第三話
クダンにとって、この屋敷は初めて入る建物であり、当然間取りも知らない。
それではどこにお宝があるかわからない、と思うだろうが、彼には特殊な能力がある。
それは、金目の物の「匂い」を感じ取れるということだ。
もっとも、漠然とした匂いであるので「勘」と言った方が正確かもしれない。
それでも、今まで彼はこの能力を駆使し、初めて入る家からお宝を盗み出してきたのだ。
その彼が、ある匂いを嗅ぎつけた。
屋敷の一番端に位置する部屋から、かぐわしい匂いが漂ってくるのだ。
金目の物の匂いとは違う気もするのだが、彼はその匂いが気になり、無視することができなかった。
その部屋の前に立つと、中に人の気配がないことを確認し、扉を開けた。
部屋の周囲の壁際には、棚が作りつけられていた。
正面の棚を確かめてみると、そこにはいくつもの木箱が置かれている。
その内の一つを開けてみると、中には乾燥した木片が入っていた。
木片は、得も言われぬ芳香を放っている。
(これは……香木だな)
香木とは、香りを楽しむための木材のことだ。白檀や沈香などの種類がある。
高価な物になると、かなりの高値で取引される。
これは、お宝には違いない。
クダンは香木を盗んでいこうかと考えたが、かさばって邪魔になりそうだ。
残念だが、今後の行動を考えると諦めた方が無難だろう。
別の棚を調べてみると、小さな巾着袋がいくつも置いてあった。
開けてみると、長さ十センチくらいの、乾燥させた樹皮を巻いてロール状にしたものが何本も入っていた。
これもいい匂いがする。
(この匂いは、シナモンだな)
シナモンは香辛料の一種で、独特の芳香をもっている。
これもまた、高値で売ることができる。
クダンは、シナモンを盗むことにした。
巾着袋を、ポケットに入るだけ詰め込んでいく。
と、その時、クダンの耳に、複数の人間の足音が聞こえてきた。
「香りの部屋から物音がするぞ!」
「かかったな。お宝の匂いに敏感な泥棒は、あの匂いに引きつけられるんだ」
(しまった!)
シナモンを集めるのに夢中で、兵士の接近に気付かなかった。
隠れられそうな場所は、どこにもない。
扉が勢いよく開かれ、三人の兵士が入ってきた。
「いたぞ!」
「さあ、おとなしくするんだ」
兵士たちに剣を突きつけられ、クダンは降参した。
そして、ロープで手を縛られてしまった。
「貴様をこれから旦那様のところに連行する。無駄な抵抗はするなよ」
(ああ、この俺が、こんなところで終わっちまうのか……。カクは無事に逃げられたかな)
そのとき、パカラッパカラッと蹄の音が聞こえてきた。
何かと思い、部屋の入り口を見ると、赤い体の馬が入ってきた。
「クダンさん、大丈夫ですか!?」
「その声は……カクか?」
「そうです。カクです」
よく見ると、その馬の頭からはツノが生えている。カクに間違いない。
「おまえ、その体の色は一体……?」
「話は後! 早く逃げましょう!」
兵士たちは仰天した。部屋に馬が入ってきただけでも驚きだが、なんと人間の言葉を話しているのである。
「う、馬がしゃべった!?」
「しかも、ツノがあるぞ!」
カクを怖れた一人の兵士が、別の兵士の陰に隠れた。
その時、二人の兵士が縦に並ぶ形になった。
「ああっ、それは二歩です! 反則です!!」
二歩とは、同じ縦の列に歩を二枚置くことだ。将棋における禁じ手の一つである。
二歩を打った側は、即座に反則負けになる。
「に、二歩!?」
馬がしゃべるだけでも驚きだが、さらに二歩などとわけのわからないことを言われ、兵士たちは混乱している。
クダンはその隙をついて兵士たちから離れ、カクに駆け寄る。
「こいつらは将棋の駒じゃなく、ただの兵士なんだって!」
