006. 小笠原失陥
九州撤退作戦から2日後。レーダーや衛星などの監視網が完全復旧すると、各国はまたしても驚く事となった。
東南アジア方面軍は豪州西部パースの300km沖を北上しており、グアム方面軍は小笠原諸島寸前に迫っていたのだ。
「小笠原諸島民に告ぐ、本軍は貴方がたに圧政を敷こうというものではなく、補給地としての役割を期待するものである」
ここからはどこにも逃げようがない。という訳で小笠原村村長は「村民を代表し」独断で降伏を申し入れ、小笠原諸島は全域が『異世界軍』の占領下に入った。
これは、日本政府にとって最も恐れていた事態の1つであった。
自衛隊の全力は本土防衛に注がれており、九州からは撤退する有様。絶海の孤島に居座られれば、奪還の見込みなど当面立ちようがないからである。
この頃、日本国は制海権を失いつつあった。更にアメリカ海軍は既にハワイ島へと向かい始めており、アメリカ空軍も殆ど岩国から三沢へと移転していた。
小笠原村の村長は『異世界軍』の受け入れに不安を覚えていた。本当にこの判断は正しかったのか、と。しかし現実は村長が心配していたようなものではなかった。
「明朝、『帝国の5王』の一角にして対現界軍総司令官のアゼラル殿が参られる」
「どのような接待をすれば…」
「接待? 人間ごときが接待できるものか」
「えぇ……」
—翌朝、小笠原諸島・父島
「私が対現界軍総司令・アゼラルである」
「お初にお目に掛かります」
「諸君らにはこの駐屯の礼として、新しき知識を教えてしんぜよう」
「……は、? 『新しき知識』とは……?」
「まあまあ、見ておれば良い」
この時村長には何も分からなかったが、島民が昼頃に海を見ると、父島沖には100機以上の水上飛行機が立ち並んでいた。
『異世界軍』の艦船は全部で300隻を超える。村長は水平線を覆う程の数に物怖じしていたが、小笠原諸島民の悲願であった水上飛行場の整備を一瞬で成し遂げた事から、僅かながら信頼さえ覚えていた。
『異世界軍』総司令部が父島の空き地に建設された。
雰囲気は非常にオープンで、住民が自由に交流する事が出来た。また兵士のための商店が島内に開かれ、島中の船着き場という船着き場にはゴムボートのような小型艇が犇めき合った。
『異世界軍』の叡智に触れた島民の生活はみるみるうちに改善され、父島内のネット環境は占領前よりも良くなった。この時の父島のネット環境はまさに世界最高ともいえるものであった。とはいえ、世界中が不通になっているので結果はあまり変わらなかったのだが。
「村民の生活水準を向上させて頂いて、本当に有り難う御座います」
「占領地の生活改善、この世では普通の事ではないのか?」
「えっ?」
「我々の世ではそうでもしなければ国際的非難に晒されるからの」
この時村長は、『異世界軍』に人類が勝てない事を悟った。それは物質的な意味ではなく、倫理的な意味で、だ。
やがて村長を始めとする村民は『異世界軍』と雑談すら交わす仲となった。『異世界軍』の規律意識は厳しく、占領してから1回も犯罪は発生していなかった。
外部では『異世界軍』が権力で捻じ伏せたのではとも疑われるが、村民はつゆ程も疑わず、現に占領軍の支持率は当時の内閣支持率よりも高かった程だ。
『異世界軍』は村民に、様々な情報を開示した。それと同時にネットに上げるよう「奨励」した。具体的には、1投稿10円というように。
モンゴル帝国と同様に、「戦わずして怖気させて勝つ」を実践していたのだ。各国が必死になって繋いだネット上には、『異世界軍』の圧倒性が待ち受けている。民間でネットを復旧させた者が居れば、その圧倒性は民間にも伝わるだろう。
事実、この情報に各国は驚愕した。
台湾、沖縄、グアムの戦いで暴力性を見せつけられて怯えた国々にとって、小笠原の民の笑顔は信じ難いものであった。
テロ組織がよく用意するようなフェイク画像だとも疑われていたが、その枚数の多さと合成痕の無さから、これは本当だろうと信じられるようになっていった。
各国がそうこうしているうちに、『異世界軍』は国家樹立を宣言した。
「我々は台湾・琉球・小笠原諸島の3地域を以て『太平洋帝国』を為す事を宣言する」
グアムでの先鋒壊滅後に小笠原に移転してきた第3方面軍の建国した『太平洋帝国』の首都たる父島には水上航空基地が整備され、新たに機械化航空歩兵なる部隊が編制された。
