聞き込み
「──伯爵閣下ともあろうおかたが、俺のような浪人ものを謀ったと申されるのか!」
ボリスは腹に力を込めて、辺りの空気を震わすほどの大声を出した。
通用門には年若い騎士が応対に出ていた。大きな図体をして、まるでおびえた小動物のようだ。身の丈は低くとも、荒々しいつらがまえのボリスに、すっかり気圧されてしまっている。
「なあ、殿さまに会わせてくれ。会えばわかる。きっとわかる。な?」
一転泣き落としの体で、ボリスは騎士の制服の袖に取りすがった。殿さまは一時間も前に出かけており、留守であることは百も承知、二百も合点のうえである。
ほとほと弱り果てたように、青年騎士は首を振った。
「閣下はご不在だ。何度申せばわかるのだ」
「そんなはずはない! 今日のこの日を指定されたのは、そちらではないか!」
「人違いだと言っているだろう!」
騎士の声も高くなった。
「──騒々しいぞ、アルフォンソ!」
二人のやり取りを聞きつけてか、門の内から黒服の小男が現れた。察するに執事だろう。ボリスのうちの冷徹な秘書に、慇懃で眼光鋭い執事を混ぜ合わせ、銀縁眼鏡だけ取り去ったような人物だ。
「この男はなんだ。さっさとつまみ出せ」
長剣を腰に差したきり、垢じみた身なりのボリスを一瞥し、執事は顎をしゃくる。青年騎士はしどろもどろに言い訳した。
「そ、それが、この男が、閣下から仕官の口を世話してやると言われたとかで」
「仕官?」
執事は眉間のしわを深くした。ボリスはここを先途とばかりに言いつのった。
「俺はこちらの閣下に言質をいただいたのだ。きっと雇ってくださるとの仰せだった。信じてくれ」
「まさか。人違いだ」
「そんなはずはない。こちらはベルトラン伯爵の私邸では?」
「いかにもそうだが……」
じろじろと、執事はボリスのずんぐりしたなりを、上から下までながめ下ろす。
「なにゆえわがあるじが、おぬしのような浪人ものと約束する?」
「親しくなったのだ。ゲール街の、『翡翠亭』という酒場だ。閣下はお忍びで、お一人でいらしていた」
「ゲール街!」
執事は鼻先で笑い飛ばした。「あんな下町に、あるじが出向くことなどあるものか!」
「だから、お忍びだと申しただろうが」
ボリスは大いに顔をしかめてみせる。
「とりすました家族と家来たちにかこまれて、日ごろは息をつく暇もない、こういった店で酒を飲むのが唯一の楽しみだと、しみじみおっしゃっていた」
「なにを馬鹿な」
「本当だ。閣下はともに飲んだ俺をお気に召してくださり、ぜひにも屋敷へ訪ねてこいと」
「いつ?」
「五日の晩──いや、一夜飲み明かしたのだから、六日の朝」
執事は眉ひとすじ動かさない。しかし、かたわらでしょぼくれていた青年騎士の顔が、見る間に明るくなった。「五日なら間違いなく別人だ!」
「なんだと?」
「そう凄むな。五日の夜、閣下はご在宅だった。国許から姫がお着きになった日だから間違いない。翌朝も、朝食をともになさっていた」
「そんな……」
「……これ、アルフォンソ」
執事の目の光と声音に、さらなる警戒の色が加わった。この辺が潮どきか。ボリスは悄然と肩を落とした。
「まことにもって、失礼千万申し上げた……」
「おぬしはからかわれたのであろうよ」
いくらかでも気の毒に思ったのだろうか。青年騎士が憐れむように言った。
(ベルトラン伯爵も、違う……)
仮面の男の、正体についてである。
あるじの夫である少年は、ダーヴィドの館に捕らわれたとき、不可思議な人物と相対したという。──貴族らしい、黒い仮面をかぶった男。金髪のかつらをつけない少年を目にし、当代エレメントルート伯爵とただちに看破した。それほど彼と、間近に会ったことのある人物。
──詫びを言い、ボリスは追い立てられるように、ベルトラン伯爵邸をあとにした。執事のほうは、彼が立ち去るまで口をつぐんだままだった。あの様子では、誰ぞを翡翠亭まで確かめにやるかもしれぬ。だとしても問題はない。亭主とは本当に懇意にしており、口裏を合わせる手はずは整っている。ベルトラン伯爵を騙った男のゆくえは、知れずに終わる。
少々強引だったかもしれない。けれど、仮面の男の可能性がある貴族はまだ大勢残っている。別邸の連中と手分けしてはいるが、日が経って人々の記憶が薄れぬうちに、当日の全員の動向をつかんでおかねばならないのだ。
「──ボリスさん!」
うちへ戻る途中、道ゆくボリスへ声をかけてきたのは、本邸の侍女バルバラだった。
バルバラは小間物売りの姿に扮していた。背負った箱の中身はおおかたが売りものではなく、変装に使う衣装や小道具が詰めてある。
「どうだった?」
いつもは元気いっぱいに姦しい彼女だが、珍しく声に旺盛さが欠けている。収穫がないのだろう。
