奇跡の力、その代償
異臭、腐敗、血の匂いがこのフロア一帯に広がっていた。そして今起きている状況を何も知らない者が見たらどんな行動をとるのだろうか‥‥あまりの衝撃にその場で膝を崩すのか、あまりの残酷さに泣きながら嘔吐するだろうか、その現実に受け入れられず悔しい思いをするのだろうか、それは実際に体験しなければ分からないことである‥‥
このフロアには現在百前後の猫族と兎族の遺体が並べてあった。
刃物で数か所も深く切り刻まれた者
心臓を強引に抉り出した跡があるに関わらず処置すら行われず口を開けたまま亡くなっている者
薬品を投与された跡があり肌色が黒く変色したり泥水のように変色している者
他にも見るも無残な殺されかたで死んでいる者がいるのであった。そう、この者たちは本当に死んでいる。ひょっこり生き返る事や、実はドッキリでした、という事は絶対に起こらない。
そしてその遺体たちの中心にいるのは1人の少女であった。少女は何も言葉を発することなくその時が来るまでただ待っていた。そしてついに少女は動き出した。自身の歯で親指を強く噛んだ。すると親指から大量の血が流れだした。その血はぼとぼと垂れ流れるのではなくまるで生きているかのようであらかじめ決めていた場所まで一直線に、走るように向かい始めた。やがてそれは何かの陣のように繋がり始め‥‥
「【時間操作領域】展開、肉体再生開始」
祈るようにそう唱えると完成した魔法陣が白い光を輝かせ始めた。すると1つの遺体に変化が起き始めた。その遺体は数か所に刃物か何かで切り刻まれ、血を抜かれ死に絶えていたはずの遺体であった。だがその肉体が突如として再生し始めた。深く切り刻まれた痕の肉体はみるみる塞いでいき、顔色もまるで生きていた時の様な状態まで戻り始めた。他にも、失ったはずの心臓が突如として現れたり、黒く濁ったような肌も本来の色に戻り始めた。
ではなぜこのようなあり得もしないような出来事が起こり始めたのか、それは少女——星乃零が遺体全てを覆うように【時間操作領域】を発動させ指定した時間、つまり死ぬ前の肉体までの姿に戻したのである。そして指定した時間はこの人間世界に来る前の状態まで戻したのであった。そうして数分かけてすべての遺体の肉体再生を終えるのであった。だが、それでもその遺体は目を覚ますことはなかった。だが零は始めからその事は分かっていた。肉体が戻っても死んだ者は蘇ることはあり得ないことなど‥‥
「【魔力贈呈】」
次に行ったのは自身の魔力を相手に渡す応急処置である。やり方はとても簡単で相手に手を翳しそのままこの術を唱えれば自動で相手に魔力を渡すことが出来る。だが今の時代でこの術を使う者はほとんどいない。何故なら自身の魔力を相手に渡す行為などよほどのお人よしが行うからである。それにこの時代には【魔力接合】が存在している。このおかげで強力なエネミーを撃破してきたのだから【魔力贈呈】という1人だけに渡さなくても何の問題がないからである。それにこの術は発動から終えるまでの時間が長ければ、渡す対象者が複数ではなく1人のみというのも1つの理由である。
そんな欠点の【魔力贈呈】だが零のそれは先ほどの述べたものと全く違った。零がその術を唱えると零を軸にして百前後の遺体に魔力が流れ込み始めた。その証拠に全ての遺体に【魔力贈呈】が行き届くと同時に淡い光に包まれたのであった。しかしその光の輝きが失われてもその遺体に何の変化もなかった。だが、零はそれも始めから分かっていた。これらはすべてこれから行うための下準備なのだから‥‥
