美空と共感屋
昔キャラクター作りを練習するために書いた作品です。主人公は一緒ですが、それぞれ別々の作品となっています。
心ない人が舌打ちをした。てめぇ一人で勝手に死ねよ。そう言っていた。
動かなくなった電車の中で、それを聞いた美空は腸が煮えくり返った。
「死にたいときがどんなに辛いのか、想像してみなさいよ」
本当はそう言ってやりたかったが、美空は喉元まで出かかった言葉を呑み込んだ。
いつもそうだ。言いたいことはたくさんあるのに。特に言いたくもないことはいくらでも喋れるのに。
気を遣いすぎだなんて、言われなくても知っている。
テレビのニュースで、今朝の人身事故を取り上げていた。しかし焦点になっているのは、人が死んでしまったことではなく、電車が二時間も止まったことについてだった。
美空はそんなテレビを見たくなくなり、リモコンの赤いボタンを押した。
ベッドに寝ころび、体を投げ出す。小学五年生から背が伸びていない美空は、20になっても子供のようだった。ショートヘアーと、水玉のパジャマが余計そう見せる。
「バカじゃないの」
呟いて、大きな目を閉じると、頭がぐらぐらしてきた。そのぐらぐらに抵抗しないで、全身の力を抜いた。
朝、1Kのアパートのドアがトントンと鳴った。
頭のぐらぐらは鈍い痛みになっている。美空は起きて、パジャマのままでドアを開けた。
「ちょっとそこまで通りがかって。共感しましょ」
外にいたのは共感屋だった。今日の講義は午後からだったし、ちょうどいいやと美空は思った。
「入っていいわよ。散らかってても構わないでしょ」
共感屋とは美空が十四歳、中2の時からの付き合いだ。慣れたもので、さっさと背を向けて歩く美空に、共感屋は「はいはいな」と言ってついてくる。共感屋は歩いて移動しないので、足音がない。美空は一度後ろを振り返って、共感屋がついてきているかを確かめた。
「ちょっと待ってて、今お茶でも入れるわ」
「あーらあら、嬉しいですね」
共感屋はお面の上からでも分かるほどににっと笑った。
ペットボトルから二人分のお茶を入れ、ベッドのふちに置いた。部屋は本当に散らかっていて、テーブルはあったが、コップが置けるようではない。唯一ベッドの上だけが人がいられるスペースだった。
お茶を飲み始めてすぐ、美空は堰を切ったように話し始めた。
「だってひどいと思わない? 確かに電車が止まって二時間無駄にした人が何千人もいたかもしれないわよ。けど、その人たちの二時間を足したって、死んじゃった人の残りの時間よりはずっと少ないじゃない」
「それはですよね。その通り!」
「それなのにテレビで取り上げたのは、人が死ななきゃいけなかったことよりも、復旧に時間が掛かりすぎだとか、電車の中で待たされた人の不平不満だとか、冗談じゃないわよ」
「うんうんそれは、冗談じゃない!」
「それにね、舌打ちまでして、死んじゃった人の悪口を言う人がいたのよ。あり得ないと思わない?」
「それは当然、あり得ませんね。やぁれホントにひどい話だ」
「本当にそうよ。死んじゃった人は、何倍だって辛い思いをしてたのよ。無神経だし不謹慎だし、胸糞悪いってこのことね」
「全くそれは胸糞悪い」
共感屋はお面の向こうの顔を真っ赤にして怒った。
共感屋は本当に共感しかしないが、美空がたまった愚痴を吐き出すには丁度いい。美空が何かを言う度に、うんうん顔を頷かせる。一度も否定しないし、本気で共感してくれるから、次から次へと言葉が紡げる。
それから政治がなんだとか、景気がなんだとか、美空もよく分かっていない分野にまで愚痴は及んで、一時間ほどで気が晴れた。
美空は少し疲れを覚えて肩の力を抜いた。共感屋も心なしかぐったりしている。
「ありがとね。すごいすっきりしたわ。退屈だったでしょ?」
美空は共感屋に愚痴を言い切ると、いつもそう訊く。偉そうな物言いにも聞こえるが、表情は本当に不安げだ。共感屋はふるふると顔を横に振り、それを否定する。
「いえいえね、そんなことなどございませんよ。お茶もとっても美味しいですし、嫌なことなどありゃしませんよ」
美空はそれを聞いていつものように安堵する。
「それじゃそろそろおいとまします」
共感屋はそう言うと、ふつっと姿を消してしまった。来るときは律儀に玄関から来るのに、いなくなるときはいつもあっという間だ。
美空はふーと溜め息を吐き、ベッドの中に潜り込んだ。
一眠りして大学に行こう。気付けば頭の痛いのは取れている。
そんなことを考えながら目を閉じると、眠りの世界はすぐに美空を包み込んでしまった。