魅了魔法は使用禁止です
ここはセレナイト王国。
13~16歳の3年間、貴族が通う全寮制の学園である。
食堂で一際目を引く集団が居た。
セレナイト王国、王太子であるオズワルド・セレナイト。
側近候補の騎士団長子息のカイン、宰相子息のウォレス、伯爵子息のフランツ。
そこに女性が一人。庶子で、平民から引き取られて間もない子爵令嬢のエリン・バリサイト。
最近、この面子での行動が多く目撃されており、校内の者達は色々な噂話をしていた。
曰く、エリン嬢が平民育ちと嫌がらせを受けている為、王太子殿下達が保護している。
曰く、競ってエリン嬢に愛を乞うている。
曰く、王太子殿下の婚約者であるキャスリーン様が嫉妬をし、他の婚約者の方と組んで、エリン嬢を害そうとしている。 ……etc etc
……本人達に確認できる者はおらず、唯々まことしやかに囁かれていく。
「殿下方の魔具がまた汚染されている……」
王太子オズワルドの婚約者であるキャスリーン・サヌカイトは小さく溜息をついた。
膨大な魔力を持ち、学園内でも通常の授業は一通り合格レベルに達している為、魔法や魔具の研究に重きを置く事を許されているキャスリーンは、学園内では一人で研究室に籠っている事が多く、婚約者の行動範囲とはまるで違っていた為、会う事は稀だった。
先日偶然見かけた際にイヤーカフ型魔具に汚染を発見し、こっそり闇魔法で浄化していたが、本日もまた汚染されてる。
光魔法で払う浄化よりも、闇魔法で状態異常を食べる様な、吸い込む様な浄化の方が、気付かれず行うには丁度良いとキャスリーンは使っていた。
「多分魅了魔法……よね。でも誰が原因かまでは……うーん…」
今回もバレないように距離を取って浄化をする。殿下に進言しに行きたいけれど、嫌われてるし、交友関係とか教えてくれなさそうだしなぁ…と、キャスリーンは腕を組む。
10歳の時、キャスリーンの魔力量が桁外れと分かったと同時に、オズワルドとの婚約は決まった。
王家としてこの膨大な魔力を取り込みたい、が表の理由だ。
けれど、サヌカイト家の魔力を脅威に思う王家への人質、が本当の所なのだろう。
サヌカイト侯爵家は強力な魔法使いの家系で、現当主の父親は魔法師団長でもある。一人娘で妻の忘れ形見でもあるキャスリーンとオズワルドの婚約に最後まで異を唱えていたが、王命には逆らえず、婚約は成ってしまった。
現在は遠縁のラルビカイト家から3歳年上のクリストフを養子に取り、侯爵家の跡取りとしての教育と、魔法師団近衛隊として勤めさせている。
ちなみに、キャスリーンとオズワルドの仲はあまりよろしくない。
膨大な魔力で全属性の魔法が使え、その中でも氷と闇を得意魔法とし、魔法と家族以外にあまり興味を示さず、表情が乏しく冷酷そうに見えるキャスリーンを、オズワルドは敬遠していた。
王命で無理矢理決められたのが気に入らないのか、顔が気に入らないのか、魔力では全く勝てない部分が気に障るのか、反抗期なのか。冷たい対応しかされてこなかった。
キャスリーンも嫌われているのは分かっていたが、王命である事から、自分ではどうする事も出来ないと諦めて、当たらず触らず、妃教育と自分の研究に没頭していた。
「とりあえず、お手紙で知らせてみようかしら…」
いくら何でも魅了魔法をかけられている可能性を、黙っているのはまずいだろうと手紙を送る事にする。直接会いに行くのも、無駄に冷たい対応をされるのも面倒だ。……仮に読んでもらえても、返事は来ないだろうが。
「一応、お父様とクリス義兄様にもお手紙で知らせておきましょう」
学園在学中は基本公務を免除され、余程の事が無ければ王宮に戻らないオズワルドだから、王宮も魅了魔法に気付いてない可能性もある。
師団長たるお父様に連絡をいれておけば、少しは安心よね? とキャスリーンはペンを取る。
そんな事をしていた数日後、実家であるサヌカイト家へキャスリーンの招集がかかった。
「お父様? どうなさったのです?」
