弐 最期を迎える僕は
僕が交通事故に遭ったのは、決してボタンのかけちがいではない。
それは、なるべくして起こったのだと思う。
「肉を強火で五時間焼き続けたら焦げる」とか。
「大規模な商店街で裸踊りしたら捕まる」とか。
「タンスの角に小指をぶつけると超痛い」とか。
そんな具合に。
昨日は夜遅くまで起きていたし、そろそろ仕事が忙しくなる時期で、多少は疲れていた。なんとなく急いでいて、交通量が少ないから、なんとなく人生初めての信号無視をしたら、丁度居眠り気味の車が僕を撥ね飛ばした。起こるべくして起こった。多分。
しょうがない。僕の人生は、あまりにも完璧すぎた。顔は整っていて頭もそれなりに良い。家族はみんな健康体で友達もたくさんいて、素晴らしい彼女もいて。良い大学に入り、良い就職先に入り。悪いことが起こる頃合いでもおかしくはない。
正直、めちゃくちゃ気合入れて頑張れば、生き延びることは出来そうだ。しかし、もしそれで生き延びたら、その後も今までのチート生活を続けられるのか。
このレベルの事故だと、まず何らかの後遺症は残る。顔の造形が変わるかもしれない。下半身が動かなくなるかもしれない。そうしたら、今の職は手放さなければいけない。「何でも出来る」と言われてきた僕は「これなら出来るかな」に変わる。今の彼女とは互いに結婚の話もしたが、それが無くなる…いや、最悪別れる可能性もある。
最高の人生とうってかわって、最悪の人生を歩んでしまう。「今まで幸せだったのに、突然不幸になった奴」ほど、弱い生き物はいない。不幸を知らない分、経験した時の苦しさが激しい。
それならキリも良いし、ここですぱっと死んでしまった方が良いのではないか。そうしたら僕の人生は、最初から最後まで幸せなまま終わる。スポーツ選手だって衰えながらグダグダ続けるより、活躍しきって引退する方がレジェンド感ある。別にレジェンドになりたいわけではないけど。
僕を呼ぶ人々の声が掠れていく。掠れたままでいい。その声を掴んだら、僕は不幸になってしまう気がした。家族や友達、彼女は悲しむだろう。でも、変わり果てた僕に幻滅はしない。僕としては、そっちの方が良い。
充分楽しんだし、もう死んでもいいか。
そういえば「人生どん底な奴を見て、自分の人生の良さを噛みしめたい」という、最高にゲスな願いを叶えていなかった…あの世で叶えられたらいいな。
そして、僕は抗うのをやめた。