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85 従者、奔(はし)る

 ──誰に想像し得ただろうか。


 ボリスは覚えている。初めて王都にやってきたときの()の様子を。貧しいアルノーの領主館とは比べものにならない豪華な屋敷。兄の誰かのおさがりらしい丈に合わない晴れ着を着て、玄関ホールをぽかんと見回していた。燃え盛る炎さながらの髪に似合わぬ、線の細い、顔立ちの優しい少年だ。


「レールケ伯爵は、私邸に帰っておりません」


 かいつまんで状況を説明する。──逮捕状を手に中隊長が訪れたとき、ボリスはフィリップ=レールケ伯爵の所在を確かめに出た。いくつかもうけてある見張り所を回った結果、彼は昨日以来王宮から退出していないと知れた。だが、目当ての人物は王弟の片腕である。王宮へ泊まり込むなど珍しくもない。


「旦那さまは、白金(しろがね)の塔へ入れられました」


 精霊に護送馬車のあとをつけさせたグレイが報告した。おおらかな彼の、こんなに暗く真剣な顔を見るのは初めてではなかろうか。彼が父親に代わってボリスと組むようになってから、もう四年近くが過ぎている。


「白金の塔? 王宮のか?」


 オーリーンが眉を片方つり上げた。魔法剣士はうなずいた。


「ええ、昔の魔法使い用の牢獄です」

「旦那さまを、わざわざそんなところに?」

「はじめは私を捕らえるつもりだったからだと思いますが」

「確かにそうだ。しかし……」


 秘書は、近衛騎士の制服に着替えたあるじを見返った。


 きつく唇をかみしめる彼女の頬は血の気を失い、青ざめている。それでも瞳はまだ、光を失っていない。


「……まずは、なにが起こっているのかを把握しよう」


 しぼり出すように言う。ただちに王宮へ伺候し、伯父でもある国王に詰め寄りたい気持ちでいっぱいだろう。けれど、少年の捕縛には誰が関わっているのか、また、白金の塔とはどんな代物なのかを知るのが先だ。


 すでに王宮へは侍女が潜入し、下男も街へ聞き込みに出ている。グレイはあわただしくきびすを返した。


「私はこれから(あお)の塔へ行ってきます。オドネル氏なら、白金の塔についてもなにかご存じでしょう」

「待て」


 あるじは執事のワトキンスに紙とペンを用意させ、手早くなにかを書きつけた。


「持っていけ。カイルがいなければ、門衛が通さないはずだ」


 差し出されたのは当家の紋章の透かし模様が入った便箋だ。これを所持するものはエディット=エレメントルートの使いなので、蒼の塔への通行を許可してほしい──そんな一文がしたためられている。


「俺も行こう」


 ボリスが受け取り、二人は屋敷をあとにした。


 考えが及んだものは一人としていなかっただろう。あの少年のために、このように皆が一心に思いをめぐらす日がこようとは。


 あなたより大切なものはほかにない──そう、あるじは少年に告げたと聞く。


 彼女は前を向いた。十四年に近い歳月、ひたすら過去を見つめ続けたあるじが、死んだ父よりも母よりも、なによりも、今ともに()る少年が大切だと口にした。


 それをさびしいことのように思うのは、ボリスの身勝手である。


 蒼の塔には、王宮魔法士の彼がいた。妙に老成した雰囲気をまとう、学者のような青年だ。ボリスが少年の供をしていたときと変わらず、弟子だという若い娘もいっしょだった。


 昔ながらの魔法使いの装束──やいばなど持たずとも、己れが恐るるに足る存在だと誇らかに知らしめるローブ。力を保つために髪を伸ばし、聡明な面差しのジュリアン=オドネルは、グレイの話を聞くとうなずいた。


「……白金の塔、かね」


 ボリスは彼の、あわただしいところしか見たことがないように思う。しかし、オドネルは冷静だった。王都の人々から忘れ去られて久しい塔の用途も、むろん知っていた。


「ローランドくん、あの棚に、十二の塔について書かれた本がある。それから囚人たちの手記だ。持ってきてくれないか」

「はい」


 年ごろの女性のわりに、飾りけのない身なりの弟子は、師が指すほうへ飛んでゆく。この雑然とした室内で、どの棚になんの本があるのか、オドネルはすべて心得ているようだ。大机には、あっというまに書物が積み上げられた。


