美空と奈津
二話目はホラーです。昔書いた失敗作です笑
前後の作品とは全くつながりがないので、読まなくても大丈夫です。
「美空の日記、みっけ」
美空はケータイのメール画面を閉じた。ふーっと一つため息を吐く。
大学が夏休みになり、中学が一緒だった奈津が遊びに来ることになったのだ。
美空は都内の大学生で、古めのアパートの二階で一人暮らしをしている。
奈津は地元の新潟にまだいるのに、わざわざ美空がいるから遊びに来るという。
そんなに仲良かった?
と、そんな疑問を抱きつつ、美空は奈津の来たいというメールに、快く了承したのだった。
「遠いところお疲れ。何か冷たいもの飲む?」
美空は開口一番そう言った。久しぶりに会った友達に距離を感じさせたら、これから一日、気まずい空気になりかねない。だからまるで来たのが当たり前のような口調で言った。
「相変わらず美空は優しいなぁ。ママって呼んでいい?」
「えー、やよ。身長差考えなさいよ。麦茶は好き?」
「うん、苦しゅうない」
「ちょっと、なによそれ」
高校は一緒にならず、中学校以来始めて会ったが、改めて話してみると、奈津とは気が合いそうだった。昔はもっと無口だった気がするが、今はそうでもないようだ。
美空は小学五年生から背が伸びておらず、すらりとした奈津とは背が頭一つ違う。奈津は色白で、都会で見ると少し地味だが、それも含めてかっこよく見える。
美空の部屋は散らかっていたが、奈津が来ると言うので死に物狂いで片付けた。奈津を部屋に上げると、美空は少し開いていた押入れを慌てて閉めた。
「あはは、分かるわ、それ」
奈津は見透かしたように笑ってきた。美空はそれに苦笑いをする。
「見て見ないふりとかできない?」
奈津は美空のその言葉に声を立てて笑った。
奈津は東京見学に来たという訳でもないようで、夜までずっと昔話に花を咲かせた。
「ビッグサム覚えてる?」
「ああ、美術の先生ね。狭室先生でしょ?」
「そー。あれさ、皆で先生の似顔絵描いたよね。そのとき美空が描いたビッグサムの似顔絵覚えてる? 似てなさ過ぎるんだもん。ビッグサムが少しショック受けた顔だったわ」
「あー、あれね。私に絵を描かせるほうが悪いんじゃないの?」
美空は気遣い症で、大抵は奈津が気持ちよく話せるように聞き役に回った。奈津が言葉を途切れさせると、新しい話題を投げかけたり、質問をしたりして繋ぎを入れる。
別に自慢ではないが、美空はそういった気遣いが得意な方だった。奈津も気持ちよさそうに話をしている。
「林間学校は楽しかったよね。二人で肝試し行ったとき、美空ちょー怖がるんだもん。あれは笑えたわー」
「えー、私そんな怖がってない。誰かと間違えてるんじゃないの?」
もう六年も前の記憶なので大分曖昧だが、美空は肝試しがそこまで怖い気はしない。奈津のその発言には違和感を感じた。それともつまらない肝試しに気を遣って、怖がるふりをしていたのだろうか。
「それにごめん、奈津と行ったんだっけ?」
美空はおどけてそう訊いてみたが、実際に奈津と行ったか思い出せない。
美空の言葉に、奈津は体を強ばらせたように見えた。
「美空ひどいなぉ。忘れんぼだね」
奈津の声が、ふざけているようなのに震えて聞こえるのは気のせいだろうか?
