柒 終わり良ければ
「久しぶりに人が来たね。のんびりしていってよ」
出せるモノは水しかないけど、と彼女は言う。
初めて見る場所。それでも、どこか懐かしく感じる。村と呼ぶには家が少ない。「場所」としか表せない空間。夏を象徴するような快晴だが、日本の夏にある蒸し暑さはない。涼しげな風が僕に掴みかかってくる。逃がさないぞ、とでも言いたげに。
「駅名標に書いてある通り、ここはようえん駅。太陽の陽に、終焉の焉で陽焉ね。で…どっから来たの、君」
錆びた駅名標に書かれている駅名は「よ」の文字が掠れていて読めない。いつも乗っている電車で寝過ごしたまでは良いが、電車は全く知らない駅に着いていた。車掌はいつの間にか消えていて、廃駅のような駅舎にギターを持った彼女がいるだけだ。彼女はギターを慣れた手つきで弾いている。現実離れもここまで重なってしまうと、意外に冷静になる。よく見ると駅名標には、前の駅名も書いていない。
「あー…ここ、どこの路線からでも来られるから。まあ、ゆっくり話すよ」
彼女はパイプ椅子を出して、僕に座るよう促す。
「ここは、人生を諦めた人が来る場所。要するに死にたい人が来るってことね。見ての通り何もないけど」
強いて言えば「何もない」があると言う。そんな空間にこれほどの魅力を感じてしまうのは、それだけ僕が死を願っているのだろうか。
「夏休みが終わって学校が始まる、9月1日。学生の自殺率が一番高い日だって。この場所にいる人は、その日に死ぬ。跡形もなく消え去る。夏の終わりと共に、自分の人生に終止符が打たれる」
つまり何も残らない自殺か。自宅で首吊りや人身事故を起こすよりは、よほど良い自殺方法だ。
「戻ることも出来るよ。毎週金曜日の昼過ぎに、一本の電車が来る。それに乗れば元の路線に戻れる。大体そんな感じ…ごめん。別に私は駅員とかじゃなくて、ただこの紙に書いてあっただけ。久々の人だから話したかったんだ」
そう言って、彼女はデザイン性の欠片もない紙を渡す。そこには、今説明されたことが堅苦しい箇条書きで書いてある。フォントにも手書きにも見える、不思議な字だ。
「私は、君と同じ側の人間。ここに来た時も、誰一人いなかった。結構いろんな人が来たんだよ。若い人が多かったかな。みんな怖くなって、次の金曜日に帰っていった。ホントは良い事なのに、私は悲しかった。結局、最後まで一人なんだって」
最後まで一人。その言葉は、僕の心を締めつける。
「というか、さっきから何も喋らないのはなんで?」
言葉に詰まる。あまりにも非現実的な状況を、あまりにもすんなり受け入れている自分がいる。急に、僕という人間が分からなくなった。何を話せば良いか出てこない。
ただ、一つだけ言葉が浮かんでいる。それを拾うか捨てるか、しばし考える。考える僕を、彼女は不思議そうに見ている。
「…何してんの、君」
その言葉が、僕の頭に浮かんでいた「言葉」を捕まえる。いや、その言葉が捕まえたというよりは、彼女自身が捕まえたと言った方が正しい。
「一つ質問だが…君は、戻る気はあるのかい」
拾った言葉を転がす土台を作る。戻る気があったらこんなに長くいないと、彼女は笑いながら言う。
「僕も、戻らないよ」
どうせ今のままだとロクな人生を送れない。夢も目標もやり残したことも山ほどある。それを叶えても、僕は幸せを掴めない。
「へえ…あんまり信用していないよ、私。理由でもあるの?」
「君が好きになったから、僕はここにいる」
思ったより、すんなり言えた。
彼女は面食らった顔をしていたが、すぐに頬を緩ませた。
「そういう変にカッコつけた台詞言う奴、嫌いじゃないよ」
初めての告白は、好感触だったらしい。
「この場所の案内と、弾き語りを聴かせてほしいな」
圏外と表示されたスマートフォンを、近くの側溝に投げ捨てる。生の誘惑は、早いうちに摘んでおいた方が良い。
「この場所は、最低限のモノ以外ないよ。案内終わり。じゃ、弾き語りね」
愛用のギターを弾いて歌い始める。人に聴いてもらいたい一人ぼっちと、人と交流したい一人ぼっちで、小さな道を歩く。
夏の終わり。もし君と二人で向こうの世界に戻れば、幸せになれたのかな。
けれど、後悔はしていない。僕は、人生で最高の時間を過ごせたから。