07
誰かがアサカのいる方を見ていた。
汗が滲み出る真夏の夜のように、じっとりとした湿り気を含んだ視線で、どこからかアサカの方向を観察している。同時に、ぐちゃぐちゃと何かを咀嚼している音がずっと聞こえていた。
アサカは気持ち悪さを覚えたが、そこから動くことができないでいた。その視線の主はアサカを探していることは間違いなく、そして、その視線の主に見つかってはいけないとどくどくとした鼓動がアサカに教えていたのだ。
はやく、はやく過ぎ去って欲しい。その一心でアサカはきつく瞳を閉じて耐えていた。
「…ヒ…ヒ…ニオう…アマぁイアマァい果実…ニオうニオウニオぅ」
まるで耳をなめられるようなに湿った声がへばりついてくる。ごとりぐちゃりとよく分からないものが落ちる音とともに、それが、
ーーー近づいてくる
身体中の体毛がぞわりと逆立ち、ここにいてはいけないと今にも駆け出そうと体を促している。咀嚼音も少しずつ大きくなっている。
ーー誰か
「ーー大丈夫だ。あれはもう、此方には来れない。」
発狂しそうなアサカの肩を誰かがそっと抱き寄せた。その手が触れただけで、アサカは泣きそうになった。
「遅くなってすまなかった。結界のかけ直しに行っていたんだが、まさかお前のすぐ近くにほつれがあるとは気がつかなかった。」
声のする方を見ても顔ははっきりとは見えなかったが、触れられた手は先程まで感じていた気持ち悪さを消してしまうほど暖かいものだった。ずっと続いていた咀嚼音も声も今はほとんど聞こえない。
「あれは匂いに寄ってくる。明日からカノエに香を焚いてもらうといい。」
「…ぁ、の」
アサカは彼になにか言わなくてはと思ったが、喉の奥で塞き止められて思ったように声が出せなかった。彼はアサカの肩から手を離すと、今度はアサカの頭に手をのせた。
「怖かったのだろう。無理はしなくて良い。」
顔がはっきりと見えなくても、彼が笑ったのが伝わってくる。見えなくても、アサカはその笑顔を知っているような気がした。そして、彼の手が離れていくことに胸が締め付けられるようだった。もう少し、と。
「朝には屋敷に戻る。その時にゆっくりと話そう。」