悪いことを言ったかと思い、美空は誤魔化すことにした。
「まさか、冗談に決まってるじゃない。ちゃんと覚えてるよ」
驚いたのは、美空のその誤魔化しに、奈津が身を乗り出して食いついてきたことだ。
「良かった! 美空はあの時のこと覚えてるんだね。地元の子たちが、みんな肝試しのこと忘れたって言うの」
美空は少し戸惑った。ならやっぱり肝試し自体していないんじゃないか。奈津が勘違いをしているのかもしれない。
しかしあまりに奈津が切実なようなので、美空は何も言わずにただ驚いた表情だけして見せた。
「びっくりだよね。今まで五人に確かめたけど、誰も知らないなんて言うの。私頭が変になっちゃったかと思ったわ」
そうまで断定的に言われると、美空も自信が持てなくなってくる。美空が忘れているだけで、肝試しをしたのだろうか。美空は調子を合わせて言う。
「奈津は普通に決まってるじゃない。でも正直私も、どんな感じだったかは覚えてないな。奈津は覚えてる? 私本当に怖がってた?」
美空の質問に、奈津は不安そうな声で当時の事を語り始めた。
「林間学校の二日目の夜よ。あの時はお寺のお坊さんがやってる旅館に泊まったでしょ? お坊さんは、小柄でしわくちゃで、おでこに大きな腫れ物があったから、失礼なんだけど、あの時はすごい怖かった」
「それは覚えてる」
「うん。それでみんなでふざけて、夜に肝試しをしようってなったでしょ? 先生が寝ちゃってから、クラスの十四人で集まって、ペアになってお墓から柄杓を一本ずつ取って来ようって。お墓は旅館より少し山を登ったほうにあったわ。私たちのペアは最後になったの。覚えてる?」
「うーん、多分」
美空が答えると、奈津は遠い目をして、唄うように話し出した。それから先は、美空も奈津の話に食い入って、一言も話さなかった。何故なら、美空の頭の中に言い知れぬ不安がもたげ始めたからだ。何かを確かに、美空は確かに忘れているのだ。
「本当にあまり覚えてないんだ。
私たちの組は最後だった。一組目は十五分くらいで戻ってきた。二組目は十分ちょっと。みんな大体そのくらいだったと思う。全員がすごい怖かったって言うし、私たちの前の前の子達が泣きながら戻ってきたりしたから、最初は強がってたのに、だんだん美空も口数が少なくなってきたわ。それで最後、私たちの番。
まずは先生たちを起こさないようにしながら、旅館の廊下を進んだわ。
真っ暗で、昼間よりも数倍長く感じた。それだけでもう私は帰りたくなったわ。二人でいるのに息苦しい。だって美空、一言も喋らないんだもん。一歩一歩進む足音が、静かすぎて大きく響いてる気がした。
旅館のドア、昼間は気付かなかったけど、軋む音が大きくて、閉まる音が異様に固く感じた。
お墓まではそう遠くないけど、街灯なんて全くない山道を、懐中電灯だけで進んだわ。
足はなかなか前に出せないし、虫はたくさん寄ってくるし、足場がごろごろしてて何度も転びそうになるし、……
こんな所で転んだら最悪じゃないの。
私はあまりに何も喋らない美空にそう言ったけど、何も言ってくれない。それどころか、俯いたまま何も反応してくれない。
懐中電灯が照らす範囲は少なくて、その明かりの外から何かが飛び出てくるんじゃないか。今通り過ぎた茂みから、何かが忍び寄っては来ないだろうか。そう考えた。
お墓に着いて、いよいよ私の足は動かなくなったの。懐中電灯に照らされるお墓が、とても静かで、物音一つ立てられないと思った。その場でへたり込みそうになったんだけど、美空が背中を押してきた。
大丈夫、ここには骨しか埋まってないよ。
美空は励まそうとしてたんだろうけど、あれは逆効果だったと思う。
俯きながら背中を押してくる美空は、前髪で顔が隠れてて、表情は良く分からなかった。……
柄杓はお墓の真ん中にあった。古い井戸の横にたくさん掛けられてた。
ぽた、ぽた、……
たぶん前の子たちのいたずらだと思うけど、一つの柄杓から水がしたたってた。私は濡れてない柄杓を一つ手に取ったわ。一刻も早く旅館に戻りたかった。
ね、これでいいよね。行こ。
早く早くと思いながら言う。けど、後ろを振り返ると、美空はいなかった。えっ、って思ったら突然、冷たい感触が手首を掴んだ。
いつの間にか美空が後ろに回りこんでて、手を引いていたの。
ね、あっちに何かあるよ。行ってみない?
その時、懐中電灯の明かりが突然消えたの。
ほんの一瞬で見間違いだと思うけど、美空の顔が焼け爛れているように見えた。
だめ、懐中電灯の電池切れちゃった。危ないよ。
私は言って美空の手を引き返す。
そしたら、いきなり! 強い力で美空が引き返してくる。
きっと向こうは楽しいよ。早くおいでよ。
憑かれたような声。
きっと向こうは楽しいよ。早くおいでよ。
だんだん低くなってくる。
きっと向こうは楽しいよ。早くおいでよ。
美空は何度もそう言ってきたけど、私は振り切って旅館まで逃げたの。美空も付いてきてたと思う。もともと長い距離じゃないし、旅館まではあっという間だった。
旅館の扉を開けたとき、私は美空が心配になって、後ろを振り返った。
そこで何を見たのか、美空は覚えてる?」