「白金の塔は闇の塔とならび、築城の際からあったアセルス城最古の建造物のひとつだね。使用されなくなってから百年近くが経つ」


 言いながら、オドネルは次々と書物をひもといてゆく。


「ふむ、これか……魔道士侯爵バルディビア卿によって改修されたのが、およそ五百年前だ。元は単なる獄舎だが、魔法使いのための牢として造り直された」


 牢の格子にもちいるのは、魔力を吸ってしまう『神銀』というまれな金属だ。囚人の脱走を防ぐため、神代の言葉を床に刻んで魔法の発動を抑えている、と、オドネルは言う。


「誰が誰の許しを得て塔の扉を開けたのか、非常に気になるね」


 現在のアセルス王国にたった一人の()()魔法士は、顔をしかめ、不快をあらわにした。


「だが、下手に動くとカイルくんにますます危険が及ぶ。なにをするにも、出る手段を確かめてからだ。──彼がどの階の牢に入れられたのか、わかるかね?」

「いいえ」


 グレイが驚いたようにかぶりを振った。


「さすがにそこまでは……精霊からは、旦那さまを残して、騎士たちだけが出てきたとしか聞いていません」


 オドネルはうなずいた。


「どうにかして、知りたいものだ」

「なぜです?」

「あの塔は、階によって仕掛けが違うはずなんだ。下のほうならまだいいが……上層階なら入ったが最後、簡単に出られるものではない」

「行って確かめてきます」


 グレイはすぐさま立ち上がった。が、ボリスは(はや)る相棒を引き止めた。


「日が落ちてからにしろ」


 きょとんとする彼へ、ボリスは噛んでふくめるように言い聞かせる。


「グレイ、昼間()()のは人目に立つ」

「ああ……」


 そうでしたね、と、つぶやいて、魔法剣士は力なく腰を下ろした。


(まったく……)


 ボリスはこっそり息を吐く。グレイは塔の窓から中をのぞいて少年の姿を探そうと考えたのだ。周囲には見張りもいるのに、真昼間から堂々とやるのは無茶が過ぎる。


「獄死したヴァスコ=セッティの日記なら、あらましがわかるだろう。確か、ターカンタスの大魔導師ゲレオンの手記には、最上階からの眺望が書かれていたように思う」


 オドネルは弟子に指図し、該当の日記を探させる。グレイも古い書物に手を伸ばす。門外漢ながら、ボリスも手伝った。──囚人たちの古い手記には、ときには怒りに満ちて荒々しく、ときには絶望感に耐えかねる弱々しい筆致で、獄舎での日々が連綿と書き連ねてある。


 白金の塔は十二階建て。かつては、罪を犯した大勢の魔法使いが収監されていた。下層には、庶民に混じる占い師、まじない師、魔術師たち。上層になればなるほど、高位の魔法士や神官たち。生涯を獄中で過ごした囚人が多いようだ。


「バルディビア侯、ライト侯、マンドルー伯ら、多くの貴族が塔の改修に関わった。床の魔法陣は『反発(れぷるそ)』、なるほど……」


 記録の中に現れる諸侯には、()()()()()の名前も散見される。


「術者がこの世を去ってもなお魔法陣の効力を保つとは、柱や床に魔石を埋め込んだんだな。──ローランドくん、われわれはバルディビア家の当主の日記を入手しただろうかね?」

「いいえ、まだです」


 弟子は首を振る。けれど、彼女のまなざしは師への信頼に満ちている。彼なら必ずなんとかしてくれるに違いないと、固く信じて疑う様子はない。


「それは残念だ」


 口にするほど残念そうでもなく、オドネルはうなずいた。


 ──日が暮れる。グレイは蒼の塔に残り、ボリスは報告のために本邸へ戻った。辺りがとっぷりと闇に包まれたころ、探索に出ていた侍女のバルバラも帰ってきた。


「やはり、ザン将軍がレールケ伯爵と懇意にしているという話はありませんでした。もちろん縁戚でもありません」


 バルバラの、きつくつり上がった瞳が泣きはらしたように赤い。彼女が言うのは、逮捕状に署名した将官の名前だ。これまでの調べの裏をかくように、レールケ伯爵の交友関係に一度も出てこなかった人物である。


「それに、おかしいんです。旦那さまが連行された件は、まったくうわさになっていません。もっと知っている人がいてもいいはずなのに」


 侍女は言いつのる。現役の伯爵が逮捕、連行された。それなりの事件のはずが、王宮内で口に(のぼ)せるものは一人もいない。


「どうやら将軍は、金や女にだらしのないお人のようですね。野郎に弱みでも握られているのかもしれませんや」


 ザン将軍の私邸周辺で聞き込んできた下男のマイルズも言う。ワトキンスと料理長のネロが居間まで夜食を運んでくるが、あるじは皆に背を向け、暗い前庭から目を離そうとしない。


 今日一日、彼女はこうして誰かからの連絡、あるいは呼び出しを待ち続けていたそうだ。けれど、どこからも、なんの反応もなかった。──ボリスは少年がダーヴィドの一味にさらわれたときのことを思い出した。そしてまた、王都から遠く離れたキトリーの城で、帰らぬ父を待っていた幼い日の彼女の姿を。


