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二度目の出会い-2

昼休みの食堂はいつものように混み合っていました。麺類、カレー、定食ごとに分かれたカウンターには長蛇の列がまだ続いていました。

もともとがそんなに広い食堂ではありません。その上、最近の増産のために外部の派遣会社から毎週のように人員が増員されていましたし、東南アジアの工場からの研修生が先月からこの工場に50名ほどやってきていました。二班に分けて休憩時間を30分ずらしたり、対策はしているものの、それでも昼食時の食堂は人でごったがえしていました。


相変わらず人ごみがあまり得意でない僕は、最近は食堂の横にある売店でパンを買い、喫煙所の中に備え付けてあるソファーに座って、一人食事をしていました。


しばらくすると、食堂側の入り口から、一人の男性、というよりはまだ20、21歳くらいの少年が食事を終えたらしく、確かめるように周りをきょろきょろ見回して、恐る恐るといった様子で喫煙所に入ってきました。

彼は、僕から少し離れた場所でタバコをどこか遠慮がちに吸い始めました。まだアイロンのきいた真新しい制服を着ています。今朝の朝礼で、新しく入ってきた3名の新人が紹介されました。座りながら時折彼の顔を眺めると、今朝紹介されて同じ部署に配属された人だと気付きました。

防塵服を着ていると、更衣室で一緒にならない限りなかなか同じ部署の人の顔が覚えられません。それも時とともに解決はするのですが、僕も最初の頃は、それで落ち込んだり苦労したことを思い出していました。未だに新人さんの顔と名前はなかなか一致しないことが多いのです。


僕は、おもむろに立ち上がり、タバコを吸っている彼のそばに近づきました。ポケットから自分のタバコを取り出し、ライターで火を点けました。こっちに来てから、僕はタバコを吸い始めていました。


「今日から入った人だよね?仕事、どうですか?」

軽く一息吐きだしてから、僕は彼に声をかけました。彼は、少し驚いたような顔でこっちを向きましたが、ちょっとほっとしてくれたような表情で、笑顔で答えました。

「あ、三階のユニット部の方ですか?スイマセン。気づかなくて・・・。」

「ううん。防塵服着てるから、誰が誰だか外じゃなかなかわからないでしょ。僕も最初はそうだったから。僕、同じユニットの内田です。ヨロシク。席も同じ島の反対側だと思うけど。」

「あ、自分は中村です。ヨロシクお願いします。」

「中村さんは地元の人ですか?」

「いえ、自分は鹿児島です。地元じゃなかなか仕事が無くて・・・。内田さんは地元の方ですか?」

「ううん。僕は東京から。」

「えぇー。東京だったらいくらでも仕事ありそうじゃないですか。」

僕らはそんな会話のやり取りをしていました。もうこっちにきてから3年半が過ぎていました。その間、何度こんな会話を新人さんと交わしてきたでしょう。派遣で働きに来ている人のほとんどは他県から来ていました。慣れた故郷を離れて、初めての土地、初めての職場で、心細い気持ちは僕も経験しただけによくわかります。最初のうちは自分だけで精いっぱいだった僕でしたが、だいぶ慣れてきてからは、新人さんが入ってきたらなるべく話しかけてみるようにしていました。


「内田さんはおいくつですか?」

「僕?もう24。中村さんは?」

「自分は25です。へぇ、内田さん、20くらいかと思った。」

「僕も中村さん20,21くらいかと思ったよ。」

そんな話をしながら僕らは少し笑いました。



僕もいつの間にか24歳になっていました。

「ミレニアム」と称される、2000年を目前にした1999年の初冬を迎えていました。誰かが言っていた「大予言」による世界の滅亡は起こるはずもなく、東京よりは過ごしやすい冬をこれから迎えようとしていました。


