二度目の出会い-5
僕とトオルは、それから早々にDUBを引き上げ、浜松の居酒屋へと場所を変えました。週末の居酒屋は騒々しく、周りを気にせず話すには、ちょうどもってこいの場所でした。
「俺、正直あんまりゲイスナックって好きじゃないんだ。やかましいし、結構値段もするじゃん。まあ、それでもたまーに行きたくなるんだけどな。」
居酒屋で焼うどんを口に運びながら、トオルは言いました。DUBを出るときは、お腹が減ったから居酒屋で話しながら食べようという話だったのですが、トオルはああいうお店がちょっと苦手で場所を変えたかったのかもしれません。
確かに、何となく、僕がよく知っていた職場でのトオルはもっと元気いっぱいで、いい意味でのおちゃらけで、DUBのような店は、「本当のトオル」の魅力が発揮される場所ではないのかもしれない、と僕は思いました。
今まで僕は、二丁目などで飲んでいる時が一番「自分でいられる」と思っていました。職場などでは誰かと会話をするにも「作ってる」自分を感じていましたし、「本音で話せる場所」イコール「自分らしくいられる場所」だと思っていました。
でも「自分らしい」ってどういうことなのでしょう。職場での自分も、ゲイスナックでの自分も、ちゃんとした「自分」であって、僕が僕であることには変わりがないのです。たとえば職場では、JACKで飲んでいる時のように、はじけて会話したりは出来ないけれど、仕事ぶりや話しぶりには僕の性格は確実に表れているでしょう。きっと僕らしい仕事ぶり、話しぶりに違いありません。たとえ「作ってる」部分があるにしても、その「作り方」にも「僕」が表れているのではないでしょうか。たとえば、トオルにだって「作ってる」部分はあるのだとは思います。それでも、トオルが「元気で明るい性格」だということは間違いなくわかるのです。
最近少しだけそんなことを考えていました。違うのは「ゲイ」である事が言える環境か、そうでないか、というだけの事だけなのではないのでしょうか。そして、それがそんなに重要なことなのだろうか、とも考え始めていました。少なくとも、以前のように「ゲイ」だから、「ノンケ」だから、と区別する気持ちが薄れてきていたのです。大事なことは、もっと違うところにある、と何となく思い始めていました。
目の前にいるトオルを見ていると、みんながみんな僕のように、「ゲイスナック」での時間がいちばん落ち着くわけではないんだな、ということがわかりました。僕にとっての「トオル」が、「職場でいつも見ているトオル」という先入観もあるかもしれませんが、「DUBでのトオル」は、いつもより控え目でしたし、大声で僕に向かって叫んだとき以外は、至って静かなものでした。
職場でのトオルは、いつも仲間内の中心にいて、みんなを笑わせて、突き抜けたような明るさで周りを楽しくさせる人でした。
僕は「ゲイスナック」は好きですが、その雰囲気がどうしても好きになれない、馴染めない、そういった人もいるのだと思います。そういった人たちは、例えば東京に住んでいたとしたら「ZAPP」のようなショットバーに行ったりするのかもしれません。ですが、そういった店が無い地方のゲイたちはどこへ行くのでしょう。どこで出会うのでしょう。どうやって寂しさや孤独感をいやすのでしょう。
僕は、「出会いたければ、ゲイスナックへ行けばいい」と簡単に考えていた自分を少し反省していました。東京に住んでいて、恵まれた環境の中ではそれが可能でも、地方に住んでいる人や、スナックの雰囲気ガが合わない人にとっては、それは難しいことだったのです。東京に住んでいたら、きっと気づかないことだったと思います。
ビールを飲みながら、僕はいま考えたりしていた事を、トオルにとりとめもなく話していました。本当のところ、僕のこと、トオルのこと、例えば、どんな人がタイプなのか、とか、初めて目覚めたのはいつか、とか、「お互いのこと」について話したい、聞きたい気持ちでいっぱいでした。
3年半、顔を突き合わせてきた同僚なのです。お互いゲイであるとわかったにしろ、いきなりお互いの深い所に踏み込むのは怖くもありましたし、照れくさい部分がありました。
「別に、俺はスナック苦手じゃないよ。ただ、なんか、な。
確かに自分がゲイであることは隠さずいられるけど、だからと言って、自分を思い切り出せるかっていうと・・・また違うかな。まあ、合う合わないの問題でしかないんじゃねぇ?
