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 ユーリ=ローランドは、機嫌が悪い。


「……万物は名前を持って初めてそこに()り、認識されるなにかとなる」


 ジュリアン=オドネルの講義は続く。非合理に長い黒髪、理知的な光をたたえた焦げ茶色の瞳。漆黒のローブをまとう彼は、現在のアセルス王国にただ一人の()()魔法士だ。


「たとえその名が『虚無』であろうと『空漠』であろうとも、存在しないものには名前がない。──言い換えれば、名前とは実存の(あかし)。すなわち、名前こそが個の本質」


 聡明で穏やかな顔をほころばせて言う。彼ほど楽しそうに、また、うれしそうに話をする人を、俺は寡聞にして知らない。


「まだなにものでもないものに名前を与え、名前という言葉で縛ることにより使役する。それが、召喚魔法(さーる)の根幹だ」

「呼び出す相手に、こちらが名前を付けるんですか?」


 と、俺は尋ねた。オドネルは、よくぞ()いてくれたと言わんばかりに身を乗り出した。


「むろん、そうだとも!」


 俺は納得できず、どうしても首をかしげてしまう。


「でもオドネルさん、魔物はともかく、神さまや精霊なら、もう名前くらいあるでしょう?」

「いい質問だね」


 オドネルはうなずいた。


「カイルくんの言う通りだ。神々はもとより、あまたの精霊たち、年経た魔物などにはすでに固有の名前がある。──天地が初めて開けしときに成りし神に名付けたのは誰なのか、という疑問が、常につきまとうがね」

「……ティ坊ちゃまには、ずいぶんくわしく解説するんですね」


 いよいよ堪忍袋の緒が切れた、というふうに、ユーリが口をはさむ。


「わたしのときは、もっとあっさりしてたと思いますけど。まさか、理解できないと思ってたんじゃないでしょうね?」


 するとオドネルは、芝居がかったしぐさで大きく両手を広げた。


「おお、ローランドくん、そんなつもりは毛頭ないよ!」


 ユーリは胸いっぱいに息を吸いこみ、深いため息をついた。


「……だいたい、わたしは師匠から火精の名前を()()()()()()()じゃありませんか。自分で名付けたりなんかしていません」


 彼女はオドネルの最初の弟子だ。彼女が彼から教わった呪文はたったのひとつ──炎の精霊からほんの少し、小指のつま先の、先の先のさきっちょほどの力を借りる言葉がひとつきりだそうである。


「そう! まさしく私はその点を言いたかったんだ!」


 弟子のふくれっつらなんかおかまいなしに、師匠は叫んだ。


「それを知るものから教わる。今の時代、神々や太古の精霊の名前を知るすべはほかにない。師はそのまた師から、師の師はさらにそのまた師から──最初の師匠がどうしたかといえば……」


 大机に広げた巨大な地図には、染みとも虫食いともつかないしるしが無数にあった。それをひとつずつ、オドネルの指がたどってゆく。


「偉大なる先人たちは、人ならざるものの()みかへ足を踏み入れることを恐れなかった。迷宮には財宝が眠っていただけじゃない。神々に近しいものが、多く住まっていたんだよ。──そうやって人間は、人間以外のものとも言葉を交わしてきた」


 昔はたくさんの冒険者たちが、財宝を求めて各地に散らばる迷宮を訪れた。その時代には、まだ大勢の魔法使いがいた、とオドネルは言う。


「火の神の眷族は、人間に寛大だ」


 オドネルは俺を見るときと寸分と(たが)わない、思いやりに満ちた優しいまなざしをユーリに向ける。こうして彼を見ていても、隣にいる栗色の髪の若い女性に特別な感情を(いだ)いているとは、まったく想像がつかない。


「彼らは自らの名前が世に広まることを好む。さながら、炎が燃え広がってゆくようにね。──契約をすませ、名前の一部を唱えれば……」


 言いさして、オドネルはそばに置かれた小さな灯籠へ指先を向けた。


「『シツ』」


 四角い紙細工の灯籠の中に、火が(とも)る。──外枠を覆った真っ白な紙に、こまかな花模様の影絵がくっきりと浮かび上がった。


「名前を持たないものなら名付け、名前のあるものならその名を知る。これこそが、契約(こんとらくと)するうえでの必要条件だ」


 いずれの場合も、召喚する対象の名前を呼び、術者の存在に気づかせる。相手が呼びかけに(こた)えるか否かは、呼んだ側の力量による。──講義がここまで及べば、ユーリが不機嫌な本当の理由が、俺にも理解できてくる。


 彼女は魔法を学び始めてから、まだ一年と経っていない。小さいころから魔法で一人遊びをしていた俺とは違うのだ。オドネルがユーリに次の呪文を教えないのは、彼女の魔力が足らないせいである。普通の暮らしをしている人に、魔法を学ぶ機会など、そうありはしない。


