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「──しばらくは様子を見る」


 王宮から退出し、帰宅したあとのエディットの見解だ。


 そりゃ近所かもしれないけど、しち面倒な手続きを経てお城まで出向いたのである。この国のてっぺんに君臨するのみならず、本家の(おさ)でもある国王夫妻、王弟夫妻、宰相やら高官たちから大注目を浴びる中、俺たちは二人して一席()()()。結果、ダーヴィドを討つ許可が出た。俺にとっては相当波瀾万丈な大冒険だったのだ。


 となれば、明日にでもやつの根城に総攻撃をかけると思うじゃないの。


「まあ、見ていろ」


 と、おっしゃる俺の奥さんは、まばゆいばかりの美貌である。大事な局面を乗り越え、心なしか上気しているように見える。が、逆に涼しげに、非常に冷静であるようにも見える。


 即決戦ではないことに、俺が安堵したのも事実である。いずれにしても、彼女が見ていろと言うのだ。俺に(いな)やのあろうはずはない。


 拍子抜けするほどの日常に戻った──と、俺は思っていた。


 謁見の翌日、エディットはいつも通り仕事に出かけ、俺は午後から(あお)の塔へ向かった。


 少しずつ春が近づいている。よく晴れた暖かい日和(ひより)で、通用門の屋根から雪どけ水がぽたぽた落ちる。衛兵のケンが、ものすごい形相だ。元々いかにも腕っぷしの強そうなごつい男だが、列をなす人々のあいだに俺を見つけ、大きなぎょろ目をひんむいた。船の帆柱のごとく背高のグレイといっしょだから、すぐに見つかってしまうのだ。


「おい、坊主」


 ぶっとい眉をいからせて、ずいぶんと()()の利いた声である。


「まずかないのか。こんなところを通ったりして」

「え?」

「ちゃんと表玄関から入ったほうがいいんじゃねえのか?」


 ……ばれたのか。


 もう耳に届いているらしい。昨日の朝、主宮殿の奥深くで起こったばかりのできごとなのに。さすがは軍人、なのだろうか。


 見れば、お城に入る許可をもらうためにならぶ人たちが、ちらちら俺を振り返る。こっちを指さす人や、隣同士こそこそ小声で話す人も。全員に俺の正体を知られたと考えるのは、自意識過剰かもしれない。でも、なんとなく恥ずかしい。


「ええと、できれば……」

「…………」

「僕は今まで通り、通用門から入りたいんですけど……」


 だめ?──つい上目になってしまう。だってここが、蒼の塔に一番近い入口なんだもの。


 するとケンは、やけにうれしそうににやりとした。もったいぶって腕を組み、馬みたいに荒々しく鼻息を吹き鳴らす。


「いいだろう。カイル=バルドイ、通ってよし!」

「ありがとうございます!」


 俺たちは急いで門を駆け抜けた。


「ティ坊ちゃま! 聞きましたよ!」


 塔の扉を開けるなり、ユーリ先生に大興奮で迎えられた。門番のケンが知っていたなら、お城に通う彼女も知っていて不思議じゃないかもしれないけど、それにしても早くない?


「なにをのんきなことを言ってるんですか。もう街中で大評判なんですよ」


 日ごろから、王都の人々もダーヴィド一家には手を焼いていたようだ。ユーリの話によれば、店屋で飲み食いした代金を踏み倒したり、女の人に乱暴したり、商売する人たちに法外な()()()()料をふっかけたりと、かなりの悪党ぶりである。町役人にはいい顔をするので、なかなか罰することもできず、困っている人も多いとか。


 本邸襲撃以来、エディットと俺がダーヴィドに対してどう出るかは、世間の注目のまとだったのだ。それであっというまにうわさが広まったのか。


「ティ坊ちゃま、やつらのところへ乗り込むのは、いつなんですか?」


 瞳を輝かせるユーリ=ローランドは、おとなしげな見かけによらず、結構な野次馬だ。日時を知ったら見物に行くと言い出しかねない。


 ダーヴィドは王都のあちこちにねぐらを構えているが、本拠地は南部のイヴォン街という下町だ。あやしげな商いで集めた金で、景観にそぐわない立派な屋敷を建てたそうだ。「乗り込む」なら、そこだろうか。


