伍 時計
この部屋には、とんでもない量の時計がある。
とある童謡に出てきそうな古時計。対照的に、空間に時刻を映し出す最先端の技術を使用した時計。よくある形の目覚まし時計。湿度や方位等がわかる多機能な時計。
この部屋を見た人はおそらく「ここに住んでいた人は、きっとすごい時計コレクターか、新しい時計を作る研究者だ」と言うだろう。そりゃ、普通はそう考える。
彼は、時計を集めていたわけではない。自然と時計が集まってしまったのだ。部屋には時計の他にベッドもあって、寝室としても利用できる。そして、この部屋にある多種多様な時計達は、大きな古時計を除いて、全てにアラーム機能が備わっている。
彼は、単に朝起きるのが物凄く苦手だった。アラームが三つ四つ程度じゃビクともしない。仕方がないので、毎日朝7時に全ての時計のアラームが鳴るようにした。最初は十個ほどあれば起きられたが、そのうち身体が慣れてしまった。時計を増やして、起きられなくなって、また時計を増やして。もはや一種の麻薬だ。折角だからと、まだ自分が持っていない時計を買ってきた。
僕は、7時をお知らせできない。方位はわからないし、湿度は計れないし、鳩も飼っていない。ただ、規則通りに長針と短針を動かすだけだ。
初めてこの部屋に来た時は、僕と彼しかいなかった。そのうち色々増えてきたけど、彼は変わらず僕を壁際のど真ん中に置き続けた。朝目覚めたら、まず僕を見た。短針が7を指しているのを、満足げに眺めていた。
「お前にしか出来ないことがある」と言われた。僕は時を刻むことしか出来なくて、それくらいどの時計も出来る。正直、何を言っているのかわからなかった。
そして、彼は死に際にこうも言った。
「こいつら、宜しく頼む」と。
彼が死んでも、時計達は7時にそれぞれの音を鳴らして、7時1分に止まった。また明日が来て、もう目覚めない主人のために7時に鳴らし、7時1分に止まった。暫くして、電池式の目覚まし時計の針が動かなくなった。
7時に音を鳴らして、デジタル時計の数字が消えた。音を鳴らして、ソーラー時計はパネルが壊れた。ブロックをはめる時計は、肝心のはめる人がいないことにようやく気づいた。喋る時計は、声帯を失った。壁掛け時計が飼っていた鳩は死んだ。
何年経っただろう。僕の短針は今日も7時を指す。昨日まで鳴っていたあの時計は、静かなままだ。僕の長針が1を指しても2を指しても、動く様子はなかった。
孤独になった。他の時計は止まったが、僕は動いている。僕にしか出来ないことは、既にやっていたんだ。他の時計達が刻んでいたのは「彼の人生」だった。僕は、ただひたすらに、誰のものでもない時間だけを刻んだ。
短針が二周して、新しい朝を迎える。彼に託された役目を終えた。
いつも通り、針は7時を指す。僕は少しだけ、少しだけ休憩する。
死んだ時計が、光に染まっていく。