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俺だけに、できることがある。
『証拠の手紙』を手に入れようと動くダーヴィド一家。その後ろに、彼らをあやつる貴族とおぼしき男がいる。
仮面をかぶっていた彼についてわかるのは、背格好と、瞳の色と、声。体格から武官ではなく、声の印象では若くない。結婚式と王弟妃殿下のお茶会で出会った男性は、鍛えられた若い近衛騎士がほとんどだ。──残るは、爵位授与式の出席者たち。
秘書のオーリーンは、俺がダーヴィドの館に囚われていた日の朝、ほかの場所にいたと証明できた貴族を辛抱強くリストから省いていた。
現在残るのは二十名足らず。その一人一人に俺が会い、仮面の男と似ている人物、あるいは、似ていない人物を選定する。さらに容疑者をしぼってゆける。
「……おっしゃることは大変よくわかりました」
俺が考えを述べても、オーリーンは眉ひとすじ動かしやしない。
「私は悪くない手だと思いますが」
みんなが集まる居間である。グレイは考え込むような面持ちで言う。
「ようは、こちらの存在を知られずに相手の姿を確認できればいいわけでしょう? 多少は細工が必要ですが、なんとかできると思います」
秘書は軽く息を吐いた。「……魔法か?」
「ええ、まあ。──旦那さまと会った記憶を、相手に残さないようにするんです」
いわゆる『対人魔法』にふくまれる業だそうだ。なかなかに物騒だと思うが、みんなは平然としている。グレイの腕をよくわかっているのだろう。
「でも、どこで会うっていうの?」
侍女のバルバラが口をはさんだ。
グレイはたれ目をぱちぱちさせた。「そりゃあ、一軒ずつ訪ねて歩くしかないでしょう」
「まさか、正面から堂々と訪問するつもりじゃないでしょうね」
バルバラに問われて、グレイは首をひねった。そんなことをしたら、当人だけではなく、使用人やら家来やら、記憶を残さないようにする相手がかなりの人数になってしまう。
「はあ、堂々とはなんですから、こっそり忍び込んでみようかと」
「貴族のお屋敷なのよ。ただでさえ広いんだし、相手がいつどこにいるかもわからない。屋敷にいる日を調べるだけでも、馬鹿みたいに時間がかかっちゃうわよ」
「あー……確かにそうですね」
魔法剣士はしょぼんと肩を落とす。彼のひょろひょろの背中を慰めるようにたたいて、下男のマイルズが言う。
「お城の中ってのはどうです?」
「「お城?」」
何人かが目を丸くした。
もちろん俺もその一人だ。だって王宮は、そこらの貴族の屋敷よりも、遥かに広い。
「お貴族さまばかしなんだから、みんながそっくりひとつところに集まる行事ってなァねえんですかい? ぶとう会とか、えんゆう会だとか」
そこへ出ていきゃ、面通しがいっぺんですむじゃありませんか、と、マイルズは言い、グレイとバルバラが顔を見合わせた。
「うーん……」
エディットのお供で王宮に出入りした経験のあるグレイは、むつかしい顔で腕を組む。バルバラもかぶりを振った。
「あるかもしれないけど、そんな何百人も出席するような会で、どうやって彼らを旦那さまと引き合わせるの?」
「あ」
マイルズは大きく口を開けた。
ためらいつつ、俺も口を出す。「すみません、僕も大勢いる中から、候補の人だけ見分けられる自信がありません」
自信がないどころか、ほぼ不可能である。全員爵位授与式で挨拶を交わした貴族たちだが、べらぼうな人数をこなしたのだ。一人一人の顔は、まったくと言っていいほど覚えていない。
「いっそのこと、うちへ呼んじゃあどうでしょう」
ぽってりした顎の肉を、太い指でつまみながら言うのは、巨漢の料理長ネロである。
