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 すごい。


 ほかに言いようがない。


 ダーヴィド一家による──おそらくは、であるが──本邸襲撃、それからエディットが帰宅するまで、たったの三日間しかなかったわけである。


「……………………」


 俺はただただ口を開け、食堂を見回していた。


 前庭に面した窓のカーテンはことごとく焼け落ち、燃えさしの切れっぱしが残るのみだったはずだ。それが、以前とまったく同じ色合いの布で新調されて、波型に整った()()も美しい。(すす)で真っ黒だった天井もきれいに塗り直されている。


 長テーブルにあった大きな焼け焦げは跡形もない。椅子の座面は残らず張り替えられたし、壁なんか目が痛いほど真っ白だ。これを機に()()()()()()()壁紙を張り替えたそうだ。お金持ち、おそるべし。


 厨房もすっかり元通りだ。いや、へこんだお鍋は全部新品と入れ換えられたので、料理長のネロはご満悦のにこにこ顔になっている。


 ──その日、ネロの気迫に満ちた夕食のメインは、牛の頬肉の赤ワイン煮込みだった。デザートのリンゴのキャラメリゼを味わいながら、俺は給仕をしてくれたワトキンスに尋ねてみた。


「グレイさんはどちらに?」


 人海戦術のおかげで年代ものの銀食器がぴかぴかに戻ったからだろう。黒服の執事のまなこも普段より三割増しの黒光りだ。


「お夕食の前でございましたら、確か前庭にいたように記憶しております」


 俺は食事をすませて、グレイのひょろ長い姿を探しに行った。改装のあらかたが終わって、大勢いた職人たちもずいぶん数が減っている。俺の従者は(にれ)の大樹の根元に腰を下ろし、しょんぼりと背を丸めていた。


「グレイさん」

「ああ、旦那さま……」


 日の落ちた前庭からの、大工たちが()()()()と称する喧騒に混じり、哀切極まりない声が返ってくる。「私になにかご用でしょうか……?」


 ご用もなにも、彼の役目は俺のお付きだ。主人をほっぽらかしにして、こんなところで膝を抱えていていいわけがない。


「グレイさん、風邪を引きますよ。中に入りましょう」

「…………」


 無言である。いかにも世をはかなむふぜいが痛々しい。俺はため息をついた。──エディットならわかってくれると思うんだけど。


「僕、グレイさんに教えてもらいたいことがあるんです」

「かしこまりました……」


 従者はうなだれたまんま、しおしおと立ち上がった。


()()()()()()についてなんですが……」


 ()きながら、俺はとりあえず一階の居間へ向かう。あとをとぼとぼついてきたグレイは、青灰色のたれ目をぱちくりさせた。


「旦那さま、空を飛びたいんですか?」

「ええ、まあ。──このあいだ、グレイさんは屋根にのぼってましたよね? 魔法でなんでしょう?」


 本邸襲撃の明け方である。グレイは敵の魔法使いとともに、屋根の上にいた。そして雨がやんだときには庭に降りていた。空を飛んだとしか思えないではないか。


「はあ……風の魔法の応用ですかねえ」


 と、魔法剣士は首をかしげる。「種類で言えば、想像魔法(いまーご)になりますね」


 おお、風の呪文か。なら俺にだって(うた)えるぞ。


「空気の流れを利用して、自分の体を上に押し上げるんですよ」


 言いつつグレイは、用心深く上目になった。背の高い彼が天井へ頭をぶつけずにすむ距離を測ったらしい。


「ようは、下に向かって風を吹かせるわけですが──」


 ふわり──室内に気流が起こった。俺は目を(みは)る。絨毯の長い毛足がわずかにそよいでいる。グレイの足元で風が大きく輪を描いた。ゆっくりと、両足が床から離れてゆく。


 暖炉の炎がゆるやかに巻き上がる。カーテンが揺らぎ、髪がなびく。徐々に風は強くなり、彼の体は床から一メートルばかり浮き上がった。


 さすがだ。このくらいの術なら、詠わなくても使えるのか。


 俺が露骨に感心したものだから、グレイも調子が出てきたようだ。ずいぶん得意そうな顔になる。


「いきなりやめると一気に落ちるので、衝撃で足の裏が痛くなります。降りるときは、少しずつ力を弱めていくのをお勧めします」

「へえー」

「──いいかげんにしなさい!」


 いつのまにか、侍女のバルバラが戸口で仁王立ちだ。「もういっぺんお屋敷を火事にするつもり?!」


 見れば暖炉の炎が風にあおられて、ものすごい勢いで燃え盛っている。どたり、と、大きな音がして、グレイが床に転がり落ちた。


「グレイさん! 大丈夫ですか?!」

「は、はい、お気づかいなく……」

「あーっ! もうっ! 灰が!」


 ほうきほうき、と、バルバラは大騒ぎだ。──どうやらこの方法だと周りに迷惑をかけてしまいそうな。


 残された時間は多くない。俺はグレイをともない、翌朝一番で(あお)の塔を訪れた。普段なら昼食をすませたあとで向かうのだが、このところは改装工事の邪魔にされて、午前中から出かけているのだ。


