表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/122

73

 ──アセルス国王、マティウス・クリストハルト=アセルティス。


 父親は先の国王、ディートヘルム一世。母親は昨年崩御したエレオノーラ王太后。即位にあたって父王の名を継いではいない。曾祖父から譲り受けた名をそのままに、マティウス二世と名乗る。


 幼いころから暴力的で荒々しい性格だったと聞く。ディートヘルム一世は、限度を遥かに超えた長い年月、彼を世継ぎと認めなかった。三十をいくつも過ぎてようやく王太子となり、妻子も得た。即位ののち五年余りが過ぎたが、彼はわりあい穏やかな善政を敷いている。それには、王弟シベリウスの貢献も大きい。


 略式ではあるが、無数の宝石をちりばめた緋色の冠を戴き、大きな手を王笏の()()()に載せている。眉間には深いしわが刻まれ、険のある暗い茶色の瞳が、壇上の玉座からこちらを見下ろす。


「われらが妹、エルヴィンの娘、エディット……」


 彼と王弟とは、エディットの母、今は亡きエルヴィン王女の兄に当たる。


「はい、国王陛下」


 俺とならんで(ひざまず)くエディットが、顔を上げた。詰襟の濃灰色の制服。かたわらには剣。たばねた黒髪は長く、背をつたい、深紅の絨毯まで流れ落ちている。妹のただ一人の忘れ形見に対し、国王は問う。


「今もまだ、セドリックの(かたき)を探しているか」

「はい」


 凜と張った、()じけのない口ぶりだ。


「わたくしは、父に人から(あや)められなければならないほどの落ち度があったとは、考えておりません」

「殺めたものを見つけたなら、なんとする」

理由(わけ)を尋ねたく存じます」


 セドリック=エレメントルート卿が王宮で殺害されたとき、エディットはわずか五歳。王都から遠く離れた故郷、キトリーにいた。


 エディットの休暇のあいだ、俺たちは二人で時を過ごした。夜ごと夜ごと、彼女は少しずつ話してくれた。──父親が死んだと家来たちから聞かされても、ずいぶん長いあいだ、意味がわからなかったそうだ。


『それを理解できたのは、母が亡くなったときだ』


 最愛の夫を失った母は出産に耐え切れなかった。死んでしまった赤ん坊は、弟だったと聞いた──気高く整った美貌に笑みを浮かべ、春になれば咲き誇る(すみれ)の瞳をやわらかになごませて、彼女は言った。まるで、幼いころの幸福な思い出を語るようだった。


「叶うことなら、父の最期がどのようであったかも、知りたいと願っております」


 俺の妻は、国王の前でも臆することなく堂々と述べる。この伯父と姪は、よく似ている。剛毅果断な性質を、少しも隠そうとしない。


「……さもあろう」


 マティウス二世は、重々しくうなずいた。


「おまえの婿に、あのような身なりをさせていたのは、そのためか」


 金髪のかつらで赤毛を隠し、上げ底の靴で背丈を変えていた、俺の変装の件だ。エディットは唇を結び、頭を低くする。


「はい。──国王陛下、王弟殿下、皆々さまを(たばか)るような真似をいたしましたこと、深くお詫び申し上げます」


 誰もひそとも声を立てず、謁見の間は、深い静寂に満ちた。


「………………」


 マティウス二世は、冷厳な(おもて)を変えなかった。ただ彼は、軽くうなずく。


「おまえたちの申し入れとは?」


 エディットは答えた。「おそれながら、陛下にお願いが三つございます」


「三つもか」


 そこで初めて国王は瞳を細めた。笑ったのだ。伯父が妹の子へ向けるにふさわしい、からかい混じりで(へだ)てのない笑みだ。「……申してみよ」


「ありがとうございます。まず、ひとつ目は」


 エディットは、マティウス二世の隣の座にあるアントニエッタ王后に目を移す。


「まことに勝手ながら、王后陛下親衛隊長の職を、お返しいたしたく存じます」

「エディット!」


 王后さまが、両手で口元を覆う。


「申し訳ございません、王后陛下。わたくしは若年。かような大任は、荷が勝ち過ぎます」

「そんな、あなたはとてもよく務めてくれているのに」

「……アントニエッタ」


 国王が静かに妻を制した。「エディット、続けよ」


 エディットは、再びマティウス二世へ瞳を戻す。


「は。──二つ目は、わが夫が申しましたダーヴィドなるもの、(ちゅう)するお許しをいただきたく存じます」


 高官たちがざわめいた。ダーヴィドは、広大な王都の南半分を牛耳(ぎゅうじ)る荒くれものたちの親玉だ。彼を攻め討つとはすなわち、兵を(ひき)い、王都で(いくさ)を起こすのと同義である。


