退院日 Ⅴ
自信と関係者しか知らないはずのこの場に誰かが来たことは当然だが、それよりもこの場を守っていた強固な結界の壁を壊したことに男性医師は騒然としていた。何せこの結界は日ノ本十二大族のトップである朝比奈家の屋敷を守っている結界と同じものである。それを壊したということは非常事態を意味するということである。そんな医師の前に誰かが来ようとしているが先ほどの衝撃により起きた砂煙によってその姿を認識できなかった。だがそれは相手も同じと思い、
「一体誰かは知らないがこの私の邪魔をするということはこの国を敵に
「遅い」
最後まで言い終える前に男性医師の顔面に膝蹴りが命中し、そのまま離れたところの壁までバウンドしながら吹き飛ぶのだった…。そしてその人物は愛花の目の前にトンと着地したのだった。愛花から見てその人物の顔は見えない。だが、その後ろ姿は何度も、何度も見てきた後ろ姿で一度たりとも忘れるはずもなかった…。
「お、お兄、ちゃんっ…」
自身の兄の姿を見て愛花は今まで耐えてきたものを一斉に吐き出すかのように目から大量の涙を流し始めたのだった。
「ごめんな。遅くなって…」
「怖かった、怖かったよぉ…」
愛花を拘束していた幻陽術で出来たロープを零が解呪すると愛花はすぐさま零に抱きついてそのまま思い思いの言葉を吐くのだった。
「よく頑張ったな。後のことは俺に任せろ」
「グスッ、お兄ちゃん…」
そんな感動的な兄妹のやり取りを
「き、貴様! よくもこの私の顔に傷をつけてくれたな! これは万死に値することだぞ!」
先ほど零が吹き飛ばした医師がこちらに戻ってきたのだった。
「それはこっちの台詞だ。よくも俺の大事な愛花にこんな羞恥をさせたな、この罪はお前の思っている万死なんかよりも重いぞ」
「黙れ! この私に口答えなど許さんぞ! 敵を穿て【アイシクル・ランス」!!」
略式詠唱で放つ【アイシクル・ランス】は『魔力融合』で放つものと同等の威力でまともに受ければ致命傷になりかねない。
「【砕けろ】」
零がそう言うだけで2人に向かっていた氷の槍が唐突に砕け、そのまま粉々になるのだった…。
零以外の者が零と同じく呟いても先ほどの結果にはならない…だが、零の持つ【呪言】ならば防御や回避行動をしなくても対象に関する情報を呟くだけでその通りの結果になる。
例えば、氷は衝撃を加えると容易く砕けるように…。
「ば、馬鹿な!? 私のアイシクル・ランスが砕けただと!」
「【エア・バレッド】」
虹色の杖を医師に向けてそう唱えると空気の弾丸がそのまま向かっていき、再び医師は何度もバウンドしながら後ろの方角にある壁のほうへ吹き飛んでいくのだった。そんな医師を見送った後「さて…」と愛花の方を向き
「愛花、ここから逃げるんだ」
「グスッ、その言い方だと、お兄ちゃんはここから逃げないの?」
「あぁ、俺にはやることがあるからな」
「嫌だよぉ…お兄ちゃんと一緒じゃないと嫌だよぉ…」
「心配するな。後から合流するし、それに、俺は誰よりも強いからな」
「……本当?」
「あぁ、本当だ」
「…じゃあ、指切り、して」
「あぁ、分かった」
零と愛花は互いに小指を絡ませて指切りをするのだった。
「…全く、貴方たちの仲は認めるけどこんなところでイチャイチャしないでくれる?」
指切りを終えたタイミングで安藤小夜が2人と合流したのだった。
「い、イチャイチャだなんて…って小夜さん! 無事だったんですか!」
「えぇ、そこの人のおかげでね」
「…それで他に出入り口はあったのか?」
「ないわ。貴方の言った通り何かしらの方法であの医師はこの場所に来たのね。それこそ壁をすり抜けるでもしない限りこんなところには来れないでしょうね」
「それじゃあ、あの壊したところから出るしかないか…」
そう結論付けると
「貴様らぁ!! よくもこの私の計画を滅茶苦茶にしてくれたなぁ!!」
白衣もところどころ破けており、顔も傷だらけで頭からは出血が見られるのだった。