 俺はグレイと顔を見合わせた。エディットからは様子を見ると言われただけで、具体的な話は聞かされていない。グレイも知らないと首を振る。


「いつなのか、僕はまだなんとも……」


 いかんいかん。俺の悪い癖だ。エディットの()()()がどこにあるのか、帰ったら尋ねてみなきゃ。


 ユーリは人の悪い笑顔になって俺を見る。


「ティ坊ちゃま、大事な作戦は言わないでくださいね」

「え、作戦なんて、そんな」

「そのほうが、一味に捕まって責められても、『知らない』と言い張れますから」


 冗談めかした言葉に胸をつかれた。捕まって拷問を受けても大丈夫。絶対に口を割らない──彼女はそう言ってくれている。


 この前まで山盛りに積んであった手紙のたぐいは、俺がこないあいだにほとんどなくなっていた。オドネルの魔法を見たがる貴族たちからの要請は、どうにかひと段落ついたらしい。


 というのも、二人は手紙攻撃のすさまじさにとうとう音を上げ、魔法の会の()()()を開催することに決めたのだ。


「時を(つかさど)る女神たちが糸車を回す右手にかけて、まだまだ先の話なんだがね」


 やれやれ、とでも言いたげに、オドネルは苦笑いである。しかし、まんざらでもないようだ。


「今度はもっと大勢の人にきてもらえるよう、広い場所で()らなくてはねえ」

「オドネルさん」


 俺は思いきって尋ねてみた。


「オドネルさんは、僕たちがダーヴィドと対決することを、どう思いますか?」


 魔法を武器にするような人間兵器を育てるなどごめんだと、以前彼が言ったからだ。


 ならずものたちの元締め、ダーヴィドには大勢の手下がいる。乗り込んだところで、あいつが神妙に(ばく)につくとは思えない。戦いになる。そのとき俺は、きっと魔法を使うだろう。俺の隣にいるグレイだって、もちろんだ。


 かけたまえ、と、オドネルはいつもの大机へ手を伸べた。


「そうだね。私は──カイルくんは、奥方から離れないほうがいいと思うんだよ」


 彼の隣にはユーリが、向かいには俺とグレイが腰を下ろした。オドネルは目を細めた。理知的な光をたたえた、焦げ茶色の優しい瞳だ。


「きみの左手は、大切な誰かを守るためにある──前にも話したことを、覚えているかね?」

「はい、覚えています。でも……」


 俺はかすかなためらいを感じている。だからオドネルに()きたかった。この気持ちは、これから始まる戦いへの恐れなのか。それとも、エディットの足手まといになりたくない、と思う不安だろうか。自分でも理解できていない。


「そばにいてこそ、わかることがあるからだよ」


 そう言って、オドネルは笑った。


「盲目のベアトリスが夫の手を引き闇夜の国を歩んだように、カイルくん、きみは愛する人のそばにいて、愛する人を見ていたまえ。決して手を離してはいけないよ」


 すると、机に頬杖をついていたユーリが首をかしげ、まじまじと師を見つめた。


「……師匠、意外ですね」

「なにがかね?」

「師匠が『愛する人』なんて、驚きましたよ。どなたか好きな女性でもいるんですか?」


 えっ??