零以外の者たちは今何が起きているのか全く理解できていないでいた。始めに零は自分の親指を噛んでそこから大量の血が溢れ始めた。その血は一瞬で何かの陣みたいなものに繋ぎ合わせ始め、そして突如赤かった血が白い光を輝かせ始めた。するとどういうわけか残酷な殺され方をした全ての遺体に変化が起こり始めた。それは深く刻まれた傷や抉られたような痕がみるみる塞がり始めたのであった。そうして次に行ったのは遺体に魔力を分ける【魔力贈呈】である。だがその術は誰もが知っているようなものではなく、零がとった行動は自身の流した血に【魔力贈呈】を使用したのであった。血に魔力を与えても意味がないのでは、と思ったがその結果は違った。【魔力贈呈】を受けた血は繋ぎ合わせている赤い陣を伝いながら広がり始め、そして広がるにつれて遺体が淡い光に包まれていくのであった。でも、それでも何も変わらなかった。だというのに‥‥
これで終わりだと誰も思えなかった。
あの中には黄菜子もいる。そしてあの少女は、星乃零は約束したのだ。絶対にここにいる皆を笑顔にする。と強く、優しく言ってくれた。だから信じよう、彼は絶対に誰1人も欠けることなく皆を笑顔にする力を持っていると。そう成宮千尋は思うのであった‥‥‥
【時間操作領域】で遺体の肉体を再生した。【魔力贈呈】で遺体に魔力を与えた。これで残るはただ1つ、その肉体に失った命をもう1度与えることである。そして最後の仕上げに入るのであった‥‥
「私はこの者たちの運命を否定します、私はこの者たちに再び命を与えます、私はこの者たちに幸せを与えます、私は幸せを望みません、私の命を差し上げ、この者たちの痛み、悲しみ、不幸、絶望、死をすべてこの体で受け入れましょう
【大聖女の奇跡:完全蘇生】」
そしてこの場にいるすべての者は見たのだった。
その少女から眩いほどの光を輝かせこのフロア全てを照らし始めた。まるで沈んだ太陽が再び顔を出したように、または新たに生まれた生命をその光が祝福するかのように‥‥そんな優しい輝きのように感じた。その数分ものの眩い光が照らし終わり人々は目を開けると、そこにはあり得ないような光景を目にしたのだった。
1つは、死んだはずの猫族、兎族、そして黄菜子がピクリと瞼をゆっくり開き起き上がり始めたこと。
もう1つは、少女の体に隙間がないほどの深く刻まれた痕、胸部、腹部に何かに抉られたかのような大穴を開けられ、肉体は黒く泥水のような色で隙間なく浸食されて、顔も最早原形を留めておらず皮膚がはがれ中の肉が見えるような状態となり先ほどの様な可愛らしい顔や小さな体とは完全な別の何かとなっていたのであった‥‥
【大聖女の奇跡:完全蘇生】とは対象となる人数の制限はなく、例え何年も前に死んだ者であろうとも肉体すら残っていれば死ぬ前の状態に完全な形で元に戻すことが出来る唯一無二の奇跡である。ただし、この奇跡には最大の欠点が存在する。この奇跡は1度発動すれば途中で止めることは不可能、そして対象者が味わった痛みを、苦しみを発動者も全く同じように物理的に精神的に体験しなければ完全な蘇生は不可能である。今回行ったのは猫族と兎族がこれまで人間にされたことを体験しなければならず、麻酔なしで体を何十何百回も切り裂かれ‥‥顔の皮膚、心臓などの臓器を抉られマグマにでも焼かれたような苦しみ‥‥体に泥水のような色をした液体を強引に投与され痙攣し口から泡を吹かせるような意識が薄れて‥‥等の死に方を最低でも数百は絶対である。
そうしてすべての痛みと苦しみをたった1人で全て受け止め続け、そして肉体が耐えきれず、その少女は2種族の少女たちが味わった以上の残酷以上の姿で完全に死に絶えたのであった‥‥‥
この事から彼女は死んだ。その場にいた者はそう思ったであろう。だがその遺体となった少女に突如異変が起こり始めた。それはあちこちに散らばっていたはずの臓器、皮膚の皮がまるで意志を持ったかのように少女に再び集まり始めた。それと同時に泥水のような色をした体の部位が始めに薄れて、そして消えていき‥‥
そうして少女の肉体が完全に修復し、指がピクリと動き始めるのであった‥‥




