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伯爵令嬢は、契約結婚した俺にいつ恋をする?  作者: カタイチ
 番外編 エレメントルート伯爵家の一番長い夜
80/122

 前編

四章「34」で誘拐されてからの話です。

「まだ見つからないのか!!」


 あるじの大声に、バルバラは首をすくめた。どんな高貴な姫君でも絶対にかなわない──いつも誇らしくもうらやましくも思う紫水晶(アメシスト)の瞳が、ここまであからさまな怒りをたたえるのは珍しい。


(本当にわがまま)


 うちの()()()って……と、こっそりため息をつく。出ていくように仕向けたのも同然なのに、「まだ」はないんじゃない、とも思う。


 あのときバルバラは、二階の廊下に控えていた。少年が部屋を飛び出し、階段を駆け降りるのを見ていた。大扉のベルが鳴るのも聞いていた。けれど、止めようとはしなかった。


 しかたがない、と思ったから。


「少しは落ちつきなさい」


 いらいらと居間中を歩き回るあるじへ、オーリーンが手厳しい声を出す。こうなったら、(いさ)められるのは彼だけだ。幼いころから兄のように親しく育った彼の言葉なら、あるじも多少は耳を貸す。


「オーリーンさま」


 飾り棚の前で眉をひそめている秘書のそばへ行き、小声で言う。


「……王宮へおいでになった様子はございませんでした」


 オーリーンはため息をついて、銀縁眼鏡の奥からバルバラを見下ろした。秘書の冷ややかな目線はいつものことで、格別ふくむところがあるわけではない。


「グレイはなんと?」


 問うてくる彼の声音もささやくようだ。いかにオーリーンでも、尾を踏まれた虎の毛を逆なでるような真似はしたくないのだろう。その点ではバルバラも完全に同意する。


「痕跡が途切れてしまった、と言っています」

「──なぜ途切れているんだ、バルバラ」


 怒気をはらんだ声音に、ぎくりと振り返る。あるじが腰に手をあて、こちらをにらんでいた。聞こえたか。いや、聞こえるか。


「わかりません。でもグレイが言うには、()()()()()()()()ならありえるそうです。馬や、馬車ですとか」


 まるで地面に粉でも振りまくみたいにグレイが手を振り、少年の魔力の跡を浮かび上がらせてみせたのだ。薄暗い前庭に淡く輝く赤い光は、表門を出て塀に沿って続き、しばらく行ったところでとだえていた。


「…………」


 あるじは唇をかみしめた。血の気の引いた頬で、下げたこぶしをぎゅっと握りしめる。──ほら言わんこっちゃない。だから追いかけていればよかったのに。


 少年が屋敷を出ていったのは、自分が彼女の結婚相手に選ばれたのはなぜなのか、その理由を知ったからだ。


 あるじの婚約者として、アルノーから王都へきたばかりの彼に初めて会ったとき、バルバラは大いに感心した。


(うーん、こうくるか)


 やみくもに()()()()した、毒にも薬にもならない子ども、とは聞いていた。背丈は小柄なバルバラより少し高い程度。くるりと丸い瞳は深い緑。頓狂なくらい明るい赤毛。体つきはか細く、ちょっと肩を突いたら遠くまで飛んでいってしまいそう。


 バルバラの目には、彼が成人(おとな)にはとても見えなかった。それどころか、ものごころさえついていないように思えた。図書室へ案内すると、少年は大きな瞳を輝かせた。そして本を読み出した。うまずたゆまず、くる日もくる日も──そのさまは、じつにうれしそうだった。


 書物以外にはまったく興味を持たない──かに見えた──少年を、あるじは珍しく思ったらしい。そもそも彼女は、()()()()()()()()()()()()というものを、ほとんど見たことがないのだ。あるじは少年に興味を持った。少年も同じように、あるじのような人間を見たことがなかったのだろう。彼もまた、いつしか彼女に興味を(いだ)いたようだった。


「ただいま戻りやした……」


 居間の戸口から、下男のマイルズがとぼとぼと入ってきた。帽子を取り、四角張った顔を袖でぬぐう。晩秋にもかかわらず、額には汗がにじんでいた。今日一日王都中を走り回り、たまった疲れがありありとうかがえる。


「コンラート広場のやつらは、別邸で何人か預からしてもらえることになりました。町役人とは話をつけたって、サウロさまが」


 少年が王弟妃のお茶会で近衛騎士から渡された呼び出し状。そこには、今日の日時と場所、少年一人だけでくるように、との指示が書かれていた。オーリーンはただちに別邸の家士たちを差し向けた。


 指定された時刻よりもずいぶん前にことが発覚したおかげで、広場へのそなえは万全だった。町役人の助力も得て、少年をさらおうと噴水前に現れたやくざどもを、残らず捕らえることができたのだ。


 バルバラは一人、コンラート広場での捕りものに参加しなかった。オーリーンからひそかに命じられたためだ。──旦那さまをお探ししろ、と。


 オーリーンだけではない。屋敷中の誰もが理解していた。なんとしても、彼を連れ戻す必要がある。


 少年もおそらく広場に現れる。バルバラの目算は、あっさりとはずれてしまった。捕りもののあとにも先にも旦那さまはこなかった、と、マイルズは言う。


 (あお)の塔の二人以外、少年は王都に知り人などいないはずだ。だが、ゆくえは(よう)として知れない。季節がら、日が落ちるのは早い。窓の外はすっかり暗い。


 バルバラは後悔していた。べそをかいていた少年の横顔を思い出し、胸がちりちり痛む。


(どうしてすぐに追いかけなかったんだろう)