「晩餐会を開くんですよ。お客として連中を招けばいい。──料理なら、俺に任せてください」
ええー、おもてなしが大変よう、と、バルバラが身を震わせた。
「せめて、ランチじゃだめ?」
「もちろん。ここはディナーじゃないと」
ネロは巨体を揺らして深々とうなずいた。
食器も調理器具もそろっているのに、来客などめったに訪れない。腕をふるう機会がなくて、料理長としては張り合いのないこと甚だしいのだそうだ。ネロは至って真剣である。
そうまで言われてしまえば、バルバラも苦笑いだ。
「でも、高位の貴族を二十人近く、なにを口実に招くの? しかも、たいして面識もないものを」
「そりゃあ、たとえば……旦那さまのお誕生会は?」
俺は思わず赤面してしまう。
「残念ですが、まだしばらく先なんです……」
たとえもうすぐだったとしても、赤の他人に近い人を大勢招いて誕生会って……かなり寒々しいと思う……
「思いきって、大旦那さまの仇を探すのに手を貸してもらいたいって、ぶちまけちまったらいかがです?」
「あんたたちは容疑者なのよって言うのと同じじゃない。これ以上敵を増やしてどうするのよ」
ネロの案にバルバラが異を唱える。そこへ執事のワトキンスが口を開いた。
「当家には、大奥さまのお輿入れの際、王家より賜った多くの宝石や絵画が保管してございます。それを公開するという名目はいかがでしょうか」
エディットの母親、エルヴィン王女の持参金か。うわあ、本当に古いお屋敷の地下──か、はたまた屋根裏か──には、宝物が隠してあったりするんだ。主人のはずの俺が知らないのもどうかと思うけど。
「それなら、もっと多くの貴族を招かなければ不自然です。あやしまれないほどの人数を集めてしまったら、王宮の行事へ出向くのと変わりありません」
バルバラの言葉に、ワトキンスの眼光がしぼんでゆく。「確かに……」
エディットがいるならまだしも、俺自身は社交界に縁もゆかりもない。個人的な名目で呼び出すのには無理がある。それに、いかにも意味がありげで、こちらの意図を敵に知られてしまいかねない。
「とにかく奥さまのご命令は、ボリスと二人、お帰りになるまで全員が無事でいること。──むやみに敵を挑発するような策には賛同いたしかねる」
オーリーンが冷ややかな声で告げる。もう話はすんだと言わんばかりだ。
「僕や、エレメントルート伯爵家の名前が、表立って出なければいいんですね?」
二十名弱の候補者の中に仮面の男が確実にいるのか、まだわからない。だが、もしもふくまれていたときに、俺たちが彼を探し続け、あと一歩のところまでせまっていると知られたくない。
「さようでございますな」
秘書は眉を片方つり上げた。「ほかにもなにか、考えがおありですか?」
「はい」
俺はうなずいた。
「うちとは関係のない名目で、彼らだけを一か所に集めるんです」
◆◇◆
「ふうーむ……」
俺の話を聞き終えると、オドネルは静かに両手をこすり合わせ、指先で顎を支えた。
いかにも考え込むようなふりをしてはいる。けれど、彼の焦げ茶色の瞳は好奇心に満ち満ちており、あふれ出てしまう寸前だ。「カイルくん、それはなかなか面白──」
「師匠」
すばやくユーリがたしなめた。
「ティ坊ちゃま、お話はわかりました。それで、どうやって高位のかたがたにここまできていただけるよう仕向けるんですか?」
「魔法学校の宣伝と、寄付を求める会を開いて招待するんです」
「おお! なんと素晴らしい!! ドラホミーラ=ヤロミーナが煎じた万能薬のひとしずくにかけて! 一石二鳥とはまさに──」
「師匠はしばらく黙っていてください」
ユーリはため息をついた。