とりあえずツッコミを入れた。「でも、助かったよ」
不自由な両手で、何とかカクに跳び乗った。
カクはそのまま後ろ向きに部屋を出て、急いで逃げる。
相変わらず体の向きを変えることはできないが、前後左右への移動ができるようになっていた。
「カク、何があったんだ?」
「まずはこの屋敷を出ましょう。説明はその後です」
「いや、まだダイヤモンドを手に入れてねえ。逃げるわけにゃいかねえんだ」
カクは、やれやれとでも言うように、首を振った。
「仕方ありませんね。じゃあ、向こうへ避難しましょう。人の気配がしませんから」
クダンとカクは屋敷の奥、物置と思われる部屋に身を隠した。
カクはクダンを縛っていたロープを鋭いツノで引きちぎり、自分に何が起こったかを説明した。
「そうか、おまえはリュウマとやらに進化したのか」
「はい、ゆっくりとではありますが、前後左右にも動けるようになったんです」
「そうか、おかげで助かった。ありがとう」
「どういたしまして。で、クダンさんは何があったんですか?」
クダンは、今までの経緯を説明した。
「なるほど、その部屋にあったのは『香車』と『桂馬』ですね」
「キョウシャとケイマ……?」
香車は将棋の駒の一つで、前方にのみ、いくらでも動くことができる。
その名前の由来は香りのよい物、つまり香である。
香車とは、香の原料である香木を積んだ車、ということだろうか。
桂馬も将棋の駒の一つで、チェスの駒である「ナイト」と似た特殊な動きをする。
その名前の由来は肉桂である。
桂馬は、シナモンを積んだ馬ということになるだろうか。
香木もシナモンも、昔の日本では高価な貴重品である。
将棋の駒の名前というのは、角行と飛車と歩兵以外は、財宝の名前から付けられている。
つまり、将棋とは、宝を奪い合うゲームなのである。
「クダンさん、のんびりと香車や桂馬を取っている場合じゃないですよ。玉に近付くことを最優先するべきです」
「そうは言っても、タダで取れそうなんだから、取りたくなるだろう」
「まあ、気持ちはわかりますが……。きっとあの部屋は、泥棒を引き寄せるための罠だったんでしょうね」
「俺はまんまと引っかかったわけか、面目ない」
「気持ちを切り替えていきましょう。玉はおそらく屋敷の――」
「シッ! 誰か来た」
物置の前から足音が聞こえてきた。
クダンとカクは、壁の隙間から、そうっと様子をうかがう。
「まったく、やってらんねえっす。人を安月給でこき使っておいて、自分はダイヤモンドを眺めて暮らすなんて、ふざけた話っす」
一人の兵士がタバコをふかしながら、雇い主のキングについて愚痴っていた。
「どうやら一人でサボっているようだな」
「あれは遊び駒ですね」
「遊び駒?」
「全く役に立っていない駒のことです」
「おまえは何でも将棋に例えるんだな」
「そして、浮き駒でもあります」
「浮き駒?」
「味方に守られていない駒のことです。将棋の駒というのは、連携し合ってこそ力を発揮するんです。一人しかいない今なら、簡単に捕えられますよ」
「人間は駒じゃないんだが……まあ、一人だけだと弱いってのはそのとおりだ」
クダンとカクは、タイミングを見計らって扉を開けると、息を合わせて兵士を捕らえた。
カクが鋭いツノを兵士に突きつけ、その間にクダンは、物置に置いてあったロープで兵士の上半身を縛り上げた。
「い、命だけは助けてほしいっす! なんでもすっから!」
兵士は恐怖に震えながら命乞いをした。
「心配はいりません。将棋では、相手の駒を殺したりはしないんです。あなたは捕虜です」
「これは将棋じゃないんだが……」
そうつぶやくクダンを無視して、カクは兵士に告げる。
「つまり、あなたは僕たちの持ち駒です」