選ばれなかった水の少女は奇しくも魔族と愛を育む(出会い編)
選定の日がやってきた。
勇者が魔王を倒すための旅。そのメンバーとして同行する魔法使いを一人選ぶ日だ。
選ばれた人はその日から、今度は勇者パーティーと共に訓練の日々を送ることになる。
火魔法を得意とするエンカ、緑魔法を得意とするソウラ、そして水魔法を得意とするシュイ。
彼女たちは五歳から八歳までの三年間、共に魔法使いとしての訓練を受けてきた仲間であり、ライバルだった。
そして今日、いよいよ三人の少女の中から、勇者は自分の力となるだろう魔法使いを選び、仲間とする。
少女たちは王国の占い師によって選ばれ、王城で訓練を受けさせられていた。それぞれ出自も様々だ。
エンカは貴族の生まれだった。長い豊かなオレンジの髪と少し吊り上がっている赤い目を持つ美しい顔立ちである。
蝶よ花よと愛でられて育ったため、自信家で少々ワガママだ。
訓練の日々を送る中でも唯一、自分の屋敷から通っており、貴族としての箔をつけるために何としてでも選ばれたいと願っていた。
ソウラは商人の娘だった。胸元までの茶色い髪がサラリと揺れ、パッチリとした緑の目が美しい可憐な容姿である。
場の空気を読むことに長けており、人懐こく、強かな少女だ。
旅に同行することで実家の知名度を上げ、店の売り上げに貢献しろという両親からの圧力もあり、何としてでも選ばれたいと願っていた。
シュイは捨て子であった。赤子の頃に捨て置かれてから教会で育てられた、少々ぼんやりしているが働き者の少女だ。
白銀に輝く肩までの髪と薄い水色の瞳が儚さを感じさせるも、素朴な雰囲気である。
お金をもらってシュイを国に引き渡した教会には当然戻れず、ここで選ばれなければ路頭に迷うことになる。生きるためにも、何としてでも選ばれたいと願っていた。
「さぁ、勇者よ。誰を選ぶ? 皆、まだ未熟なところもあるが今後さらなる成長を遂げるだろう。誰を選んでも其方の助けとなる」
「そうですね……。ではまず、一人ずつ魔法を見せてもらえませんか?」
明るい金髪の美少年勇者の言葉に、三人の少女は軽く頬を染めつつ互いに目配せし合う。
「強い魔法を使った方が選ばれやすいのかしら……? あたし、苦手だからどうしよう」
緑のソウラの呟きを聞いて、負けず嫌いな火のエンカが我先にと前へ出る。
それから、自信満々に杖を持つ右手を突き出し、左手を腰に当てて短い詠唱を口にした。
「灼熱の炎よ、燃え上がれ!」
瞬間、ものすごい勢いで炎の柱が渦巻いて天へと昇っていく。熱風がその場にいた者を襲い、その威力に圧倒された。
自信家のエンカは勝ち誇ったように周囲を見渡したが、勇者は困ったようにこう告げる。
「も、もう少し、周囲のことに気を配ってほしいな。仲間を思えないと、旅は難しいから……」
エンカは己の失敗を悟り、肩を落とす。
ソウラはそんなエンカに、素晴らしい魔法だったわ、と慰めの言葉をかけながらも口元には笑みを浮かべていた。
「シュイ、次は貴女に譲るわ」
「えっ、でも、緊張しちゃうから……」
「それなら、いつものハーブティーをどうぞ。心が落ち着くわ」
緑魔法を得意とするソウラのお茶の効果はシュイも良く知っている。
ありがたく一杯いただくと、シュイは大きく深呼吸をして一歩前へと踏み出した。
「つ、次は私が、や、やりまふっ!」
緊張でガチガチになりながらもシュイは両手で杖を持つと、詠唱を口にする。
「清らかなる水よ、我が手に集え!」
しかし、いくら待っても魔法が発動しない。
実は、シュイは訓練中の試験でも度々こういった失敗をすることがあった。その度にいつも、ソウラからお茶を貰って緊張を解していたというのに。