蒼の塔である。──百五十年ほど昔まで、ここは王立の魔法学院だった。魔法士を目指す大勢の生徒が学んだそうだが、往年の盛栄は見る影もない。現在二階から上は封鎖されており、一階にオドネルの魔法研究所が存在するのみだ。
「僕が姿を見たい貴族たちは、全員文官なんです。学校設立の話なら、まったくの無関係じゃないでしょう?」
王宮魔法士ジュリアン=オドネルは、王弟シベリウスの命令で魔法学院の再建を目指している。しかし、人手も資金も潤沢ではない。教材となるかつての魔法士たちの蔵書集めくらいしかできていないのが現状だ。
「オドネルさんやユーリ先生に迷惑をかけることはないと思います。もしもその場で仮面の男を見つけても、なにかしたりはしませんので」
「わたしも宣伝や寄付集めは考えなくもなかったんですが……」
なにせ人手が足りませんからね、と、ユーリは笑う。
「僕も手伝いますから、時々開けばいいんですよ。お金が集まれば、助手だってたくさん雇えますよね」
オドネルとユーリと俺。三人だけの、今のままの蒼の塔が俺は好きだけど、彼らの役目を考えたら、もっとにぎやかなほうがいいに決まってる。
「やってみましょうか。ティ坊ちゃまのお役に立てることでもあるんだし」
ユーリは隣のオドネルへ瞳を向けた。「師匠も、かまいませんよね?」
「もちろんだとも!」
ようやく口を開くお許しが出て、オドネルは満面の笑顔になった。
「さあ! なにを演って見せようか?」
大きく両手を広げる。ぽん、と、音こそしなかったが、彼の右の手のひらからは、子どもが抱えられるほどの大きさの、真っ白な一角獣が駆け出した。
俺たちはそろって息をのんだ。
一角獣は、空中で身をひるがえした。俺たちの頭上で立ち止まり、くるりと輪を描く。カツカツカツ、と小さな蹄の音が今にも聞こえてくるようで、ユーリも俺も目を瞠る。
お次は同じように小さな、それぞれの口が鋭い牙をむく三頭犬だ。続いて現れた人狼と大机の上で取っ組み合いを始め、棍棒を振り回した一目鬼が止めに入る。
「すごーい……!」
ユーリが身を乗り出して歓声をあげた。
どれも玩具のような大きさだが、本物みたいに生き生きと緻密な動きをする。それにオドネルは、ひと言も詠っていない。あやつり人形を躍らせる人形師のように、時々手指を振るだけだ。
「──と、このような出しものを用意しておけば」
パン、と、オドネルが両の手のひらを打ち合わせた。彼の魔法は瞬時にかき消えた。「お客さまがたが退屈することもないだろう?」
「師匠の魔法が注目を集めているあいだに、坊ちゃまが一人一人の顔をじっくり見ることもできますよ」
「そうですね」
「では、さっそく明日から準備にかかるとしよう!」
今にも始めようというように、オドネルが勢いよく立ち上がった。
「オドネルさん、ユーリ先生、本当にありがとうございます」
二人の理解がなかったら、こんなにすんなりとことは運ばなかっただろう。「僕が彼女の留守にできることなんて、ほかにないので……」
ユーリの栗色の瞳が、俺を見て面白そうに瞬いた。
「ティ坊ちゃま、彼女って、誰のことですか?」
「え?」
そんなの、決まってるじゃない。
「僕の妻のことですが」
「なるほど、奥さまですか。そうですよね」
「ええ、そうですよ」
ほかに誰がいるっていうの?
俺は思いっきり不思議そうな目つきをしたに違いない。しかしユーリは涼しい顔だ。いったいなんなの?
「師匠、明日から忙しくなりますよ。偉いかたがたをお招きするんですから、全部片付けなきゃ。椅子も机も磨かないといけませんし、手続きも必要かもしれません。──招待状は師匠に書いてもらいますからね」
「むろん! 書きものならすべて引き受けようじゃないか!」
二人はとても楽しそうである。──これからしばらくのあいだ、忙しくなりそうだ。




