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そうしておよそ三週間──
俺たちは、塔の中をひたすら磨き続けるはめになった。
「からっぽにはしないでおきましょう」
と、俺は言った。計画するのは魔法学校の宣伝兼寄付を求める会だ。とは言いつつ、本当の目的は仮面の男の候補者たちを一か所に集め、俺が姿を確かめることにある。
ちょっとした舞台と楽屋、それに、招待客が座れるだけの空間があればいい。あくまでも、狭いので大人数は入れない、という体裁を取る。
「会の名目ですが、寄付を募ることより『魔法文化の保護』を押し出すのがいいと思いますよ」
ユーリの意見である。王宮魔法士ジュリアン=オドネルは、王立魔法学院の再建を目指している。予算が足らずがちだと声高に言いつのれば、角が立つ。
招待したからといって、目当ての貴族が全員きてくれるとは限らない。そこでオドネルが、意外にも策士であるところを見せてくれた。
「世界樹の木陰にはすべての旅人が身を寄せる、と言うじゃないかね」
なんと彼は、俺の中での仮面の男第二候補、ゾンターク公爵をくどきおとしたのだ。
それがまんまと功を奏した。ゾンターク公は、招待客の中で最も身分が高い。だけではなく、国王の補佐役たる宰相の地位にある。魔法学院の再建には、責任者の王弟殿下より国王陛下のほうがご熱心でね──と、オドネルは苦笑いする。国王派の筆頭、わが国の宰相閣下がお出ましともなれば、ほかの面々も気軽に欠席はしづらかろう。
結果、オドネルが美麗な筆致で書き上げた招待状に対する返信は、見事全員出席とあいなったわけである。
表立ってエレメントルート伯爵家の名前を出してはならない。会の準備は、俺たち三人でひっそりとおこなった。手が欲しいときには、お供の従者、グレイに手伝ってもらうことにした。
その分料理長のネロが、腕によりをかけたおやつを持たせてくれている。甘い糖蜜をどっさりかけたワッフルを味わいながら、俺は届いたカードに記された『出席』の文字をながめていた。
「──手紙って」
ふと思いついて、尋ねてみる。「隣の国まで届くんでしょうか?」
「場所によるんじゃないですか」
三つ目のワッフルに生クリームを山と盛り上げて、ユーリが首をかしげた。
「どの国へ宛てるんですか?」
「ハティア王国ですが」
「ハティアといっても広いですよ。ハティア王国の、どちらまで?」
「王宮ですけど……」
「王宮ですか。王宮なら人であふれ返っていますよね。いったいどなたへ?」
そこまではっきり訊かれると……ユーリの瞳の輝きに、嫌な予感がする。が、とりあえずは抵抗を試みてみる。
「王后さまのご一行です……」
「ご一行でもまだ大勢ですよねえ。わたし、ご出発のとき、見に行っちゃいました。立派な行列でしたねえ」
……もちろん、俺だって見に行きましたよ。
にやーり。
ユーリの唇のはしが裂けるがごとく見えたのは、俺の気のせいではあるまい。
「あの中の、どなたへ?」
ううう、そういうことか……彼女は気づいているのだ。顔が熱くなってしまうので、俺は下を向いた。けれど、いつにも増して容赦ない視線が追いかけてくる。
「ティ坊ちゃま、どなたへ?」
二人の魔法士──オドネルとグレイ──は、大口を開けてワッフルを放り込みつつ、魔法談義に大輪の花を咲かせている。こちらの話を気にする様子はない。
「僕の妻です……」
「ああ、そうですか。奥さまへのお手紙なんですね。なるほどなるほど」
ユーリは三つ目も瞬く間にたいらげてしまい、湯気の立つお茶をひと口すする。
「僕の妻、便利な言葉ですねえ」
宛名に書いても届くかどうかわかりませんよ、と、俺の元家庭教師は、意地の悪い口ぶりだ。
お茶の時間が終わったあと、ユーリは俺へささやいた。
「ティ坊ちゃまは、いつも奥さまのことをなんて呼んでるんですか?」
しかし今、俺たちは猛烈に忙しいのである。ユーリ=ローランドのつっこみは、それまでとなった。
