことがない。


(まあ…相手は、闇だが…)


九鬼は、無意識にチェックのスカートのポケットを確認した。


そこに、乙女ケースがあったからだ。


学校を出て、まっすぐにここに来た為、ちょうど夕暮れを重なった。


白い建物が、夕陽に照らされ…1日の最後を飾っていた。


赤と黒…。


巨大な建物が落とす影が、濃い。昼間は気づかない…影という闇が、浮き彫りになる。


もうすぐ…すべてが闇になる。


九鬼は、病院前の駐車場を横切ると、来客用の出入り口に向かった。


一階フロント前は、受付が終わったのか…誰もいなかった。


というよりも、病院自体に人がいないように思えた。


だけど、九鬼は気にせずに、フロントを突っ切ると、まっすぐにのびる廊下を歩き出した。右にある窓から、夕陽が差し込み、赤と黒の縞模様のように見える廊下を、ただ歩く。横から見ると、九鬼の体もまた…光の縞模様があるように感じられた。


廊下を半分くらい過ぎると、赤は急速に消えていく。


一瞬の最後の輝きを、九鬼の横顔に浴びせると、闇がすべてを支配した。


廊下に、電気がついていなかった。



『ううう』


嗚咽のような泣き声が、闇の中から、聞こえてきた。


九鬼は足を止めると、廊下の先の闇を凝視した。


(何かいる!)


九鬼は一瞬、構えそうになった。


しかし、泣き声が聞こえた方からは、殺気が感じられなかった為、警戒しながらも摺り足で、廊下を歩き出した。


いつでも、蹴りが放てる体勢を取りながら…。


「!!」


いつのまにか、泣き声は九鬼の後ろに移動していた。


はっとした九鬼が、振り返ろうとした横目に、うずくまる人影が映った。


真っ暗な廊下に、さらに暗い影が膝を抱えて、うずくまっていた。


九鬼はそれを見て、蹴りを放つ体勢を解いた。


なぜなら、影は小さな女の子だったからだ。


「あなたは?」


九鬼は、膝を抱えてうずくまる女の子に声をかけた。


すると、女の子は徐に顔を上げた。そして、そのあどけない顔を、九鬼に向けた。


泣いていた。


真っ赤に腫れ上がった女の子の瞳の痛々しさに、思わず九鬼は、顔をしかめた。


そんな九鬼を見て、女の子の口を開いた。


『あたしは…死んだの?だけど…あたしの体は、生きてるの…』


その言葉を、九鬼は理解できなかった。


「体は…生きている?」


女の子は、こくりと頷いた。


『体を取られたの…もうあたしのものじゃないの』


また涙が滲んでくる女の子に、九鬼はとっさに手を差し伸べたが、触れることはできなかった。


指が、女の子の涙を拭うことなく、目を突き抜けた。


「な」


絶句している間に、女の子の姿は消え、廊下に灯りがついた。


九鬼は突然の光に、目を細めながらも、女の子がいた空間を見つめた。


「幽体か?」


九鬼は、空間に差し伸べた手を握り締めた。


(何かを伝えようとしていた)


それは、確実だった。


九鬼は、体を廊下の先に向けると、再び歩き出した。


九鬼の足音だけが、廊下に響いた。


一番奥にあるエレベーターに、乗り込む。


ドアが閉まるまで、目の前にある窓ガラスの向こうに姿を見せ始めた月を、九鬼は見つめた。


その輝きを、目に焼き付けながら、九鬼は一度、呼吸を整えた。


目を瞑り、ドアが閉まると同時に、九鬼は目を開けた。


エレベーターは、目的地がある六階に止まった。


ドアが開き、ゆっくりと歩きだした九鬼は、空気の淀みを感じ取った。


呼吸を整えていたから、すぐにわかった。


異様な空気の濃さを。


まるで、酸素カプセルにでも入ってるような感じだ。


九鬼は、空気の壁を掻き分けるように、廊下を進んだ。


エレベーターのあるフロアから右へ曲がり、さらに十メートル程進んだ後、突き当たりを右に曲がった。


そして、またまっすぐに歩くと、行き止まりになった。そのすぐそばに、病室はあった。


そこが、目的の場所であった。


九鬼はノックをすると、返事を待たずに、ノブに手をかけた。


「失礼します」


ドアを開け、中に入った九鬼は、驚きから目を見開いた。


六畳程の1人部屋の端で、本を片手に佇んでいるのは、紛れもなく…一階で会った女の子だった。


ベッドの上でくつろいでいた女の子は、九鬼に顔を向けることなく、読んでいた本を閉じると、無造作さにシーツの上に、置いた。


本の題名は、夏目漱石のこころ。



「やあ」


一瞬、固まったことを悔いた九鬼に対して、ベッドの上にいる女の子はスローモーションのように、ゆっくりと顔を向けた。


九鬼は心の中で、舌打ちをした。


(そういうことか!)