「俺のほうはさっぱりだよ」
「わたしも」
追いついてきたバルバラは、ボリスとならんで歩きながら、ぽつりと言った。
「……二人とも、違った」
彼女が隣で首を振ると、肩でそろえた金茶の髪が、さらさら揺れた。ボリスは軽く笑う。
「当たり前だろう」
「当たり前? どうして?」
「真の親玉は、気軽に手先と会ったりなどせんものさ」
「そうかあ。わたし、どっちかじゃないかと思って、少し期待しちゃってた」
心底がっかりしているようだ。──国王陛下も、王弟殿下も、六日の朝は恒例の朝餐会で、たくさんの人に姿を見られていた、と、バルバラは言う。
「影武者って方法もあるかなあと思ったんだけど」
とはまた、えらく突拍子もないもの言いである。ボリスは吹き出しかけたが、バルバラのまんざら冗談でもなさそうな口ぶりに、危うく思いとどまった。
「無理よねえ。王后陛下や王子殿下をはじめ、王族の皆さまがたがずらりだもの。まさか、全員の目を欺けるとは思えないわ」
可能性は高くはなかった。だが確かに、国王マティウス二世、王弟シベリウス、ともに仮面の男の候補ではあった。
『確実といえる情報は二点しかない。男性であり、旦那さまがエレメントルート伯爵だと理解したこと。それ以外はあてにするな』
秘書のオーリーンの弁である。しかし、そうとも限ったものではない。仮面の男は文人、という、彼が抱いた印象も、無視はできない。
結婚式であるじ夫妻と対面した男性は、ほとんどがあるじの同僚の近衛騎士である。扮装した少年は、王弟妃のお茶会でも姿を見られているが、成人男性といえば、やはり大半が近衛隊の騎士だ。騎士ならば誰もが鍛えてあって、たくましい。オーリーンだとてわかっているのだ。中年、壮年の貴族が多かった爵位授与式の出席者を、優先して調べさせているのだから。
オレース街の銀星館まで、迎えの馬車を走らせたのはボリスだ。ダーヴィド一家もさすがにお屋敷街まで追いかけてくるような無茶はせず、馬車はなにごともなく本邸にたどり着いた。
扉を開けたボリスは、車寄せに降り立つ若い夫婦を見て瞠目した。──あるじにも、あるじの夫たる少年にも、である。
『カイル』
先に降りたあるじが、少年に手を差し伸べた。ステップへ足を降ろそうとしていた少年は、さっと顔を赤くした。
もとより彼は十五歳。成人を迎えていくばくも経たぬ。ひ弱、という言葉がやけに似合う、ボリスのような男から見れば、ほんの子どもだ。大きな緑のまなざしがぼうっと夢を見るようで、線の細い華奢な体つきは、そうと知らねば十三歳と言われても信じただろう。
けれど春先──ボリスがアルノーまでバルドイ男爵の子息たちの身上調査に出向いてから──と比べると、ずいぶん背が伸びた。ひたむきな横顔からは、いつのまにかあどけなさが薄れている。
銀星館の使いのものから聞いていた。少年は右肩に怪我を負っていたのだ。彼は差し出された右手へ、左手を重ねた。彼が地面に足を下ろすと、薄い肩にはふわりと外套がかけられた。少年は、恥じらうように瞳を伏せた。
『あ……ありがとうございます』
『いや』
あるじは低く、いたわりのこもった声で応えた。
皮肉なものだ、とボリスは思う。ゆえあって、あるじは形ばかりの夫を迎えることを選んだ。誰からも反対されなければそれでいい、ただ夫としてあればそれでいい、と、ことさらに目立たない、つまらないただの子どもを選んだはずだった。
それがどうだ。彼女の、あの瞳の色は。
ものごころつくかつかないかのうちに、あるじは父母を失った。弟は生まれてこなかった。周囲の憐れみや同情の声をよそに、あるじはそれを苦にする様子を見せなかった。彼女には目的があったから。父の仇を討ち果たすという、幼子には苛烈に過ぎる念願があったから。だから彼女には、孤独を憂う暇などなかったのだ。
なのにあるじは今、自らが夫に選んだ少年を失うことを恐れている。
「……ボリスさん、このあとはどうするの?」
かたわらのバルバラが問うてくる。彼女は己れが受け持つ貴族の屋敷を、もう一軒回るのだそうだ。
「俺は一度、うちへ帰るよ」
と、ボリスは答えた。「じきに旦那さまがお出かけになる時刻だからな」
「そうだったわね。大変だろうけど、がんばって」
なにせ「旦那さま」のお供は骨が折れる。蒼の塔の門番を務めるがごとく、午後中扉の前に立ち通しなのだ。ボリスはとうとう笑い出してしまった。
「バルバラも気をつけてな」
「うん、ありがとう」
よいしょ、と荷を揺すり上げ、行商に化けた小柄な侍女は、煉瓦造りの塀の角を曲がっていった。
晩秋の空は、青く澄んで高い。──バルバラを見送ったボリスは息をひとつ吐き出し、家路へ向かう。