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86

 彼の向こうには、闇に沈んだ王都に(とも)る黄金の明かりが、きらきらと輝いていた。


 見上げれば、銀の砂をまいたような満天の星。


 ──俺の従者が、窓の外に立っていた。いつも通りのエレメントルート家のお仕着せで、腰には長い剣。彼が手のひらの上に小さな明かりを浮かべたから、風にまかれた金髪と飄々とした笑顔が、はっきり見える。


「グレイさん!」


 そうだ、彼は空を飛べる。──グレイはここまで、俺を探しにきたんだ。


 まがまがしくも血の色をした魔法陣のきわで、俺は背伸びをするようにして、ありったけの大声で叫んだ。


「レールケ伯爵がきました!」


 結局のところ、俺は塔のてっぺんに閉じ込められ、たった半日ばかりひとりぼっちでいたのがさびしくて、人恋しかったんだと思う。


 グレイは窓ガラスに耳を押し当てた。けれど、かぶりを振る。口元がなにかをしゃべるように動くが、俺にも彼の声は聞こえてこない。


 魔法剣士は思案げに首をひねった。そして、顔の前に人さし指を一本立てた。もう一回、と言うように。


「さっきここに、レールケ伯爵がきたんです!」


 俺を見下ろす青灰色のたれ目が、にこりとうなずいた。聞こえたんだろうか。──違う。グレイは俺の唇の動きを見て、話す言葉を読み取ったんだ。


「たぶん僕が本当に僕なのか、確かめにきたんだと思います!」


 グレイは首を大きく縦に振る。考えるように腕を組み、じきに、ポン、と手を打った。


 口笛でも吹くみたいに口をすぼめる。──驚いたことに、彼がふうっと息を吹きかけると、窓ガラスがみるみるうちに白く曇ってゆく。


 かなりの範囲を曇らせてから、彼は上から笑顔を出した。指先で、曇った窓にくるりと円を書く。どうやらガラスに文字を書いて、俺に伝えようとしているようだ。


 こちら側から読めるようにするには()()()で書かなければならない。グレイは難しい顔になり、しばらく四苦八苦していた。が、何度かやり直すうちにコツをつかんだらしい。窓に言葉が(つづ)られてゆくのを、俺はそわそわしながら待った。


『オドネルさんが白金(しろがね)の塔について調べています』


「えっ?!」


 そうか。オドネルなら間違いなく、この塔のことも知っている。


 俺はなるたけ大きく口を開けて話した。──塔の中では魔法が使えない。ここの魔法陣から出ようとすると障壁に(はば)まれる。囚人の魔力に反応していると思われるが、レールケ伯爵は簡単に出ていった。


『承知しました。その()についても、なにかわかり次第早急にお知らせします』


 と、書いて見せ、従者は俺たちのあいだを(へだ)てる魔法陣を指さした。俺は力を込めてうなずいた。


「あの……エディットは、どうしていますか?」


 一人で待つのはこんなにさびしくて、つらい──


 グレイの眉が少しだけ下がる。彼の顔を見ていたら、わかってしまった。彼女は心を痛めている。


 そう思ったら、口をついて出た。


「お願いします、グレイさん。エディットに伝えてください。僕はすぐに戻りますから」


 ──大丈夫よ、聖なる大樹がおまえたちを守ってくれるから、


「歌を歌って待っていて、って」


 一、二度、グレイの瞳がきょとんと瞬いた。だが、彼は首をうなずかせた。返事は窓に書かなかったが、口の動きで俺にもわかった。


『必ずお伝えします』


 ──グレイは去り、俺は調度品が置かれた(フロア)の中央に戻った。明かりを消すのは恐ろしい。けれど、ろうそくの数には限りがある。テーブルの上の燭台へ、息を吹きかける。