エディットはどうしているのかな──俺は毎日考えていた。旅の途中、冷たい雨が降ってはいないだろうか。山賊とか狼とかが、部隊を襲いに現れるかもしれない。若くして隊長になった彼女に不満を持って、部下たちが反乱を起こしていたらどうしよう。
手紙を書こう、と思いついた。俺たちが仮面の男を探し続けていると、彼女に知らせたい。目的地のハティア王宮へ宛てれば、まだ間に合うと思われた。
だが、よくよく考えてみれば、報告なら有能な秘書が日々書き送っているのである。俺が手紙を書く必要性は特にない。忙しくしているうちに、手紙を出してもハティアへ届く前にエディットが帰路についてしまうころになっていた。
そんなある日、金づちをふるって板に釘を打ちつけながら、グレイが言い出した。
「旦那さまも、そろそろご自分を守る手段をお持ちになるといいかもしれませんね」
明日のおやつはアップルパイだったらいいですね、くらいののんきな口ぶりに、蒼の塔の王宮魔法士も、あっさり笑って賛成した。
俺は、オドネルから今までより多くの魔法の指導を受けた。魔力を引き出すための訓練と、いくつかの契約もおこなった。
屋敷には侵入者もなければ襲撃もない。俺に接触してくるあやしい人物も現れない。秘書のオーリーンは、周囲に警戒していると取られないよう警戒を怠らずにいる。
とにかく今は、手紙を書くどころではない。
◆◇◆
『滅びつつある魔法文化の保護を推進する会』と銘打った催しの当日が、ついにやってきた。
「ようこそいらっしゃいました!」
外ではユーリが招待状と引き換えに、プログラムを手渡している。いつもは地味な上着とスカート姿の彼女だが、今日は違う。髪をほどいてシルクハットをかぶり、男ものの燕尾服、眼鏡もかけている。目立つそばかすの化粧までほどこし、ようは見世物小屋の口上師を意識した扮装だ。
戸口をくぐった人々は一様に、ほうっ、という顔をする。
蒼の塔の一階は、魔法学院のころは大講堂だったそうだ。たくさんの上げ下げ窓から、淡い冬の陽がやわらかく差し込んでいる。石張りの床にくっきりと描いた魔法陣。その上に、不ぞろいだがきれいに埃を落とした椅子が、人数分ならべてあった。
大小の本棚。いつの時代のものかもわからない、古い古い書物たち。あやしげな金属の物体は、どれも磨いてぴかぴかになった。水晶玉や薬瓶、色味のある石、神秘的な雰囲気のあるものを手前にして、妙な干物や葉っぱのたぐいは奥に隠してある。いかにも魔法の教室らしい、不思議な景観ができあがっていた。
しかも、流れているのはにぎやか過ぎず、かつ、心浮き立つ音楽である。俺は『銀星館』のラウラに助力を乞うたのだ。楽人が数人と、例の女の子たちも応援にきてくれていた。
ここは、まがりなりにも王宮の一部である。女の子たちは、あの布の少ない衣装ではない。ちょっぴり派手なドレスに、化粧は相当控えめだ。それぞれが献金箱を持ち、部屋の四すみに立っている。
「──ティ坊ちゃま」
人が途切れたすきを見て、ユーリが楽屋へ戻ってくる。俺に招待状を渡し、どの人物が誰なのか、手早く教えてくれる。
本日やってくる男たちは、全員が爵位授与式に出席している。加えて、「例の日」の在宅証明がない。背丈と体格、瞳の色を、記憶の中の仮面の男と比べてゆく。
座席の半分以上が埋まったころ、レールケ伯爵が姿を現した。
表情の乏しい男である。彼は夫人をともなわず、一人だった。楽屋の衝立のすきまから、彼の瞳の色を見ることができた。王弟とともに訪れたときには見られなかった箇所で、暗めの茶色は仮面の男と一致する。だが、アセルス人にはごくありふれた色合いだ。
開会のまぎわになって、ゾンターク公爵が到着しているのに気がついた。彼は不思議な人だ。その地位の高さと美しさにもかかわらず、目立たず──というより、自ら気配を消し去っているかのように、供も連れず、ひときわ大きな書架の前にたたずんでいた。