九鬼に向かって、微笑を浮かべる女の子は、しばらくじっと彼女の体を観察していた。


「女の子の体を…乗っ取ったのか!」


九鬼は腕を前に突きだすと、ベッドまでの距離を計り、一気に襲いかかろうとした。


「あらあ…いけなかったかしら?」


首を傾げる女の子に向かって、九鬼はジャンプした。


「返せ!女の子に、体を!」


九鬼の膝が、女の子にあたる瞬間、何かに弾かれたようにふっ飛び、病室の床を転がった。


「無駄よ!この子の脳は、食べたから…。もし、返したとしても、ただの死体になるだけよ」


「食べただと!」


九鬼はすぐに、立ち上がると、乙女ケースを突きだした。


「許さん!」


九鬼のその言葉に、ベッドの上の女の子は眉を寄せた。


「許さないって…それは、あたしの台詞よ」


「何!?」


「折角…産んで上げたのに…」


女の子は、ベッドから飛び降りた。床に着地すると、上目遣いで九鬼を見た。


「折角…」


目だけで、九鬼の上から下を何度も見て、ため息をついた。


「ああ〜男の子として、産んだのに、女の子の格好をしてえ!」


「な!」


九鬼は性別を見破られたことに、驚いた。乙女ケースを突きだしたまま、動けなくなった。


そんな九鬼の様子に、女の子はクスッと笑った。


「どうして〜知ってると思ってるようね」


女の子は九鬼の心をよんだかのように、じっと目を見…徐に言葉を発した。


「あたしが、あなたを産んだんだから…当然でしょ?」


女の子は楽しそうに、笑みを浮かべながら、九鬼を見つめた。


「な」


九鬼は、乙女ケースを突きだしたまま動けない。


「あらあ?忘れたの?あたしの声を…。でも、仕方ないわね」


女の子はベッドの上に、ゆっくりと立ち上がると、


「あなたを手放しのは、赤ちゃんの頃だから」


ジャンプして、一瞬で九鬼の前まで飛翔した。


「あなたは、覚えていないわね」


130センチぐらいしかない…小柄な体躯を素早く動かすと、固まっている九鬼の手から乙女ケースを叩き落とした。


九鬼には動きが、まったく見えなかった。


病室の床を転がる乙女ケースを、女の子は忌々しそうに睨んだ。


「…あれを見てると、思い出すわ」


女の子の声が、変わった。低い酒やけしたような女の声に。


「かつて、我々の邪魔をした…月の戦士を」


ほんの数秒前の女の子と同じ姿なのに、表情も顔の皺の寄せ方さえも違う…まったく別人に見えた。


「お前は、何者だ」


九鬼がやっと動いた体を、女の子に向けると、突きだした形のまま固まっていた指を揃え、祈るような構えを取った。


そんな九鬼の様子に、女の子は笑った。


「何も知らずに来たのか?招待状は出したはずだがな!」


女の子の雰囲気がまた、変わった。


「あなたの母親が、待っているとね」


先程の母親の声に、戻った。


「な、舐めるな!」


九鬼は、左足を前に出すと軸にして、蹴りを放とうとした。


「生身の蹴りが、あたしに決まるとでも?」


九鬼の蹴りは、女の子の鼻先数センチ前をかすめた。


しかし、それは九鬼の作戦だった。


当たらなかった右足を床につけると、蹴りの勢いを利用して、九鬼は回転するように、転がった。


その先には、乙女ケースがあった。


九鬼は回転しながらも、乙女ケースを拾うと、病院の壁に背中を打ちながら、乙女ケースを突きだした。


そして、


「装着」


と叫んだ。


九鬼の体を、黒き光が包む。


そして、顔にかかった眼鏡を気にすることなく、九鬼は床を蹴ると、女の子に体当たりを食らわした。


「クッ」


予想をこえた九鬼の速さに、女の子は避けることができなかった。


女の子と九鬼は病室の窓を突き破り、6階から落下していく。


真上に浮かぶ月に照らされて、九鬼の体が輝いた。


女の子の背中から、蝙蝠の羽が生え、空中に浮かんだ。


窓ガラスの破片とともに、着地した九鬼の姿が変わっていた。


「闇夜の刃…乙女ブラック…」


黒い戦闘服を身につけた九鬼が、月下に立ち上がった。


「乙女ソルジャー!」


女の子は苦々しく、空中から見下ろした。


すると、ブラックの姿が消えた。


「!?」


驚く女の子の視線の端が、光るものをとらえた。


「見参!」


空中にジャンプしたブラックの手刀が、女の子の頬を切り裂いた。


一瞬光ったのは、ブラックのかけている眼鏡の反射だった。


「き、貴様!」


女の子の頬から、血が流れた。


ブラックは再び、地面に着地した。


「よ、よくも!我の体を!」


怒りの形相で、ブラックに向けて、落下してくる女の子。


ブラックは、女の子に背を向けていた。


「殺しても!償えぬわ!」


女の子のすべての指の爪が伸びて、ブラックを後ろから貫こうとする。


ブラックは後ろを振り向くことなく、目を瞑っていた。


「死ね!」


爪が背中に突き刺さると思われた刹那、ブラックの姿が消えた。


「何!残像か!」


女の子の真下に、倒立の形で両手を地面に付け、足を畳んだ体勢のブラックがいた。


「ルナティックキック…ニ式!」


足を伸ばす力と、両手で地面を弾く力がバネとなり、女の子のお腹辺りを突き上げた。


空中でぶっ飛び女の子を確認し、ブラックは体を丸め、足から地面に着地すると、再びジャンプした。


「ルナティックキック!」


蹴りを喰らったが、何事もなく地面に着地した女の子に対して、右足のすねを相手の首筋に叩き込んだ。


ラリアットを腕ではなく、足でする。それが、ルナティックキックである。


だが、ふっ飛んだのは、女の子ではなく…乙女ブラックの方だった。


まるで、鉄柱に蹴りを入れたように感じながら、ブラックは弾かれた。


(乙女ブラックになってなかったら、足のすねが砕けていた)


