02
待つこと数分、少し落ち着きを取り戻したロランは、懐から小包を取り出した。
「とりあえず、これ。お土産な。」
ロランがくれた小包は淡いピンクのリボンで飾り付けられていた。きれいに結ばれたリボンを解いてみると、香ばしい匂いとともに可愛らしい焼き菓子が顔を出して食欲をそそる。アンジェはお礼を言って、リボンを結び直した小包をポケットにしまった。
「それじゃ、用事を思い出したから今日は帰るわ。」
「あ、ロラン。」
踵を返して走り出そうとするロランをアンジェは呼び止めた。
「その、会うのは今日が最後かもしれないでしょ。だから、お別れを言っておきたいの。」
今までは、また今度会ったときにと思えたけれど、アンジェは明日にでも婚約者の元に連れて行かれるかもしれない。だから、会うのはこれで最後だろうと思ってのことだった。しかし、振り返ったロランの眉間には深い皺ができていた。
「必要ないよ、…誰にもやるつもりはないんだから。」
「…え?」
「とにかく安心して待ってなよ。アンジェ。」
今度はアンジェが呼び止める間もなく、ロランは人混みに紛れていった。
その場に置き去りにされる形となったアンジェは、呼び止めるために伸ばした手を自分の体に引き寄せる。
「…何を、安心しろっていうのよ。」
傍にいてくれなくては、安心なんてできるわけもない。だからといって、傍にいてと言えるほどアンジェとロランの関係は確かなものではないのだ。
ロランは出掛けた先に時折現れる猫のようなものだ。
彼は平民の身なりをしていて、その服はアンジェたち平民と同じような生地ではあった。しかし、耳に光る赤い宝石や腰につけている短剣は、とてもアンジェたちの手の届く品物ではない。くだけた口調で話していても、ふざけていても、些細な仕草はどこか品があり、きちんとした教育を受けているのが分かる。
初めて出会ったのは彼が道に迷っていた時だったろうか。今日と同じようにアンジェが夕飯の買い物に出ていたとき、この路地でロランに話しかけられた。
その時の彼は、今よりも硬い話し方で、いかにも貴族のお忍びでという様子だった。あの時はこんなにも長く縁が続くと思っていなかったから、当たり障りないことを話していたように思う。
一度きりだと思っていたけれど、ロランはその後、時折アンジェの前に現れては町の案内を頼んできた。
初めのうちは、好きな花だとか食べ物だとか色を聞かれても、平民がどんなものを好むのか知りたいんだなとしか思わなかったし、市場や町のそとに行こうと誘われても、視察か何かだと思って、若いのに偉いなあと思っていた。
ロランにとって、アンジェは国の9割を占める平民の1人だろうと思っていたのだ。
けれど、彼はいつからか、不意にアンジェの髪に触れてきたり、人混みでアンジェの手を取るようになっていた。どういうつもりなんだろうと聞きたくても、聞いたらロランがアンジェに会いに来てくれなくなる気がして、ずるずると今まで時間が経ってしまった。
ただの戯れだろうと思っても、胸が苦しい。もう少し言葉があったなら、あるいはアンジェに聞く勇気があったなら、何か違っていたかもしれない。
これ以上会っても、自分が苦しくなるだけだろうと思っていたところに今回の婚約者の話がやってきたのだ。正直、アンジェはあの話を聞いてホッとしていた。
なのに。
「……買い物、してこなくちゃ。」
アンジェは瞼をしばらく閉じた後、人混みに紛れていった。