74 あなたのお名前なんていうの?
この時のボクのミスを一つ挙げるとするならば、他人事のように彼らの様子を見続けていた、ということになるだろう。
カツうどんは料理長さんと女将さん、そしておじさんへの嫌がらせのためにあの場にいた五人の騎士さんたちしか食べていなかったので、どんな反応をするのか見てみたいと思ってしまったのが敗因です。
あ、エッ君とリーヴは別枠ね。ボクと一緒に買い食いを続けたことで、すっかりと舌が肥えてしまったようなのだ。
というか舌あるの?それ以前にどうやって食べてるの?うちの子たちに関しては謎ばっかりが増えていっているような気がする……。
ちなみに、食べ物から必要なエネルギーを摂取しているのか、二人とも特に魔石を始めとした魔力が籠ったものはほとんど必要としなくなっている、らしい。
あやふやな表現ばかりなのは、時々やけに魔石を欲しがることがあったからだ。ただ、あんまり美味しくはないようで、仕方なしに食べているといった雰囲気だ。
野生動物がミネラルを補給するために土ごと食べるようなものなのかもしれない。
そんなことを貴族のご夫婦らしきお二人を前に、そして騎士さんたち鎧姿の二人を背後にして考えていた。
……ええ、ええ!そうですとも!現実逃避ですけれども、何か!
逆切れというか八つ当たりもしたくなるってもんですよ!
どうして突然こんなことになってるのよ!?
逃げようにもエッ君は女性に抱かれてご満悦になっているし、リーヴの方も男性から鎧の意匠を誉められてまんざらでもなさそうだし!
「うちの子たちが篭絡されちゃうだなんて……」
「おいおい、人聞きの悪い言い方は止めてくれないかね」
そう言いながら苦笑する男性はとてもとても絵になる光景でした。このナイスミドルなおじさまに「さて、それではここに来たもう一つの用件を済ませるとしようか」と、ステキな笑顔で言われたのはほんの五分前のこと。
ただしその時のボクの感想は「怖っわ!」というものだった。
だって、表情に対して冷徹な眼差しを向けてきていたんだもの。思わずゾクリと震え上がってしまいましたとも!
「それでは自己紹介といこうか。私の名はヴェルヘルナーグ・レイン・クンビーラだ」
「ルルグ様の妻、カストリアです。キャシーとお呼びくださいな」
………………。
…………。
……。
はっ!?
想像もしていなかった人たちの登場に、思わす意識が飛んでしまっていたよ。
街の名前であるクンビーラと同じ性ということから、まず間違いなく支配者の一族に連なる人ということになる。
さらにヴェルヘルナーグという男性のお名前は、街中で何度か耳にする機会があった。
……現公主様の名前として。
えー……、つまり、全くもって理解しがたいことですが、今ボクの目の前にいるお二方はクンビーラで最も偉いご夫婦ということになるようです。
「あの……、失礼かもしれませんが、一つだけ質問してもいいですか?」
「うむ。何かね?」
「ヴェルヘルナーグ様の愛称がルルグってどういうことですか?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
そして時が止まった。いや、ただ単にこの場にいた全員が唖然となっただけの話なんだけどね。カウンターで聞き耳を立てていた女将さんたちまで硬直するとは思ってもいなかったよ。
もしかして聞いちゃいけないことだったのだろうかと、嫌な汗が浮かんできたところで、
「ぷっ、ふ、はははははははは!!」
公主様が大笑いし始めた。
その大きな声にビクッとしながらも、隣の公主妃様も「うふふふふ」と可愛らしく笑っているのが見えて、ようやく安堵することができた。
「ああ、愉快だ……。さすがはブラックドラゴンとも堂々と相対していたというだけのことはあるな」
いやいや、あの時は状況についていくのでいっぱいいっぱいだった、というだけのことですよ。
「あの<オールレンジ>の威圧をさらりと受け流していたという報告もあながち嘘ではなさそうだ」
いえ、それは嘘です。絡んできた人たちに向けられていた威圧の余波だけで膝から崩れそうになっていましたから。あれを直接ぶつけられていたら、まず間違いなく気絶してしまったと思う。
……どっちもゲームを開始したばかりのレベル一プレイヤーが遭遇するような内容じゃないよね。改めてとんでもない事態に巻き込まれていたんだと感じる。
ああ、平穏に生きたい。
「キャシー、この勇敢な少女に私の愛称の秘密を教えても構わないかな?」
「もちろんですわ。……ええと、リュカリュカさんとお呼びしてもよろしいのかしら?」
その時になってようやくボクは自分が名乗っていなかったことを思い出した。
「失礼しました。私はリュカリュカ・ミミル。リュカリュカと呼んでください。南にある小さな村から冒険者になるためにクンビーラにやってきました。ミミルというのは暮らしていた土地の古い呼び名だと言われています」
正確にはリアルの方の苗字である三峰のことだ。東西と南の方角に三つの山がきれいに見えるということで名付けられた三峰村に、ボクや里っちゃんのご先祖様が住んでいたのだそうだ。
「ふふふ。素敵なお名前ですね。きっと故郷に恥じない生き方をするという覚悟が込められたものなのでしょう」
いや、そこまで立派なものではないんじゃないかなー……。
と、困惑している一方で、ボクが褒められたと分かったのか、彼女の膝の上にいるエッ君が楽しそうにバタバタと足を動かしていた。そんな姿に夫人が柔らかな笑みを浮かべている。
うーん、こちらの方もやはり絵になります。
「キャシー」
「はいはい。分かっておりますわ。……ふう。殿方はせっかちでいけませんね」
にこりと笑いかけられましても……。
ボクの立場では「は、はあ……」と曖昧な答えを返すので精一杯だ。
「ルルグ様のお名前の秘密でしたわね。実は私とルルグ様は小さな頃から一緒に育った兄妹のような間柄だったのです。そして幼い私はヴェル様と上手く呼ぶことができませんでした。そこで私が言い易いものをと考えてくれたのがルルグという呼び方だったのです」
「いつの間にか家中にもこの呼び方が広がっていてな。それが定着してしまったという訳だ」
ポッと頬を赤らめる公主妃様。聞いてみればなんということはない、幼い頃の恥ずかしくも微笑ましいエピソードだったみたい。
「さて、場も和んだことだし、本題へと入らせてもらうとしようか」
それなら空気を張り詰め直すような真似はしないでくださいな、公主様。
再び硬さを取り戻し始めた気配に、ボクは小さくため息を吐いていた。