ブラックは着地すると、激痛が走る右足を見た。


「あははは!闇の魔獣デーテに、たかが蹴りごときで倒せると思ったか!」


「魔獣デーテ…?」


ブラックは激痛を堪えながら、目の前に立つ女の子の姿をしたデーテを凝視した。


爪が異様に長い以外は、普通の女の子と変わらない。しかし、瞳が赤く輝き…全身から発せられる気が、夜の風景よりも黒く…まるで生きているような質量を感じさせた。


「闇か…」


ブラックは左手を突きだすと、右手を握り締めた。


足の痛みはとれていないが、回復を待っている余裕はない。


「あらあ〜!なんて、せっかちな子なんでしょ!やっぱり男手で育てられたからかしら?」


デーテの声が、変わる。攻撃の体勢をとっているブラックに、肩をすくめて見せ、


「あなたを呼んだのは、戦う為じゃないのよ。やっと家族で過ごせる時から来たから、知らせようと思ったのに」


残念そうに、首を項垂れるデーテに、ブラックは眉を寄せた。


「家族で過ごすだと!?」


「そうよ」


デーテの表情が、温和になる。優しい瞳が、いとおしそうにブラックを見つめていた。


「ふざけないで!どうして、今更!」


ブラックはなぜか…少し動揺してしまった。


その理由はわかっていた。


家族という言葉が、ブラック…いや、九鬼の心を震わしたのだ。


それは、九鬼が求め…夢見たものだった。


九鬼は、家族の温もりを知らない。


しかし、九鬼は唇を噛み締めると、前に出た。


「ふざけるな!」


だからと言って、突然現れた魔獣となった母親に、靡く訳がなかった。


九鬼には母親の温もり…顔も記憶さえもない。


夢と現実は、違う。


乙女ブラックは、正拳突きをデーテに叩き込んだ。


「無駄よ」


ブラックの正拳突きを顔面にくらっても、デーテはびくともしない。


逆に、ブラックの腕に激痛が走った。


「母親に手をあげるなんて…何て子かしら」


デーテの横凪に払った爪が、ブラックの胸元を切り裂いた。


「クッ」


顔をしかめながらも、一瞬で3メートル程距離を取ったブラックに、デーテは少し感心した。


「へえ〜。逃げ足だけは一人前ね。だけど」


デーテの髪が逆立つと、静電気が発生した。


「かつての月の戦士には、遠く及ばないわ」


電流が闇を侵食し、ブラックの全身にも絡み付いた。


「きゃあ!」


ブラックは思わず、悲鳴を上げた。


「このまま…気を失いなさい!そうすれば、目覚めた時…あなたは、あたしと一緒になっているわ」


電流は止めどなく、ブラックに流れていく。悲鳴すら発することがなくなったブラックの様子に、デーテは微笑んだ。


「さあ…お眠り」




ブラックは、膝から崩れて落ちた。


そのまま倒れるかと思われた時、ブラックは目を見開いた。


噛み締めた唇から、血が流れていた。


「フン!」


気合いを入れると、全身に絡めついた電流が消し飛んだ。


「何!?」


驚くデーテの目に、うっすらとブラックの全身を覆う蛍火のような光が映った。


「ムーンエナジーか!」


思わずたじろいだデーテを、ブラックは睨んだ。


それは、デーテへの怒りよりも、悲鳴を上げた不甲斐ない自分に対しての怒りだった。