 訪れたのは、想像していたような真の暗闇ではなかった。ぐるりと取り巻く窓からの、わずかな、ほんのわずかな外の光の気配があって、俺はベッドに寝転がった。


「……カローロ」


 返事がなくても俺は、守護精霊(ぞるがんど)に呼びかける。


 みんなが俺を助け出そうとしている。オドネルとユーリまでが力を貸してくれている。


「大丈夫、きっと、うまくいくよね……」


 目を閉じた。──そして俺は、眠りに落ちた。







 暗い暗い、精霊の森の中。


 まだ若い母親と、歩き疲れた二人の姉妹。早く家まで帰りたいのに、深い森の暗闇が、三人の母娘の足を止める。


 ほうほうとふくろうが鳴く。かさこそ揺れる茂みの中から、小鬼たちがこちらをのぞき見ている。木々のねじれた枝に隠れる、小霊が笑う気配。大樹の根元に娘たちを座らせて、母親は言った。


 ──二人とも、ここにいてちょうだい。今、母さまがお水を探してきますからね。


 姉娘はかぶりを振った。妹娘もかぶりを振った。


 ──いや、母さま、行かないで。


 ──母さま、怖い、行っちゃいや。


 ──大丈夫よ、聖なる大樹がおまえたちを守ってくれるから、歌を歌って待っていて。


 母親は、姉妹が寄りかかる年経た杉の(こずえ)を見上げた。──まるで両手を広げた巨人のように、高くそびえ立つ大木だ。根元には固く盛り上がったこぶと、地の底まで続いていそうな深い()()。三人で手をつないでも、とてもひと周りできないくらい、太い幹。


 二人の女の子は、そろって瞳を丸くした。


 ──歌?


 ──どうして?


 それはね、と、お母さんは優しく微笑んで、幼い娘たちの額へ、かわるがわる接吻した。


 ──真っ暗な闇の中で一人きりになっても、母さまがさびしくないように。






 夜が明ける。東の窓から差し込む日の光で、俺は目を覚ます。あけぼのの空が、彼女の瞳のような(すみれ)色だ。


 室内がすっかり明るくなったころ、朝食が届いた。俺はブリキの皿の底までさらうようにして、薄いスープをたいらげた。布がごわごわに固まったベッドは寝心地がよかったとは言えないが、囚人にしては悪くない待遇だと思われる。


 次の食事がくるのは午後だろう。それまでのあいだ、今の俺にできる限りのことをしよう。


 ここから出る方法、というか、囚人を出す方法はある。あると信じる。カローロは塔に入ってから一度も口をきいていない。おそらく塔の扉をくぐった直後から、魔法は使えなかった。


「ねえ、カローロ。牢屋の外に囚人を出す場合だってあるよね」


 あまり想像したくはないけど、たとえば──処刑場に引き出すとき。


「僕は、昔の看守たちは、魔法使いじゃなかったと思う。塔の中では魔法が使えないんだもの」


 誰もが只人(ただひと)であるなら、看守に魔法士は不要だろう。俺の食事を運んでくるのも、武装しているだけの普通の騎士だ。


「つまり、ここの魔法陣は、魔法使いじゃなくても解けるはずなんだ。──すごーく力持ちじゃないと持てない()が必要かもしれないけど」


 ぐるっと辺りを見回す。古びていても、貴族のお屋敷みたいに豪華な(フロア)。だが、ここはあくまで牢屋だ。手かせ足かせをはめる代わりに魔法を封じ、鉄格子の代わりに魔法陣で檻を築いただけ。鍵や鍵穴に相当するものがあるのが、むしろ当然ではないか。


 絨毯が敷かれた一角から出ると、石張りの床には文字が現れる。これは太古の神々の言葉だ。解読できるほどの知識はないのがもどかしい。


 さらに先、魔法陣の手前まで行く。二重になった円の、内側から外側までの幅は、俺が大股でやっとひとまたぎできるかどうか。蜂の巣のように組み合わせられた複雑な文字列に沿い、歩いてみる。──ふと、足を止めた。魔法陣の外円の向こう、うっすら積もった埃の下に、丸いくぼみのようなものが見える。