「……旦那さま」


 すかさず従者が耳打ちしてきた。眉といっしょにたれ目も寄ってしまうほど、顔をしかめている。「いけませんよ。お口を閉じてください」


 グレイに言われてしまうとは……とりあえず俺は、大きく開けた口を閉じる。


「もちろんいるとも」


 オドネルは答えた。彼が彼女に向けるまなざしは、いつくしみに満ちて、とてもいとしげだ。──いつでもそばにいる、彼が愛する、たった一人の女性。


 ユーリの栗色の瞳が丸くなる。


「へえー! そうなんですか!」

「ああ、そうだよ」


 オドネルは落ちついた声音でうなずいて、こちらへ向き直った。


「カイルくん、きみにはひと通り、身を守るすべを伝えたね?」

「はい」


 魔力を引き出す稽古も、精霊との契約(こんとらくと)も。エディットが留守のあいだ、時間が許す限りおこなった。


 俺の左手は、大切な彼女を守るためにある。


「きみの思うままにやりたまえ」


 ごく穏やかな口ぶりで、ジュリアン=オドネルは、俺に言った。



 ◆◇◆


 そんなわけで、夕食をすませて部屋に戻ったあと、俺はエディットに尋ねてみたのである。


「作戦か」

「はい」


 俺が思い描く「作戦」といえば、家士たちが整然と隊列を組み、さっそうと馬にまたがったエディットがレイピアを振りかざして勇ましく突進する──そんな、馬鹿みたいに単純な空想だけだ。


 エディットは長椅子に腰を下ろし、やけに面白げな瞳になる。


「まだ全部決めたわけじゃないんだぞ」

「でも、討伐なんですから、ダーヴィドのところに乗り込むんでしょう?」

「どうだろうな。いずれは決着をつけるつもりだが、なにをするにも時間が必要だ」


 なんだかあいまいで、しかも意味深な言いかただ。──俺はかなり不満である。確かに彼女は騎士で、王后さまの親衛隊長まで務めた人だ。ど素人の俺が口出しするのは変かもしれない。だけど、二人きりのときくらい、もうちょっと話してくれてもいいじゃない?


 俺がふくれているのに気づいたのか、エディットはさらりと言う。


「カイルには、()()を頼もうと思っている」

「後詰、ですか?」

「うん。本邸(ここ)はいわば司令塔だ。カイルには指揮官として、オーリーンとともに屋敷に残ってもらう」

「…………」


 指揮官として、屋敷に残る。


 俺に戦いのことはよくわからないけど……そういうものなの?


 トントン、と、肘をつつかれた。俺の守護精霊(ぞるがんど)、カローロの警告だ。


 ──いけない。


 たとえ彼女がいいと言っても、俺から手を離しちゃだめだ。


「僕も行きます」

「カイルは屋敷に残るんだ」


 エディットの頬がこわばった。やっぱり。危ないからって、俺を連れていかないつもりなんだ。


「僕が邪魔になると思ってるんですか? 身を守る方法なら、教わっています」

「カイル」


 どうしてすぐにおっかない声を出すの? それで俺が言いなりになると思うなら、大きな間違いなんだからね。


「絶対、嫌です」

「わたしの言うことを聞け」

「聞きません」

「だめだ。あなたはうちで留守番してろ」


 それが本音か。「僕を子どもあつかいしないでください」


 ふん、と鼻で笑われた。


「剣に触れたこともない男を、大人あつかいできるか」


 あっ、なにそれ。感じ悪い。セドリック卿も剣を持ったことなんかなかったって、前に聞きましたけど?


「エディットだって、魔法が()()()()使えないじゃありませんか」


 形のいい唇が、むっととがる。よくも言ったな、という口である。


「使えないが、それがどうした」


 やる気満々の目つきでにらまれた。今のエディットは丸腰だが、果たしてこの至近距離で、俺に勝ち目はあるか?──皆無だ。もたもた(うた)ううちに瞬殺である。


 頭にきた。


「おやすみなさい」


 俺は勢いよく立ち上がった。こうなったら別居だ別居。断固として別居だ。


 腹がむかむか立つのをこらえながら、廊下に出る。隣にある俺の部屋の扉は、案の定鍵がかかっていた。エディットの部屋で寝起きするようになって以来、俺は自分の部屋の鍵を持ち歩いていない。いつのまにか、置いた場所からなくなっていたからだ。


 だとしても、俺にはなんの不自由もない。


「『さえぎるものよ われこそは正当なる所有者』…………」


 あれ?