「うおおおー!」


雄叫びを上げて、ブラックは拳を握りしめると、唇から流れてる血を拭うことなく、デーテに向かって飛んだ。


ムーンエナジーを纏った拳を、デーテに叩きつける。


しかし、ふっ飛んだのは、ブラックの方だった。


「フン!」


デーテは鼻を鳴らすと、地面に倒れたブラックを蹴り上げた。


「ほんの少し!ムーンエナジーを使えるくらいで、いい気になるな!」


「くそ!」


すぐに立ち上がったブラックに、デーテのパンチが炸裂した。


再びふっ飛んだブラックは、空中で変身が解け、九鬼へと戻った。


「オホホ!」


高笑いしたデーテは、月を見上げ、


「美しき…嫉妬すら覚える月よ。あなたの戦士の最後をただ、天から見ているがよいわ」


両手を広げた。



「か、勝てない」


変身が解けた九鬼は生身のまま、背中から地面へと激突した。


全身を貫く痛みが、九鬼を動けなくしていた。


「折角…力を手に入れたのに…闇を切り裂く力を…」


九鬼の目に、上空に浮かぶ月が映った。


無意識に、手が月を掴もうとする。


「もっと…あたしに力を…」


九鬼の脳裏に、銀色に輝くケースが浮かぶ。


「あれが…あれば…」


後悔しかけた九鬼の頭に浮かぶ映像が、広がった。


銀色のケースを握り締め、ベッドの上で眠っている少女。


その映像に、九鬼ははっとした。


「あ、あたしは…何を」


九鬼は反転すると、両腕に力を込めた。


「何を…甘えている!」


九鬼は顔を上げ、歓喜の表情を浮かべているデーテを睨んだ。


「あたしは…力をもう得たじゃないか!」


九鬼の脳裏に…無惨に殺された仲間達の映像が甦る。


「何もできなかった…あの頃に較べて…」


九鬼の瞳から、涙が流れた。


「何を…あたしは甘えているんだ。これ以上、何がほしい!他から、力を与えられて…。ただ…月から、力を貰ってるだけのあたしが!」


九鬼は、立ち上がった。


「弱いのは、あたしのせいだ!あたし自身の弱さ!何の努力もしないで、他者から与えられた力だけを、望むのか!」


「ほお〜まだ立てたのか?」


少し驚いたデーテは、九鬼の涙に気付き、笑った。


「ハハハ!泣いてるか!月の戦士が!」


その嘲りに、九鬼は涙を拭うことなく言った。


「これは、悔し涙だ!甘過ぎる己自身への!不甲斐ない自分自身への!」


九鬼は、乙女ケースを突きだした。


「装着!」


「変身したところで!勝てるか!」


デーテは自らの爪を舌で舐めると、ゆっくりとブラックに向けた。


「考えろ!今できること以上のことを!」


ブラックは構えながら、デーテを観察した。


「考えろ!やつに、勝つ為に!」


「無駄な足掻きを!」


デーテは、爪をブラックに向けたまま、突進してきた。


「大人しく!貴様も脳味噌を食われて、我の一部になれ!」


「考えろ!」


ブラックの眼鏡のレンズに、デーテの顔が映る。


「!」


ブラックは気づいた。


先程、手刀でつけた傷がもう消えていることに。


(そうか!傷は消えている!しかし、傷をつけることができた!)


ブラックは、足に力を込めた。


(その意味は!)