突然の呼び出しに、急ぎ実家に戻ったキャスリーンはすぐに父親の執務室へ向かった。
「おかえり、キャスリーン。突然すまないね」
疲れた顔で微笑む父と、申し訳なさそうな義兄のクリストフがソファーに座っていた。
示された場所に自分も座り、口を開く。
「それは良いのですが…何があったのでしょう?」
「うん、北の国境付近で隣国との小競り合いがあってね。今は東も少しキナ臭いから、私は王都を離れられなくて。クリスも近衛隊だから、離れられないし……学生だけれど、一番の実力者であるキャスに出動依頼がかかったんだ」
「まぁ…」
確かにそれでは父と義兄は動けないだろう。
戦場に行くのは初めてだが、戦力で考えれば妥当な所だと思う。
「今の予想では、大きな争いにまでは発展しないと思われているが、現場にサヌカイト家が居る居ないで士気に大きく関わる、と言われてしまってね…」
「わたくしで良ければ、出ますわ」
きっと何度も拒否し続けてくれた父に嬉しく思いながら、キャスリーンは拳を握る。
「キャス……後方支援が主な業務だし、君の実力なら大丈夫だと思うけど、本当は戦場になんか送り出したく無いんだ……」
「ありがとうございます、お父様。無理はせず、無傷で帰ってこれるように防御を疎かにせず、味方の犠牲も最小限に頑張りますわ!」
「うん、そうしてくれ。必ず自分を一番に考えておくれよ?」
それでも未だ心配そうな父と義兄ににっこりと微笑みながら、キャスリーンは確認しなければならない事を思い出す。
「はい! あ、そういえば先日ご連絡した件なんですが…」
「ああ、殿下方に魅了魔法が使われているらしい、という話だったね」
「はい…。あれからも注意して見ているのですが、毎回少しずつ汚染されているようで…」
「……陛下に進言してみてるんだが、手の者から異常は無いと聞いている、と言われてね。学園内への干渉はあまり出来ないけれど、何か出来ないかクリスと連携して考えてみるよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ペコリ、と頭を下げると父と義兄は揃って頷いてくれた。
約1ヶ月後、学園に戻ったキャスリーンを取り巻く状況は一変していた。
北の国との小競り合いは大きな戦いも無く半月程で収まったものの、後始末やら何やらで戻ってこれたのは1か月後。
学園に戻ったキャスリーンは、驚く事だらけだった。
まず、オズワルド達の魔具は、もう浄化不可能な状態だった。
常に行動を共にしているエリン・バリサイトが、魅了魔法の使い手だと分かったが、オズワルド達にもエリンにも、近付く事が出来なかった。
キャスリーンの行動が、周りから監視されている様に感じるのだ。
生徒も教師も微妙に邪魔をしてくるし、態度が刺々しい。
それに、今までと感じる視線の質が違う。
魔力に対する憧れや尊敬、好意などが全く感じられない。
畏怖、劣等感、嫌悪感。そんな負の感情ばかりが向けられる。エリンへの好意が明らかな者程、キャスリーンに対する嫌悪がひどく感じる。
いくら研究室に籠っている事が常とはいえ、このままではダメな事は流石に分かる。きっと王家の手の者も魅了魔法にかかり、無難な報告しか挙げていないのだろう。
今は学園内だけの話だが、教師らもかかっている事から、卒業後学園外に広まる可能性も否定できない。権力を持つものを中心に魅了されでもしたら、この国は終わる。
……一度、屋敷に戻り相談をしなければ。
「キャスリーン、大まかな事情は聞いた。義父上は陛下に報告しに行っている為、私がこちらに来た」
「クリス義兄様、ありがとうございます」
先触れを出し家に戻ると、玄関ホールで義兄のクリストフが待っていてくれた。
小さめの応接室に入ると人払いし、防音魔法をかけ終えると、クリストフが口を開く。
「で? 具体的な状況はどうなっているんだ?」
