幸せの輪郭-2
僕は休憩室の喫煙所でタバコをふかしていました。
何となく浮かれているのでしょうか。考えることといえば、週末のトオルと過ごした時間の事でしたし、これからのことでした。
今までの休日といえば、たいていは浜松、といっても、駅周辺の繁華街やデパートをブラブラするぐらいでした。いつも時間をもてあまし気味に過ごしていたのですが、二人でなら行動範囲もぐんと広がるような気がしていました。
舘山寺温泉、弁天島、佐鳴湖・・・浜松周辺にはたくさんの観光名所があります。僕はトオルと二人でいろんな場所に行ってみたいと考えを巡らせていました。今までは、そういった場所に行きたいと思ったことなどなかったのに、トオルと二人でなら行きたいと思うのです。こういった気持ちの変化はどこからくるのでしょう。人とつきあった経験のない僕には、よくわかりませんでした。
昨日の今日で、気分が高揚しているのが自分でもわかっていました。
その裏で、浮かれすぎないように自制している自分もいました。両親の事故の事を思い出していたのです。
まるでナイアガラの滝のように、浮かれ気分から一気に突き落とされたあの時の気持ちをまだ覚えています。そして、浮かれすぎていた夜やそれまでに対して後悔したことも。
自分を見失うことだけはないように、周りが見えなくなることがないように、僕はそれだけは肝に銘じておこうと思っていました。
それでもトオルのことを考えると心は躍っていました。
早く帰ってこないかな。
夕飯とか作ってあげようかな。
いっそ、ふたりで住むっていう手もあるよね。
ふと我に返ると、あまりにも先の事を考えたりしている僕がいました。
どうあがいても、しばらくは浮かれずにはいられないようでした。
「おい、テレビに内田みたいなのがでてるぞ。」
そんな声に、僕は休憩室に備え付けられている小さなテレビに目を向けました。
昼間のバラエティー番組でした。多くのお笑いタレントが騒いでいました。
その中に一人、いわゆる「オネエタレント」がいました。
僕に似ていると揶揄されているのはほぼ間違いなくこのタレントのことでした。
「えぇ?だれですか?」
僕はそ知らぬ振りをしてその声の主に尋ねました。それは、僕の所属している部の山本という上司でした。この上司が声をかけてきた時点で、今までの幸せな気持ちが一瞬で萎えていくのがわかりました。そして、このあとの話題の展開もなんとなく読めて、僕は少し面倒くさいなと思っていました。
「こいつだよ、BABAちゃんっていうの?なよっとしててさ。内田みたいって、前も言ったじゃん。」
周りから笑い声が起きました。
「やめてくださいよ。やだなあ・・・。」
僕はそう言って、またタバコに火を点けました。
案の定、そういう話題でした。
時々「オカマネタ」の話を持ち出しては、僕に話題を振るので、正直僕はこの山本という上司が好きではありませんでした。
からかわれてもそれなりにかわすことが出来るようにはなっていましたが、それでも多くの人がいる場所で自分を笑いのタネにされることは、あまり気分のいいものではありませんでした。
喫煙所を出てしまえば、不愉快な話題から逃れることは出来るのです。ただ、そうすることで僕は何だか「負けてしまう」ような気がして、僕はいつもせめてタバコ一本分くらいの時間をおいてから、その場を離れるようにしていました。たいていそんな話題は長く続かず、すぐに違う話題になっていました。
「・・・しかし、なんでこういう風になっちまうのかね。テレビで見てる分には笑えるけど、身近にこんなのいたら気持ちわるいよなあ?・・・何か、浜松にも何件かそういうのが集まるスナックとかあるらしいぜ。・・・内田、おまえ、行ってないだろうなあ?」
その言葉にまた笑い声が起きました。
まさに二日前に行ったばかりだったので、何となく見透かされているような気がしてしまい、少し心臓の鼓動が速くなっているのを感じましたが、僕は何でもないように答えました。
「行くわけないじゃないですか。僕、東京に彼女いるんすよ。」
「そんな細い体で腰振れんのかぁ?腰折れちまいそうだなあ。」
僕の言葉に山本さんがすぐさま返しをいれて、周りの人々は笑い続けていました。
山本さんも心底意地悪で言っているのではないのはわかっていても、その言葉の裏には「こいつはオカマっぽい」という気持ちがあるのがわかります。