「──空を飛ぶ魔法かね?」


 オドネルはあれこれ書きつけていた紙から顔を上げて、瞳を輝かせた。


「おお、()()! これこそが浪漫(ろまん)だ!!──じつをいえばね、カイルくん。私は空を飛びたいがために、魔法使いを(こころざ)したと言っても過言ではないんだよ!」

「えっ、そうなんですか?」


 前に、元魔法士の家の生まれだからって言ってなかったっけ?


 オドネルは羽根ペンを机に置くと、勢いよく立ち上がった。


御空(みそら)より地上を見下ろす始まりの大神は、なにゆえ人にあまかける翼を与えなかったのか? 天上は人間のものではない、というのが、神の(おぼ)し召しなのか。(いな)! これは人間に残された可能性だ。すなわち挑戦だよ! きみたちもそうは思わないか?」


 一概に賛成はしづらいが、大きく両手を広げて今にも羽ばたかんとする勢いである。王宮魔法士ジュリアン=オドネルは、()()に関して一家言あるようだ。


「われわれはこうして、息を吸って、吐くだろう? 生きとし生けるものが存在するだけで、空気は流れ動く。いいかね、カイルくん、想像するんだ。魔力で動かす。()()()()()()()──」

「オドネルさん」


 俺は急いでさえぎった。「すみませんが、その方法でしたら、ちょっと」


 グレイもちらりとユーリに目をやった。「間違いなく怒られます」


 オドネルはきょとんと俺たちを見比べた。が、俺とグレイがふるふると首を振っているのを見て、釈然としない様子ながらも両手を下ろす。「……そうかね」


「ティ坊ちゃま、もうそろそろいいですか?」


 むっつりとこちらを見やるユーリ=ローランドは、すこぶるつきの不機嫌だ。


「師匠は忙しいんです。返事を書かなくちゃいけない手紙が、こんなにたまっているんですから」


 二人の前の大机には、百ではきかない数の封書と、書きかけらしい便箋がうずたかく積まれている。──危なかった。オドネルが、()()()()()()()()()()()、すべての紙が舞い散ったり、あまつさえ暖炉へ飛び込んでしまいでもしたら、ユーリは文字通り烈火のごとく怒り狂っただろう。


 先月この蒼の塔で開催した『滅びつつある魔法文化の保護を推進する会』のせいで、彼らは今、猛烈に忙しい。


 あの会は、招待された貴族たちの多くになにかしらの感銘を与えたようだった。気がつけば、口伝えで評判が広がっていた。会の数日後から、オドネルのもとへ手紙が舞い込み始めたのだ。ほとんどが「次回はいつなのか」という問い合わせか、「うちへきて魔法を見せてほしい」という要請である。しかも、見るたび数が増えている。


「まったく、師匠は王宮魔法士なんですよ? その辺の大道芸人じゃあるまいし、呼びつけるなんて失礼でしょう」

「そういうものかね」


 ぷりぷりと腹を立てるユーリを見て、オドネルは困っているようでもあり、面はゆそうでもある。なにせ相手は貴族だ。断るにしろ、丁重に礼をつくした返事を書かなければならない。このごろの二人は、本来の役目そっちのけで手紙を書き続けている。


「今朝などはね、カイルくん。王都で一番だというサーカスの座長から、勧誘の手紙が届いたんだよ」

「そんなことを自慢してどうするんですか。いいから師匠は続きを書いちゃってください」


 どっちにしても叱られるはめになり、オドネルには大変申し訳ない。──簡単に()()のは無理だろうか。いい考えだと思ったんだけど。


「旦那さま、守護精霊(ぞるがんど)に乗せてもらってはいかがです?」


 グレイが言う。確かに俺も考えなくもなかったのだ。しかしカローロは、俺を乗せて飛ぶには微妙な大きさだ。それに、人が大勢いる中でそんな真似をしたら、とてつもなく目立ってしまう。


「どうしてまた急に、空を飛びたくなんてなったんですか?」


 と、ユーリも問うてくる。「王后陛下のご一行は、午後には王宮へお着きになるんでしょう? こんなところにきていていいんですか?」


「はい、だから急いできたんですが……」


 俺が口ごもると、三人の視線がいっせいにこちらに集まった。答えずにすませるのは無理なようだ。恥ずかしいので下を向く。


「王后さまがお帰りになったら、きっと大通りはすごい人出になるので……」


 出発のときもそうだった。したがって、帰りも同じ事態が予想される。この寒い中、朝から場所取りしてる人までいるんだもの。


「ぜんぜん見えないだろうと思いまして……」


 ユーリは眉間にしわを寄せた。


「もしかして……エディット姫が?」

「……はい」


 エディットが()った朝、俺は大通りまで彼女を見送りに出かけた。けれど、王后さまの馬車に付き添う彼女の姿は、ちらっとしか見られなかったのだ。一メートル、いや、ほんの五十センチでいい。人混みの中でも浮き上がることができれば……


