03
アンジェの婚約者の遣いが現れたのは、アンジェが買い物をすませた帰路のことだった。彼はアンジェを見とめると、深く一礼をした。それはとても洗礼されたものだったが、どこか焦りのある所作だった。
「アンジェさま、お迎えに上がりました。」
だれ、とはアンジェは言わなかった。そして、急に静かになった町のようすに、このまま連れていかれるのだと理解した。
だから、お別れをと言ったのに。
あの泣いて謝る父の様子から、おそらく普通の人ではないと予想していたから、お互いに心の整理をつけた方が良いと思って言ったのに。安心しろなんて、待ってろなんて言葉は、アンジェの心を余計に痛めるものでしかない。少なからず、期待をしてしまったのだから。
「参りましょう」
「…家族にお別れをさせては貰えませんか。」
そう進言すれば、彼は顔を歪めた。
「本来であれば当然、そのような時間を差し上げたいのですが、こちらの都合で今すぐに来ていただかなくてはならないのです。」
彼は申し訳なさそうにもう一度頭を垂れた。
「必ず、必ずまたご家族とお会いできる時間を作ります。どうか、どうか今すぐに共にお越しください。主と私どもが必ずお守りいたします。」
それは懇願だった。
アンジェの想像ではいかにも偉そうにやって来て、恩着せがましく連れていかれるのかと思っていた。しかし、彼は助けを求めるようにアンジェに頭を下げたのだ。
そして、父がアンジェに告げていない何かがあるようだった。それならば、きっと父はアンジェが帰ってこない日がくることも分かっているだろう。
アンジェは暫し目を閉じてから、手に持っていたカゴを路地の端に置き、ポケットから小包を取り出してカゴに入れた。替わりに小さなナイフを取り出した。
不思議だったのだ。いつもは持たせない刃物を婚約を決めたと言われた時から持ち歩かせていたことが。
運が良ければ家族の元に届けてもらえるだろう。そして運が良ければ、彼が見つけてくれるだろう。
もう一度、はアンジェとロランには訪れないかもしれない。あったとしても、今の立場で会うことはないのだろう。
けれど、心の中だとしても、まだ別れの言葉を紡ぐことはできなかった。せめてあと少しだけ、1日だけでも待っていたかった。
「…行きましょう。」
遣いの彼を振り返ると、彼はもう一度深く頭を下げた。