「はい。元々交流のあった友人を数名学園外に連れ出し、浄化して魅了魔法を解き、学園の詳しい状況を知りました。エリン様と直接の接触は殆ど無かったようですが、無条件にエリン様の行動を好意的に受け止め、それに比例する様にわたくしに対する嫌悪感や劣等感が湧いてきたと」
「そうか……間違いなさそうだな…。その友人達はどうしたんだ?」
「学園に戻すと同じ事になりそうだったので、わたくしの作成した魔具を持たせ実家に戻らせました」
「うん、それが良いな。……教師の証言も欲しい所だが、学園外に連れ出すのが簡単にはいかなさそうだな…」
「そうですね……連れ出せたとして、……かかり具合にも拠りますが、浄化に少し手間取るかもしれません」
キャスリーンの言葉に、クリストフは眉を顰める。
「そんなに強力なのか…」
「魅了はかなり強力です。殿下や接触が多かった方の浄化には、光か闇の上級魔法を使える方が良いでしょう」
最悪の事態を想定した方が良いのか、とクリストフは溜息を吐く。
「王太子殿下も居る事だし、近衛の魔導部隊を学園へ出動させる方向で話を進めるのがいいと思うが?」
「いえ……今の学園の状況では、簡単に受け入れてくれるか分かりませんし、部隊が魅了にかかり、寝返られる事を考えると……怖いです」
多分、部隊が来るのであれば、指揮はきっとクリストフが取る事になるだろう。……クリストフが魅了魔法にかかってしまったら…と考えた瞬間、キャスリーンの血の気が引いた。
「魔具を持っていたとしてもか?」
「王太子殿下のお持ちの魔具も最上級の物だったと思います。それが時間をかけてとはいえ、汚染されたのです。……大丈夫とは言い切れません」
「そうか……」
意識が違う方向に行きかけたキャスリーンは、クリストフからの問いかけに我に返る。
そして、可能性の域を出ないが、自分の考察を口にする。
「それに、わたくしが比較対象にされている様に感じるのです」
「え?」
「エリン様の好感度が上がるのに対し、わたくしへの悪感情が増す。闇魔法が得意の為、魅了魔法が掛かり難いわたくしを上手く使っているのではないかと思われます。なので、わたくしに悪感情を持っていない方が魅了にかかれば、逆に嫌悪や敵意で溢れるのでは、と不安なのです」
「それは……」
キャスリーンの考察に、クリストフの顔は曇っていく。
ただ自分への好感を上げるだけでなく、他人を貶める事さえプラスに使うとは、狡猾すぎる…。
「だから、わたくしという 『学園内で浄化を行う邪魔者』 の居ない1ヶ月で、一気に学園内の掌握が進んだのでは、と考えます」
キャスリーンの居なかった1ヶ月を思い、クリストフの眉間の皺は深くなる。
「……キャスリーンが学園に居ない間、時間を見て学園外から浄化をかけてみていたんだ。信頼出来る少人数での広範囲浄化だったから、余り効果は期待できないかと思いながらだったんだけどね。……でも、数日後には外からの干渉を防御する結界魔法が張られたんだ」
「え……?」
クリストフは目線を下げ、手を組み、懺悔の様に声を絞り出す。
「今の話を聞いて解った。あれは、教師を魅了し、結界魔法を張らせていたんだな……」
「そんな事まで…」
浄化を阻む為に、学園に結界まで張るなんて…とキャスリーンは絶句する。
自分が戻った時には張られていなかったのは、日中帯だったから? それとも、もう掌握が完了したから?……どちらにしても、良い状態ではないと、キャスリーンは冷たい汗をかく。
「キャスリーンに頼まれていたのに、すまない。もしかしたら、私の行動が悪化させる結果になったのかもしれない…」
自分の行動を反省し、謝罪するクリストフにキャスリーンは我に返る。
「違います! クリス義兄様のせいではありません! わたくしとの約束を守ってくれただけではありませんか……お礼こそすれ、謝られては困ります!」
「……困るって……」
結果的に悪手になった部分もあったかもしれないが、きちんと考えて行動してくれていたクリストフに対し、謝罪を求める気なんか無い。