「いざ、という時に魔法が発動しないのは困るな……」
勇者の困り果てた言葉を聞いて、シュイは顔を青褪めさせた。
そんなシュイを気遣うように背を撫でるソウラだったが、やはりその口元には笑みが浮かんでいる。
「ああ、気を落とさないでシュイ。あたしのハーブティーがダメだったのかしら」
「ち、違うっ、ソウラは何も悪くない。いつも気遣ってくれているのに失敗する私がダメなの……」
シュイからそっと手を離し、次はあたしね、と前へ出るソウラ。リラックスした様子で杖を片手で持つと、詠唱を口にする。
「豊かな緑よ、芽吹き、舞え!」
すぐに美しい緑の蔦が伸び、意思を持ったかのように舞う。その光景を見て勇者は歓喜の声を上げた。
「すごい! これなら敵を傷付けずに捕縛することも出来るね!」
「ええ。もちろん、場合によっては痛めつけることも可能です」
「素晴らしいよ、ソウラ! どうか、僕と一緒に旅に出てくれないか? 君に決めたいんだ」
「まぁ! 嬉しい!」
こうして選定は終わり、勇者の旅に同行するのは緑のソウラに決まった。
「ああ、悔しいわ。あの時、ソウラの一言を聞かずにいつも通りの軽い魔法を披露すれば良かったのだわ。あの女、絶対に計算ですわよ。腹黒いったらありませんわ!」
選定を終えれば、少女たちの訓練の日々も終わる。エンカは激怒しながら手早く荷物をまとめていた。もうこの場には来ることがないからだ。
そう、これまで訓練に手を貸してくれていた城の者たちは、あっさりと少女たちを追い出してしまった。
せめて次の行き先が決まるまでは置いてほしいという願い虚しく、シュイは着の身着のまま放り出された。
手には僅かな荷物だけ。使っていた杖も借り物だったため返却済みだ。
これでシュイはただの女の子。杖がなければ得意な水魔法も完璧には使いこなせない。
一方、エンカはいつも通り実家に帰るだけ。迎えの馬車が来ると優雅に乗り込み、客車の窓から忌々しげにシュイを見下ろした。
「何が許せないって、みすぼらしい貴女のような人と同列と思われるのが一番の屈辱ですのよ。まあ、わたくしには許嫁がおりますから、泥に塗れた勇者との旅に出るよりも幸せな生活が待っていますけれど。シュイ、貴女には何かありまして?」
「い、いいえ、何も……」
シュイの返事を聞いて、エンカは高笑いを響かせた。
「ああ、嫌なことを聞いてしまいましたわね。ごめんなさい。お詫びに良いことを教えて差し上げますわ」
「良い、こと……?」
エンカはバッとレースの扇子を広げて口元を隠すと、目を細めてシュイに告げる。
「ソウラが貴女に飲ませていたハーブティーですけれど。あれは一時的に魔力を止める効能がありますのよ?」
「……え?」
「いわば毒草ですわ。それを定期的に何年も飲み続けていた貴女は……そろそろ、魔法自体が使えなくなっているかもしれませんわね?」
「そん、な……ソウラがそんなことするわけ……!」
パチン、と扇子を閉じたエンカは前に顔を向けると、目線だけをシュイに落とす。
「わたくしは親切に教えて差し上げただけですわ。信じるも信じないも、勝手になさいませ。ああ、飲むと決めたのは貴女自身ですから、止めなかったわたくしを恨むのもやめてくださいませね?」
では、もう会うこともないでしょうけれど、と最後に言い残し、馬車が動き始めた。
シュイはただ呆然としたまま、それを見送ることしか出来なかった。
「そんな、そんな……嘘、だよね? だって、ソウラはいつも優しくしてくれて……!」
シュイは慌てて詠唱を口にする。初歩的な水魔法で、杖がなくても簡単に発動する魔法だ。
「恵みの水よ! ……あ、あれ? 恵みの水よ! そ、そんな……!」
