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伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?  作者: カタイチ
 番外編 エレメントルート伯爵家の一番長い夜
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 後編

 成果はなかった。結局は、皆がほとんど夜通し休まず探しまわったにもかかわらず。


 このくらいの背丈の、赤い髪で緑の目をした男の子です。年は十五だけど、もう少し下に見えるかも──道ゆく人に、同じ言葉を何百回となくくり返した。やがては喉がかれ果てる。


 ごく狭い路地。店の軒下や、積まれた荷物の陰。彼が隠れられそうなすきまに、ほかの大人は無理でも、小柄なバルバラなら入ってゆける。誰も探していなそうな場所を、片っぱしからのぞいてまわる。


 数時間おきに屋敷へ戻った。誰かがよい知らせを持ち帰っていないか、淡い期待は、そのたびにあっけなく裏切られた。


 秋も終わる。明け方には冷え込みがますます厳しくなる。少年はどこで夜を明かしただろう。なにか食べるものを口にしていればいいけど──


 そんなことを考えながら、居間へ顔を出した。


 明るくなった窓辺には、あるじがいた。さすがに部屋着に着替えていたが、美しい黒髪はほどいてもいない。床に立てた片膝を抱え、暗く沈んだまなざしで、じっと外を見つめている。視線のかなたにあるのは、門だ。なんてまあ、いじらしい──思わず涙が出そうになった。こうしてひと晩、少年がひょっこり帰ってきやしないかと、待っていたのか。


(ひどい男!)


 もろもろのことを全部棚に積み上げて、(いきどお)りさえ感じてしまう。バルバラの大事な大事な姫さまに、よくもこんな顔をさせて。帰ってきたら、お尻をひっぱたいてやるんだから──そんなふうにも思う。


 バルバラには好きな男がいる。相手は彼女に目もくれず、ほかの女の尻ばかり追いかけまわしている。だからこそ、二人の交わす言葉が少しずつ増えてゆくのが微笑ましくて、うらやましくてしかたがなかったのに。


 あるじが夜遅く勤めから帰宅すると、邸内にはバルバラたち使用人とは違う、もうひとつの気配がある。図書室へ行けば、彼が部屋まで持ち帰った本の分、書架にすきまが()いている。たまに顔を合わせれば、いちいち驚いたように目を丸くする。役に立たないちっぽけな魔法を熱心に学んで、剣術には見向きもしない少年──あるじと同じ本を読み、あるじとは違うものが好きな男の子。


 本当に、彼がなんの意味もない人間ならよかった。価値など量るまでもない、本当のでくのぼうなら、どんなによかっただろう。


 どうにか流し込むように食事をし、二時間ばかり仮眠もとった。バルバラは幾たび目か、街へ出る。


 これだけ探しても見つからないのだ。少年はもう街中にはいないのかも──重たくなった足で一歩ずつ、石畳に落ちた枯れ葉を踏みながら、バルバラは思う。妙にすっきりと晴れて、心地よくさえある秋風が吹く。


 誰かに連れ去られたために魔力の痕跡が消えたのかもしれない。それとも駅馬車ではなく、徒歩で実家へ帰ろうとしているかもしれない。さらに郊外や街道の先まで、捜索範囲を広げたほうがいいのではないか。


 日が中天を過ぎたころ、もう一度屋敷へ戻った。相変わらず、誰かが身代金や、()()()()()()()()を要求してくる様子はない。オーリーンは、この件を(おおやけ)にすることを考えているようだ。