大きな混乱を起こさない様に、動いてくれていただけなのだから! と反論するキャスリーンに、クリストフは苦笑が漏れる。
「ちゃんと考えて、実行に移してくれて、ありがとうございます!」
「うん。どういたしまして」
クリストフの謝罪に怒りながらもお礼を言うキャスリーンが可愛くて、クリストフはつい笑顔になってしまう。
一通り怒って我に返ったのか、居住まいを正し、キャスリーンは口を開く。
「それでですね、どうしたら良いのか考えていたのですが…」
「うん」
「わたくしが近寄る事が難しいので、魔具での魔力封印は出来ないと考えます」
「そうだね」
キャスリーンの提案に、クリストフは頷き先を促す。
「なので、魔法陣を仕込んだ所に呼び出し、一対一の力技で魔力封印を仕掛けたいと思います」
「うん…」
キャスリーンの提案が、きっと一番なのは理解出来た。
しかし、手放しで了承出来る程、簡単な話ではない。出来るなら自分が実行したい、とクリストフは思った。
「一応、お父様にも魔法陣の確認も含め相談はしますが、他に魅了魔法の被害者を出さない事を第一に考えれば、多分この方法が一番です」
「そう…だね。でもね、キャスリーン。……無理だけはしないでくれ」
だが、キャスリーンの懸念している部分が、魅了魔法の被害者を増やさない事にあるならば、自分が立候補する訳にはいかないのだろう。自分では、闇も光もキャスリーンには敵わない。
こんな事になるなんて…と、クリストフは苦い思いで一杯になり、唇を嚙みしめる。
「大丈夫です、クリス義兄様。わたくしの魔力量をご存じでしょう? わたくしは負けませんわ」
「うん、信じてるよ。ただね、人は追い詰められた時に、何をするか分からないから怖いんだよ……」
魔力量が勝っているのは間違いないだろう。だが、一対一で…本気で魔法のやり取りをした事の無いキャスリーンに、クリストフはどうしても不安が拭えない。
「クリス義兄様……わかりました。十分注意しますわ」
「約束だよ」
「はい!」
クリストフの不安に気付き、キャスリーンはそれを振り払う様に笑顔で応える。
今は、自分が頑張るしかないのだから。
エリンを呼び出す場所は、中庭の死角にあたる部分に決めた。
少し大きめに魔法陣を仕込み、隠蔽魔法で偽装する。
呼び出す場所の選定をしている際に、所々で魔力を増幅させる魔具や結界に使う魔具が隠されているのを発見し、破壊した。
エリンが使っているように感じたのだ。一人の魔力のみで学園内全体を魅了魔法にかけるなど、多分出来ないから。……もし万が一関係無い人達の物ならば、その時に考えよう……。
エリンへは『貴方の秘密を知っている。秘密を暴露されたく無ければ本日夕刻、一人で中庭にこられたし』と無記名で手紙を出した。
封を切って一定時間が経つと消える様にしたから、他の人に後から見られるという事は無いだろう。
「こんにちは、キャスリーン様」
「初めまして。お待ちしておりました、エリン様」
気合いを入れ直していると、にこにこ笑いながらエリンは現れた。
キャスリーンが差出人と分かっていた様に、余裕の表情だ。
「あんな手紙の内容だったのに、私が怯えて無いのが不思議ですか~?」
「そうですね。疚しい部分があれば、少しは怯えた表情になるかと思いましたが」
くすくすと笑いながら、間延びした喋り方でエリンは尋ねる。
その余裕に、キャスリーンは少しだけ警戒を強める。
「だって~、差出人分かってましたし。この学園で私にあんな手紙出すとしたら、もうキャスリーン様しか居ないんですよ~。まあ、来なくても良かったんですけど~、上手く使えば~キャスリーン様の立場を更に悪くできるんで~丁度良いかなって思って来てあげました~」
「は…?」
思いもよらぬ発言に、キャスリーンは言葉を無くす。
「え~? 分かりません? キャスリーン様以外は~私の魅了で既にメロメロですけど~更に強固にしようと思って~」
「わたくし…以外」