しかし・・・ハル、おまえも小難しいこといろいろ考えてるんだなぁ。別に地方のゲイは地方のゲイで、ハルに心配されなくてもいろいろやってるべ。心配すんなよ。・・・まあ、おまえらしいけどな。」
トオルはそう言って笑いました。
トオルは翌日の日曜から地元の新潟へ帰省するとのことで、あまり時間もありませんでした。僕としては、せっかくのこんな夜なので、もっともっと話していたかったのですが仕方ありません。結局その後もとりとめのない話が続き、何となく消化不良のような気持ちを抱えながら、浜松から豊橋行きの最終に間に合うように居酒屋を引き上げました。
電車の中は、土曜日の最終電車ということもあって結構混んでいました。職場の席や休憩室ではよく会話していたのに、混み合った電車の中で体が近付くと、何故か緊張してしまう僕がいました。よくよく考えれば、プライベートで会うことなど会社がらみでしかなかったので、こんなに間近で顔を見ることも、こんなに体が近付くのも初めてだったのです。心の中で僕はそんな事を気にしながらも、僕たちは職場の同僚や、上司のうわさ話でゲラゲラ笑っていました。
20分ほどで最寄駅に着きました。僕らが暮らし働くこの町の中心の駅は、北側にすぐ浜名湖を臨み、南側には山を切り崩して造成されたと思われる、坂の多い町なみが広がります。タクシーが1、2台だけ停車している形だけの駅前ロータリーを横目に、僕とトオルは寮のアパートの方向へと歩き出しました。お互い、同じ方向に歩いて15分ほどの距離でした。
「いつ帰ってくるの?」
僕は何となく寂しいような気持ちになって、聞きました。
「水曜日の夕方。なんか、じいちゃんがちょっと体調悪いんだと。出来たらそばにいてやりたいんだけど、そうずっともいられねえし。だからまあ、3日くらいはな。じいちゃん孝行もしてやりてえし。」
「そっか・・・気をつけてね。」
トオルの言葉に、僕はそう答えました。寂しい気持ちが少し声に表れてしまったのかもしれません。
「なに?ハル、おまえ、俺に会えないから寂しがってんじゃないの?ハハ。」
トオルがおどけた調子で笑いながら僕に言いました。正直、図星なのです。何故なのか僕は、休日である日曜は仕方ないにしても、普段なら職場で当たり前のように会える月、火、水と、三日間もトオルに会えないことが妙に寂しく感じられてしょうがなかったのです。
「・・・バカじゃん。んなことないよ。ちょっと聞いただけじゃん。」
僕は、そんな気持ちを悟られないよう、ぶっきらぼうなふりをしてそう答えるのが精いっぱいでした。トオルは、アハハっと空を見上げて笑っていました。
吐く息が少し白く染まり、空気が澄んできたような感じがする初冬の夜でした。空の色は東京のそれよりも一段と深く、高く、星がキラキラと輝きを増しているようでした。
しばらく歩くと、広い県道に出ました。僕のアパートはここから右に折れた市役所の裏手でした。トオルのアパートはここから左に折れた、マーケットの先でした。
「・・・じゃ、僕、こっちだから。新潟、気をつけて行っておいでね。おじいさん孝行、ちゃんとしてきなよ。」
僕は複雑な気持ちでそう言いました。心の中に「まだ一緒にいたいな」という気持ちがあって、それでも「トオルは明日、朝早いし」という事情もあるので、何とかその気持ちを口に出さずに済んでいたのです。
いつだって会っていたのに、そしてこの先も会えるのに、なぜ今こんなに離れたくないのか、僕は自分で自分の気持ちがよくわかりませんでした。
「・・・おぅ。ハルも・・・襲われないように気ぃつけろよ。なーんてな。じゃな。」
トオルは最後までジョークでおどけながら、そう言って背中で手をふりました。
僕は少しだけその後ろ姿を見送ってから、自分のアパートへと歩き始めました。
広い県道沿いの道の歩道は、誰ひとりとして歩いていませんでした。浜松近郊とはいえ、浜松周辺自体が、基本的に電車やバスよりも自動車が交通手段としてメインなのです。こんな夜中に、一人寂しく歩いている僕は、端から見たら奇異に映っているかもしれません。街灯も少なく、時折乗用車やトラックの通り過ぎる音が途切れると、風が、渇いた草木を優しくサワサワと揺する音だけが耳をくすぐっていました。
何となく、僕は今夜の出来事が現実ではないような気がして、それでも確実に現実であることも実感して、ついさっきまでの、トオルと過ごした時間の事ばかり考えていました。こんな出会いもあるんだ、と、まるで嘘のような現実に、頭がボオッとしている感じでした。それでも、何か物足りないのです。もっと自分が話したいこと、聞きたいこと、たくさん話せばよかったな、と、僕は今更後悔したりしていました。
僕は、ふぅぅー、と一つ息を吐きながら、ふと立ち止まり空を見上げました。真っ暗な空に輝く星を眺めながら、何となく初めて二丁目に出た時の事を思い出していました。
「そういえば、月が笑ってたっけ。」