「浜松」といっても、正確には東海道線で愛知寄りに5駅ほどいった静岡県の西の果ての市に「HDK株式会社浜名湖工場」はありました。自転車で10分程走れば通勤できる場所に、僕が所属する「ネクスト」という派遣会社が借り上げのアパート寮を用意してくれました。会社と寮の途中にはいくつかのショッピングセンターもあり、買い物に困るということもありませんでした。あえていえば、自炊をほとんどしてこなかった僕にとって、朝、夜と食事を用意しなくてはならなかったことが大変と言えば大変でしたが、初めての一人暮らしもこの頃ではかなり快適なものになってきていました。


「買い物とかもまあまあ便利だよ。東京に比べたらナンだけど、別に困ったりしないしね。大きな買い物だったら浜松に出ればなんでもあるしね。」

僕は新人の中村さんに、工場周辺や、浜松の案内をするかのような話をしていました。中村さんはニコニコしながら、その少年のような瞳を輝かせていました。僕はそれを見て、あぁ、この人もいろんな気持ちを抱えてきっとここに来たんだろうな、僕も来たばかりの頃はこんな風に瞳を輝かせていたんだろうか、と考えていました。


キンコン、カーンコン。

予鈴のチャイムが鳴りました。ここでは、防塵服に着替える時間があるため、あらかじめ休憩終了の10分前に予鈴が鳴らされます。

「これ、12時50分の予鈴。一応休憩は13時までだけど、着替えの時間もあるからこれが鳴ったら戻る方がいいかもね。最初のうちは着替えも時間かかるだろうし、ギリギリだと更衣室メチャクチャ混むからね。」僕は中村さんにそう言いました。

「あ、はい。ありがとうございます。」

「じゃ、行きますか。」

そう言って、僕と中村さんは食堂棟を出て、工場棟に向かって歩き始めました。

雲ひとつない晴れた青空は、東京で見るそれとはどこか違って、より青く、より広く感じられます。並んで歩きながら、僕はいつまでこの道でこの景色を見ながら歩き続けるんだろうな、などと漠然と考えていました。



職場では、手順と要領にさえ慣れてしまえば、順調すぎるほど順調に仕事を覚えていきました。細かい部品を顕微鏡を覗きながら接着したり、溶接したり、手先の繊細さが非常に必要な仕事でしたが、僕には合っていたのかもしれません。


人間関係にしても、いろんな地方から働きに来ている派遣社員が多いだけに、あまり地方独特の粘っこさみたいなものも感じず、それなりに仲良くやっていました。かなり年上のパートのおばさんたちにも、息子のような感覚なのか、割と可愛がってもらっていましたし、隣の席で仕事をしているトオルも新潟出身で、僕と同期で同じ歳ということもあり、親しくなっていきました。


トオルとはじめて会ったのは「ネクスト」の浜松支社でした。当日赴任の人はまず支社に集合してから工場へ向かうスケジュールになっていたのです。

赴任するにあたって、事務所でいくつかの書類を記入する必要があり、書き込んでいたのですが、ふと隣のトオルが僕の書類を覗き込んだのです。


「内田さん・・っつーんですか。おれも内田。内田徹。ヨロシクな。」

と言って、トオルは自分の書類を僕に見せました。そこには大きな飛び跳ねそうな文字で「内田 徹」と記入されていました。


僕は、何となく話しかけられてうれしくて、

「あ、本当だ。夫婦みたいだね。内田春彦です。こちらこそヨロシク。」

などと、少し素っ頓狂な事を口走ってしまったのです。

トオルは少しの沈黙ののち、

「・・・普通兄弟とか家族みたいって言わねえ・・・?笑える。」

と大笑いし始めました。少し僕は赤くなってしまい、

「あ、そうか。」と一緒に笑ってしまいました。

トオルとはそれからの仲ですが、未だにたまに「夫婦」ネタで笑われます。それでも、ノンケに冗談でからかわれるのは決して不愉快ではありませんでしたし、楽しんでいました。



もしかして、少年時代にからかわれたのも、もしかして相手は冗談のつもりでしかなかったのかもしれないな、と最近感じ始めています。少なくとも今の自分ならそれを気にすることもないような気がします。言葉をどうとらえて、どう受け止めるかは、自分の心次第なのかもしれません。自分がそこで泣けば「いじめ」にもなるし、そこで笑えば「笑い話」になるのです。