僕は、「オカマ」や「ゲイ」は、「自分を落として笑いをとる名人」だと思っています。少なくともこの上司のように、「他人を落として笑いをとる」よりは、気持ちよく、他人を傷つけない方法を知っているのではないかと感じています。
僕はなんで「オカマ」や「ゲイ」というだけで、笑いの対象にされなきゃいけないのだろうと、テレビの中でおどけてみせる「BABAちゃん」を眺めながら考えていました。
からかわれるのにも慣れたとはいえ、それがいつまでも続くと不愉快になってきます。
なぜか今日は一向に話題が変わりませんでした。「BABAちゃん」はまだテレビの中で「必要以上に」はしゃいでいましたし、山本さんはそれを見て笑いながら、いつまでも浜松のゲイスナックの存在やら、ゲイについての話を続けていました。
だんだん僕は喫煙所にいるのが苦痛になってきました。
短くなったタバコを灰皿に押し付け、さっさとこの場を離れようと、僕はドアへと向かいました。
山本さんやその周りの人々は飽きもせず、同じ話題を続けていました。
後ろ手にドアをしめかけたその時、何気ない会話が聞こえました。
「トオルがいたら話に乗ってくんだけどなぁ。」
その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かわかったような気がしました。
それは、いまトオルがいないからこそわかった、大きな大きな気持ちでした。
僕は喫煙所を出て、工場棟の脇にある中庭へと歩いていました。
さっきまでの不愉快な気持ちはすでに消えていました。
そんなものより、もっと大きな気持ちに気付いて、少し僕は呆然としていました。
あぁ・・・そうだったのかぁ・・・。
北風が吹く中庭を歩きながら、僕は空を見上げながら考えていました。
僕もこの職場に来てから3年半経っていました。自分なりに頑張ってなんとか続けてきたつもりでした。
それでも、さっきのような不愉快な出来事が繰り返されていたとしたら、すぐに辞めていたかもしれません。
考えてみれば、ああいう話題になった時、僕の近くに必ずトオルがいたような気がします。ネクストの事務所ではじめて会った時、僕がゲイだと見抜いていたトオルです。
山本さんとも職場では仲良くしているトオルです。僕のいないところで、「内田はオカマっぽい」と話を振られていた可能性は大きいのです。
頻繁ではないにしろ、時々「ゲイ」絡みの話題になった時、いつもトオルは真っ先に話に乗っていました。
「なんすかー。山本さん、掘られたいんじゃないんすかー!」
そんな言葉を冗談まじりに言いながら、誰かの背後に回って腰を振るようなしぐさをしては、周りの笑いを誘っていたトオルの姿が思い出されました。
あれは、乗っているふりをしながら、実は矛先を自分に向けて、僕に話題を振られないようにしてくれていたのではないでしょうか。
その話題になれば、僕がからかいの対象になることをわかっていて、僕が傷つかないように、落ち込まないように、気遣ってくれていたのではないでしょうか。
いつもトオルはひとしきり笑いを取った後、さりげなく当たり障りのない話題に話を持っていっていました。
僕は話題が変わるとほっとしていました。トオルはたぶんそんな僕の気持ちをすべてわかっていたのです。
慣れたつもりでいました。そう見えなくなっていたように感じていました。
それでも、さっきのような出来事があれば簡単に落ち込んだり悲しくなってしまうような、あまりにも脆い僕の心だったのです。
それもおそらくトオルは見抜いていたのでしょう。同期で入社して以来、ずっとさりげなく僕の事を心配してくれていたに違いありません。
僕は、トオルにずっと、守られていたのです。
トオルの大きな愛を実感しながら、大きな青空を見上げていました。
僕はなぜ気付かなかったのでしょう。ずっと、ずっと前から、トオルは僕の事を愛してくれていたのです。
雲ひとつない青空でした。この空は、いまトオルがいる新潟にも確実につながっていて、同じ空の下にいるトオルに届くようにと、僕は目を閉じて思いました。
トオル、ありがとう。
いないからこそ気づくこともあるんだね・・・。
早く会いたいよ・・・。
一人で少し照れながら、中庭の芝生に寝転ぶと、初冬とはいえ、草の青い匂いがぷーんと鼻をつきました。
頬にあたる草がくすぐったくて、僕はトオルとの時間を思い出しながら微笑んでいました。