まさか、学園全部を掌握済とは…悪い予感が当たってしまったと、キャスリーンの背中を冷たい汗が伝う。
「ええ、全員。キャスリーン様のお陰です~」
「わたくしの…?」
「キャスリーン様って~良くも悪くも有名人じゃないですか~? だから、スケープゴートにするの凄い楽でした~」
「スケープ…ゴート」
頬を染め、可愛らしい笑みを浮かべながら、一切の悪意を感じさせず語るエリンに、キャスリーンは恐怖を感じずにはいられない。
「キャスリーン様への尊敬や憧れ、好意を私に向けて、逆に畏怖や劣等感、嫌悪感として貴女に返してました~。貴女への嫌悪感が増える毎に私の好感度がうなぎ登りです~。私が何やっても皆好意的に受け止めてくれるんです。私を大切にしてくれるんですよ~。色々貢いでくれるし、一部では崇めてくれる人も居るんです~」
「そん…な」
想像よりも遥かに悪い状況に、キャスリーンの瞳は絶望に染まる。
そんなキャスリーンを見てさらに深く、嬉しそうにエリンは嗤う。
「今は~学園のみですけど~、卒業して社交界デビューすれば、この国全体で私を大切にしてくれるんです~。誰も私を無視出来なくなるんです~」
「そんな……そんな事、させられない!」
学園外での魅了魔法の使用。自分の大切な人達をも被害者とする可能性。
お父様を、クリス義兄様を、魅了魔法の餌食になんてさせない!
詠唱で魔法陣を起動させると、エリンは一瞬険しい顔になった。
しかし、余裕の表情でエリンが嗤う。
「キャスリーン様の魔力が凄いのは知ってますけど~、私の魔力も馬鹿にしないで下さいね~」
しかし、魔法陣から出ようと足を動かそうとするも、ほとんど動かせず、少しの動揺が見えた。
更に魔力を込め、圧力を加えると、エリンは苦し気な表情になってきた。
「エリン?!」
そんな拮抗した状況に、オズワルドと側近候補3名が現れた。
気配を感じつつも、キャスリーンはエリンから目を離せない。
俯いた状態で一瞬嗤ったエリンが、次の瞬間泣きそうな顔を上げ叫ぶ。
「助けて! キャスリーン様に殺される!!」
詠唱中の為、キャスリーンは心の中で舌打ちをする。
後ろで動揺する気配と、素早く動く気配があった。
「やめろ、キャスリーン!!」
「ダメだ! カイン!!!」
オズワルドの護衛の剣を奪ったのか、騎士団長子息のカインが後ろから切りつけてきた。
背中が焼ける様に熱い。ガクッと膝が落ちる。
魔力が揺らぎ、『無様ね』小声で嗤うエリンの声が聞こえた気がした。
―――貴女なんかに、わたくしは、負けない!!
怒りを込めて、最後の魔力を振り絞る。
「いやあああぁぁ!」
エリンの一際高い声が上がったと同時に、詠唱が終わり魔力の封印が完了する。
「お…わった…?」
背中の熱さと、魔力の枯渇が同時に襲い、意識が保てない……。
ドサッとエリンとキャスリーンが崩れ落ちる。
何があったのか、理解できぬまま茫然とするオズワルド達。
カインは、剣を振り下ろした格好のまま固まっている。
次の瞬間、転移用魔法陣からキャスリーンの義兄、クリストフが現れた。
倒れているエリンの手首に魔封じの枷を嵌めると、次々と転移してきた者達に拘束と移送を命じていく。
キャスリーンへ目を移したクリストフは、背中の傷を見て顔を歪める。
「無理をするなと言ったのに……」
背中の傷に障らぬ様にそっと抱き上げ、頬に付いた土を優しく払うと、転移用魔法陣を展開する。
「ま、待て! 何が起きたのか説明せよ!」
移動しようとするクリストフに、オズワルドからの声が掛かる。
心底鬱陶しそうに顔を向けるクリストフの瞳には光が無い。
「……今、説明してちゃんと理解出来るか解りかねますが。現在学園の周りは魔導部隊が囲んでおり、エリン・バリサイトの魔力が封じられた事が確認されましたので、広域浄化を行います。……正気に戻った後、自分達が何をされたのか……何をしたのか。じっくり省みるといいです。……ただ、そこのお前だけは、……絶対に許さない」
