005. 南九州防衛線
「自衛隊がダメなら我が国は終わりか……」
首相はこう周囲に呟いた。それを聞いた同じ派閥の議員の誰もが、かける言葉が無かったという。
首相はかなり悲観的であったが、実際の所、国内では自衛隊がどうにかしてくれるという楽観的意見の方が優勢であった。唯一、現場に赴く事となる自衛隊員だけが、状況を冷静に分析していたと言っても過言ではなかっただろう。
「沖縄の時は自衛隊が居なかったから」
「流石に本土には上陸出来ないだろう」
街にはこうした意見があふれていた。まだ『異世界軍』に侵攻を受けたのは台湾・沖縄・グアムといずれも小さい島々。日本がやられる訳がない。神国思想と同じ考えがあったのだろう。
陰謀論でさえ飛び交った。「これは全て捏造だ」「異世界からの侵攻は茶番」「相手にする方がバカ」というように。そして実際、100万人以上がこの根も葉もない陰謀論を信じていた。
「私は魔王軍第4方面軍司令官モルゴスである。貴国と戦火を交える事は避けたいが、『予知の水晶』を渡さない限りは攻撃せざるを得ない」
同様の声明は、複数の動画投稿サイトやSNSで南北両鮮向けに第5方面軍司令官サウロンの名でも発表されていた。
日本政府は公式答申として『予知の水晶』の捜索に全面的に協力するとしたが、返答はなかった。そのため最後の賭けとして、ラノベ作家に国家資格・ラノベ戦士を付与して動員する事が模索されていた。
とはいえ沖縄でのギアの活躍は、官邸はおろか誰にも伝わっていなかったため、この時はまだラノベ作家が「戦える」とは全く認識されていなかった。ただ、2つの異常現象の関連性を指摘し、もしかすると対抗手段たりうるかもしれないという期待があっただけである。
自衛隊が厳戒態勢で南九州上陸を阻止するため構築した防衛線は、鹿児島県の吹上浜・志布志と宮崎県高鍋に第1次、次いで都城・薩摩川内に第2次防衛線が、最終防衛線が人吉に定められていた。
尚、九州地方の住民は事前に自衛隊が展開する代わりに近畿・中部地方に避難が進められ、この時既に完了していた。
第4方面軍は南九州への自衛隊の展開とグアムでの主将ロナルドの戦死からか、当初の上陸予定と思しき南九州には上陸直前で停止し、陽動部隊を残したまま主力を有明海へと進めた。
第4方面軍の主力は航空部隊ではなく海兵隊のようなもので、棍棒を持ったトロールやオークの軍隊であった。そのため自衛隊は背後からの攻撃であったとはいえ初期対応に成功し、上陸したトロール兵のうち3体の捕縛に成功しさえした。
これに危機感を覚えたモルゴスは羽の生えた魔族である羽民の協力を得る事としたが、これもまた自衛隊の機関銃斉射により撃退されてしまった。これは九州全土から住民避難を完了させていたため、現地司令官が臨機応変に対応する事が首相により許されていたためであった。
この勝利は人類を大いに勇気づけた。というのも在沖縄米軍の壊滅、グアムの核爆発はいずれも人類側の大損害に終わっており、悲観主義が蔓延っていたからである。それ故か、日本国自衛隊が全くの損害無く第1波の撃退に成功した事は世界的にも注目されていた。
一方で大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国では暫定地位協定を結んで臨時で共同防衛線が作られる事となり、済州島沖で決戦が行われた。韓国軍の済州島臨時砲台や艦砲からの砲撃、北朝鮮軍のミサイル連続発射攻撃は陥落までの時間を少しだけ稼いだとはいえ、第5方面軍の侵攻を止める事は出来なかった。
第4方面軍主将のモルゴスは、このままでは日本攻略に手間取った事の責任を追及されると考え、方面軍最強の戦力を投入する事を決めた。
『大召喚陣』には巨人兵団であるタイタン隊・スルト隊・ユミル隊が喚び出されていた。
詳しくは後に語る事とするが、これら3つの巨人隊は全て「傭兵」である。この傭兵巨人隊は合計で300体を擁する大部隊となっていたが、既に九州方面に向かっていた。
巨人をどのように輸送するのだろうか。
実はこれらの巨人は「巨人族」なだけで、小人化も出来る。つまりは某巨人の漫画の要領で普通の人間の振る舞いもする事が出来るのである。
これが明らかになったのは、翌日の事であった。
北九州の海岸部で、相次いで巨人が確認されたのだ。
自衛隊は山間部へと後退を余儀なくされ、九州上陸を許してしまった。巨人軍は次々と奥地にも進撃していき、筑紫平野以西からは完全に撤退する事となった。
巨人兵はビルを砕いて瓦礫を投げ始めた。そのため自衛隊は更に奥地へと撤退し、航空自衛隊が出撃した。
時同じくして、日本の抗戦に勇気付けられたアメリカでは抗戦の機運が高まり、鹿児島には2隻の米軍空母がやってきた。
巨人兵は次々と機銃掃射を前に倒れていき、作戦は成功するかのように思えた。
しかしながら巨人の失われた部位は復活し、戦闘ヘリ群は無数の石つぶてを前に砕け散っていった。
とはいえ爆撃機による高高度からの攻撃により巨人兵は爆散し、防衛線の維持には成功した。筈だった。
翌日昼。まだ避難していない住民が見つかったとの報告が入ったすぐ後に、巨人が現れたと急報が入った。
「一体、どこから……」
答えはすぐに出た。米軍の人工衛星がその様子を捉えていたのだ。
「ヒトが、巨人に……!?」