 俺は王弟のかたわらに控えるレールケ伯爵、俺たちが、ダーヴィドの背後にいる仮面の男とみなす人物の顔を見た。動じる気配はまったくない。


 マティウス二世は、巨大な玉座の肘掛けに頬杖をつき、いっそ愉快そうな笑みである。


「物騒な話を、よくもやすやすと申すものよの……」


 国王の前で、堂々と()()したいと願う。謀叛の(こころざし)があると取られてもしかたのない発言だ。しかも直前に、父の仇はあなたがたの中にいる、それゆえ夫の本当の姿を隠していた、と述べたも同然なのだ。──俺の額にも、冷たい汗が浮かんでくる。


「…………」


 しばしの無言の時を経て、国王はおもむろに口を開いた。「……エディット」


「はい、国王陛下」

「三つ目は、なんだ」


 彼女の望みは、あとひとつ残っている。


「はい、願わくば──隊長職を辞しても、近衛騎士のままでいとうございます」


 武官とはいえ、ようやく十九になろうかという少女である。二人の伯父を()()と見つめる美しいまなざしは、彼らが愛した妹と同じ、菫色。


「わがままは、重々承知のうえでのお願いです。王家に捧げたわが剣は、どうかそのままで──」


 深く、(こうべ)を垂れる。


 ()()()()()()()()と、エディットは告げた。


「──陛下。いえ、兄上」


 国王とよく似た、しかし、陰のない声音だ。下段にいる王弟シベリウスが、兄を見返った。


 心配そうに見つめる隣のクララ夫人へ、穏やかにうなずく。彼は国王と二歳違い。もしも国王夫妻のひとり子が王女であれば、今ごろ彼が王太子でも少しもおかしくはない。王位継承権はテオドア王子に次ぐ第二位。大公の位を持ち、宰相とともに、アセルスの政治において重きを成している。


「なんだ、シベリウス」


 笑みをふくんだまなざしを、そのまま兄は一人きりの弟へ向けた。


「セドリックの死の真相を知りたいとのエディットの申し条、私も無理からぬことと存じます」


 彼がそばにいるから、国王は再び道を踏みはずさずにすんでいる──そうも言われる、聡明さと温情にあふれた口ぶりだ。


「なれど、このうえ王都百万の民を、武力による抗争で(おびや)かすのはいかがなものでしょうか」

「さればなんとする。ダーヴィドとか申す無頼の捕縛のために、王宮騎士団でも派遣しろと言うのか?」


 マティウス二世の愉悦の表情は変わらない。王家と血縁があるとはいえ、たかが一貴族の私怨に、国家が介入するのも()()()()()()()、と国王は問うている。王弟はかぶりを振った。


「いいえ、兄上。そうではございません」


 一応は公式の場だ。しかし王弟は国王を、兄と呼ぶ。シベリウスはこれを親族の問題ととらえている。少なくとも、そういう姿勢を見せている。


「エディット、おまえはまさか、国許から巨万の兵を呼び寄せて、王都を埋めつくすつもりか? そうではあるまい?」


 のどかなるキトリーをはじめ、エレメントルート伯爵家が治める四ヶ領に、()を超す兵がいるかはさておこう。王弟は事態を軽く見せるため、わざとざれごとのように言った。エディットにも、すぐにわかったらしい。