カインを睨み言い捨てると、クリストフは意識の無いキャスリーンを大事そうに抱いたまま掻き消えた。
未だ状況が理解出来ないままの、オズワルド達を残したまま。
意識を取り戻したキャスリーンは、屋敷の自室に居た。
キャスリーンが目を覚ました事に気付いた侍女が慌ただしく動き出し、屋敷が俄かに騒々しくなる。
ベッドに半身を起き上がらせて貰い、水を飲んでいると父と義兄が部屋に飛び込んで来た。
「キャス!! 良かった…っ」
「本当に…良かった……」
キャスリーンの顔を見るなりへたり込む父と義兄に、とても心配をかけた事を反省する。
「ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした…」
ベッドの上で小さくなるキャスリーンに苦笑を浮かべながら、父はベッド脇の椅子に腰かける。
「本当だよ。クリスから報告を受けた、私の気持ちが分かるかい?!」
「血まみれで倒れているキャスリーンの姿を見た、私の気持ちもだ」
父と、脇に立つ義兄からの抗議の瞳に目を合わせられない。
キャスリーンの顔はどんどん俯いていく。
「申し訳ありません。まさか物理攻撃が来るとは思わず…」
あんなに自信満々に言っておいてこれである。自分の考えが足りなかったせいなので、本当に穴があったら入りたい。キャスリーンは上掛けを引っ張り上げ、顔を隠す。
「私達が何も出来なかったせいもある。キャスだけを責めるのはお門違いだな。すまん」
「悪かった、キャスリーン」
父と義兄に揃って謝罪され、更に恐縮してしまう。
「いいえ。私が悪いのです…」
上掛けで完全に顔を隠したキャスリーンに、父は一つ嘆息し、ぱん、と手を打ち鳴らす。
「うん、じゃあお互い悪かったという事で。とりあえず、目覚めてくれてほっとしたよ」
「まだ顔色は少し悪いけれど、特に気になる部分はないか? どこか痛いとか、違和感があるとか」
空気を変えるように、父と義兄がキャスリーンに体調の確認をしてくる。
おそるおそる上掛けから顔を出し、キャスリーンは問いに答えていく。
「いえ、特に…。少し貧血っぽい感じ位でしょうか。……というか、背中の傷は……」
切られた筈の背中がまるで痛くない。何事もなかったかのようだ。
「ああ、魔力の封印が終わった段階で、クリスが学園に転移してキャスを連れて来てくれてね。一応最上級の治癒士を控えさせていたから、直ぐに治療してもらったんだ」
「傷は綺麗に塞がったが、血はどうしようも無かったからな。しばらくは安静にして、栄養のある物をとる様にと」
「治癒士を……ありがとうございます」
自分の不注意による怪我だったのに、治癒士を待機させてくれていた事に二人の思いを感じ、泣きそうになる。
「一人で戦いに挑む娘に対して、出来る事がこの位だったからね…」
「今回ほど歯がゆい思いをした事はありませんよ」
溜息を吐きながら、自分達の力不足を嘆く父と義兄に申し訳なさが止まらない。
「ごめんなさい…。あの、あれからどの位時間が経っているのでしょう?」
流れる様に謝罪が口をつき、ふと、時間の経過が気にかかった。
「まだ、当日の夜だよ。時間にして5時間後位かな」
「王宮と学園は事後処理でてんやわんやだよ。キャスリーンが起きたと急ぎの連絡が来たから、二人共転移して帰って来たんだ」
「ありがとうございます」
きっと忙しい所を慌てて帰って来てくれたのだろう。本当に感謝しかない。
「私達はもう一度王宮に戻り、処理の続きをしなければならないけれど、キャスリーンはしっかり休んでおくんだ」
「事後処理位は任せてくれ」
「はい。よろしくお願いします」
立ち上がり、移動を始める父と義兄に念を押され、事後処理のお願いをすると彼らは転移していった。
キャスリーンが詳しい結果報告を受けたのは、1週間後の事だった。
最初の3日間はベッドから出してもらえなかったし、父と義兄は色々飛び回る羽目になり、屋敷に帰って来たとしても直ぐに出かけるの繰り返しで、ゆっくり話を聞く事が出来なかった。
