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 早朝訪れたのは、王宮騎士団のなんとか連隊の、かんとか大隊所属の、()()()()という中隊長である。あまりにも肩書が長く、名を聞きもらした。


「エレメントルート伯爵家家士、グレイヴ・スティレット=レーヴァテイン。彼は魔法をもちいて王都を騒がせた罪により、出頭を命ぜられています」


 軍人のくせに妙に上品で、ねずみのように嫌味な目をした小太りの男だ。


「さ、お引渡しねがいましょうか」


 などと、すまし顔で言う中隊長の後ろには、ものものしく武装した騎士がずらりとならぶ。


 俺たちはまだ朝食もすませていない。エディットは近衛隊の制服ではなく部屋着のままである。誇り高い紫の瞳が、どれほど高値であろうとも、売られた喧嘩を買わずにすませてなるものかと燃えている。──彼女は形のいい(おとがい)を持ち上げて、胸の前に大きく腕を組んだ。


「断る」


 あ、言い切っちゃった……


 騒ぎを聞きつけたみんなが玄関ホールに集まってきた。秘書のオーリーンが二言三言耳打ちし、ドワーフおじさんが裏へそっと姿を消す。


「私が……ですか?」


 入れ替わりに、侍女のバルバラに引きずられて、グレイが現れた。お仕着せのボタンは全部はまっておらず、くすんだ金髪には櫛を入れた気配すらない。青灰色のたれ目を眠たげにぱちつかせ、どう見てもたたき起こされたばかりだ。


「おまえか。グレイヴ・スティレット=レーヴァテイン」

「はあ」


 背高従者は肩をすぼめた。彼の顔を見るべく、なにがし中隊長は、ぐいと仰向いた。


「グレイは下がっていろ」


 エディットが割って入る。貴族の家来は、あくまでも仕える家の()()だ。ましてやここは、エレメントルート伯爵家の領地といえる邸内だ。誰がなんと言おうと、主人の許しなく家来を捕らえることはできない。その道理は俺にもわかる。


「エディット、もう少し、理由(わけ)を聞いてみませんか」


 俺は彼女の腕に手をかけた。エディットはまなじりを決して中隊長をにらみつけ、一歩も引くまいという意気だ。


「いったいどんな理由がある。グレイは罪に問われるような真似など、なにひとつしていない」

「ええ、本当にそうですね」


 俺は振り返り、来訪者に尋ねてみた。


「グレイさんが具体的に()()()()()()()、王都を騒がせたと言うのでしょうか」

「さて、それは」


 首をひねった中隊長は、もう一通書状を開く。


「ああ、これこれ。──先月の三日、()のものは巨大な獅子の精霊を呼び寄せ、多くの民を襲わせた。あまつさえ夜半に万雷を(とどろ)かし、尋常ならざる豪雨を降らせ」


 本邸襲撃の晩だ。相手の魔法使いも大狼の精を呼んだではないか。だいたい『民』と言うが、襲ってきた暴漢どもを撃退しただけだ。雨を降らせたのは、屋敷にかけられた火を消し止めるためだ。


「さらに直近では、今月八日、地割れをともなう大地震を引き起こし」


 この前のダーヴィドとの会談のときだ。むろん、ステファノの配下を追い払うためである。


「まさに天を驚かし地を動かす行為にて、王都の民を震撼せしめたことは明白」

「ふざけるな」


 当然ながら、エディットの瞳は険しくなる一方だ。「こちらが攻められたから対処したまでだ」


「それを私に言われましても。本人が、裁きの場で申し開きをしてはいかがです?」


 と、中隊長はにべもなく首を振る。それでエディットはますます(いきどお)る。


「いいか、グレイの行動は、すべてわたしの命令でしたことだ。罪があるならわたしにある。申し開きなら、わたしがする」


 違う。彼女が魔法剣士にくだした命令は、ただひとつだけ。


 ──グレイ! 殺すな!


 当のグレイは、まだ事態が飲み込めていないらしい。途方に暮れたように、たれ目をしばしばさせている。


 本邸に火を放たれたとき、彼が雨を降らせたのはうちの敷地の中だけだ。ダーヴィドとの会談の場だって、街中で大きな騒ぎを起こさないよう、わざわざ郊外にある別邸を選んだのだ。ましてやダーヴィド討伐は、国王マティウス二世からじきじきに許可を得ていたのに。


 思いきって国王に訴え出るか? ──だめだ。国王にも、王弟にも、泣きつけない。レールケ伯爵の後ろには、二人のどちらかがいる可能性が高い。


 レールケ伯爵は、ダーヴィドのような、表立って(かば)うのが難しい無頼の親玉とはわけが違う。それに、たとえマティウス二世が黒幕でなくても、取り調べと称してグレイを連れ去られてしまえば、それこそ敵の思うつぼになる。


