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球体に宿る  作者: 三千
3/3

球体に宿る、愛

私の母は、とにかく束縛系motherだった。

物心つく頃からはそれがとても鬱陶しかったし、あまりに束縛が酷すぎて、子供心にも呆れてしまうほどだった。

過保護。

その一言に尽きるのだと思う。

危険と判断されたことは何でもやる前にダメ出し。ひとりで買い物に行くことも禁止。本屋や図書館くらいならと思うけど、「帰り道が暗くて危ないから」と言って、いつも送迎だ。

正直息が詰まる。

そしてそんな心配性な母にいつも持たされていたものは、まんまるな機械だった。

「いい? 彩香、なにかされて嫌だと思うことがあったら、ここのピンを引っ張るのよ」

試しにピンを引っ張ってみたら、大音量でブザーが鳴ったので、驚いて落っことしそうになった。

「ほら、ランドセルとピアノバッグ、お習字のバッグにもつけておくからね」

キーホルダーとともにぶら下がる、丸い防犯ブザー。自分を守るものなのだと、その時は母を微塵も疑ってはいなかった。

私にべったりの母の態度が、なんだか少しおかしいと気づいたのは小学校の高学年。

それは商業施設で買い物をしているときのことだった。

「ママ、ちょっとトイレ行ってくる」

母は即座に反応して、

「ちょっと待って! ママも一緒に行くからっ」

そう言って見ていたオフホワイトのブラウスを慌てて棚へと戻す。カシャンと小さな音が響いた。

「いいってば! すぐそこでしょ? ひとりで行ってくるからママは服見てなよ」

どうせ断れない。ついて来るに決まってる。わかってはいても、一言そう言わなければ気が済まない年頃だった。

すると、母のお決まりのセリフが炸裂する。

「一人じゃ危ないでしょ。変な人がいたらどうするつもり?」

「大丈夫だって。私もう高学年だよ? 一人で行けるってば」

「一人で行けるのはわかってるけど……いいの!! ママもトイレ行きたいんだから」

結局、連れ立って行った。

トイレくらいゆっくり入りたいし、鏡で身なりも整えたい。ずっと一緒にいられたら、息も詰まるし監視されているみたいだ。

監視?

監視なのかもしれない。

そう思ったのは、反抗期真っ盛りの中学の時だった。

「留守番してるって言ってんの!!」

どうしても行かなければならない買い物に、ついてこいと言う。

「最近では宅配業者を装った押し込み強盗が流行ってるから、家にいても危ないのよ」

「大丈夫だよ、インターホンが鳴っても出ないから!!」

「インターホン鳴らす強盗なんて聞いたことないわ」

「私、宿題やらなきゃいけないから家にいる」

「ちょっとの時間で済むから。一緒に来てちょうだい。ママが小学生のときの話したでしょ? 小さい兄弟の話。あり得ないのよ、家に子どもだけだなんて。なにかあったらどうするの……」

「その話は何度も聞いたってば」

「お風呂で溺れてたかもしれないのよ? わかるでしょ。家に一人だと危ないってことぐらい」

心配性なのだ。私の身を案じてくれているということは、わかっている。わかっているのだけど……ウザい!! と、爆発してばかりの高校生活。

「カラオケくらい、今どき中学生でも行ってるって!!」

そして、私は大学受験を迎えた。大学生になったら、この息の詰まる家を出ると決めていた。もちろん県外の大学に照準を合わせた。

そこで大喧嘩だ。

父は「もう大人なんだから大丈夫だよ。進路は彩香自身が決めなさい」と私の味方。

けれど母は、「まだ子どもなのよ。自宅から通わせるのが親ってものでしょう」と絶対に折れない。

「一人暮らしなんて危ないわ。何かあったらどうするの? あなたは心配じゃないんですか? それでも彩香の親なの?」

母の激昂に、父はたじたじだった。

けれど、私はもうすぐ18歳。成人になるのだ。

「今までずっとお母さんの束縛が辛かった……私はお母さんの所有物じゃない、意思も感情もあるひとりの人間として見て欲しかった!!」

そう言って荷物を持って家を飛び出した。父の力を借りてだが小さなアパートを借り、そこから大学へと通った。手を貸す父を、母は裏切り者!! と罵ったが、その声を耳に入れながらも、私は逃げた。それから母には会っていない。

両親の様子は気になったが、今、私は自力で奪い取った自由を満喫している。大学の学費は出してもらってはいるが、もちろんバイトをして、家賃やら生活費やらは自分で払っている。