少しやつれた義兄とゆっくりお茶を飲みながら、主要関係者の話を聞いた。
エリンは魅了魔法を使い、騒乱の原因を作ったとして、魔力封じをしたまま強制労働。学園全体が魅了魔法にかかった事を公表する事が出来ない為、公に処刑はしない。が、そのうち多分、何らかの事故に巻き込まれる事になるだろう。子爵もエリンの魅了魔法にかかっていた様だが、事態を重く見て自主的に爵位を返上した。
オズワルドは、キャスリーンとの婚約を白紙撤回の上、王位継承権剥奪。魅了魔法にかかっていた事から、周りの貴族の動きを懸念した陛下により、離宮への幽閉となった。期間は決められていない。
宰相子息ウォレス、伯爵子息フランツは廃嫡。貴族籍の剥奪まではしないが、他貴族との縁が結べなければ結局は平民になる。文官として王宮に上がる事が出来るかは本人の頑張り次第となるが、だいぶ厳しい道にはなるだろう。
騎士団長子息カインは手を砕かれた上、廃嫡と貴族籍の剥奪。日常生活を送る分には問題ない位には治癒をされているものの、剣を握る握力は戻らず、騎士として剣を取る未来は絶対に訪れない。いくら魅了魔法に操られていたとしても、無防備な女性を背中から切りつけるのは、騎士道に反し過ぎていると判断された。騎士団長も職を辞し、領地に隠居するという。
一部学園の教師で、エリンに協力する形で結界魔法を使用したり、魔力増幅の魔具をエリンに渡していた者は、とりあえず1ヶ月の謹慎となった。それからの処遇はまだ協議中らしい。
他、学園の教師や生徒などには、エリンが編入して来てから起こった事については箝口令が敷かれ、特に処分は行われない。但し、家のお金に手を付けていた者も居たようなので、各家で何らかの処分は行われるだろう。エリンや魅了魔法のせいだけにして、自己弁護に走る様なら未来は無い。
「わたくしが、上手く立ち回れていたら……」
義兄の口から紡がれる各々の処遇に、キャスリーンは嘆息する。
エリンと特に交流の多かったオズワルド達4人は、影響力の大きさから与えられた罰が大きかったのだろう。カインに関しては、自分が防御を疎かにしてしまった事が原因な気がしてならない。
「キャスリーンが悪い訳じゃない。お前は自分の出来る事を頑張った。だから、この程度の被害で収まったんだ。内々ではあるが、王家からもサヌカイト家へ謝罪があった位だ」
「………はい……」
暗い顔をしているキャスリーンを元気付ける様に、クリストフは優しく微笑みかける。
どうにか笑みを形作り返事をするも、重い空気は払拭できない。
少し微妙な時間が流れ、それを払う様にクリストフが口を開く。
「……そういえば、私はサヌカイト姓からラルビライト姓に戻った」
「えぇっ、何故?! わたくしの王太子殿下との婚約が無くなったから?」
突然の言葉に、キャスリーンは俯いていた顔を上げる。
「うん、理由としては間違ってないな」
「わたくしのせいで、クリス義兄様を振り回しているみたい……ごめんなさい」
苦笑で返すクリストフに、キャスリーンは泣きそうになる。
クリストフの人生を振り回しているのは、間違いなく自分だ。
「自分の意志で養子から外れたのだから、そんな泣きそうな顔をしないでくれ」
「……でも」
自分の意志とは言え、簡単な話ではないのに…とキャスリーンは言葉を飲み込む。
「これから言う事を聞いて、答えを出してくればいいから」
「……わかりました」
ふと、真剣な顔になったクリストフに、キャスリーンは居住まいを正す。
すると、クリストフは椅子から立ち上がり、座るキャスリーンの脇に膝を突き、右手を掬い上げると視線を合わせてきた。
クリストフの真剣な瞳に、キャスリーンの心臓が軽く跳ねる。
「…私、クリストフ・ラルビカイトは、キャスリーン・サヌカイトを愛しています。私と結婚して頂けませんか…?」
「……え?」
クリストフの言葉がキャスリーンの耳を滑る。
今、何と言った? これは……プロポーズ…?