 エディットが中隊長に詰め寄った。


「これは誰の命令だ。答えろ」

「私はザン将軍の配下のものです。先ほど申し上げたはずですが?」

「将軍に命じたのは誰だ」

「さあ、そこまでは……私などの預かり知らぬことですよ」


 グレイはエレメントルート伯爵家の、攻守における切り札だ。腕利きの魔法士がいると思えばこそ、敵は攻めるのに二の足を踏む。彼の存在そのものが、俺たちを守りの結界の内側に置いている。


 グレイなら、ここに存在するだけで。


「違います」


 俺は中隊長へ向き直った。「誤解です。あれは、彼がしたことじゃありません」


 トン──背をつつかれた。カローロが、俺に警告している。


「魔法を使ったのは、僕です」

「カイル! なにを言い出すんだ?!」


 この国の誰よりも美しい俺の妻は、苛立ちと戸惑いの入り交じった(おもて)を振り向けた。──なんてきれいな、花よりも宝石よりもずっときれいな、紫色の彼女の瞳。


「エディット、ここは僕に任せてください」


 カイル、よせ──耳元で、守護精霊(ぞるがんど)の声がする。


「精霊を呼んだのも、雨を降らせたのも、地震を起こしたのも、全部僕です」

「失礼ながら、にわかには信じがたいお言葉ですな、伯爵閣下」


 やめろ、カイル。


「本当です。僕がやりました。出頭が必要なら、僕が行きます」

「あなたにそんな魔法を使えるわけがないだろう!」


 エディットに腕をつかまれた。俺は彼女の右手を払いのけ、左手でしっかりと握り直す。


「いいえ、できます。今からお見せします」


 俺は中隊長へ向けて、右手を伸べた。


「……『目にも見よ 行き過ぎるもの』」


 対象はたったの数人。──オドネルのようにできなくていい。ほかの誰にも見えなくていい。今ここにいる、小面憎い中隊長と、後ろの騎士たち。彼らにだけ、ほんの一瞬、俺の呪文(うた)が届けば。


「『わが内にあるもの 描きたるもの 音にも聞け』」


夢幻(ぷりるーど)』とは、相手の精神に働きかける魔法。絵の具を画布にのせていくように、俺の思い描いたものを、誰かに見せる魔法。


「『大いなる羽 よこしまなる鱗 焔吐く金色(こんじき)飛竜(ワイバーン)よ ()でよ』!」


 ──目の前に現れたのは、いつか本の挿絵で見た、あやなす金鱗の、巨大な翼を持つ竜。


「ひやあっ!!」


 中隊長がびっくりするほど甲高い声を出した。皆がざわめく。エディットも中空を見つめて息をのんだ。彼女に俺の魔法が見えている。俺の左手を握る彼女の右手に力が入る。


 玄関ホールいっぱいに、蝙蝠(こうもり)の羽が悠然と広がった。もっともっと激しい風を起こせ。長くのたうつ尾は大蛇のごとく、二本の(つの)が天井のシャンデリアを突き上げんばかりに。日月のようなまなこがいよいよ輝きを増す。呑まれそうに大きな口を開けば、太い牙のあいだから、炎が、


「どうかおやめください! もう結構!」


 まぼろしは立ち消えた。俺は、詰めていた息を吐き出す。──ありったけの魔力を使いつくした。目の前がかすむ。よろけた俺の肩は、エディットの腕に抱き止められる。


「な、なるほど……」


 中隊長は胸のポケットからハンカチを取り出して、額をぬぐった。


「閣下のお力は大変よくわかりました。これは、確かめたほうがよさそうだ。──おい!」


 中隊長が書状を渡して命じると、騎士はすぐさま駆け出していった。中隊長は俺たちに厳しい表情を向けた。


「しばらく待たせていただきましょう」


 ──彼らは、応接間へ案内された。


 俺たちは居間に引き上げた。オーリーンをはじめ、悄然とうなだれたグレイも、今にも泣き出しそうな顔のバルバラも、料理長のネロと下男のマイルズも、みんながあとから入ってくる。最後に執事のワトキンスが扉を閉めた。