「あれは、なんだろう」


 俺が最初に魔法陣を踏み越えた辺りだ。手で埃を払ってみたいが、障壁に触れたときの激痛を思い出すと、とても試す気になれない。とりあえず、場所だけ覚えておくことにする。


 白金の塔に(とら)われていた昔の魔法使いのことを考える。魔法陣を破ろうとしたのは、絶対に俺だけじゃないはずだ。昔の囚人たちも、知恵をしぼったに違いない。


 戸棚の引き出しにはインク壺やペンもあったが、長い年月のあいだに全部乾いてコチコチだ。でも当時は書く手段があったんだから、誰かがなにか書き残しているかも。


 だったら──


 書棚には本がぎっしり詰まっている。具体的な脱出方法とまではいかなくても、塔の仕組みや鍵を暗示させる書き込みはないだろうか。魔法陣の文字を解読できる辞書とか、せめて、神々の言葉で書かれた書物はないか。


 俺は書棚の前に立った。背表紙はどれもぼろぼろで、題名さえ読めやしない。長いあいだ誰にも触れられていないこわばった革表紙を、手当たり次第、こじ開けるように開いていく。


 古い法律の本や、気がめいるような残忍極まりない犯罪の記録、大昔の賢人が(あらわ)した経典──囚人の手書きの文字は見当たらない。折り目のついた(ページ)はしばしばあるが、特に規則性はなく、謎めいた覚え書がはさまっていたりもしない。


 日記のたぐいがあればと考えていたが、そう都合よくはいかないようだ。


「片付けられたのかもしれないな……」


 それでも、退屈しのぎにはなった。目で文字を追っていると、あせりがちな気持ちを抑えられもした。正午を過ぎ、二人の騎士が昼食を運んでくる。献立は、ゆうべからまったく変化なし。


 ──時が過ぎる。俺が塔に入ってから二度目の夕暮れだ。


 われに返ると、書棚の周りには本の山ができていた。疲労を感じて、ふう、と、息を吐く。そろそろ食事がこないかなあ、と思ったとき、階下から鎧をつけた足音が聞こえてきた。


 騎士たちが上がってきても、俺は知らん顔をすることにしている。こんなところに押し込められたって痛くもかゆくもない。と、思っていると思わせたい。ようは単なる強がりだ。


 ガシャン──お盆がテーブルへ投げ出されたが、俺は振り向かない。けれど、鎧の動く音がなかなかしない。今までは、すぐ立ち去っていたのに。


 代わりに、カチャ、と、小さく面頬を上げる音。


「やれやれ、こいつはこたえるな」

「ああ、まったくだ」


 聞き覚えのある声に、俺は息をのんだ。そして、とうとう振り返ってしまった。


「旦那さま」


 いかめしいしかめつらが、いつもより優しいだろうか。ドワーフおじさんだ。


「ご無事でなにより」


 対照的に破顔するのは、別邸の(おさ)サウロである。


「二人とも、どうやってここへ?!」

「なあに、ザン将軍の配下なんざ、われわれにかかれば、()()も同然ですよ」


 見張りの騎士団にまぎれ込んだのか。駆け寄ると、サウロに力いっぱい背中をどやされた。中年従者のほうは重々しい口ぶりで、あまり時間がない、と言う。ずんぐりした体にこんな鎧兜をつけたら、彼はもうドワーフ以外のなにものでもない。ぜひともひげを生やして戦斧をかついでほしい。


「……レールケ伯爵と思われる人物が、連絡をよこしました」


 従者が語るところによれば、今朝、エディットは平静を装って王宮へ出仕した。すると主宮殿の廊下で、見知らぬ若い女官から、たたんだ書きつけを渡されたそうだ。


「なんと密会のお誘いですよ。時は明日の晩、場所はこの塔の前。()()()()を用意しろ、とね」


 わざとおどけた口ぶりで、サウロが肩をすくめる。


「エディットさまがおいでにならなければ、旦那さまのお命を頂戴すると言うんです。──旦那さまもずいぶんとご立派な『人質』におなりだ」


 俺の逮捕は王宮内でどこにも報告された様子がなく、エディットも、誰からもなんのとがめだてもされなかったという。これでは俺は、本当に()()ではなく、()()だ。これを誰かに訴えられたらいいのに、と思う。だが、


