888 思考は迷走する
スラットさんの話によれば、『天空都市』が浮かんでいられるのは中枢の『空の玉座』があるからだったよね。それなら、そこだけけちょんけちょんに破壊すれば機能停止に持ち込めるかもしれない。
「まあ、「死霊の群れをどうするんだー?」とか「ウィスシー並みの大きさの都市をどこに降ろすんだー」とかクリアしなくちゃいけない問題はいっぱいありそうなんだけどさ」
死霊退治も厄介ではあるのだけれど、難問という点では後者の方がはるかに上となる。それというのも、当時は何でもない当たり前な技術でも現在ではロストでオーバーなテクノロジーだったりするためだ。
つまりですね、下手に人里に近い場所に降ろしたりすると、そんな超技術を巡って争いになってしまうかもしれないのですよ。いや、間違いなくなると思う。
大国はもちろん一発逆転を狙って『風卿エリア』の都市国家も参戦することになるだろうから、『三国戦争』を超える大陸全土を巻き込んだ戦いになってしまうだろう。
「他にも、『天空都市』を独占できた国がその技術を用いて第二の『大陸統一国家』を築こうと戦争を仕掛けて回る、なんて展開もありそうかな」
「……日々の暮らしを豊かにする平和的な利用法に終始するとは考えないのかい?」
「それが理想でしょうけど、無理でしょうね」
「言い切るね」
言いきりますとも。理知的な人が見方を変えれば腹黒であるように、不良キャラは雨の中で捨て猫を拾わすにはいられないように、綺麗なところと汚いところ、両方持っているのが人間だもの。
え?例えがおかしい?……あれ?
とにもかくにも、
「仮に、『天空都市』を独占できた人もしくは団体の全てが平和的な利用法にだけ利用しようとしていても、いずれは情報が洩れて戦渦に見舞われると思います」
憧憬と羨望は表裏一体だ。そして水が高い所から低い所へと向かうように、人の心もダークサイドへと堕ちやすい。
身近な話だと、里っちゃんに憧れて妬んで潰れかけてしまった子は一人や二人じゃない。ボク自身、彼女に対して黒い感情を抱いたことがないとは言えない。まあ、嫌いになれた試しなんてないのだけれどさ。
少なくともそうした心の動きをもっとコントロールできるようにならなければ、『天空都市』は争いの種にしかならないだろう。
ある意味人類の進化かしら?新型?超人類?……途端に胡散臭くなった気がするのはなぜなのでせうか。
「ごめんね、ネイト。ボクから言いだしておいて何だけど、きれいさっぱり全部破壊しておく方が後の憂いがなくていい気がしてきたよ」
「残した『天空都市』を巡って争いになっては元も子もありませんし……。残念ですが仕方がありません」
そんな訳で色々迷走してしまったけれど、結局破壊するという方向で落ち着いたのだった。
ところが、
「話がまとまったところを蒸し返すようで悪いけど、巨大な『天空都市』を破壊しつくせる当てはあるのかい?」
「あ……」
スラットさんから冷静な突っ込みが入ったのだった。彼の話の通りであれば、彼の都市の面積はウィスシーとほぼ同じということになる。長い年月の間に湖岸が浸食されたという都合の良い解釈をしたとしても、せいぜいが一回り大きくなったくらいだろう。
さらに中心部には水龍さんが正体不明のヌシとして住み着いていた訳で、それができるだけの深さがあるということになる。
「例えば、ドカーンと墜落させる、のではダメですよねえ……」
「大きく破損することは間違いないけど、全壊には程遠いだろうね。運が悪ければ肝心要な『空の玉座』を含む中枢部分が丸々生き残る可能性だってある」
ついでに言うならスライムのような存在でもない限り生命体の生存は絶望的だが、現在そこに巣くっているのは肉体と理性をなくした死霊たちだ。意外でもなんでもなく、平然と存在し続けるかもしれない。
「連中は大陸の支配と同じくらい『天空都市』に執着しているから、その対象がなくなれば消滅する可能性はある」
当時の人々にとってあそこに住むことは権力の階段を上り詰めたことを意味していた。つまりは、分かりやすい成功の証のようなものだわね。
お空の上にあるという性質上、数に限りがあるのを上手く利用して、人々の功名心や虚栄心を操っていたらしい。
「だけどその予想が外れていたら死霊たちが大陸中に広がることになっちゃう。さすがにそれを試す度胸はないかな」
先の破壊しきれない可能性と合わせて、いくら何でもリスクが大き過ぎる。その答えに満足したようにスラットさんが小さく頷いている。……これは試されたのかな。
「ねえ、スラットさん。あなたは何が望みなの?」
「どういう意味かな?」
問い返してくる彼の表情には笑みが浮かんでいたけれど、その眼差しは怖気がするほど冷たくて鋭くて。いわゆる目は笑っていない状態だった。
「あなたは『天空都市』の人たち、死霊になった連中のことを嫌っていますよね。軽蔑していると言ってもいいかな。でも、その一方で秘術は受け入れて不老不死になってる。そして与えられた役目だからとこの場に居続けていた」
やっていることがどうにもちぐはぐに感じられてしまうのだ。
「あなたの望みは何?なにを考えてなにを追い求めているの?」
瞳の怜悧さは変わらず、気を抜いたら吸い込まれてしまいそうだ。もっとも、透明感あふれる綺麗なものではなく、どろりと濁って底が見えない沼のようだ。
なまじっか整っているお顔をしているから、精巧な人形かお面のようですごく怖いです。
「僕の望みか……。そんなことを考えたのはいつ以来だろうか」
ふっとボクから視線を外すと、スラットさんは誰に聞かせるでもなくそう呟いた。
「僕の言葉はずっと黙殺されるか嘲笑されるかのどちらかだったよ。かすかな伝手を辿ってようやく得た理解者と、珍しく真っ向からたしなめようとしてきた二人も、悪辣な罠にはめられてしまった」
ああ、あの時の「二人を解き放ってくれてありがとう」は、この人の本心からのものだったのだね。立場やら何やらは違っても、本音をさらけ出せる数少ない相手だったのだろう。
スラットさんがこの場に居続けたのは、彼らを看取るためだったのかもしれない。
「……そうか。僕はずっと、こうなるよりももっと前から終わりを迎えたかったのか」