「とんでもないことでございます、シベリウス()()()。あくまでも今王都にいるわたくしたちのみで、すべての対処をする所存」


 本邸には俺をふくめて総勢九名、別邸には三十名余りの家士がいるが、それだけだ。かまえてことを大きくするつもりはない──エディットはそう答えた。


「いかがでしょうか、兄上」


 王弟は国王へ向き直る。


「国許から兵を呼ばない。王都で(つの)ることもしない。今ある手勢のみで討伐に出向く。それであれば、勇敢なるわれらが姪の望み、叶えてやるというのは」


 一種、非情ともとれる提言である。


 五十名にも満たない家士だけで立ち向かおうとは、無茶が過ぎる。この場にいた誰もが、そう思っただろう。


 けれど、政府が公式にエレメントルート伯爵家をあと押しすることはできない。身内の情を考えても、譲れるのはここまで──王弟が言うのは、理にかなっている。そもそも、エディットが隊長職を辞すと申し出たのは、仇を探すことと政府を切り離すためだ。


 マティウス二世は興味深げな表情で、かたわらに立つゾンターク公爵へ目を向けた。


「……宰相であれば、いかに(はか)らう」


 うるわしの宰相閣下はこちらを見やり、口元をほころばせた。


「陛下、私もこの家のものたち、道にそむくことはあるまいと存じます。──また、王弟殿下の仰せ、まことに当を得たご判断かと」

「ならばよい。すべて許そう」


 あっけない裁可に、俺たちはつい目と目を見交わし合った。大急ぎで顔を伏せる。


「「国王陛下、ありがとうございます!」」


 声までそろってしまった。くす、と、笑ったのは、王弟妃クララ夫人だ。マティウス二世は悠然と立ち上がった。


 たっぷりした深緑の外套(マント)をまとった国王が玉座を降りる。アントニエッタ王后が、不安そうなまなざしを俺たちへ投げかけ、ドレスの裾を引いてあとに続く。


 エディットと俺は跪いたまま、貴人たちの退出を見送った。王弟夫妻が行き過ぎるとき、ふとクララ夫人が一人、足を止めた。


「エレメントルート卿」

「はい」


 海のように青い瞳を見上げる。クララさまは、落ちついた色合いのドレスの前で両手を組み合わせ、俺たちを見比べた。俺の本当の姿を見てどう思っているのか、少し困ったような笑顔だ。


「クローディアが、あなたにお会いしたいそうなの。お借りしていた本を、お返ししなければいけないのですって」


 俺の『ダルトンの呪文の書』のことだ。魔女志願の小さなお姫さまは、多少なりとも(うた)えるようになっただろうか。


 ちら、と隣をうかがってみる。エディットがちょいと唇をとがらせた。怒っているわけではなさそうだ。


「はい、必ず伺います」

「いつでもおいでになってくださいね。──そういえば、あなたの、その髪の色」


 思わず、ぎくっとしてしまう。「は、はい?」


 クララさまは上品に微笑んで小首をかしげた。


「とってもすてきでいらしてよ」


 ──すべての貴族が去り、俺たちはようやく立ち上がった。エディットの吐く長い息がかすかに震えている気がして、俺は彼女の指先をそっと握る。互いの手がとても冷たく、しびれているようにさえ思う。


 国王、王弟、本当にどちらかが黒幕なのか。二人は謁見の場で敵としての顔を見せなかった。そして、いっさい関心のない素振りで俺たちの前を通り過ぎていったレールケ伯爵も同様だ。


「帰ろう」


 と、エディットは言った。


「これで一歩、前に進みましたね」

「うん」


 これはダーヴィドから仮面の男へ、さらにはその先へたどり着くための大事な一歩だ。しかし、国許からの援軍はない。王都の本邸と別邸にいる俺たちだけで、ことに当たらなくてはならない。


 俺はそんなことを口にした。けれど馬車に乗った早々、エディットは俺の頬に接吻してきた。せっかく整えてある髪を、くしゃくしゃにかき回される。


「本当にそうだと思うか?」

「え?」


 だって、たった今、王さまたちとそういう話になったばかりじゃない?


「それよりもカイル、国王陛下の御前でのあなたのふるまいは、とてもよかったぞ。見違えた」

「あ……ありがとうございます」


 こんなにあからさまに、面と向かって褒められたのは初めてじゃないかしら。うっかり顔が熱くなってしまったが、エディットは俺を横目に、いたずらっぽく肩をすくめる。


 んん? なんだろう、いったい……この反応。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