「……どなたに訴え出るかが、非常に難しいところですな」


 ドワーフおじさんは、悩ましげにつぶやいた。レールケ伯爵の後ろにいるのは、国王なのか、王弟なのか。


「それに、やつは『手紙』の内容を確かめるまで、旦那さまの引き渡しには応じないでしょう」


 俺の命と引き換えになる『証拠の手紙』は、偽物なのだ。


「引き続き、最上階の魔法陣を破る方法も探しています。──囚人の魔力に反応する、という点は、どうやら間違いございません」


 旦那さまがグレイにお伝えになった通り、と、ドワーフおじさんが言い、サウロもうなずいた。


「われわれが塔に入る前、びくついているふりをして、上官に尋ねてみたんですよ」


『私たちも降りてこられなくなる、なんてことはないんでしょうね』


 上官は笑って答えた。


『心配するな。やつらのような妙な力を持たないものには、魔法陣などただの絵の具で描いた円にすぎん』


 これで確信が持てる。──やはりレールケ伯爵は、魔法使いではない。


(あお)の塔のオドネル氏も、いくつか手がかりを見つけています」


 ドワーフおじさんは、懐中から紙を取り出し、書かれたものを読み上げた。──塔の全域で魔法を封じる床の文字には『反発(れぷるそ)』、最上階をふさぐ魔法陣には『鮮血の輪(さんぐいえん)』という御大層な名がついているそうだ。


「古い記録によれば、『王の許しを得たものは北の地に、魔道の(おさ)らが許したものは西の地に放たれる』とか」

「どういう意味ですか?」

「昔から、囚人を()()することはあったってわけです。──あとはその手段さえわかればいい」


 そう言って、サウロがごく明るく笑う。


「先が見えてきましたな。旦那さま、もうひとふんばりですぞ」

「はい、ありがとうございます」


 つられて少し笑い、思い出した。俺は二人を魔法陣のへりまで(いざな)った。


「これ、なにか意味ありげな気がするんです」


 二人はわけもなく『鮮血の輪』をまたぎ越えた。俺が示す()()()を、しげしげとながめている。サウロがおっかなびっくり指を差しつけた。革手袋をはめた指先で、埃をぬぐう。


 現れたのは、彼の手のひらほどの大きさの、楕円形の浅い(みぞ)だ。


「形を控えていきましょう」


 ドワーフおじさんが紙をこすりつけ、型を取る。


「またきます。──いや、次は必ず、このいまいましい塔の外でお会いできますよ」


 サウロが言い、「そうそう、忘れるところでした」と、つけ加えた。


「これをお渡しするよう、ネロから頼まれていました」


 手のひらに小さな包みを載せられる。それで二人は面頬を下ろし、やかましい音を立てて階段を降りていった。


 ──料理長の差し入れは、大つぶの干しあんずだった。ひとつだけ口にふくんでみる。甘ずっぱくて、とてもおいしい。


 エディットが呼び出されたのは、明日の晩。


『王の許しを得たものは北の地に、魔道の(おさ)らが許したものは、西の地に放たれる』


 もう少し、書物を調べてみよう。俺は燭台に火を灯した。まだ開いていない本を何冊か抱えて、長椅子まで戻る。


 レールケ伯爵が欲しいのは『証拠の手紙』だけじゃない。セドリック卿の(かたき)を追うエディットの存在自体が邪魔なはずだ。明日の晩、あいつはきっと、彼女の命を奪おうとする──


 まるで、ぎゅっとつかまれたように心臓が苦しくなる。知らず知らず、俺は胸に手をあてていた。──ポケットの下の硬いものに、指が触れる。


 そのとき、耳元で歌が聞こえた。





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