美空は奈津の話を笑い飛ばしたかった。美空のことを怖がらせようと、奈津がした作り話だと思った。私がそんなことするはずないじゃない。確かにちょっと肝試しは怖いかもしれないけど、自分なら逆に無理して明るく振舞うし、終始無言だったなんて。
美空は到底ありえないと思った。
しかし、奈津の話には何か引っかかるものを感じた。特に最後だ。最後がとても引っかかる。
そんなことを考えていると、奈津が何かに気付いた顔をして立ち上がる。押入れのほうに歩いていって、閉めた押入れからはみ出している、赤い表紙を手に取った。
「美空の日記、みっけ」
ほとんど忘れかけていたけど、おぼろげながら覚えている。あれはまさに、当時の日記だ。
「そんなもの良く出てきたじゃない」
美空は少し迷ったが、奈津を手招いて二人でその日記帳を開いた。今よりも拙い文字で書かれた日記は、正直恥ずかしかった。しかし、あの時のことを確認したいと言う気持ちが勝った。
「林間学校って何月だっけ?」
「確か八月だったと思うわ」
美空は八月のページを開く。書いてない日付も多いが、林間学校のときは書いていた気がする。
見付けた。
八月四日のページに、「林間学校1日目」という書き出しで初日の行動が綴られている。
次のページを開くと、そこには「2日目」と始まり、朝からの行動が順々に書かれている。夜には一言、「肝試しをした」と書かれていた。
肝試しをしたことは間違いがないようだ。
確かにそう言われてみると、肝試しをしたかもしれない。
ぽた、ぽた、……
濡れた柄杓から垂れる水の音が、記憶の片隅から聞こえてくる。
美空はそこで、何かすごい嫌なものを感じた。次のページをめくろうとする手を止めて、美空はその正体がなんなのかを考え始めた。
「どうしたの?」
奈津が訊いてくる。
確か奈津はさっき「そこで何を見たのか、美空は覚えてる?」と訊いてきた。だけどそれはおかしい。何かを見たのは奈津のはず。なのに、そのとき確かに「私が」何かを見た。
それと、そうだ。思い出した。あの時の肝試しはやっぱり、奈津と二人で行ったはずだ。だけど、二人で前を歩いていたのは私じゃなかったか。
「次のページ、開こうよ」
奈津がなぜか神妙な声で言ってきた。はっとして美空は奈津を見る。
「奈津も何か感じてるの?」
美空の恐る恐るの問いに、奈津は微かに首を縦に振る。
美空は頷き返して、次のページの端をつまむ。
乾いた音でページがめくられる。そして、次のページを見るなり「いやぁぁぁぁぁぁ!」と、奈津が叫んだ。
美空も背筋が凍る思いだった。
こんな日記帳を早く閉めてしまいたい。そう思うのに、手が硬直して動かない。目をそらすこともままならない。
見たくないという気持ち一心で美空が目をそらすと、奈津は両手で顔を隠し、それを見ないようにしている。それなのに、美空の目は引き込まれるように、また日記帳に戻されていった。
開いたページの左側には、そのページいっぱいに人の顔の絵が描かれていた。焼け爛れた皮膚、片目は洞穴のように黒い空洞になっている。しかしもう片方の目は、今にも動き出しそうなほどリアルに、こちらのことを睨みすえているように見えた。下ろした前髪。長い後ろ髪。
髪形も違うし、大分ひどい有様だったが、その絵はほぼ間違いなく、奈津の顔の絵だった。
美空は絵が下手なので、こんなリアルな絵を描けるはずがない。一体どういう、……
すっすっ、と奈津は肩を震わし泣き始めた。体育座りになって顔をうずめる奈津に、美空は何を言っていいか分からず、呆然とそれを眺めた。
すると奈津はゆっくりと日記帳の、何も書かれていない右のページを指さした。
「なに? どうかしたの? 何も書かれてないじゃないの」
美空が言っても、奈津は震える手で空白のページを指さしている。いや、指をさしているのではない。奈津の指は日記帳にゆっくり近付いていき、空白のページに触れた。そしてさらに奈津は指を動かす。文字を書いているのだと、美空は気付いた。
なぜだろう。不思議なことに、奈津の指が動いたあとに、赤い線が引かれていった。
美空も早くおいでよ
「っ!」
美空は驚いて奈津から身を引き離すように立ち上がる。
しかし、いつの間にか奈津の姿はなくなっていた。美空の目の先には赤い表紙の日記帳だけが残されていた。
美空も早くおいでよ
後ろから奈津の声がした気がして振り向いた。一瞬あの絵、焼け爛れた顔の奈津がいることを想像して、足が震えた。しかし、奈津の姿はそこにはなかった。
美空は改めて日記帳に目を戻す。
美空も早くおいでよ
赤い文字が目に付く。突然! 美空の両耳の横から、ずたぼろに焼け爛れた奈津の腕が回され、美空の肩に重たいものがのしかかった。
耳元で、
美空も早くおいでよ
奈津の声が聞こえた。
「やめてやめてやめてやめて!」
美空が叫んだ。
目を閉じて耳を塞いでしゃがみこむ。
どのくらいそうしていたか、次に美空が目を開いたときには、奈津の姿も、日記帳も、どこにもなかった。……
次の日美空は、勇気を振り絞って奈津に電話をしてみた。電話帳に載っているのに、初めて使う。四回コール音がしたあと、ガチャっと音がした。
「もしもし奈津?」
「ん? ああ、間違い電話だと思いますよ」
電話の向こうの声は、知らない男の人の声だった。
ホラーというお題で書き始めたのですが、全く上手く行きませんでしたね……笑
拙作で本当に申し訳ございません。