483 いきなりの依頼
廊下から聞こえてきた二つの声は険悪とまではいかなくとも、固い調子であることには違いなかった。少なくとも仲の良い友達同士の会話ではないね。
お取込み中のようだし、出直した方がいいかしら?
などと考えている間に背後の扉が開いた。
わーお。各教室に二つずつある扉の内、見事にボクたちが居る方から入ってくるとは。
「あら?三峰さん?」
「あ、どうもお邪魔してます」
妙なタイミングで鉢合わせしてしまったこともあって、お互いに歯切れの悪い挨拶になってしまった。
「え?三峰?」
河上先輩の台詞に反応して、その背後から顔を出したのはどこかで見かけたことがある女の子だった。深緑のリボンを付けているから二年生だね。
余談ですが、ボクたちの学校では男子はネクタイ、女子はリボンの色で学年が分かるようになっている。
ボクたち一年は臙脂で、二年が深緑、三年が紺色という具合です。
話を戻しまして。一応名前を呼ばれたのでそちらにも軽く会釈をしてから河上先輩へと向き直る。
「えっと、前からお招きされていたので図々しくも遊びに来ました。……んですけど、日を改めましょうか?」
訪ねる日時をしっかりと決めていた訳ではないので、先輩の方に予定があったり急用が入ったりしているのであれば、そちらを優先してもらうしかない。
まあ、できることなら上級生の教室は勘弁してもらいたいところだけれどね。
「気にしないで。それに元々は三峰さんに会うつもりだったから、全くもって問題なしよ」
と、河上先輩はにこやかにおっしゃった訳ですが、その背後で彼女に付いて来ていた二年生女子さんは目を丸くして驚いていました。
効果音を付けるなら『ガビーン!?』かな。
「ちょ、ちょっと先輩!私の話はまだ終わっていませんよ!というか、三峰さんを説得するのを手伝ってください!」
「だからそれは断ったでしょう」
苛立ちを隠すことなく振り返りざまに言い切る先輩。そんな様子を見てボクは少し意外に感じていた。
それというのも河上先輩は基本的に、困っている人には親身になるという印象を持っていたからだ。
もちろん、何でもかんでも安請け合いをするほどお人好しという訳ではないけれど、彼女がここまで嫌がっている姿を見たのは初めてのことだった、気がする。
……うん、大丈夫。ちゃんと分っておりますとも。
先輩に持ちかけられている面倒事は、どうやらボクに関わりのあることのようです。説得とか何とか言っていたから、ボクに何かをやらせようということかな?
二年生の先輩が一年生のボクに?あくまでもただの勘だけれど、すっごく碌でもないことのような気がするなあ……。
本音を言うと、とてもとても無視したいです。
でも、既に名前を呼ばれてしまっているのだよね……。
しかも現時点で河上先輩に迷惑が掛かってしまっているようであるし、その上周りの目もある。これを見なかったことにするのはちょっと無理そうだわ。
「あの、私に何か御用でしょうか?」
仕方なしに呼びかけてみると、件のお人は満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「そうなのよ。こちらの事情に関心を持ってくれたようで嬉しいな」
いやいや関心も何も、肝心の事情自体まだ聞かされていないのですが?
そんなこちらの疑問など意に介さず彼女の話は続く。
「知っているだろうけれど、一応は自己紹介をしないといけないかな。私は二年の田端真弓。先日の学生集会の際に選ばれた、今期の学生会会長よ」
ああ、なるほど。道理でどこかで見たことがあると感じた訳だ。
その集会にはボクもちゃんと一学生として出席しており、選挙の方もしっかりと参加したからね。もっとも、ボクが投票したのは彼女の対抗馬だった二年の先輩だったのだけれど。
それはさておき、そんな学生会長さんがボクに何の用があるのだろうか?
学生会役員はそれこそ先の選挙で全員決定されていたはず。
「学生会に勧誘する訳ではないから安心してちょうだい。もちろん、参加してくれるのであれば歓迎はするからね」
「いいえ。どんな活動にも参加するつもりはありませんので」
ゆるゆると首を横に振るも、あらかじめこちらの答えを予想していたのか田端会長は小さく肩をすくめてみせるだけだった。
「残念。まあ、心変わりをした時にはいつでも言ってね。歓迎するから」
続く言葉にも「はあ」と曖昧に返事をしておく。
どうにもこの会長さん、強引にというかマイペースで物事を進めてしまう気質があるようなので。彼女にとっても上級生の部屋であるはずなのに、臆した気配がないことからもそんな性質が伺えるというものだよ。
例え悪い人ではなくても、下手に答えて言質を取られることがないようにしておく方が良さそうです。
「さて、本題なのだけど、実は学生会では今度の文化祭で演劇をすることを予定しているの」
以前にも述べたことがあったと思うけれど、うちの学校の学生会の任期は十月から始まり翌年の九月までとなる。つまり文化祭は新規の学生会が発足して初めての大きな学校行事なのだ。
そのため普通であれば問題が発生しないように、予定通りに全行程を終えることができるように全力を尽くすことになる、といったところだろうね。
しかし、です。この辺りうちの学校は少々特殊でして。
文化祭に限っては前学生会時に作られた『文化祭実行委員会』が中心となって開催されるということになっているのです。
もちろん学生会が学生自治のトップ組織ということには変わりはないため、新規学生会のメンバーもトラブル発生に備えて見回りを行うとか、学生会室に詰めておくとかはしなくてはいけない。
それでも完全に運営にかかりきりとなって、身動きが取れないなどということはなく、学生会も何かしらの出し物を行うことが通例になっているということだった。
そして、田端会長率いる今期の学生会は、演劇を披露するということにしたらしい。
「三峰さんにはその劇の主役を務めてもらいたいのよ」
「はい?」
お互いに顔くらいは知っていたものの、直接の面識はなかった。
そんなボクに劇の主役を依頼する?
……なかなかにぶっ飛んだ思考の持ち主なのかも。
「どうして私に?」
「私が感じたイメージなのだけど、三峰さんがその役にぴったりだと思ったからね」
これがその役よ、と言いながら携帯端末を操作する会長。
そして画面の表示を見た瞬間、ボクは頬が引きつるどころかそのまま硬直してしまっていた。
なぜならそこには、『テイマーちゃんの冒険日記』の文字が並んでいたのだから。