迫り来るデーテを睨み付け、ブラックはタイミングをはかる。


「ハハハ!そうだ!今度は、貴様の体に寄生しょう!この体よりは、強力なようだからな!」


デーテの突きだした爪を、ギリギリでジャンプして避けると、ブラックは蹴りを放った。


「ルナティックキック!」


「ハハハ!効かぬのが、わからんのか!」


余裕で笑うデーテの額に、ブラックの爪先がつく。


そして…。


「何!?」


デーテは絶句した。


額の上で、爪先を支点にして、ブラックが回転しだしたのだ。


(ムーンエナジーを、爪先へ)


回転するブラックを包むムーンエナジーが、渦となって爪先に集束される。


「き、貴様!」


デーテの額に、ヒビが走った。


「乙女スピン!」


ドリルと化したブラックは、額を突き抜け、デーテの頭を貫いた。


「ぐげぅ!」


デーテの頭が爆発し、ピンクの脳髄が空中に飛び散った。


「別名…ルナティックキック…3式」


デーテの後ろに着地したブラックは体を捩り、そのまま回し蹴りをデーテの脇腹に叩き込んだ。


倒れ…地面を転がるデーテ。


「ま、待て!」


額から上が飛び散り、脳味噌を露にしたデーテが、上半身を上げ、懇願するようにブラックを見上げた。


ブラックはゆっくりと、デーテに歩み寄っていく。眼鏡が逆光の為に、表情がわからない。


「き、貴様!わ、わかっているのか!我の脳には、我が食べた人間の記憶が刻まれているのだぞ!今の攻撃で、何人かの人間の記憶がなくなったのだぞ!死んだのだぞ!」


デーテの言葉にも、ブラックは反応しない。


「き、貴様!」


ブラックは、手刀をつくる。


「真弓ちゃん!」


デーテの声が、変わる。


「ママを殺すの?」


ブラックは答えない。


ただ手刀が、真上の月の光を得て、さらに輝いた。


そして、デーテの剥き出しの脳味噌に突き刺した。


「うぎゃあ!」


残った脳味噌が、飛び散った。


ブラックは手刀を抜くと、また振り上げた。


「お、お姉ちゃん…」


今度は、一階で会った…この体の持ち主である少女自身になる。


「あたしを殺すの!助けてくれないの?」


「…」


しかし、ブラックは無言で手刀を振り落とした。


「お、お姉ちゃ…」


また脳味噌が飛び散った。


「や、やめろ!」


最後は、デーテの声になり、叫んだ。


「お前は、人を殺すのか!こいつらの記憶は、我に刻まれている!我を殺すことは、我の脳に刻まれた人間を殺すことになるのだぞ」


そのデーテの言葉に、ブラックは答えた。


「心配するな。あたしが、殺すのは…お前だけだ」


渾身の力を込めた手刀が、頭から股まで切り裂いた。


「お、お前は悪魔かあああ!」


デーテの断末魔の悲鳴が、病院の敷地内でこだました。


「この通りだ…」


ブラックは手刀を抜くと、真っ二つになったデーテを見た。


「あたしは…お前達にとっての悪魔…」


ブラックは眼鏡を取ると、九鬼に戻った。


月光の下で、死骸となったデーテの体が照らされ…灰と化していった。


灰と化したデーテの体が、風に乗って飛んでいく。


九鬼は、飛ばされていく灰を見つめ、


「…記憶があるから、人ではない。自らの意志で、未来を選べる。それが、人だ」


目を瞑ると、デーテに未来を奪われた人々の為に、黙祷した。



「お姉ちゃん…」


九鬼の後ろから、声がした。


はっと目を開けると、九鬼は振り向いた。


そこには、廊下で会った少女が微笑んでいた。


そして、すぐに消えた。



「す、すまない…」


九鬼の瞳から、涙が流れた。


「もっと早く…来ていれば…」


九鬼は月の下で、泣き崩れた。


魔を倒した。


しかし、それに意味があったのか。


少女を助けられなかった。


それでも、次の犠牲者を防いだではないか…。


そんな風に、九鬼は思えなかった。


月の力を得て、闇と戦える力を得た時から…闇からすべての人を救う。


それが、自分の使命だから。


月がすべてを照らすように、自分はすべてを救いたい。


だから…。


それが、できなかった自分を悔いた。


例え…少女が微笑んでくれたとしても…。





闇夜の刃…九鬼伝。


幕開き。

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