「ああ……」


 ユーリは大きく息を吸いこみ、そして吐き出した。まさしく生きとし生けるものが存在するだけで、空気は流れ動いている。「なるほど……」


 馬鹿馬鹿しいって言われなくてよかった……


「お屋敷の窓から大通りは見られないんですか?」

「それは、見えますけど」


 だって、遠いんだもん……見えてもすごくちっちゃいでしょう。俺はすぐそばで見たいのだ。彼女が()()してくる雄姿を。


「いい考えがありますよ、旦那さま」


 ひらめいた、という顔になったグレイが、ぽん、と手を打つ。


「私が()()してさしあげます」

「肩車ですか?!」


 俺の従者は身長二メートル。間違いなくとっておきの特等席だ。一瞬心がぐらついたことは認めよう。だがしかし。


「結構です……」

「どうしてです? 王都中を探したって、私より背の高い人はそうそういるもんじゃありませんよ」

「ええ、いえ、ご厚意には感謝します。ありがとうございます……」


 あきらめよう。きっとそのほうがいい。


 ──もうすぐエディットが帰ってくる。


 俺たちは屋敷へ戻り、昼食をすませた。バルバラが朝から大はりきりだったから、どの部屋も、廊下も、あますところなく磨き上げられている。ひび割れた大扉がつけ替えられたのは今朝だ。(ひいらぎ)の意匠の家紋も真新しい。


 今ごろはどこだろう。隣の町を過ぎただろうか。


 部屋のバルコニーから通りをながめてみる。人がずいぶん増えたようだ。下男のマイルズが、暇を見つけては外の様子を確かめに行っている。数時間おきに部隊からの先ぶれが到着し、行軍の進み具合を知らせてくれているらしい。


 日がかたむき出したころ、わあっ……と歓声が聞こえてきた。俺は結局、大通りまで行かなかった。だって、もう彼女は帰ってくる。すぐそこまできているんだ。


 エディットは王后さまの親衛隊の隊長だ。お城に着いたら王さまに挨拶して、たぶん遠征隊の解散式とかがあって、帰れるのはそのあとだろう。うちに着くのは暗くなってからかな。それならやっぱり大通りまで行ったほうがよかったかも。遠目にでもいいから、彼女の顔を見ておけばよかった。


 夕方になって、空には薄い雲が細い筋を描いた。西のほうが赤い。階下でちょっとした騒ぎが起こる。マイルズがエディットを迎えに馬車を出すのだ。


 俺は膝の上に本を開いていた。なんとなく文字を目で追い、(ページ)をめくっていた。でも、お話はまったく頭に入ってこない。


 何度も本から顔を上げた。いつまで待っても日は落ちず、だんだん時間が経つのが遅くなっているような気がする。くり返し、窓の外を見る。


 ようやくバルバラが部屋に明かりをつけにきた。侍女が去った直後、前庭から馬のいななきが聞こえた。俺は本を閉じて立ち上がった。


 ──カラン。


 廊下に出たとき、新しい扉につけ替えられたベルが鳴る。階段の手すりをつかむ手に力が入る。まるで雲の上を歩くみたいな、足元がふわふわした妙な心地だ。大扉が開いて、先に姿が見えたのは彼女の従者、ドワーフおじさんだ。彼のずんぐりした体の後ろから──


 俺は玄関ホールに降りたところで、立ち止まってしまった。


 ──ああ、なんて。


 なんてきれいなんだろう。


 切れ長の(すみれ)の瞳も、ほの白い頬も、少しも疲れなんか見せていない。いつもと同じ、黒い長い髪をきっちりと後ろでたばね、外套(マント)の下は傷ひとつない銀の胸当て。腰にはレイピア。


「カイル!」


 俺を呼ぶ、凜々しくも愛らしい声。


 気がついたら、俺の前にはエディットがいた。夢ではありえない証拠に、優しく腕を引かれて、抱きしめられた。──耳元に、彼女の吐息がかかる。


「……ただいま」


 俺はおずおずと彼女の腰に腕を回す。なかなか声が出ない。どうにかふりしぼるように、言葉にする。


「……おかえりなさい」

「うん」


 顔が見たくて、少しだけ体を離そうとした。そうしたら──彼女が俺の唇に、唇を重ねてきた。





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