それなりに「大人」になったということなのだと思います。体にしても、華奢だった僕は成長の速度が他人より遅かったのでしょうか、21歳直前に浜松へ来たその後くらいから、少しずつ骨格などが大きくなり始めました。もともと身長は180センチあったのですが、華奢だったころは「マッチ棒」のようだったのが、最近はやっと釣り合いのとれた肩幅になってきたような気がします。少なくとも僕の見かけを見ただけで「オカマ」みたいだとからかわれることはなくなったように感じていました。


体型だけではなく、世の中で生きていくには、「必要なウソ」も普通につけるようになっていました。たとえば会社では、僕は「東京に彼女がいて、とても大事に思っている、浮気もしない彼女一筋の男」ということになっていましたし、女性の話題になってもある程度は合わせられるようになりました。周りはほとんど年上ですし、それなりに大人なだけあって、高校時代のように女性の話題ばかりしていることもないのが大きいのかもしれませんが。


浜松で「普通」に暮らしている分には、何も問題なく過ごせていました。少しずつですが、貯金もしていました。いつか東京に帰る日のためにと思い、始めた貯金は100万を少し超えていました。

帰ることを決めて、それなりに行動すればすぐにでも東京に帰ることが出来る額ではありますが、僕は今のところはまだ具体的には考えていませんでした。今の職場にはそれなりに満足していましたし、収入や生活も安定していました。順調に働いて行けばもっと貯金も増えるでしょう。浜松や、職場付近の環境にも慣れて愛着も湧いていました。今の生活に満足していたのです。・・・たったひとつの事をのぞけば。



この3年半、たまに東京に帰った際にJACKへ行く以外は、いわゆる「ゲイ活動」は全くしていませんでした。

両親が亡くなってから、しばらく感じていた「罪悪感」はすでになくなっていました。あの頃クニオが言ってくれたように、両親があの夜亡くなったのは不幸な突然の事故でしたし、飲みに行くことで「罪悪感」をいつまでも感じることは、JACKや、クニオの存在を否定してしまうことのような気がしたのです。自分にとって大事な場所をひとつ失くした今、同じく大事な場所である、JACKやクニオのことも、より大事にしなくてはいけないと考えていました。

それでも、行けるのは3か月に一度くらいでした。浜松から東京は新幹線で二時間の距離がありますし、交通費も片道で8000円ぐらいかかります。気軽に行ける距離でも金額でもありませんでした。


順調な浜松での生活、それでもたまにはイヤな出来事も起きますし、工場は完全週休二日制でしたから、いつもと同じ週末の休日には少し食傷気味でした。浜松へ出かけたり豊橋へ出かけたり、たまには名古屋まで足を伸ばしたりもしたのですが、日中に一人で行ける場所にも限りがありました。

たまにはゲイであるありのままの自分で、思い切り誰かと会話がしたい時があるのですが、東京へそのつど帰るわけにもいかず、かといってクニオとPHSで話すにも、通話料を気にすると、なかなかしょっちゅうかけるというわけにはいきませんでした。


結局、近場にも、気軽に行ける「ゲイスナック」が欲しくなってきたのです。

思えば、両親が亡くなった頃も、二丁目での「ゲイライフ」に多少マンネリを感じていました。新しい出会いが欲しい、胸をときめかせたい、恋がしたい、そんな事ばかり感じていました。そんな矢先に両親の事故が起きてしまい、しばらくはそんな気持ちが存在していたことも忘れていました。

浜松に来たことで、形は少し違えども、「新しい出会い」も「胸がドキドキ」も経験したわけです。その上慣れない土地での初めて尽くしだった訳ですから、本当に落ち着いてきたといえるのはここ1年くらいかもしれません。


「恋がしたい」

この1年間ずっと考えていました。例えば職場での片思いでも「恋」は「恋」なのでしょう。でも僕がしたいのはそういう「恋」ではありませんでした。やはり、僕にとって「かなう見込みのある恋」は職場にはないのです。僕は「かなう見込みのある恋」をしたかったのです。それにはやはり、ゲイが集まる場所、ゲイスナックに行かなければ出会いすらないなと思いました。