僕はそう呟いて、ひときわ大きく輝く月に視線を向けました。何番目の月なのでしょうか。今夜の月は、弦を外側に広げた、レモンのような形をしていました。
「今日は、・・・ボケっとした半開きの口って感じかな。」
何となくおかしくなって、へへ、と笑った後、僕は視線を前に戻し、また歩き始めました。
温暖な気候の浜松近郊とはいえども、さすがに初冬の夜中の気温はぐっと下がるようです。
「ちょっと寒いなぁ・・・早く帰ろう。」
僕は気持ち歩くスピードを速めました。
そのうち、僕はふとある「音」がしてきたことに気付きました。
草木がさざめく音の中に、最初はどこかリズミカルなタッ、タッ、タッという音が聞こえてきました。はじめは何の音だろうとしか思っていませんでしたが、その音はだんだん背後に近付いてくるようでした。
僕は少し怖くなってきて、歩くスピードをさらに速めました。その音は確実に僕の背後へと近付いてきていました。それでも僕は怖くて振り向けませんでした。
ヤバい、走ろう。そう思った時です。
「ハル!!」
聞き覚えのある声が、僕の名を呼びました。びっくりして振り向くと、そこには息をハアハア言わせてこちらへ走ってくる、さっき別れたはずのトオルの姿がありました。
僕は、破裂しそうにドキドキしていた胸をそっと撫でおろしました。ホッとしたのと同時に、何とも言えない思いが込み上げていました。
「・・・ビックリした。・・・トオル、どうしたの。そんな急いじゃって。」
僕は正直胸が熱くなっていたのです。もしかしたら、僕が感じていたように、トオルも今夜の出会いが終わるのが、なごり惜しく感じてくれているのではないかと思いました。それでも僕はなるべく平静を装って、普通にトオルに尋ねました。
トオルは、しばらく肩を上下させてハアハア白い息を吐いていましたが、少し落ち着くと、息切れ混じりに一言言いました。
「おまえ・・・歩くの早ぇなぁ・・・。酒飲んで走るの・・・キツイわ。」
僕は、苦しそうにしているトオルの表情がなんだかおかしくて、少し声に出して笑ってしまいました。
「・・・何、笑ってんだよっ!!・・・はぁ・・・。」
その言葉と表情がまたおかしくて、僕は笑い続けていました。
「落ち着けー。落ち着けー。」
僕はそう言いながら、トオルの前のめりになっている背中をさすりました。
何気なく、息が早く整うようにやった事でしたが、ダウンジャケット越しでも感じられるトオルのがっしりとした体つきの感触に気付いて、僕はどこか、自分がいやらしいような、胸が苦しいような、変な気持ちになっていました。そのくせ心のどこかでは、「そんなつもりでやってるんじゃないし」と言い訳をしていました。
やっと息の整ったトオルは、ゆっくり顔をあげて、体を伸ばしました。僕はそっと、その背中をさすっていた手のひらを離しました。
180センチある僕よりも、さらに高い187センチのトオルの長い腕が、黒い空に大きく伸びました。
「どうしたの?明日早いんだよね。用意とかしないの?」
僕はもう一度尋ねました。もう0時を回っています。朝早めの列車で帰ると、さっきの話で聞いていましたから、早めに帰って寝ないとキツいだろうと思ったのです。
トオルは、まだ体に酸素が行き届いていないかのように、どこかボオっとしながら白い息を吐いています。
「・・・なんだろな?・・・もったいなくてさ。」
やっとトオルが声を発しました。
「もったいない?・・・なんのこと?」
僕は、トオルも同じ気持ちでいてくれていたんだ、とその言葉を聞いて感じました。それなのに、どこか気づいていないかのような言葉を返してしまう僕でした。
僕、ずるいな。なんとなくわかってる、そして僕も同じこと感じてる。それはうれしいことなのに、相手からの言葉だけを待ってる。
トオルが口を開いて答えようとしました。
「・・・つーかさ・・・。」
「・・・僕も、同じだよ。・・・何か、今夜がこれで終わっちゃうのがもったいないな、寂しいな、って思いながら歩いてた。
せっかく今夜『また出会えた』のに、全然話し足りない。もっと話したかった。もっと僕の事を知ってほしいし、トオルの事知りたい。・・・3年半一緒にいたのに、知らないことがたくさんだもん。」
トオルが何か言おうとするのを遮って、僕は言いました。今まで、僕は相手からの言葉ばかり待ってきたような気がします。自分の気持ちをつたえる事をおろそかにしてきたのかもしれません。
でも、今夜は自分から伝えたいと思ったのです。
トオルは、少しポカンとした顔つきでしたが、すぐにいつもの笑顔を見せて言いました。
「・・・わかってんじゃん。・・・」
そして、そっと僕の頬に、その手のひらで優しく触れました。
トオルの肉厚な手のひらは、野球部時代の名残りなのでしょう。少し硬い皮膚で覆われていてゴツゴツしたものでした。
それでもその感触も温もりも、僕にとっては、今までで一番あたたかく感じられました。