すぐにありもしない「道」があるのだという俗説が優勢になり、うなじを切れば良いだの何だの言われるようになり、眉唾物の立体機動装置がネットオークションでは売られ始めた。
そうしていると、突如として全世界のインターネットシステムが停止した。
衛星電話や無線、電話などは通じるらしく、各国は総力を挙げて原因を追究し始めた。
原因として心当たりがあるのは、やはり『異世界軍』。侵攻早々に現代社会に順応した事からも、コンピューターウィルスで生殺与奪の権を奪っておいて、本腰を入れ始めたというのが一番あり得る話。
そう考えた主婦系ラノベ作家・歌川ピロシキは、自身がデジタルデータを扱う能力を有している事から、DDoS攻撃を仕掛けてみる事とした。
DDoS攻撃とは、対象となるサーバーに対して複数のIPアドレスから過剰に負荷を掛けて落とす攻撃である。
まず手始めに、自在にデジタルデータを操る能力によって世界のサーバーというサーバーを乗っ取っていった。というのも彼女のパソコンだけで行う事のできるDoS攻撃では、そのIPアドレスをブロックされてしまえばそれで終わるからである。
1日も経たぬうちに、世界のIoT機器の3割は彼女の手中に収まった。夕方には『異世界軍』の用いる端末も特定した。何よりも彼女が驚いたのは、敵のやっている事の規模であった。
『異世界軍』は既に世界のIoT機器の5割のハッキングに成功しており、それらを稼働させない事によって、1回線あたりの負荷を大きくし、更に無意味なデータをネット上に大量にバラ撒いて「汚染」する事で、インターネットシステムそのものをダウンさせる事に成功していたのだ。
そこで彼女は奇策に打って出た。
敵のバラ撒いたデータを逆流させたのだ。
世界中の白黒問わないハッカーらが攻めあぐねていた『異世界軍』のメインサーバーに、データを逆流させたのだ。
調整に3日を要したとはいえ、この効果はこれまで人類が試みたどの反撃よりも絶大であった。
これによりネットは何とか復旧し、必要最低限の事は出来るようになった。但しSNSやYouTubeなど、不要不急と国家が断じたものには回線が振り分けられず、半ば国家の広報機関としか言い様のない有様となってしまった。
国家によるネット統制の影響はラノベ作家にも及び、SNS途絶と投稿サイトの閉鎖により、連絡すら取れなくなってしまった。
また、この頃内閣は、密かに温めていた「ラノベ作家の特別協力を促進する特例法」、通称「ラノベ作家法」を国会に提案する事なく廃案にする事となった。
インターネットが不通の3日間、巨人兵は北九州を攻め落とし、自衛隊には人間を偽装する常套の戦術で打撃を与えていった。
しかし自衛隊は日本が誇る最大の実力。経験則により、巨人化する敵兵のある特徴を掴んだのである。
彼等は鋭利な顎を持っており、巨人化の影響か禿げ頭で、肌が銀鼠色なのである。
「すごく覚えにくい特徴ですね…」
ここで、ある自衛隊員が言った。
「それ、アイゼンシュタインの稲村じゃないですか」
「何だそれは?」
「北村興業の芸人で、すごい面白いんですよ」
この情報は政府に伝えられ、翌日には全ての自衛隊の基地に稲村の顔に赤い書き込みを入れ、特徴が分かるようにした。
これにより被害は劇的に減少した。その後、稲村に国民栄誉賞が与えられる事になろうとは、流石に誰も考えつきもしなかった。
しかし、幾ら巨人が判別可能になった所で、巨人の攻撃には手も足も出ないのが現実。次第に自衛隊は南九州へと追い詰められていき、司令部は人吉を放棄して鹿屋へと移った。
それから3日もせぬうちに防衛線は鹿児島市周辺まで後退し、首相は九州からの一時撤退を命令した。撤退準備が進められる中でも攻撃は止まず、霧島市内での市街戦に発展した。
米軍の空母打撃群は補給の観点から湾内に空母を停泊させて海側からの攻撃に備えていたが、霧島市内での戦闘が始まったため、緊急脱出の準備を始めていた。
日米軍の撤退を助けるため、そして空母大破時に行動不能となる事を防ぐため、戦闘機や爆撃機は緊急脱出と同時に次々と発進し、巨人兵を爆撃するのに十分な高度を確保するため、一旦錦江湾を出た。
丁度その頃であった。
巨人兵の群れが九州自動車道を破壊しつつ大隅横川駅を踏み均して霧島市に侵入し、自衛隊の戦車の斉射攻撃を受けていた頃だ。
巨人の肩に乗った人影が空母に向けて指差して円を描く。
指が円を一周描き終わると同時に、描いた面が赤く染まる。それと同時に、赤い円からは4本の赤い線が出て、空母へと繋がる。
すると赤い線は棒へと変わり、その先端は急速に膨らんでいく。
棒同士が接触するや否や、とてつもない大爆発を起こして空母は爆散した。
桜島と鹿児島市の間の海峡が残骸で埋まり、残る1隻の空母は錦江湾を出られなくなった。
こちらには巨人兵らの投石攻撃が浴びせられ、飛び立つ戦闘機も含めて殲滅された。
しかし自衛隊の撤退作戦は何とか成功し、巨人兵が鹿屋に到着した時には、全部隊が四国に辿り着いていた。
この撤退はキスカ島撤退作戦に次ぐ成功だと国内では報じられ、海外でもダイナモ作戦に次ぐ成功とされ、全体的には高評価であった。
キスカ島撤退作戦とは、2次大戦中のキスカ島から無損害で撤退を成功させた作戦であり、ダイナモ作戦とは、同じく2次大戦中のダンケルク包囲網を掻い潜りドーバー海峡を40万人が渡った脱出作戦である。今でも英国にはDunkirk Spiritという言葉があるらしい。