「一生愛し、守ると誓います。私の愛を受け取って下さい」
「あ……え……」
固まったキャスリーンに対し、クリストフは言葉を続け、右手の甲へキスを贈る。
頬を染め、固まったままのキャスリーンに、クリストフは首を傾げ問いかける。
「……キャスリーン?」
「あ…の、…………お受けします」
名前を呼ばれ、ハッと我に返ったキャスリーンは、震える唇で答えを返す。
まさか直ぐに返事を貰えると思っていなかったクリストフは、きょとんとした顔で、キャスリーンに確認を取る。
「本当に、いいのかい?」
「……はい。……魔力封じの検討をしていた際、クリス義兄様には魅了にかかって欲しくない、と強く思ったんです。……殿下の時は何とも思わなかったのに……だからその…わたくしも…」
顔をどんどん赤くし、目をそらしながら徐々に小さくなっていく語尾に、クリストフの笑みは蕩ける。
「嬉しいよ、キャスリーン」
「義兄様こそ……こんな…突然…」
キャスリーンの右手を両手で祈る様に握りしめる。
クリストフのそんな蕩けた笑みを見た事が無かったキャスリーンは、目線を戻した事を後悔し、直ぐ目線を逸らす。
「突然では無いよ」
「え…?」
ぼそりと呟かれた言葉に、キャスリーンが視線を戻すと、苦笑したクリストフが居た。
「キャスリーンが8歳の時に初めて会った時から、ずっと好きだったんだ。だけど、本家の跡取りに立候補する事も出来ずに悶々としていた。そうしていたら、キャスリーンと王太子殿下との婚約が決まって……養子の話が来た時に、婚姻までの少しの間でもいいから一緒に居たいと思って受けたんだ。今回こんな事になって、義父上…ミリアム様から今後の意思の確認を受けた時に、キャスリーンとの婚姻を望んだ。だから、養子から外れ、一人の男として見て欲しいと思ったんだ」
女々しくてごめんね、と苦笑するクリストフにキャスリーンの顔が青ざめる。
「じゃあ、わたくしが受けなかったら…」
キャスリーンの心配事に思い当たったクリストフは、何でもない事の様に笑う。
「その時はその時だよ。振られても仕方なかったけど、もう自分の気持ちに嘘をついてはいけないと強く思ったんだ。君を守れないのは我慢できない。血まみれの君を見た時、心臓が止まるかと思った」
血まみれのキャスリーンを思い出したのか、クリストフの笑みが強張る。
心配をかけてしまったせいなのに、キャスリーンの胸に少し温かいものが溢れる。
「……不謹慎かもしれませんが…嬉しい……」
ふわりと微笑みながら、キャスリーンの心の内が漏れ出る。
それに呼応する様に、クリストフの強張りが解け、優しい笑顔になる。
二人で笑い合い、クリストフが立ち上がり、キャスリーンを腕に閉じ込める。
「私もキャスリーンが受けてくれて本当に嬉しい。これからずっと一緒に居られるなんて、守れるなんて……なんて幸せなんだろう」
キャスリーンの髪を優しく撫で、クリストフはうっとりとした顔でつむじにキスを贈る。
くすぐったそうにしながら首を竦めるキャスリーンが、クリストフの胸に頭を預けた。
「わたくしも幸せです…。でも、守られるだけじゃないですよ? わたくしもクリス義兄様を守るんですから」
クリストフの腕の中から、上目遣いで勇ましい事を言ってくるキャスリーンへの愛しさが止まらない。
額にキスを落とし、腰をかがめて視線を合わせる。
「ありがとう。……でも、もう義兄は取ってもらいたいかな」
「あ………えと……クリス…様?」
笑顔で強請るクリストフに、キャスリーンの目は泳ぐ。
首を傾げ、とりあえず義兄だけ取って誤魔化すキャスリーンに、クリストフは撃ち抜かれる。
「様も無くていいんだけど……追々ね、キャス」
「………はい!」
勝てないな、と笑いながらも自分はさらりと愛称で呼ぶクリストフに気付かないキャスリーンは、笑顔で応え、頬にキスをされ顔を赤くするのはこの直ぐ後。