病み上がりの詩人のようなレールケ伯爵。美貌の貴公子が齢を重ね、謎めいた雰囲気をまとった感のあるゾンターク公爵。──こうして見ると、二人は背格好が似通っている。
楽の音がやんだ。
「どうぞ皆さま、お席のほうへお願いいたします」
ユーリの声にうながされ、歓談していた貴族と彼らの夫人たちは、お行儀よく席についた。特に夫人たちは慈善の会など慣れているのだろう。さあ、ちょっとでも金を出す気になるものを見せてくれるか──そんな、好奇心とからかいの混じった視線が集まっている。ユーリは舞台の上で帽子を取り、ぺこりとお辞儀をした。
「本日はお忙しい中お運びいただきまして、まことにありがとうございます」
声が小さい彼女なりの、精いっぱいの口上である。
「わがアセルス王国を代表する知識人の皆さまがたに、『魔法』へのご理解を深めていただきたく、このような催しを開くことになりました」
再び、一礼。
「これより、王宮魔法士ジュリアン・コーネリアス=オドネルが、皆さまへご挨拶をいたします」
ユーリと入れ替わりに、いかにも魔法使い然とした黒のローブをまとったオドネルが、壇に足をかけた。──と同時に、ランプの明かりをしぼったみたいに室内が少し暗くなった。
ゴト……ゴト……
木箱に板を張り、布をかけただけの簡素な舞台だ。彼が踏み出すたびに音を立てる。足音がひとつ鳴れば、まるで昼間から暮れかけた夕方に。もうひとつ鳴れば日は落ちて、いつしか夜に──とうとう辺りは、完璧な暗闇に覆われる。誰かの夫人が、小さく悲鳴をあげた。
そのとき、高い天井のすぐそばに、白い炎のような光の玉が現れた。黒々とした闇間にまばゆく輝いて、人々を照らし出す。
「ようこそ、蒼の塔へ」
明るい魔法の光のもと、オドネルのよく通る声が、部屋のすみずみまで響いていく。
「……魔法とは、魔物の法であると申します」
人ならざるものが持つ、妖しの力と同じだと、異形の魔物にたとえられた言葉である。
「神官は奉ずる神の力を授かるために跪き、祈りを捧げる。しかし魔法使いは、自ら力を持ち、人の身でありながら、精霊や神とでさえも対等に言葉を交わす。──それを恐ろしいと思う向きも、少なからずあるでしょう」
遠くない過去、魔法使いは『兵器』だった時代があった。普通の人間なら、体が大きければ、腕力も強かろう。小さければそれなりだ。だが魔法使いの能力は違う。彼らの力を、見た目から推し量るのは難しい。ゆえに強ければ強いほど、人々の畏怖の対象となった。
「『魔法の力はわが手に宿る』……」
オドネルは、頭上に右手を掲げた。──皆を照らす光の玉は、いくつもの小さな光に分かれて輪を描くと、中空にとどまった。
「力は誰もが秘めている。われわれ魔法使いは、呪文をもちいて外へ現しているに過ぎません。昔はそれを、『魔法』などという大仰な言いかたはしなかった」
かつて『魔法』は、人々の暮らしに根づいていた。薬師が薬の効きを高めるために、料理人は自慢の料理の隠し味に、工人は細工ものに磨きをかけるために、『詠って』いた。──今の時代、そんな光景は当たり前ではない。
「人の世とは、せわしなく煩雑であるのが常。ただ、折があれば思い出していただきたい。神々は今も昔と変わらず、われわれとともにある」
天地には神々が在り、森羅万象には精霊が宿る。神や精霊の気配は、どこにだってある。
「自らの力を高めようと努め、神々との交わりを求め続けるわれらに、皆さまが少しでも共感を覚えてくださることを願ってやみません」
オドネルは言葉を切る。そして手を振る。口元がわずかに動く。
光の玉がさらにこまかく分かれた。ほうぼうへ散ってゆく。小さく、もっともっと小さく──暗い天井には、冴えた光のつぶが数えきれないほどちりばめられて、きら星のごとく瞬いた。
「……『天より星の流れくる』」
声に合わせ、星々は尾を引いて地上へ落ちた。歓声があがった。──大きな光の玉が再び辺りを照らしたとき、オドネルの姿は舞台から消えていた。