 オーリーンはお止めしろと言ったのに、あるじがほうっておけと言い捨てた。だからといって、なぜそのまま行かせてしまったんだろう。



 ◆◇◆


 まるで、乳離れしたあとの子猫をもらってきたみたい──あるじの夫について、バルバラはそんなふうに考えたことがある。


 食べるものさえ与えておけば、ほうっておかれて一向にさしつかえがないらしい。茫洋としてつかみどころがない。かといって、親兄弟が恋しくないわけでもなさそうだ。おとなしくしているかと思いきや、いつのまにか屋敷を抜け出し、外で気に入りの場所を見つけていた。あのときバルバラはとても驚いた。確かに全員が油断していたには違いないが、よもやあの子どもに出し抜かれるとは、思ってもみなかった。


 知らぬ間に、少年はあるじの心のすきまへもぐり込んでいた、と、バルバラは思う。──違った。彼を選び、招き寄せたのはこちらだった。一人だった人間が二人になれば、どんな事態も起こりうる。その可能性を、あるじ自身もふくめ、誰も真面目に考えなかっただけだ。


「……お見かけしたという話は、いっさい出てきませんな」


 ボリスが言う。彼は今朝早くから密偵との打ち合わせに出かけ、広場の捕りものと連行にも加勢し、さらには少年の捜索に加わった。誰よりも疲れているだろうに、厳しい顔つきは普段とまったく変わりない。


 彼は動かせる町衆へ総動員をかけた。けれど、それなりに人目につくと思われる赤毛の少年の目撃情報はない。アルノーへ帰ろうとしていても、道に迷ってその辺でへたり込んでいても、とっくに見つかっていいころだ。


「どこからも連絡、手紙のたぐいは届いておりません」


 執事のワトキンスも言う。()()()身代金の要求はないという意味だ。彼も別邸の家士たちがもたらす情報の取りまとめに、一日中追われていた。


「ぜんぜんだめでした……」


 相当へこたれた様子で、グレイが肩を落とした。魔力の跡をたどれるかもしれない、と言い出したのは彼である。少年の魔法の力がかすかにでも残っていないか、ほうぼう歩き回って探したが、これっぱかしも見つけられなかったようだ。


「旦那さまがご自分で痕跡を消されたとは考えられないのか」

「いえ……無理でしょう。私にも難しいですから」


 オーリーンの問いに、魔法剣士は力なく首を振る。


「旦那さまの魔力はそれほどお強くないので、時間が経って消えたと考えるほうが……」


 グレイは責任を感じているのだ。コンラート広場へ向かおうとした少年を、グレイが止めた。それを彼は、自分が少年を脅しつけて追いつめてしまったように感じている。そうさせたのは彼ではないのに。


「………………」


 テラスの向こうで庭木が闇に沈んでいる。窓辺にたたずみ、皆の報告に黙って耳をかたむけていたあるじが、顔を上げた。


 立てかけてあった剣をつかむ。結局彼女は王宮へ出仕しなかったが、朝から制服姿のままである。つかつかと居間を横切り、出てゆこうとする。


「エディットさま」


 バルバラは思わず声をかけた。「どちらへ?」


「……探してくる」

「エディットさま!」


 振り返ったあるじの思いつめた瞳を見て、バルバラは言葉に詰まった。けれど、オーリーンは容赦ない。


「落ちつきなさい。何度申し上げればおわかりになるのです」

「だが!」

「こうも暗くなってしまっては、見つかるものも見つかりません。よろしいか、捜索は明朝再開します。それまでは各々(おのおの)、休息をとっておくように」


 秘書は一同を見回した。だが、誰もなにも(こた)えようとはしない。


 全員の頭の中にあっただろう。──もしかしてこれは、単なる家出ではなく、計略の一部ではないか。コンラート広場への呼び出し状はただの(おとり)。本命は、こうやって別口で彼を拉致することにあったのではないか。


 しかし、それは考えづらい。少年が屋敷を出ていったのは、いわば()()()()だ。それに、彼がエレメントルート伯爵であることは世間に知られていないはずだ。これがどういうことなのか、バルバラにはわからない。


「わたしが探してきます」

「バルバラ」

「エディットさまは、ここでお待ちになっていらしてください。旦那さまがお帰りになったとき、迎えてあげられるように」


 ほかにどう言えばいいのだ。バルバラはあるじの返事を待たず、きびすを返した。料理長のネロが、大きな丸顔に眉をハの字にして、彼女へ告げる。


「旦那さまのお好きな料理を、ありったけ用意しときますから」

「ええ、お願い」


 廊下へ出てすぐに、グレイが追いついてきた。


「私も行きます」

「なにか考えはある?」

「すみません、あとはもう、精霊を残らず呼び出すくらいしか……」


 仰向くと、グレイは困ったように青灰色の瞳をしばしばさせている。バルバラはうなずいた。


「誰でもいいからさっさと呼んで、探させてちょうだい。頼んだわよ」


 バルバラはグレイと二人、屋敷を飛び出した。





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