「……オーリーンにすべて任せる」


 とうとう一睡もしていないあるじの瞳は、赤い。


「では、これから王宮へ届け出ることにいたしましょう。騎士団が派遣されれば──」


 あくまでも冷静に、秘書が述べようとしたときである。


 カチャリ──


 突然、扉が開いた。


「案外と静かなものだな……」


 ひどくしわがれた、聞き覚えのない声。さわさわと衣がすれる音。──バルバラはあるじを背に、戸口へ振り返った。すばやく身構える。


「もっと大騒ぎになっているかと思ったが……取り次ぎがおらんので、悪いが勝手に入らせてもらった」

「あんた誰よ! どうやって入ったの?!」


 夜の闇よりも黒く、たっぷりと裾の長いローブ。こいつは魔法使いだ。


 冷や汗が背筋を流れ落ちた。グレイは留守だ。大扉のベルは鳴っていない。窓なら全部閉めてある。裏口にはネロがいる。なのに──


「それにはまあ……いろいろと方法がある」


 声音はからかうような響きをふくんでいる。ローブのフードを目深に下ろし、顔は見えない。だが、フードのあいだから落ちる長い髪が真っ白だ。老人のようだ。


「エレメントルート伯爵を探しているんだろう……?」

「そうよ、なにか知ってるの?!」


 すると、魔法使いはフードを持ち上げた。痩せた(おもて)がちらりと見える。驚くほど若い。


「知っているとも……彼は北にある、ダーヴィドの館に(とら)われている……」


 ぽつりとつけ加える。「……無事だよ」


 ──そのときバルバラは、とっさに護衛としてあるまじき行為をした。


 もしもこの場に母がいれば、こっぴどく叱られたに違いない。正面の侵入者に背を向け、あるじの顔を見返ってしまったのだ。


 ゆうべからずっと(ろう)のように白かった頬に、うっすらと赤みが戻っていた。見開いた(すみれ)の瞳にも、わずかな光が差す。安堵とも、喜びともつかない──これは()()()だ。彼女はもう二度と、彼には会えないと思っていたのだ。


「カイルは、今……どこにいると……?」


 ゆっくりと、震えを帯びてはいるものの、落ちついた声音で彼女は問う。魔法使いは辛抱強くくり返した。


「……北さ。バラーク湖のほとりだ。わかるか?」

「ああ」


 あるじは顎を引いた。魔法使いもうなずいた。


「ダーヴィドは古い貴族の屋敷を買い取って、別荘にしている。伯爵がいるのは、地下牢だ……」

「あなたは、誰だ? なぜ知っているんだ?」

()()()()居合わせた……昔なじみの知り合いとわかったものでな。知らせにきてやった」

「知り合い? 誰の?」

「……ジュリアン=オドネル」

「ああ……」


 つややかな赤い唇が、少し開いた。もう一度、声がこぼれる。「ああ……」


 魔法使いは深くフードを下げて、頭をかたむけた。


「あんたも、あのかたを知っているのか?」

「名前だけは」

「そうか……」


 あるじは凜々しくうるわしいかんばせを上げて、大きく息を吸いこんだ。胸を張る。「バルバラ!」


「は、はい!」

「行くぞ!」


 知りたいことはすべて聞いた。あるじは剣を握りしめ、居間を出てゆく。魔法使いは声を立てて笑った。笑う声までしわがれている。


「ずいぶんせっかちなお人だな……伯爵がいる牢を開けるには、少しばかりコツがいるぞ……」

「そこの秘書に伝えておけ!」


 さっきまであんなにしょぼくれていたくせに、この変わりっぷりはどうだろう。あるじはずんずん大股で行ってしまう。みんなが戻るまで、なにがなんでも引き留めなければ。バルバラは大あわてであとを追う。──戸口で振り返り、魔法使いへ言い置いていく。


「うちには魔法士がいるの! たいていのことならできると思ってくれていいわ!」

「……それは頼もしい」

「エディットさま!」


 あるじは、うすっぺらな男ものの部屋着と室内靴のまま、レイピアをたずさえただけだ。バルバラは玄関ホールでようやく後ろ姿に追いついた。


「お待ちください、そのお召しものでは」

「かまわない」


 いや、彼女がかまわなくてもバルバラがかまう。風邪を引く。せめて剣だけではなく、盾くらいは持ってくれないか。


「エ、エディットさま、バラーク湖は遠いですよ。みんなが帰るまで──」

「馬で行く」

「あっ! 馬よりも舟を出しましょう! 水路のほうが帰り道が速いですから。マイルズが戻るまで待ちましょう、ね?!」


 われながら名案だ。あるじも足を止め、考えるように眉を寄せる。機を逃さず、バルバラはなおも言いつのる。


「このあいだにお着替えをすませましょう? そうだわ、なにか食べなくちゃ! ──エディットさま、昨日からなにも召し上がってませんよね? ネロにおいしいものを作ってもらって」

「食べたくない」

「いけません! おなかになにか入れておかないと、旦那さまを()()()()帰れませんよ!」


(ほんっとうに世話が焼けるんだから!)


 バルバラは懸命にあるじの袖を引いた。まったくいったいなんだってそんなところに囚われたんだろう。理由はひとつもわからない。だが、そこはあと回しだ。


 早くみんなが帰ってくればいい。そうしたら、連れ戻しにゆくのだ。あるじの夫──エレメントルート伯爵を、再びこの家に迎えるために。







「39」へ続く。

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