242 八月某日
店員さんの声と共に冷やされた空気に出迎えられてホッと一つ小さく息を吐く。分かっていたことだけど八月の外気温はとんでもなく高く、いっそ殺人的とすら言えるほどだった。
まだ午前九時を回ったばかりという時間のはずなのに、三十度の大台を軽く突破しているように思う。ここに来るまでの道中、直射日光とアスファルトからの照り返しというツープラトンな猛攻に何度敗北してしまいそうになったことか!
自転車での移動だったので敗北してしまうと割と本気で危険なことになるところだったよ……。
店員さんに後から人が来ることを伝えて四人掛けのテーブル席へと案内してもらう。
コストパフォーマンス抜群なLサイズのアイスティーを注文し、店員さんがいなくなったところで出されていたお冷を一気飲みする。
乙女の可憐さなど真夏の脱水症状の前では風の前の塵に等しいのですよ。
ようやく人心地着いたところでのんびりと店内を見回す余裕ができてきた。全国規模のチェーン店ながら相変わらず小洒落た内装だ。
席の数に対してお客さんの割合はおよそ四分の一といったところかな。開店してからそれほど経っていない時間であることを考えると、それなりの人の入りようだと思う。
記憶力に自信があるなら覚えている人もいるかもしれない。二カ月半ほど前に里っちゃんから『OAW』にも使用できる最新型のフルダイブ用ヘッドギアを譲ってもらったあの喫茶店なのだ。
つまりある意味リュカリュカの始まりの場所ともいえる重要ポイントだったりするのだよね。
そんな店内は、お勧めメニューのポップなどがすっかり夏仕様へと変わっていた。
「おまたせー……」
ちうちうとストローでアイスティーを飲みながらまったり――ぐったり?――している間に、約束の十五分前となっていたようだ。
気が付けば向かいの席にあの日と同じく従姉妹である三峰里香ちゃんが座っていた。到着した順番は逆になっていたけれどね。
「おはよう、里っちゃん。とりあえず先に注文をどうぞ」
ボクの言葉に「ありがとう」と返しながら、近付いてきたウェイトレスのお姉さんにLLサイズのアイスティー――なぬ!?そんな裏メニューがあったとは!?――を注文する里っちゃん。
そして店員の姿が見えなくなるや否や、置かれていたお冷を一気飲みする。
ああ、うん。間違いなくボクと彼女には同じ三峰の血が流れているよね……。
「はふう……。ようやく生き返ったわ」
思わず「おっさんか!」と突っ込みたくなる里っちゃんの言動だが、確実にブーメランになってボク自身に返ってきそうなので自重する。
「昨日の今日だけど平気だった?」
昨日の公式イベントに引き続き、今日も一緒に行動するということに不信感を持たれていないか気になったようだ。
当のうちの両親はというと、リアルで里っちゃんに会うと言った瞬間に許可を出すほどの里っちゃん信者だから何の問題もなかったりします。
「今日は図書館で勉強だって言ってあるから大丈夫だよ。というか、お昼からは本当にその予定だし」
本当に命の危険さえ感じてしまうくらいの暑さとなっているため、基本的にはお家の自室で夏休みの課題や勉強に励んでいるボクだったけれど、資料を探したり問題集を購入したりと、そちら方面で外に出なくてはいけないことも多少はあるのだ。
ああ、もちろん雪っちゃんたちクラスメイトや友達とも遊びに行く予定は入っていますよ。
どちらかといえば学校が違ってしまった里っちゃんの方が、予定を合わせるのが難しくなってしまっていた。そういうこともあって、今日はリアルで彼女と顔を合わせる絶好の機会ともなったのだった。
「後、ついでで悪いんだけど詰まっている問題の解き方を教えて欲しいんだよね」
隣の席に置いたお勉強道具一式の入った鞄を持ち上げて見せる。
「それくらいなら連絡をくれればいつでも教えてあげるのに」
と、ちょっぴり拗ねたような表情になる里っちゃん。どうやら中学時代に比べてボクの態度がよそよそしくなったとでも思ったご様子。
まあ、あの頃に比べると進学先の学校も異なってしまったから、接触する時間や機会自体が激減しているのは確かだ。
彼女から勉強を教わること自体は今さらのことなので恥ずかしいとも何とも思わないのだけど、学生会に入って忙しくしているという話を聞いて、ついつい連絡を控えてしまったというのもまた事実だった。
「ごめんね。忙しいのかと思って気を遣い過ぎちゃった。これからは頻繁にメールとかで連絡を入れるようにするから」
だから機嫌を直して。いつまでもそんな可愛い顔をされていたら、思わずお持ち帰りしたくなっちゃうよ。「絶対だよ!」と念を押してくる里っちゃんに「はいはい」と生返事ながら同意をするボクなのだった。
「それにしても、昨日と一昨日は驚かされたわ」
「驚いていたのはボクも同じなのだけどね」
二人してストローでちうちうアイスティーを飲みながら本題に入る。
たった二日ながらされど二日で、随分と密度の濃い時間を過ごしたと思う。ゲームの中の虚構の空間での出来事ではあったが、現在のリアルのボクたちに大きな影響を与えていることからも、それは間違いのないことだった。
「結局最後は有耶無耶になっちゃってたね」
そう。リュカリュカとユーカリが戦ったエキシビジョンバトルの特別戦は、二人の所属チームが入れ替わっていたことや、〔不完全ブレス〕によって、ほぼ一人で隠しボスを倒したことになってしまったこと等から、引き分けにするのが妥当という結果となってしまったのだ。
普通なら納得がいかないと多くのプレイヤーから異議が唱えられるところだろうが、なんとボクたち二人を除いた各チームの獲得ポイントが偶然にも同じだったことで一気に沈静化してしまったのだった。
まあ、極一部は「運営の陰謀だー!」と相も変わらず良く分からない理屈をこねこねしていたが、証拠となる試合中の出来事は全て動画として残され公開されているし、なおかつ有志のプレイヤーたちによって得点計算が行われた結果、間違いなく同点であることが判明してからは一転して大人しくならざるを得なくなったもようです。
「そうだね。でも下手にバッチリと結果が出るよりかは良かったのかもしれないよ。昨日以降は『笑顔』と『OAW』の対立は下火になっているようだから、運営の判断は間違っていなかったんじゃないかなって思う」
「確かに、あのまま対立が続いていたらギスギスした関係どころの騒ぎじゃなかったかもしれないもんね」
アウラロウラさんを含めて両ゲームの運営が一番危惧していたのが、それを起点にして発生するかもしれない展開だった。