01
絵本で読んでもらったお姫様は、物語の終わりには素敵な王子さまと幸せになった。私にもいつか王子さまが現れるかと母に聞いたなら、母は少し悲しそうに微笑んでいた。
幼いアンジェはそれを肯定だと思っていた。
それから、段々と年を取るに連れて世間の色々なことを知りながら、どうやら自分には王子さまは訪れないらしいと知っていった。そう、お姫様のような素敵な恋どころか、普通の恋さえできないのだと知ったのは14の夏、顔も知らない10も歳上の人の婚約者になったと父から聞かされた時だった。
その日、死にそうな顔で帰ってきた父は、本当に申し訳ないという顔で、アンジェに何度も何度も謝っていた。
どうやら、父は押しつけられた借金を支払うためにアンジェを金持ちに嫁にやることになったらしい。もしかしたら、家族四人の命を盾に取られたのかもしれない。もしかしたら、であるけれど。
しかし、可笑しなことにその日からのアンジェの生活はなにひとつ変わらなかった。
これでも翌日には婚約者の所に引きずられて行くのだとばかり思っていたけれど、普通に朝食を済ませ、普通に家事をこなし、普通に昼食を食べている。
夕食も済ませて、ああ、今日は1日心構えをさせる日で明日こそは連れていかれると思って寝てみたが、次の日も普通に過ぎていった。
それが三日も過ぎれば、流石に父に問いかけてみたところ、
「そういえば、何もおっしゃっていなかった。」
と呑気な答えが返ってきた。
ああ、だから貴方は色々と騙されてしまうんですよ、お父様。そんな状態でよく娘にお使いを頼めますね。拐われたらどうするんですか、一人で文句を言いながら商店街への路を歩いていると、頭上から声をかけられた。
「よう、アンジェ。相変わらずお姫様を夢見てんの?」
「そうよ、ロラン。だけど残念、私、王子さまじゃない婚約者ができたの。」
「それは残念………え、こんやく?……は?!」
ロランと呼ばれた主の明らかに動揺した声を聞いて、アンジェは一歩後ろに下がった。すると音もなく、一人の少年が地面に降りてくる。ほとんど姿を見せない彼にしては珍しく衝撃的な報せだったらしい。彼は、アンジェの両腕を掴むと信じられないと言うように体を揺すった。
「俺のいない間に何でそんなことになってんの!?親父さん、何したの!?」
「落ち、着いてよ、ロラン。」
「アンジェはどうして落ち着いてんの!というか、相手は誰!?」
「ええ、と…」
誰だっただろうか、体を揺らされているのも手伝って上手く思い出せない。そして、ロランのこんなにも慌てた様子にアンジェは友だち想いなのだなと心のなかで感謝していた。
「だ…?ランス……?」
「ランスロット伯爵、クランスミル男爵、マティランスエア伯爵、どれ?!」
彼は貴族マニアのようでこの国の貴族の名前や性格を細かく覚えているようだった。けれど、あげられた名前にピンと来るものはなかった。
「…そんな名前じゃなかったような…うん、ランスだった。」
「そんな名前の貴族なんていな……」
ロランの顔が固まる。どうやら思い至ったらしい。そして、それが彼にとっては良いものではなかったようで、まさか、だとか、ありえないとか地面を見ながら呟いている。やがて彼はアンジェに聞こえないくらいの声で呟いた。
「まさか、…兄さん…?」