「本当に、申し訳ございません……」


 グレイが弱々しくつぶやいた。


「気にするな。あなたのせいじゃない」


 言い置いて、エディットは、静かな朝日に包まれたテラスのほうへ行ってしまう。俺は一人で長椅子にかけた。


「旦那さま」


 オーリーンが彼女の耳に届かないよう、声をひそめて言う。


「……おかげで、時間を稼ぐことができました」

「はい」


 俺はうなずいた。中隊長が持ってきた書状は本物だ。真っ向から盾突いては、こちらが不利になるばかりだ。


「バルバラ、逮捕状に署名した将軍を探れ」

「は、はい!」


 秘書に命じられ、勢いよく(こた)えはしたものの、侍女はすっかり涙目だ。へしょげているグレイの袖を、ぐいぐい揺さぶっている。


「ねえ、帰ってくるまでいてよ?! いなかったら絶対許さないんだから! わかった?!」


 言うなり、居間を飛び出してゆく。けれど、バルバラには悪いが、そう簡単になにもかもが知れるとは思えない。


「このまま僕が行きます」


 銀縁眼鏡の奥で、秘書が瞳を見開いた。「……旦那さま」


「グレイさんには、本邸(ここ)にいてもらわなければなりません」


 本邸が手薄になるからだけではない。身分の軽い家士なら、ひとたび捕らわれたらどんな目に()わされるかわからない。仮にも俺は伯爵だ。即座に処刑されることはない──と思う。


「……だめだ」


 窓辺から、声がした。


 エディットが俺を見つめていた。ひどく青ざめた顔で、固く唇を結び、こちらへ近づいてくる。


「カイルを行かせるくらいなら、わたしが行く」


 俺はかぶりを振った。


「エディットが捕まったら、僕たちは身動きが取れなくなってしまいます」


 いわば大将を人質に差し出すのと同じである。


「かまわない。──いや」


 エディットは俺の隣に腰を下ろした。沈んだ、静かな瞳で力なく首を振る。


「……もう、よそう」

「エディット……?」

「もう、父の(かたき)を探すのはやめる」

「そんな!」


 俺は大きく叫んでしまった。父親の死の真相を知りたいと願う彼女の思いがどれだけ強いか、俺は見てきた。ようやく事情を知っていそうな人物の名前がわかったのに。


 それに、彼女一人の仇討ちではない。ここにいるみんなは、エディットと、セドリック卿と、エルヴィン夫人のために働いている。彼らにもそれぞれの思いがあって、十四年もの長い歳月、苦労を重ねてきたのだ。


「あと一歩じゃありませんか! 僕が捕まっているあいだに、誰のしわざか調べればいいんです。せっかくここまできて、どうしてそんな──」

「馬鹿を言うな!」


 かつては多くの騎士たちを指揮した大音声が、思いきり俺を怒鳴りつけた。


「あなたより大切なものが、ほかにあると思うのか?!」


 え……


 彼女の両手が、俺の肩をつかむ。なにがあっても離さないと言うように、痛いほど強く。


「だ、だって……」


 彼女が俺を、結婚相手に選んだのは。


「…………」


 エディットのまなざしは真剣だ。息は荒く、切れ長の瞳をいからせ、柳眉をつり上げて俺を見る。彼女みたいな美人がそんな顔をしたら、この世のものとは思えない恐ろしさだ。


 くす、と、俺が笑ったので、エディットの唇は大いにとがる。


「なにがおかしい?!」

「いえ、別に」


 だって。


「……()()()と言うだけじゃ、きっとレールケ伯爵は信じてくれませんよ」


 ──どうしよう。


「それよりも、僕が捕まったあと、なにをしたらいいのか考えてください」


 うれしい。


「大丈夫、これは好機(チャンス)です。僕たちがダーヴィドをやっつけたせいで、向こうも困って、こんな手に出てきたんですから」


 どうしても顔が笑ってしまう。彼女の瞳がこんなに悲しそうなのに。


「……奥さま」


 オーリーンが中指で銀縁眼鏡を押し上げる。


「今ここで政府に歯向かっては、われわれを処分するさらなる理由を敵に与えかねません」


 まったく俺たちは、孤軍奮闘だ。──俺は腰を浮かせて、エディットの頬に接吻した。


「助けにきてくれますよね? ()()

「カイル」

「ネロさん、おなかがすきました。朝ごはんをお願いしてもいいですか?」


 突然俺が言ったから、巨漢の料理長は飛び上がった。ズシン、と、大きく床が揺れる。


「は、はい、旦那さま、ただいますぐに!」


 ──中隊長の出した使いが戻ってきたのは、正午になろうかというころである。これを早いと見るか、思いのほか時間がかかったと見るべきか。いずれにしても、探索に出た従者と侍女はまだ帰らない。


 逮捕状の宛名は、俺へと書き換えられた。敵は『王都の民を震撼せしめた魔法使い』と、俺を差し替えることに応じたのだ。──グレイは今まで何度も俺を助けてくれた。今度は俺が、彼を助ける番だ。





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