 なんてことはないただの錠前のはずなのに、俺の魔力に反応しない。まるで見えない粘土を詰め込んで、鍵穴をふさいでしまったみたいだ。──ん?


 さては、以前裏口の鍵が開かなかったのも、忠義ものの従者のしわざだったのか……俺はため息をつき、新たに鍵穴をうがつつもりで、もういっぺん人差し指を差しつける。


「──逃げるのか?」


 からかうような声に振り返ると、エディットが廊下の壁にもたれて腕を組んでいた。紫の瞳が挑発するようにこちらをながめるので、ますますむかっときた。俺はなにがあっても、どこにも逃げたりなんかするもんか。


「まさか。逃げるわけがないでしょう」

「だったら、なぜ出ていくんだ」


 む、確かに。


「大人だと言うんなら、大人らしいところを見せたらどうだ」


 彼女の唇はまだとがっている。でも、怒っているというより、すねてるみたいな口ぶりにも思える。──ふっと、腹立たしい気持ちが冷めてゆく。もしかして、俺に戻ってほしくて、追いかけてきたの?


 ふーん……


「ええ、わかりました」


 やせっぽちの俺に、できる限りの大きな足音を立てて、廊下を引き返す。すれ違いざま、彼女の腕を取った。引っ張っても()()ともしない。もういっぺん、ぐいと引く。


「きてください」

「なんだ」

「僕といっしょにきてください」


 強引に手を引いて、彼女の部屋へ戻った。どこにしようか迷わないでもなかったが、この際だ。その辺のほうがかえって効果的かもしれない。俺は彼女を居室の長椅子に座らせた。隣へ腰を下ろす。


「エディット、いいですか」

「ああ」


 長い脚を組み、背もたれに片肘をかけ、いかにも話があるなら聞いてやろうじゃないか、という態度である。もー、本当に素直じゃないんだから。


 俺は彼女の肩に両手を置き、真っ向から瞳を見つめた。


「この家の当主は、僕です」


 婿養子だろうがなんだろうが、俺がエレメントルート伯爵家の当主なのは、まぎれもない事実だ。


「エディットこそ、僕の言うことを聞いてください」


 肩を引き寄せ、首筋に唇を押しつける。そのまま襟元に右手を差し入れる。


 そばにいたい。触れていたい。そう思うのは、エディットといっしょにいたいからだけじゃなかった。カローロが感じ取ったように、俺の心の奥底には、どうしてもぬぐいきれない恐れがある。──彼女が誰かに憎しみを向けるとき、俺がそばにいたほうがいい。そのほうがいいと思う。


「カイル」


 俺が押し倒すように体を重ねたから、エディットの頬がパッと赤くなった。


「ま、待ってくれないか」


 やだね。


 彼女の休暇のあいだで、俺にも()()()()要領がわかってきたんだよね。──おっと、忘れてた。


「……『消えろ(ふぉりーじ)』」


 ふいに、すべての明かりが消え失せた。目に見えなくても、感じればいい。指先で鎖骨をたどり、探り当てたボタンをひとつひとつはずした。彼女の胸の豊かな隆起へ唇で触れる。俺の手のひらの熱が、ひんやりとすべらかな肌に伝わってゆく。


「カイル──」

「いっしょに行きます」


 俺の左手は、彼女を守るためにある。俺が、彼女を守る。だから──


「……エディットも、僕を守ってくれますか」


 エディットは、ふうっと息を吐き出す。俺の背に、両腕が回った。苦しくなるほどきつく抱きしめられる。


「考えておく……」


 ほかにもなにか、彼女がつぶやいたような気がした。──けれど、残りの言葉は、吐息とともに闇の中へ消えた。





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