幸せの輪郭-1
いつも通りの月曜日でした。週はじめの全体朝礼を終えると、あわただしく各部署が仕事に取り掛かり始めました。
僕は必要な部品を揃え、製品番号台帳のようなものにそのロット番号などを記入し、自分の席に着くと、顕微鏡を覗きながら、いつものように「ユニット」と呼ばれる光精密部品の製作を始めました。
細かい部品を、顕微鏡で見ながら針のように細い器具を使って接着していく仕事です。慣れたとはいえ、やはり製作には非常に集中力が必要でした。ほんの少しの気の緩みや、ほんの少しの振動で、作り直しになってしまうのです。
「ふぅ・・・。」
なんとか接着が終わると、思わず大きく息を吐き出してしまいます。
ちょっとしたいつもの緊張が解かれ、僕は空席になっている左隣のトオルの席を見つめました。
いつもならそこにあるはずの、大きな体を窮屈そうにかがめて顕微鏡を覗いているトオルの姿がないことに、僕はなんともいえない寂しさを感じていました。
あの後、結局僕とトオルは、僕のアパートで一夜を明かしました。
あまりにも展開が早いのかもしれません。それでも僕は、そう感じませんでしたし、おそらくトオルもそう感じてはいないと思います。
僕の経験といえば、その日会ったばかりの人ばかりで、ほとんどがその日限りでした。まれにその後数回会った人もいましたが、長続きするような付き合いではありませんでした。
展開からいえば、トオルとのその夜も、今までの流れと何ら変わらないのかもしれません。ただ違うのは、「今までも会っていた」相手であって、「これからも会う」相手であるということでした。
付き合うにしろ、付き合わないにしろ、職場仲間なだけに、イヤでもこの先、顔を合わさずにはいられないわけです。
そういう相手とセックスをしたことが初めてだった僕は、正直、この先の展開が読めずにいました。
明日、目覚めたら、どんな顔して話せばいいんだろう・・・
今までと同じように、職場でやっていけるのかなあ・・・
一つの布団の中で、規則正しい寝息を立てながらこっちを向いて眠っているトオルの寝顔を見ながら、眠れずに、僕は薄闇の中でぼんやりとそんな事を考えていました。
トオルの体のぬくもりは、今まで感じたものとはどこか違う安らぎを僕に与えていました。それは、トオルの「中身」を僕が知っているからなのでしょうか。
今までの相手は、ろくに性格も知らないうちにセックスをしていました。僕は相手が眠った後も眠れずにいることが多く、その時にいつも決まって「冷えたもの」を感じていたのです。それは、自分の心の中にも、相手への気持ちにも。
実際、その相手も「中身」を知れば、とてもいい人だった可能性もあるのです。
ただ、「中身」を知る前にセックスをしてしまう、そんな性欲に流される自分への罪悪感や、どこかうしろめたい気持ちが、そんな冷めた気持ちになってしまったのかもしれません。
トオルの広く大きい体に包まれているのは、とても心地いいものでした。トオルの性格のように、僕を包み込んでくれるような包容力は、僕をとても幸せな気持ちにしてくれました。
僕はまた、トオルの寝顔を見つめました。口を半開きにして、かすかなイビキを立てながら寝ているあどけない寝顔が、とても愛しく可愛く思えて、僕はそっとその唇に僕の唇を合わせました。
「・・・んんぁー・・・」
言葉にならない寝言を言って、トオルは寝返りを打ちました。僕の前にはトオルの広い背中が向けられました。今までの相手に背中を向けて眠られたときは、どうしようもない虚しさを感じたものでしたが、不思議とトオルの背中にはそういうものを感じませんでした。
僕はトオルの背中に寄り添って、そのぬくもりと、規則性をもって打つ心音を感じていました。
今までの人にも、こうやって寄り添ってみたらよかったのかな?
そんな事を考えているうちに、僕もいつの間にか眠りに落ちていました。
「・・・ル、ハル・・・」
体を揺する振動と、トオルの声で僕は目を覚ましました。
「・・んああ・・・おはよう・・・。」
僕はまだ完全に目を覚ませずに、薄眼を開けて答えました。
トオルは寝ころんだまま、肩肘をついて僕の方に体を向けていました。ふと気付くと、トオルはなんともなしに、僕の顔、首、肩、胸を優しく撫で続けていました。
僕を見つめる瞳は、優しく、あたたかく、それでもいつものようにどこかイタズラめいた、よく知っているトオルのまなざしでした。
「・・・なぁ、ハル・・・?」
僕の体を撫でながら、どことなく真面目な口調でトオルは僕に言いました。
「・・・何・・・?」
僕は何となく身構えて尋ねました。
それがトオルの指先にも伝わったのか、少し意地悪そうに微笑んだあと、満面の笑みを顔中にたたえてトオルは言いました。
「・・・俺達・・・やっちゃったなぁ!!・・・まさかこんな朝になるなんてな・・・。
・・・ていうか、もう一回やろっか?」
おちゃらけ気味には言ったものの、トオルは、僕の上に覆いかぶさってきました。
「・・・バカじゃん・・・」と僕は呟いていましたが、その唇を、トオルの唇がすばやくふさいでいました。それでも、僕はトオルに抱かれているのがとても心地よく、ただ身をゆだねていました。
二度目の眠りが覚めたのは、午後2時を回った頃でした。
「やべぇ、俺、今から帰ったら夜になっちゃうよ。」
トオルは、時計を見た途端、急いで身支度を始めました。
僕は、布団の中に一人裸のまま、その姿を眺めていました。なんとなく取り残される子供のような気分になって、少し寂しさを感じていました。寝不足もあって、少しけだるい気分が僕を襲っていました。
「何ボケっとしてんだよ。ハルも早く用意しろよ。」
トオルが僕に言いました。
「・・・?・・・僕、別に出かけないよ?」
僕が不思議そうにそう言うと、トオルは大げさに溜息をついてみせたあと、言いました。
「ハル・・・おまえ、彼氏が帰省するっつーのに。駅まで見送りくらいしてもいいんじゃねぇ?・・・なんちって、気が早い?」
彼氏。
その言葉に僕は異常に反応してしまい、うれしいような照れくさいような、トオルが言うように、気が早いような、それでも確実に幸せな気持ちを感じていました。
そっけなくふるまうことも、素直に喜びを表すことも出来ず、僕は恥ずかしくて何も言えずにいました。
ふと見ると、トオルも心なしか赤面しているように見えました。少しの時間、二人の間に無音の時間が流れたような気がしました。
ふと、昨晩の事を思い出しました。
素直な気持ち、自分の気持ち、ちゃんと伝えないといけない。自分から伝えることはとても大事で、もしかしたらトオルは今もまた自分からボールを投げてくれている。いつもトオルに投げさせている。せめて、僕はそれを受け止めて、しっかり投げ返さなきゃいけない。
頭の中で急いで考えました。結論は、自分の気持ちを素直に、そして行動にすることのような気がしました。
「そうだね。駅まで見送るよ。」
僕はそう言って枕もとの服を着始めました。
「あ、ウソウソ。いいよ。めんどくせえだろ。冗談だよ。」
トオルは鏡に向かって髪型を整えながら言いました。
「ううん。行くよ。・・・だって、・・・彼氏でしょ?」
鏡の中のトオルの視線が、ふと止まった後、僕を見つめていました。
「それに、しばらく会えないんなら、少しでも一緒にいたいし・・・。」
僕の言葉に、鏡越しのトオルの瞳が優しく微笑みました。
そして、振り向いたトオルと僕は、今日、何回目かわからないキスを交わしました。