507 不帰?
「あの、先のことは今すぐ考えなくても良いのではありませんか。こう言っては何ですが、現状ではまだこの森から無事に脱出できる算段も付いていないことですし」
ネイトの指摘にそれもそうかと思い直す。あまり先のことばかりに目を向けていては、思わぬところで躓くにもなりかねない。
まずは直近の問題から一つずつ片付けていかないとね。
「この森から出たいなら、適当に歩き回るだけでいいぞ」
「は?」
「だから適当に歩いていれば森にかけられた魔法かなんかのせいで、森の外の方に誘導してくれるんだよ。まあ、おいらたちみたいな先導役が一緒なら別だけどさ」
さらりととんでもない重大情報を投下するお猿少年。それが本当であれば、ボクたちは悩む必要がなかったことについて頭を捻るという、無為な時間を過ごしてしまったことになるのですが?
いやいや。決してそうとは言い切れないよね。その時間があったからこそ彼とこうしてお話しすることができている訳だし、『土卿エリア』から『火卿エリア』へと飛ばされていたことを知ることだってできたのだから。
最悪の場合、何も知らないまま貴族たちの権力争いや土地の奪い合いに巻き込まれていたかもしれないのだから、一概に無駄だったと断じることはできない、はずじゃないかと思ってみたりなんかしたりして。
よし。自己弁護が完了したところで、気になった部分について尋ねてみることにする。
「ちょっと待って。つまりそれって、間違って森の中にさ迷いこんじゃった人なんかも、いつの間にか森の外に出られるってことにならない?」
「うん。あんたの言う通りだよ」
「『不帰の森』なんて名前なのに?」
「…………」
あ、無言のまま眼を逸らした。
「不帰というよりはむしろ『入れずの森』?百歩譲っても『迷いの森』くらいが妥当じゃないかな」
「ああ!そういえば表層部分はともかく、奥には入ることができないため『聖域』扱いされている森が『火卿帝国』内にあるという話を聞いたことがあります!」
ポンと手を叩きながらネイトが知識を披露してくれる。名前が異なるのは内側から見たものか、外側から見たものかという視点や立場の違いからくるものだろう。
時折狼耳をピクピクさせながら記憶を掘り起こした内容をまとめると、『聖域』は『火卿帝国』国土の中央からやや南西寄りの場所にある広大な大森林なのだそうだ。
「『風卿地域』にある都市国家であれば、街どころかその支配地域全てがすっぽりと入るだけの大きさがあると聞きました。周囲を一回りするだけでも十日は掛かると言われています」
いくら『フレイムタン』が広大な国土を持つ大国だと言っても、それだけ巨大な森が一つの領内に収まるはずもなく。むしろ手出しができない場所をなんて負債にしかならないということもあって、当然のように複数の領にまたがるような形で存在しているらしい。
「そうした立地条件のため、『三国戦争』以後は他領への侵攻の足掛かりにしようとあちらこちらから何度も軍が派遣されたのですが、いずれも森の奥地へは侵入することができずに失敗に終わったそうです」
不可侵の『聖域』だという噂が本格的に広がり始めたのも、この頃からなのだとか。
「これだけの大森林なら、周囲の水源にもなっているだろうし、他にも様々な恩恵を与えているはずだよ。焼き払うだとか切り拓くだとかしようとする領主たちが居なくて良かったね」
「歴史を紐解けば、そうした短慮な者たちが居た可能性は否定できませんわよ。欲に駆られると、人間何をしでかすか分かったものではありませんもの。外の大陸の事例を含めると、似たような展開で領土や国土をダメにしたおバカさんは相当な数に上るとされていますわね」
楽観的に考えていたボクにミルファが釘を刺してくる。今までが大丈夫だったからといって、これからもそうだという保証はない、と言いたいらしい。
小国とはいえ領主の血筋だから、しっかりとそういう勉強を施されてきたのだろう。
それにしても彼女らしくない随分と遠回しな言い方だったね。話題の流心となっているこの森に住んでいる――と思われる――お猿少年に気を遣ったのかもしれない。
「うーん……。森から抜け出す方法は分かったけど、これはもう少し詳しく状況を知っておかないと、足をすくわれる危険がありそうね」
今のボクたちが置かれている現状を一言で例えるなら、真っ暗闇の中で崖っぷちギリギリを歩かされているようなものだ。
明かりを灯すことができれば一番良いのだろうけれど、恐らくは松明やランプに該当するような詳しい情報を得るためには、森から出る必要があると思われます。が、その行為こそが足場のない崖に向かって一歩踏み出す行為そのものかもしれない訳でして。
「ふむ……。ここは一つ事情を知っているだろう君に色々と聞いてしまうのが手っ取り早いと思うんだけど、そこのところどうなの?」
「お、おいらが!?」
「そう、お猿少年、君です。君にこそ白羽の矢が立てられてしまったのです!」
いきなり話題を振られると考えてはいなかったのか、お猿少年はすっかり狼狽してしまっていた。
ボクたち仲間内での情報整理をしていたことで、油断をしていたようだね。ダメだよ、どんなに話題に興味がなかったり理解が及ばないことだったりしても、会議の場に出ている以上は知らん顔なんてできないのだから。
ええ、ええ。リアルでもいたのですよ。大人子ども問わず、役割を押し付けられてしまったからなのか、渋々の嫌々会議に参加しているという人がね。
話しを戻すと、彼からはそれほど多くの情報を聞き出すことはできないと思っている。
仲間のことだとか森のことだとか、部外者に話すことができないこともあるだろうし、何より『聖域』とか『不帰の森』なんて言われている場所に住んでいる人が情報通だとはとても思えませんので。
先ほどの例えで言うならば、どちらの方に地面が続いているのか、を確認できれば御の字だろうと予想していた。
「……おいらが知っていることを話す代わりに、調べて欲しいことがあるんだ」
だから、少し悩む様子を見せた後に彼の口から飛び出してきた言葉に、ボクは少なからず驚くことになってしまうのだった。