 グレイが息を切らして駆け込んできたのは、さらに遅い時刻になってからだ。


「旦那さまの居場所がわかりました! 最上階です!」


 白金の塔の中でも、最高位の魔法使いを閉じ込める一番上だ。──あるじが振り返った。たばねた黒髪が大きく揺れて、こちらの胸まで締めつけられてしまいそうな瞳を見せる。闇にまぎれて()()()()までのぼってみました、と、グレイの台詞は、まるで階段を駆け上がった程度のことのようだ。


「オドネルさんには先に伝えてきました。最上階の仕組みを調べてくださっています」


 グレイは勢い込んで言う。


「レールケ伯爵が現れたそうです。どうやら捕まえたのが本当に旦那さまご本人かどうか、確かめにきたようですね。でも、ご無事です。お元気そうでした」


 無体なことをされた様子はない──グレイの言葉を耳にして、あるじの肩の力が、ほんの少し抜けた。


「それと、旦那さまからエディットさまへ、ご伝言もお預かりしています」

「伝言?」


 あるじがやっと、いつもの長椅子へ腰を下ろした。グレイは力強くうなずく。


「はい、直接お話しできたわけではないのですが」


 鉄格子のない最上階の窓は、すべてが()()()()だ。分厚いガラスにさえぎられてか、はたまた魔法の仕掛けのためか、互いの声は聞こえない。魔法で窓を曇らせ、伝えたいことを大きくガラスに書いて見せたと言う。


 しかし、向こうには筆記具がない。


「私はある程度、旦那さまの唇を読むことができますので」


 と、グレイは己れの口を指でさす。


「おっしゃることは……わかったと思うんですよねえ、だいたい」


 あるじは長椅子の背にぐいと片肘をかけた。もったいぶるなと言わんばかりに唇をとがらせる。


()()()()でいいから、早く言え」

「はあ、それが……『歌を歌って待っていて』と」

「歌? どういう意味だ?」


 あるじがけげんそうに眉をひそめるので、グレイは目をぱちくりさせた。


「エディットさま、おわかりにならないんですか?」

「ああ」

「私はてっきり、ご夫婦のあいだの秘めごとかと思いましたが」


 皆の視線がいっせいに集まって、あるじは顔を赤らめた。「……いや、まったく心当たりはない」


「グレイ、旦那さまは、正確にはなんとおっしゃったんだ」


 オーリーンが問うと、今度は全員がグレイを見つめる。とたんに彼は、自信なさげな口ぶりになった。


「えーと……『僕はすぐに戻りますから、歌を歌って待っていてと伝えてください』こんな感じでしたか……」

「…………」


 やはりあるじは、腑に落ちぬ様子のままである。


「なにかの符丁(あいことば)じゃねえんですかい?」


 マイルズが口を出す。


「なんの歌なのか、旦那さまはおっしゃってなかったの?」


 バルバラも首をかしげる。グレイはしどろもどろになった。


「す、すみません、取り急ぎオドネルさんに、旦那さまが最上階にいらっしゃることをお知らせしなければとあせってしまって……」

「馬鹿! もういっぺん行って伺ってきなさい!」

「いっそのこと、窓でも屋根でもぶち破って、うちまでお連れしちまいましょうよ」


 ついにはネロが、身も蓋もないことを言い出した。エレメントルート伯爵家が誇る一騎当千の魔法剣士は、青灰色のたれ目をまん丸くした。「えっ、やりますか?」


「できるのか?」


 あるじが腰を浮かせる。グレイが胸を張ってなにかを言いかけたとき、銀縁眼鏡を押し上げた秘書が、冷水のごとき声を浴びせかけた。


「それは最後の手段だ」


 ……ようやく一同は静まり返る。


 ともあれ、皆の気持ちとこの場の空気が多少なりともほぐれたのは事実だ。意味はさっぱりわからないが、赤毛の少年が己れの妻を励ますため、いっしょうけんめいなにかを伝えようとするさまが、容易に想像できる。──われ知らず、ボリスの頬もゆるんだ。


「いつまでも待っていられるか。明日はわたしも王宮へ出仕する」


 あるじの口調が意志の強さを取り戻した。エレメントルート伯爵逮捕の件が秘密裏に進められているのなら、そこにこそ糸口がある。


「グレイ、俺たちも明日の朝、もう一度蒼の塔に行ってみよう」


 ボリスも言った。手段は多ければ多いほうがいい。書物の山の中から、オドネルが手がかりを得ているかもしれない。


「ええ」


 グレイは口元を引き締めた。少年は、彼の身代わりになって捕らえられたのだ。


「出る方法は必ずあると、オドネルさんはおっしゃっていましたから」





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