いつもは、試験で失敗しても時間が経てば使えるようになったのに、今は水の雫が二、三滴しか出てこない。
これではただの少女どころか、何もない少女だ。シュイは目の前が真っ暗になった。
夕暮れ時、変わらず城門の前に佇んでいたシュイは、門兵によって邪魔だと追い払われた。
当てもなくフラフラと歩いていると、シュイは自分でも知らぬ間に街の外にまで出ていることに気付く。辺りは薄暗く、もう街の中にも入れてもらえない時間帯だ。
「何、やってるんだろう……私」
どうせ、街にいてもいる場所なんてどこにもない。寝るためにどこかに隠れたとしても、誰かに見つかればつまみ出されるだけだし、下手したら酔っ払いに絡まれるかもしれない。
それなら森に身を隠した方がいい。魔物がいるとは聞いているけれど、奥までいかなければ大丈夫だろう。シュイは怖がる自分にそう言い聞かせながら森に歩を進めた。
夜になると森は冷え込んだ。ボロボロの薄いマントを身体に巻き付け、自分を抱き締めるようにしながら木の根元で丸くなる。
時折、森の奥から聞こえてくる獣の鳴き声や、風で木々の葉が擦れる音に、小さな身体を何度も震わせた。
(何事もなく夜を明かせますように……!)
シュイがそう願って間もなくのことだった。突然、何か大きい物が空から落ちてきたような、木の枝がバキバキと折れる激しい音が聞こえ、その直後に僅かな地響きを感じた。
魔物が出たのかもしれない、そう思ってすぐにその場を去ろうとしたシュイだったが、物音が聞こえた方向から僅かに人の呻き声が耳に入って足を止めた。
(怪我人、かな……? 放っておけない、よね)
幸い、自分には癒しの水がある。今、自分の魔法で出すことは出来ないが、訓練中に作って瓶に保存した物を一つ持っていたのだ。
シュイは小さなカバンから瓶を取り出して握りしめると、意を決して声が聞こえた方へと駆け出した。
「この辺りだと、思うんだけど……」
ガサガサと草木を分けて周囲を探るシュイ。しかし夜の森は暗く、明かりもない状態で人を探すのは困難であった。
このままでは埒があかない。そう思ったシュイは思い切って声を上げた。
「あの、誰かいますか? 私、傷薬を持ってます! もし怪我をしていたら……わ、あっ!?」
シュイは誰かに手首を掴まれ、グイッ地面に向かって引っ張られた。そのまま倒れるかと思いきや、気付けば彼女は背後から誰かに抱きしめられるように寝転んでいた。
口を大きな手で塞がれながら。
「騒ぐな。黙れ。人に見つかったら面倒だ」
「……っ!」
耳元で囁くように聞こえた男の低い声にシュイは硬直した。
人攫いか、山賊か。いずれにせよ、人に見つかりたくなくて、夜の森に潜んでいる者など善人である可能性の方が低い。
そんなこと、少し考えればわかることだったのに、怪我人がいるかもしれないというだけでノコノコやってきた自分の愚かさをシュイは思い知った。
でも、今さら足掻いてどうなるというのだろう。
勇者の仲間に選ばれず、教会にも帰れず、行くあてもなければ八歳の子どもが働けるような場所もない。
自分にはもう何もないのだ。そう思ったら自然と頭が冷静になり、シュイは力を抜いて一つコクリと頷いた。
「……やけに大人しいじゃないか。怯えられるのに慣れているから変な感じだ。まぁ、いい。ねぇ、薬持ってるって言ってたね? 貰えるの?」
「え、あ、はい……」
抵抗しないと知るや、男はあっさりとシュイを自由にした。それどころか、意外と言うことも声色も怖くはない。
呆気に取られながらも、シュイは持っていた瓶を男に差し出した。
男は瓶を受け取ると、脚に負ったらしい傷口に躊躇なく薬をかけた。