「計画? それって、あの分厚い結界と関係しているのか?」
「あぁそうさ! あれはこの国を救うための大いなる力を秘めた存在がいる。そしてその存在を手中に収めるべく生贄が必要だった! それがそこにいる星乃愛花ということだ!」
医師は愛花を指さし計画について話すのだった。
「お前たちは知らないだろうが、もうすぐこの国に災害級の脅威が迫ってくる! それをいち早く察した私たち日ノ本十二大族は様々な対策を用意した。その1つがこの大いなる力をこの場から解き放つことだ!」
愛花を指していた指はすでに綻びが止まった結界へと差し向けられるのだった。
「あと! あともう少しで! 生贄を取り込むことでこの場に解き放たれるというところで、お前が邪魔をした! どうしてくれるんだ!」
収まることのない怒りをぶつけるため再び零めがけて術を放とうとした。
「どうしてだと? そんなの…妹を、大事なものを失いたくないだけだ」
「ふ、ふざけるなぁぁぁ!!」
魔力を限界以上に込める。目の前にいる少年を確実に殺すために…
「くたばれぇぇぇ!!!」
そしてそれを一気に放出する……
「ありますよ? あれをこの場に解き放つ方法」
その声はどこから聞こえたのか一瞬分からなかった。だがすぐに声が発せられた場所が分かった。その場所は…
「…ごふっ、な、なぜ、私に、こんな、ことを」
「決まっているではありませんか。私もあの大いなる力を開放するためですよ」
医師の腹部にはナイフの刃先が出ていた。そして込めていた魔力が霧散していき医師はドサッと前に倒れ、その場には女性看護師が立っていたのだった。
「わ、私を裏切る気か、君も同じ日ノ本十二大族の者のはず…なのに、なぜ…」
「確かに私は日ノ本十二大族の者として今日まで過ごしてきました。ですが、私は日ノ本十二大族の者ではありません。私がお仕えするお方は別にいるのですから」
「馬鹿な…そんな者、朝比奈当主以外いるわけがない…」
「いるのですよ。あんな小物なんかよりもあの方はとても魅力的な存在です」
「ふ、ふざける、な、朝比奈様を小物と呼んだ罪は重いぞ。今すぐ、この場で始末する…」
「始末ですか…? ですが、貴方は今体を動かすことはできますか?」
「な、何を腑抜け…っ! か、体が、動かない!」
「私の持っているナイフには麻痺毒が仕込まれているのですよ。まぁそれで死ぬということは万が一にもありませんが数分間動けなくなるだけですよ。ご安心ください」
「馬鹿が、それを私に教えてもいいのか、この麻痺が終わったころにはお前はもうこの世にいないと思え」
「いいえ、もう貴方はその麻痺が過ぎ終える前にこの世からいなくなりますよ」
そう言うと女性は懐からあるものを取り出した。それは一見大きめの鉱石であった。だが、それには何か禍々しい何かが込められているような気がした…。
「これは一見何の変哲もないただの鉱石ですが、これを壊すと対象となるものはこれに反応して目を覚まさせることが出来ます。そう例えば…」
力を込めてその鉱石を壊すとその中に込められていた黒い何かが一斉に解き放たれ、やがてそれは分厚い結界の中へと吸い込まれていき…
「大いなる力と呼ばれている存在を解き放つことが出来ます」
………ドクン、……ドクン、…ドクンドクンドクン…
その存在の鼓動の音が徐々に大きくなり、それに応じて綻びが止まっていた結界が再び壊れ始め、そして
ピシ、ピシ、ピシピシピシ……
その結界からまるで雛が卵を割るかのように初めは黒い手が出てきた。それからその手は自ら動きそのまま自力で結界を壊していき腹部、足、もう片方の手…と順に壊していき、そしてその激しい動きから結界が真下へ落下していくのだった……。
それに伴い、封印を施されていた結界は完全に破壊され、落下によって発生した視界を遮る砂煙が晴れるとそこにいたのは黒く禍々しい全長30メートルの凶悪と呼ばれても過言ではない1体の怪物がいたのだった……。




