239 保険適用
さしもの隠しボスも、お腹に大きな穴が開いてしまっては戦闘もできなかったそうだ。
それどころかまともに歩くことすらできず、転倒、崩壊、ジ・エンドとなってしまったらしい。
ところで、なぜ断定ではないのかというと、その光景を一切見ていなかったからだ。
「さっきのでMPを使い果たしちゃってるんでしょ。無理せずにさっさと負けを認めちゃいなよ」
「冗談!そっちこそ一人ダウンして低下した戦力で私に勝てるつもりなの」
命中したことを確認した直後から、ボクとユーカリちゃんは舌戦アンドにらみ合いを再開していた。
後から冷静に考えてみると「何をやっているんだ……」という話だ。
なにせお互いが指摘していた通り、ユーカリちゃんもエッ君も大技の使用でMPが空っぽ近くになっていた。
加えて、『不完全』なためなのかエッ君の方はHPまで激減しており、とてもではないが戦闘を続けられるような状態ではなかったのだ。そのため、すぐにでも休ませてあげるべきだったのだが、この時のボクは――とユーカリちゃんも――頭に血が上ったままだったため、そんなことすらも気が付けずにいたのだった。
「リュカリュカ、そしてそちらの方も。そこまでです」
そんなボクたちの間に割って入ってきた声が一つ。
「あれ?」
「いない?」
一体誰がと思い声のした方向へと二人して顔を向けてみるも姿は見えず?
「……こちらです」
若干苛立った口調に慌てて角度を下方修正してみると、いつの間にかリーネイがボクたちの足元近くにまでやって来ていたのだった。
「あ、あははー。他意はなかったんだよ。ほら、ネイトの時と同じ角度で見てしまっていたというかなんというかごめんなさい!」
「謝った!?」
ユーカリちゃん、余計な突っ込みはしないで!
普段大人しい人ほど怒ると怖いという例にもれず、リーネイが――もちろんネイトも!――本気で怒るとシャレにならないんだから!
「思うところはあるでしょうが、この辺りで幕引きにしませんか。このまま周りの様子も見えずにいるのはお互いにとってよろしくないことになると思います」
「ちょ、ちょっと待ってよ!こんな中途半端な――」
「わたくしもリーネイに賛成でしてよ」
「チーミルまで!?」
さらにリーヴまでもが二人に同調するかのように頷き、手にしていた剣を鞘へと仕舞いこんでいた。
「リュカリュカ、自分がムキになって視野狭窄になっていることには薄々でも気が付いているのでしょう。だっていつものあなたなら、なにを置いても一番にあれだけ頑張ったエッ君を労って、そして休むように勧めているはずですから」
正気に返るっていうのは、まさにこういう時のことを言うのだろう。リーネイの言葉に一瞬で思考がクリアになっていくような気がした。
そして慌てて先の功労者の姿を探して、エッ君が座り込んでいるのを見つけた瞬間、今度はあっという間に血の気が引いていくように感じられた。
氷水を浴びせられたどころではない。その入れ物であるバケツごと力一杯ぶつけられたような気分だった。
「エッ君!」
急いで彼のもとに駆け付けてそっと抱きしめる。しかし当の本人は急激なHPの低下もあってか、疲れ切っているような緩慢な動きで微かにすり寄ってくるだけだった。
「ごめんね。あんなに頑張ってくれたのに放ったらかしにしちゃって……」
アイテムボックスから回復薬を取り出して使用することで、HPの方は回復させることができたが動作の方は変わりがない。
どうやら特殊な状態異常となっているもよう。ステータス画面を開いてみると予想通り『疲労状態』となっており、〔鑑定〕技能を使用してみると「時間経過のみで回復する」と表示されたのだった。
ともかく休ませる必要があるようだ。本当はこのまま抱っこしていてあげたいところなのだが、ユーカリちゃんとは停戦状態になったものの、ここが戦いの場であることに違いはない。
実際、ボクたちの様子を固唾をのんで見守っている物好きな何人かを除いて、フィールド上のあちこちで戦いが再開されていた。
そのため、心配だったけれど『ファーム』の中で休養してもらうことにしたのだった。
「はあ……。ゴメン、『コアラちゃん』。申し訳ないけどこれ以上は戦えそうにないや」
一連の行動を黙って見守ってくれていたユーカリちゃんに戦闘終了の意思を伝える。
「気にしないで。私も目を覚まさせられた方の人間だから」
確かに巨大ロボが出現する前後辺りは、ボクに乗せられてかなりヒートアップしていたものね。彼女があそこまで感情をむき出しにしたのは、かなり久しぶりであるような気がする。
「そう言ってもらえるとありがたいよ。……それにしても、やっちゃったなあ」
「やっちゃったわね」
苦笑しながら視線を交わすボクたち。きっと傍から見れば鏡に映ったかのようにそっくり同じ表情をしていることだろう。
「あ、リーネイとチーミルも止めてくれてありがとう」
あのまま突っ走ってしまっていれば、「想いをぶつけ合う」のではなく「感情のままに傷つけあう」ことになってしまっていたかもしれない。
そうなっていれば最悪、お互いに愛想を尽かして縁を切ることになった可能性もある。そんな不幸な未来が訪れなくて良かったと、今は心の底からそう思うよ。
「いいえ。私たちは頼まれていたことを果たしたまでですから」
「その通りですわ。……まあ、まさか本当にリュカリュカが危惧していたことが起きるとは思ってもみませんでしたが」
「あはは……。ボクとしてもあくまで保険のつもりでしかなかったんだけどね」
使用されなければ一番良かったのだが、やっぱりボクもユーカリちゃんも人生経験はまだまだなミドルティーンの小娘に過ぎなかったということだね。
一度感情の奔流に流され始めてしまうと、立ち止まることなんてできやしなかった。
「危惧したこと?保険?」
そんなボクたちの会話に気がかりな点があったらしく、ユーカリちゃんが可愛らしくコテンと首を傾げながら口にしていた。
「あー……、ほら、昨日の今日だからさ。もしかするとさっきみたいに気持ちが暴走することがあるかもしれないと思って、いざという時はリーネイたちに止めてもらえるようにお願いしておいたんだよ」
こう改めて口にすると、予測していたのに回避できなかったと突きつけられるようで、凹むものがあるなあ……。
「はあ……。そういうところが、あなたには本当に敵わないと思わされるのよ」
そう呟いたユーカリちゃんの顔には、一言では言い表せないような様々な感情が渦巻いているように見えた。