実態はゴブリン航空兵の出撃体制を少し変更し、大型輸送手段に載せてそれぞれ現地で部隊を組み立てるようになっただけなのだが。
「だけ」とはいっても、『異世界軍』にとっては十分な意義があった。
従来の軍隊は封建的要素が残り、各々が好きなように戦う色合いが強かったが、現世界の法律や社会制度を学び、中央集権・統制的な軍制へと切り替えたのであった。
『太平洋帝国』とは名ばかりで、皇帝は異世界に居る故に代理で太平洋総督が軍政を敷く、人口1万人足らずの勢力であった。十字軍国家とインド帝国の悪い所をミックスしたような国であった。
台湾・琉球地域の人口不足を補うため、異世界からは大量の移民が来訪し、植民した。辺鄙な小笠原諸島の父島が首都と定められたのは、統治地域で唯一戦闘がなく、従って人口が温存されていたからであった。
『帝国』の首都となった父島は栄え始めた。水上飛行基地と港を結ぶ浮き桟橋の横には商店が立ち並び、異世界からもその富を求めて移住者が相次いだ。そのため父島の降伏前住民と移住民の人口比は半々程度になった。
この後、更に父島は繁栄を極める事となる。
というのも『帝国』最大の作戦である、太平洋制圧作戦が始まったからであった。
『帝国軍』は南下政策を採る第2方面軍に追随し、ニューギニア島以東の全太平洋地域に侵攻を仕掛ける事とした。
第2方面軍はASEAN+米中の連合海軍を南沙諸島沖で打ち破り、首都マニラを包囲してフィリピンを降伏せしめ、無防備都市を宣言したインドネシアの新都・ヌサンタラを占領し、シンガポールとは『異世界軍』のマラッカ海峡通行権を保障する代わりに相互不干渉条約を結ぶなど、連携を突き崩していった。
更に恭順姿勢を示した国々には、輸出入の滞りを考慮して食糧などの物資援助を行ったため、2週間もしない内に東南アジア各国は『異世界軍』の勢力圏となった。
この早すぎる制圧は、東南アジア各国の間の相互不信を防ぐ事にさえ成功した。先に降伏した国と戦時中の国とで対立する期間がなかったため、また降伏の速さによって援助に差別待遇を設けなかったためである。
第2方面軍はインドネシアの旧都・ジャカルタに陸上司令部を置き、西方制圧作戦を開始した。
西方制圧作戦とは、インド洋からペルシャ湾に向かい、両河地方から東地中海へと進み、最終的にローマに至る作戦である。そのため「ローマ攻略作戦」とも呼ばれた。
これに負けじと第3方面軍の『太平洋帝国』は、ミクロネシア・東メラネシア・ポリネシアの島々へと進出を図ったのだった。
『異世界軍』による東南アジア制圧の報に加え、圧倒的航空兵力と人類にとって未知の兵器たる魔術による総攻撃を前にして、ただ1つの例外を除いては、抵抗運動すらなく『帝国』は制圧に成功した。
その例外こそがハワイ諸島であった。
ハワイには日韓から撤退した米軍が、最終決戦地として総力を挙げて防衛に掛かっていた。住民は既にアラスカまたは本土に避難し終わっており、まさに徹底抗戦の構えであった。
戦闘の詳細は分からないが、ハワイ諸島は陥落した。そうとだけ伝わったのだ。
アメリカ本土では緊急に防衛体制が敷かれた。
全世界からアメリカ軍が同時撤退し、西海岸に集められた。それは非常に迅速な対応で、2週間も要しなかった。その間、『太平洋帝国』は制圧した諸地域の統治に乗り出していた。
というのも、彼等は米国侵略には乗り気でなかったのである。
人類の最強国たるアメリカと決戦を行えば、流石に『異世界軍』でも大損害を被るのは自明な事だからだ。
『太平洋帝国』はアメリカとの単独講和を持ちかけた。
しかし国内ではグアム・ハワイ・ミッドウェーなどの太平洋領土を全て割譲するというものであったために大暴動が発生し、講和条約の調印はおろか批准すらままならなかった。
ホワイトハウスは3万人の群衆に包囲され、連邦議会には再び火の手が上がった。暴動は更に先鋭化し始め、軟弱な政府を倒そうという動きに繋がった。
「革命権行使運動」と正当化を図られたこの運動の鎮圧のため、アメリカ軍の一部は西海岸からやむなく東海岸まで移動した。
この頃から人工衛星の情報が断続的になり、最後に撮影された画像では、アメリカ国内の混乱を物語る様子が多々映り込んでいた。
新聞やテレビの天気予報は情報不足のため中止された。尤も、通信途絶によりサービスの提供すら困難であったのだが。