908 こいつ、乗れるぞ!?
力を隠す狙いがあったのかどうかは分からないけれど、悪霊の移動と攻撃の速度に大きな違いがあったのは事実だ。
「のっぺらぼう状態で表情が読めないっていうのは結構厄介なものだわね……」
偶然だったのか意図したものだったのかを見抜くことができずに、誰に聞かせるでもなく思わず毒づいてしまう。
前者であれば基本的に全力で障害――ここではボクたちのことだね――を排除するために動くだけだろうけれど、後者の場合はわざと力を加減する、あえて力を抜くことで動きをけん制したり翻弄したりするかもしれないのだ。
で、こちらはそういうことにも気を配らないといけなくなる。これって余裕があるときならともかく、場の緊迫化が進んでいくごとに難易度が跳ね上がっていくのだよね。特にギリギリの状況ともなるとそんなことは頭からすっ飛んでしまう訳で……。
ちなみに我が麗しの従姉妹様こと里っちゃんは、かなり修羅場な事態におちいっても別案件のことをしっかりと覚えていたりする。これをさらっとやれてしまうところが天才と凡人の違いだと思うよ。
まあ、並列思考だのマルチタスクだのといったファンタジーで未来感あふれる超人的な能力に比べればまだ実現可能かな?とも思わなくもないけれどさ。
なお、この能力を鍛える方法があるのかと先生に伺ってみたところ、
「何かを考えながら普段の生活を送ることかな。あ、内容は特に問わないから。漫画やアニメの続きのことでもいいし、ゲームの攻略方法でもいいよ」
とのことだった。え?上手くいったのか?
……常に思考を続けられるのも一つの才能なのだと気付かされる結果になったよ。
さて、そろそろ話を悪霊との戦いに戻そうか。敵の攻撃は相変わらず鋭いが、腕を引いたり振り上げたりといった予備動作が付随することもあって、決して対応できないほどのものではなくなっていた。
しかし、万事こちらの思い通りの有利に進んでいた訳ではなかった。こちら側では一番防御の能力も技術も高いはずのミルファが、その実力を発揮しきれていなかったのだ。
「くっ!やはり受け流すには荷が勝ちすぎていますわ!」
ぶおん!と風切り音を響かせた横なぎの一撃をしゃがむことで回避する彼女。ゴージャスな縦巻きロールな髪が風圧で激しく乱されていた。
ミルファの防御方法は左手に持つ短剣で敵の攻撃をいなしたりさばいたりするものだから、重量系の攻撃や大質量の攻撃とは相性が悪かったのだった。まあ、某漫画のように銃弾の軌道すら逸らすことができるくらいの達人の領域に至れれば、また話は違ってくるかもしれないけれどね。現段階ではそこまでの技量はなかった。
それでも大半の攻撃を躱した直後にカウンターを入れているのはさすがの一言に尽きるね。ヘイトを稼いで悪霊の意識を正面側のこちらに向けるという役割は、最低限果たしていたのだから。
対して、そうした攻撃に強いのが盾で受け止める動作に秀でているリーヴだ。これはボクの采配ミスだね。うちの子たちとひとくくりにして、背面からの攻撃役を任せてしまったのが失敗だった。とはいえ、もう動き出してしまっているのだ。今は悪霊の動きを制御しきれずにエッ君たちが攻撃されてしまった時のために保険を掛けることができた、とでも考えておくことにしようか。
さて、ミニマップによればもうすぐ敵の背後にうちの子たちが回り込めそうだ。エッ君も一人だけ突出するようなこともなくみんなと一緒に移動できているようで偉いぞ。小さいことながらも成長が実感できて嬉しいね。
それではそんな良い子たちのために、マスターのボクも頑張るとしましょうか。
「ネイト、ミルファの強化と回復に集中していいから」
「リュカリュカは前に出ないのですか?」
それなりに順調ではあれど、このままミルファ一人に囮役を任せるのは厳しいと思ったのだろう。ネイトは疑問を投げ絵掛けてくる。
「もちろん前線で頑張るよ。ただ視界の外れというか意識の隅っこの方でチョロチョロするつもりなだけ」
のっぺらぼうだから分かり難かったが、こいつにもちゃんと感知できる範囲というものが存在していた。その範囲に出入りを繰り返すことで注意を引いたり、逆に不意打ちに近い形で攻撃を与えようというのがボクの狙いだ。
最初の攻撃を避けて以降積極的に戦闘に参加していなかったのは、一歩下がった所から悪霊の動きや反応を探るためでもあったのです。
「それじゃあ、さっそくやりますか。【ピアス】!」
攻撃のため腕が伸び切った瞬間を見計らって一気に敵の懐へと潜り込む。そのまま巨大な目前の的に向かって龍爪剣斧の長い穂先を繰り出す。肉体をなくした死霊がベースのためなのか、碌な抵抗もなく鍔元近くまで刃が潜り込んでいく。
異様な感触に気を取られそうになったが、それこそ敵のテリトリー内だと思い出して顔をしかめつつ急いで引き抜き距離を取る。
「攻撃しても感触がないのでやり辛いですわ!」
「ダメージは通っているんだからそれで良しとしなさい!」
似たような感想を持っていたらしいミルファの文句に返事をして、彼女の背後に入るようにして攻撃範囲から離脱していく。幸いにもHPゲージはしっかり減少していたから、あとは繰り返していくだけだ。
もっとも、それが一番難しいのだけれどね。単純な動きだと作業になってしまい集中力が途切れがちになってしまうからだ。だけど反対に手順が複雑だったり難易度が高かったりすると、そもそも繰り返すのが難しくなってしまうという……。
でも、泣き言ばかり言ってはいられない。正面からの圧が弱まれば悪霊はきっと背面からの攻撃に対処しようと動くだろう。それはつまりうちの子たちを危険にさらすということになる。
「それはちょっと許容できないかな!」
邪魔な虫を潰すかのように床にたたきつけられる掌をかわすと、腕を伝うようにしてその上を駆けていく。目指すはのっぺりとした頭部だ。その途中で「霊って一体?」と根源的な疑問が浮かぶが、すぐに今さらのことだとかき消す。
「人間辞めちゃった時点であなたたちの出番はもう終わってしまってるんだ。いつまでもしつこく舞台にしがみついていないで、さっさと退場してちょうだい」
斧刃を叩き付けようとした刹那、のっぺらぼうの向こうに驚愕する表情が見えた気がした。