第四話
「旦那様は、櫓に閉じこもって、守りを固めているっす」
クダンとカクは、怯える兵士からキングの居場所を聞き出した。
「うーむ、こっそり盗み出すのは難しそうだな」
「とにかく、行ってみましょう」
その櫓は屋敷の一番奥にそびえ立っていた。
クダンたちは、それを物陰から眺める。
「すげえな……」
なんと、その櫓は金と銀でできていた。
高さは五メートルほど。金塊と銀塊を、石垣を組むように積み上げて造ってある。
総額でいくらするのか、見当もつかない。
ひどい成金趣味である。
「なるほど、あれは矢倉囲いですね」
「なんだ、そりゃ?」
「将棋では、玉を守るために陣形を組んで囲いをつくるんですが、矢倉囲いはその中でも一番オーソドックスなものです。『金将』と『銀将』をガッチリと組み上げ、玉に近付こうとする敵をはね返すんです」
金将も銀将も将棋の駒の種類で、通称はそれぞれ金と銀。
名前はもちろん、貴金属の金と銀に由来する。
どちらも機動力は低いが堅実な動きをする駒で、金と銀が連携すると鉄壁の防御力を誇る。
櫓の周りには、残りの八人の兵士が立って、周囲を警戒している。
兵士たちはきっちりと連携を組み、隙を見せない。
キングはダイヤモンドを持って、この金と銀の壁の向こうにいるのだろう。
「どうやら俺は、キングのことを甘く見ていたようだな。ここまでの備えをしているとは……」
まず、玄関前には九人の兵士をずらっと並べて、侵入者を寄せ付けない。
万が一入り込めたとしても、泥棒は香木とシナモンの匂いに引きつけられ、罠にかかってしまう。
そして極め付きが、この金と銀を積み上げた櫓だ。
まさに、鉄壁の防御である。
「序盤、中盤、終盤、隙がありませんね。
でも、僕たちは負けませんよ。
駒たちが躍動する僕たちの将棋を、あいつらに見せてやりましょう」
「これは将棋じゃないんだが……」
クダンは、櫓を見上げてため息をついた。
「くそっ、これじゃあ、手も足も出ねえ。おい、あの櫓になんか弱点はねえのか?」
クダンは捕らえた兵士に聞いた。
「あの金と銀の積み上げは、しっかりと固めてあるわけじゃないんで、衝撃を与えれば崩れるかもしれないっす」
「衝撃ねえ」
「クダンさん、僕が体当たりをすれば崩せると思います」
カクが言った。その瞳は、決意に満ちている。
「それじゃあ、おまえは崩れた金と銀の下敷きになるだろう」
「下敷きになっても動けなくなるだけで、死にはしないでしょう。あの兵士たちも一緒に下敷きになるでしょうから、その隙にクダンさんが玉を奪うんです」
「だめだ、おまえをそんな危険な目に合わせるわけにはいかねえ。ダイヤモンドを取れても、おまえが無事に脱出できなけりゃ、意味がねえんだ」
「クダンさん……」
だが、ダイヤモンドを前にして、このまま引き返すわけにはいかない。
「なあカク。将棋では、その矢倉囲いとやらを、どうやって崩すんだ?」
「うーん、『と金』があればいいんですが……」
「トキン?」
「歩が敵陣にたどり着くと、成ってと金になります。そうなると、金と同じ動きができるようになるんです」
「ほう、歩がねえ」
「と金は強い駒ですが、相手に取られた場合、ただの歩に戻ってしまうんです。
『持ち駒』という将棋独自のルールにおいては、最も頼りになる駒です」
将棋の起源は、古代インドの「チャトランガ」というボードゲームだと言われている。
チャトランガは西洋に伝わり「チェス」になった。
中国に伝わると「象棋」になった。
他にも様々な国に伝わり、様々なゲームが生まれた。
そして、日本に伝わって独自の進化を遂げたのが「将棋」である。
将棋では「取った相手の駒を自分の駒として使える」という独特のルールがある。
この「持ち駒」という概念は将棋だけのものであって、他の同種のゲームにはない。
例えばチェスでは、取った駒は二度と盤上に出てくることはない。
だから、ゲームが進行すると、どんどん盤上の駒の数は少なくなっていく。
だが将棋では、取った相手の駒を持ち駒にし、自分の駒として使うことができる。
持ち駒は好きな位置に打ち込むことができる。
だから終盤になっても盤上の駒の数は減らず、激しい戦いが展開される。
チェスのように、引き分けで終わることは滅多にない。
この「駒の再使用」という将棋独自のルールが、将棋を複雑に、そして面白くしているのだ。
そして、この持ち駒ルールがあるからこそ、と金はある意味で、最強の駒と言える。
なぜなら、と金は取られると、また歩に戻ってしまうからだ。
だから、相手のと金が自陣近くに存在すると、実に厄介なのである。
苦労して取っても、ただの歩に戻ってしまうのでは、ハイリスク・ローリターンだからだ。
「そのと金とやらは、どうすれば手に入るんだ? 歩が敵陣に入る必要があるんだろ?」
「持ち駒の歩を敵陣で打ってから動かしても、と金はつくれますよ」
「なるほど」
クダンとカクは、捕虜の兵士を見つめた。
「え? お、俺っすか!?」
「おまえ、さっき何でもするって言ったな」
「で、でも、裏切ったのがバレたら旦那様に何をされるか……」
「逃げればいいじゃねえか。あの金を持って逃げれば、一生遊んで暮らせるぜ」
兵士はゴクリとつばを飲み込んだ。
「あ、あの金を……」
「ああ。俺たちはダイヤモンドさえ手に入れればいいんだ。あんな重い金塊を抱えて逃げ切れねえからな」
「金が……俺のものに……」
どこの世界でも、金は人を狂わせるものである。
「よ、よーし、やってやるっす。俺は金を手に入れるっす!」
兵士の目の色が変わった。身も心も、金に支配されたようだ。
もう気弱だったころの面影はない。
「どうやら、と金に成ったようですね」
「なるほど、歩がお宝を目の前にすると、欲に目がくらんでパワーアップするわけか。そして捕まると、頭が冷えて元に戻るわけだ」
「うーん、そういう解釈もあるのかなあ」
クダンはと金となった兵士に命じる。
「よし、俺が合図したら、突撃しろ」
「わかったっす!」
「クダンさん、僕が敵の注意を引きます」
「頼む」
カクは物陰から飛び出し、敵の兵士たちにその姿を見せた。
「あ、あいつは! あの赤い馬だ!」
「何!?」
敵兵の注意が、カクに向けられた。
「今だ、行け!」
「うおおおおおお!」
クダンの号令と共に、と金となった兵士が走り出した。
もはや彼には金しか見えていない。
そのまま勢いを落とさず、櫓に激しく体当たりをした。
金と銀で組み上げた壁が、グラグラと大きく揺らいだ。
「あ、おまえ、何をするんだ!」
「危ない、崩れるぞ!」
「うわあああああ!」
矢倉囲いは――いや、櫓は崩壊した。
八人の兵士たち、そして、と金の兵士は金塊と銀塊の雪崩に巻き込まれ、下敷きになった。
それを見届けたクダンとカクは、崩れた櫓に歩み寄る。
「大丈夫かな、こいつら。潰れてねえか?」
「大丈夫でしょう。『金底の歩、岩よりも堅し』という格言もありますから」
――もちろん、そんな意味の格言ではない。