両親を亡くした直後ぐらいには、後悔とともに「くだらない」と感じた気持ちでした。それでも僕はその時の気持ちは忘れずにおこうと思いました。人が人を求めるのは寂しいからで、決してくだらないことではないはずです。くだらなかったのは、そればかりになっていた自分自身で、多少大人になった今の自分なら、そればかりになるということはないと思っていました。


などと、なんだかんだ自己肯定を続け、僕は浜松で数件あるゲイスナックへ飲みに行くことにしたのです。東京に比べて絶対的人数も少ないでしょうし、また二丁目のような町があるわけでもないのですが、駅の並びに不釣り合いなほどに高くそびえるアクトタワーからほど近い場所にその店はありました。一階がコンビニのビルの二階がその店のようです。僕は裏道に回り、店に入る階段を発見すると、いったんコンビニに入りコーヒーを買い、入口の灰皿付近で飲みながらタバコをふかしていました。


「相変わらずの、意味のない時間潰し、僕も変わんないなぁ。」


小さな声で呟きながら、僕は少し笑っていました。


そして、2本目のタバコを吸い終わると、僕は迷わずさっき下見しておいた階段へと、まっすぐ歩いていきました



店の名は「DUB」と言いました。どこか入口のドアからして「洗練」された雰囲気で、ドアの向こうからは「ダンスミュージック」が重低音を響かせながら流れていました。ドアには「ダンスイベント」を告知する、センスのいいデザインのフライヤーが何枚か貼られていました。


なんとなくJACKとは違う雰囲気で、JACKのような店に慣れている僕はほんの少しドアを開けるのをためらいましたが、

「行って合わなければ行かなければいいんだし。」

と、どこか覚悟を決めて、そのドアノブに手をかけました。JACKに初めて行った時の記憶が一瞬頭をよぎりました。


「いらっしゃいませー。」

ドアを開くと、まるで出口を求めていたかのように、大音量のダンスミュージックが僕をめがけて流れてきたような感覚に襲われました。わりと広めな店内は、カウンターが10席ほど、ボックス席が3卓ほど、それとダンスフロアというのでしょうか、10人位が踊れそうなスペースが、ブラックライトに照らされてぽっかりと空いていました。イベントのある日はこのスペースも踊り好きなゲイたちで埋まるのでしょうか。


「どうぞ、こちらの席にー。」

カウンターの中の若い店員が、カウンターの空いている席へ手のひらを向けました。僕は店員に軽く会釈をして、その席へと足を進めました。



その時でした。



「おい、おい、おいーっ!!」



いきなりカウンターの左はじの方から、BGMの大音量にも負けないくらいの大声が聞こえました。僕はびっくりして席に座れないままその方向を向きました。


びっくりしたのは、僕だけではありませんでした。カウンターに座っていた5、6人の他のお客さんも僕と同じようにその大声を発した人の方を向いていました。


他のお客さんの斜め45度の後頭部が並んだ先に、一人だけ、目を大きく見開いてこっちを、正確にいえば、僕の顔をまっすぐ見つめている顔がありました。さっきの大声の主でした。


うすくらいカウンターの、その先にあるその顔が誰のものなのか、やっと目が慣れて気づいた時、今度は僕が瞳を大きく見開いていました。


その顔は、僕を見つめながら、次第に「いつも通りの」いたずら小僧のような表情に戻って行きました。「彼」は、おもむろに席から立ち上がって、僕の方へ近づいてきました。見なれた表情、見なれた歩き方、見なれた存在でした。


僕の中では「こんな場所」で会うことのない存在なはず、でした。


「ハル、・・・いつか会うだろうと思ってたよ。」

そう言って「トオル」は、僕に笑顔を向けました。

しばらく僕は何も言えず、ただうるさいダンスミュージックだけが頭の中を回転していました。




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