そうしているうちに、彼氏もできた。

ある日、彼と家で彼の好きなお笑い番組をテレビで観ていた。

「あー俺さ、この『オレンジナッツ』っての好きなんだよねー」

私が作ったカレーライスをもぐもくと頬張りながら、彼がそう言った。

「へー面白いの?」

「ネタはまあまあ。ってか知らんの?」

「知らない」

もともと母は音楽番組かニュース、父は旅番組しか観ない。

バラエティ番組やお笑い番組などは、観る機会もなかったし、興味もなかった。

「こいつら兄弟なんだけどさ。けっこう苦労してんだぜ」

ふうん? と生返事で、カレーライスに入っているジャガイモをスプーンで潰す。辛いのが少しだけ苦手な私は、こうして潰したジャガイモをカレールーと一緒に食べると、味がマイルドになることを知っている。

ただ、この食べ方は行儀が悪いと言われたことがある。家でもやっていたが、マナーとかそういうことには母は無頓着だった。躾は父の方が厳しいくらいで、そこがまたわからない。なにもかもが理解できなかった。

「おいぐちゃぐちゃにして食べんなよ」

彼がテレビから目を離して言う。

「はいはい」

私は手を止め、テレビを観る。

「オレンジナッツさ、親に捨てられたんだと」

「え!! そうなの?」

私のように親に悩まされる子もいれば、親に見捨てられる子もいるのか。なんだか胸の中がもやっとする。

(理不尽な世界だ)

カレーライスを掬って食べる。喉が辛味でひりついて、氷の入った水をひと口飲んだ。カラン。ガラスの中で氷が響いた。

(もし……うちのママがこの兄弟の母親だったら……良かったのかな……)

酷い娘だとは思う。けれど、それ以上に酷い母親だと思っていたから。

だからきっと、この兄弟だってうちの母親からは尻尾を巻いて逃げ出すに決まってる。あんな身動きの取れない、窮屈な家なんかに住みたくないだろうから。

この人たちは親に捨てられたが、私は親を捨てた。その行為になんの違いがあるのだろう?

「だいぶ昔のことだけど、SNSでバズったの知らない?」

彼の声ではっと現実へと引き戻された。相変わらず、『オレンジナッツ』は、漫才? コント? を続けている。

「知らない」

「裸で女の子を追いかけたんだって」

「は? 下ネタかよ」

「違うって。おまえほんとテレビとかネットに疎いのな」

これ観てみろ。

そう言われて、短い動画を観させられた。

何年か前のずいぶん古い再現VTR。だが、再生回数は結構すごいことになっている。

私は無言で画面を見つめる。

観ているうちにめまいがしてきた。これなんなん? デジャヴだろ。聞いたことがある。こんなことがあったんだよと、どこかで母の声が響いた気がした。

私は、無心で立ち上がり、部屋の片隅に置いてあるダン箱の中をさぐってみた。実家から持ってきたガラクタばかり。そのほとんどが母が関与したもので、母と縁を切るためにといつかは捨てようと思っていた。私はその中から、あの球体を取り出す。

「ねえ……」

彼がスマホの画面から顔を上げた。

「……知ってる。私、この話知ってる」

「だろ? やっぱそうだと思ったわ。すげえバズったからな。この少女は誰なんだって、いっときすげー話題になったし」

「じゃなくて……ううん、なんでもない。やっぱ知らないわ」

「はあ? あっそ。それにしてもなあ。子どもをほっといて遊びに行っちまうなんて、ひでぇ親だよな。で、結局、捨てられて施設行きだもんな。許せんわ。俺が親なら絶対に置きざりにしないっての」

「そうだね」

「俺なら自分の子ども、大切に育てるからな。俺は良いパパになるんだ!」

彼がそう言いながら、ニヤニヤとすり寄ってきて、頬にキスをしてくる。少しだけぷっと吹き出した。

「わかったっての!」

「で? それなんなの?」

握りしめていた、防犯ブザー。

「うちのママさ、すっげ過保護だったからさ……これ何個も持たされてたんだ」

「へえ、彩ちゃんすっげー大事にされてたんだね」

え?

私が顔を上げると、「俺は彩ちゃんのご両親より、もっともっと良きパパになるつもり」と言って、またニヤリとする。

笑えてきた。くくくと笑う。

「……あのさ、今度の土曜日、家に帰るかもしんない」

喉に絡みつくカレーの辛さがしつこい。テーブルに戻りなから、慌てて言い直す。

「ま、まだわかんないけど」

座って水をごくごくと飲んだ。

「おう、彩ちゃん帰るなら、俺バイト入れるわ。決まったらまた教えて」

「ん」と頷きながら、充電中のスマホからコードを引き抜いた。

少しの躊躇があったのち、思い切ってLINE画面を開く。

『ママ、オレンジナッツってお笑い芸人、知ってる?』

何度も読み返してから送信し、私は返事を待った。

残ったカレーをタッパーに詰めながら。







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