シュワシュワと音を立てながら、傷は少しだけ癒えていく。それでも、少なくとも血は止められたようだった。
「なかなかいいモン作るじゃないか、人間のくせに。もっとないの?」
「あっ、あの、本当は作れるんですけど、でも、今は出来なくて……手元にあったのも、それだけで、あの……」
気になる言葉がありはしたものの、シュイは薬を褒められたことが嬉しくて舞い上がり、頬を赤くしながらしどろもどろと答えていく。
気持ちが昂っているからか、そのまま聞かれてもいないのに、自分の身の上までペラペラと喋ってしまった。
「……ふぅん。面倒くさいことになってるんだね。人間ってのは子ども相手に酷いことをする。……名前は?」
「えっ、あっ、シュイ、です」
「シュイ」
男は名を呼び、シュイを軽々と片腕で抱き上げながら立ち上がった。
「えっ!? あの、怪我は大丈夫、です、か……」
慌てて男の身を心配したシュイだったが、雲の隙間から差し込んだ月明かりによって照らされた男の姿を見て言葉が止まる。
漆黒の髪に、黄色い目。そして、頭から伸びる二本の角。
「ま、魔族……?」
精悍で美しすぎるその容姿に見惚れながらも、驚きに目を丸くするシュイだったが、不思議と恐ろしいとは思わなかった。
男の言動が、これまで接してきたどんな人よりも優しかったからかもしれない。
「僕が怖いか? シュイ」
「いいえ」
それは、本心だった。それが男にも伝わったのだろう。男はニッと嬉しそうに笑う。
「いいね! 気に入った! 僕といろ、シュイ。魔法もまた使えるようにしてやる」
「え、えぇっ!? そんなこと、出来るんですか?」
「出来るとも。簡単さ」
「で、でも、私にお返し出来るものなんて何も……」
男は話を最後まで聞かず、戸惑うシュイの首元に軽く唇を押し付けた。
何が起きたのかよくわかっていないシュイは、ポカンと男を見つめる。
「言っただろ、僕といろって。それでいいよ。君は僕が育ててあげる。なぁに、ただの気まぐれさ」
異論がなければ名前を明かす、と意地悪に微笑む男に、シュイは自分でも驚くほどすぐに返事をした。
「対価もなしに、育ててくれるんですか!? 私、うんと働きますね!」
人を疑うことを知らないシュイの反応に、男の方が目を丸くした。
男はすぐに楽しそうに笑い声を上げた後、獲物を逃すまいとその黄色い目を獰猛に光らせる。
「いいね、君。やっぱり僕の直感は正しい。もう誰にも渡さないから。……そのつもりでいて」
「頑張りますね!」
「……もう。君は本当に面白い子だね?」
耐えきれずにくつくつと笑いながら、男はエデルと名乗った。
シュイにとってエデルは、魔族とはいえ自分を救ってくれる、少し目付きが怖くなることがあるけど優しい魔族、という認識であった。
当然、エデルが魔王軍四天王の一人、放浪の龍鬼と呼ばれる最強の魔族だとは知る由もない。
「おい! こっちの方から声が聞こえたぞ!」
「おっとまずい。はしゃぎすぎたみたいだ。まだ傷が痛むけど、シュイのためなら無理しちゃおうかな」
「え? え?」
言うが早いか、エデルは背中からバサッと漆黒の翼を広げ、シュイを抱えたまま夜空に飛び立った。
シュイは、眼下に広がる暗い森と聞こえて来る騒ぎ声、それから飛ぶ時に巻き上がった草の香りを感じながらギュッとエデルにしがみつく。
大変なことになった気がする、と頭では分かっていたが、広い胸板と温かな体温に、今までに感じたことがないほどの安心感を覚えていた。
こうして、奇しくも勇者の仲間に選ばれなかった魔法使いは、魔王軍四天王の愛子となった。
その愛は次第に形を変えていくことになるのだが……。
それはまた、別のお話。