「どうして魔法使いの数が減ってしまったんですか?」


 と、俺は尋ねた。迷宮から財宝が取りつくされてしまい、冒険者がいなくなった、というのはわかる。でも魔法は、こんなふうに役に立つのに。


「どうしてなんだろうねえ」


 首を振るオドネルは、いささかさびしげだ。


 迷宮探索が盛んだったころ、この大陸には多くの魔法使いがいた。けれど、残り少なくなった財宝を奪い合う争いが、各地で始まった。戦乱の世において、魔法使いは大いに活躍した。──もちろん、()()として、である。


 当時のアセルス王国には、広大な魔力で多くの兵を壊滅させるすさまじい(わざ)を持った魔法士が、何人もいたそうだ。


「それで民衆には、魔法使いを恐れる風潮ができてしまったんだね。世が治まり、魔物の数も減り、世の中は平和になった。魔法などなくとも生きてゆける。──だから魔法使いを志す若者が減ってしまったんだろう」


 しかし近年、(ちまた)では魔法をもちいた犯罪が増えつつある、と、オドネルは続けた。


 姐御(あねご)の一味に捕らわれていたときを思い起こせば、さもありなんと思う。そのため、廃止されて久しい王宮騎士団の魔法士部隊を復活させる──政府には、そんな向きがあるらしい。


 クローディア王女の父上、王弟シベリウスは、国王マティウス二世から王立魔法学院の復活を任されている。その王弟殿下から、実際に魔法学校の設立に尽力するよう任命されたのが、彼、ジュリアン=オドネルなのだ。


「シベリウス殿下は、昔のように、魔法による富国強兵を進めるおつもりではないんだよ」


 殿下の目的は、あくまで魔法士による治安の維持と魔法文化の保護なんだ、と述べるオドネルの言葉に、偽りはないだろう。そうでなければ、彼のような人物を責任者にするはずがない。


 俺はふた晩ぶりに屋敷へ戻り、翌日──つまりは今日──(あお)の塔へやってきた。俺を救ってくれたデメトリオの話を、一刻も早くオドネルにしたかった。


 俺が語るこの一両日のできごとを、オドネルとユーリは目を丸くして聞いていた。デメトリオが懐かしがっていた、と伝えると、黒衣の魔法使いは悲しそうな瞳になった。


「……彼は元気にしているんだね」


 と、オドネルはつぶやいた。そしてそれきり、デメトリオのことに触れようとはしなかった。


 ──昨日の午後、俺たちは迎えの馬車で銀星館(シルヴァ・ブレイズ)をあとにし、無事、屋敷へ帰り着いた。


 俺はさっそく秘書に捕まった。見聞きしたことはすべて話した。改めて医者が呼ばれ、さんざん体を調べられたあと、自室に放り込まれた。俺はすっかり疲れ果ててしまい、今朝まで泥のように眠りこけていた。


 目を覚ましたのは昼近くになってからだ。エディットは、とっくに出かけたあとだった。


 今日、蒼の塔へはどうしてもきたかった。オドネルに、デメトリオの言葉を伝えたかったから。──でも、それももうすんだ。


『エディットさまを心から愛するおばあさま、エレオノーラ王太后が存命であるうちは、表立った行動を起こすわけにはいかなかった』


 エディットも、心からおばあさまを愛していた、と思う。


 彼女はおばあさまを悲しませたくなかった。だから十三年間父親を殺害した犯人を、捜すことができずにいた。


 犯人は、または犯行の黒幕は、もしもそうなら間違いなくおばあさまが悲しむ人物──国王マティウス二世、あるいは、王弟シベリウスの、いずれか。


 エディットは、そう考えている。


 ……俺はこのまま、このうちにいていいんだろうか。


 オーリーンが俺に、アルノーの実家へ帰れと言ったのは、彼なりの気づかいだ。今なら俺にもわかる。そしてそれだけではなく、俺が彼らの足手まといになっているのも、まぎれもない事実である。


 夕食後、俺は部屋へ戻り、今までと同じように過ごそうと本を手に取った。


 ふと、辺りを見回す。居室と寝室のふた間続きの部屋が、いつにも増して広く感じられた。銀星館にはたくさんの人がいた。比べてしまうと、だだっ広くて、がらんどうで、ものさびしい気分になる。


 ──あ。


 外から、馬のいななきが聞こえた。


 きっと、もうすぐ玄関の大扉が開いて、ベルが鳴る。どうしてだろう。鼓動が速くなってくる。俺はいても立ってもいられなくなり、廊下へ飛び出した。


「おかえりなさいませ」

「おかえりなさいませ、エディットさま」


 すでに執事のワトキンスと、侍女のバルバラが出迎えている。俺は二階から、吹き抜けの玄関ホールを見下ろした。エディットが、従者のグレイをともなって入ってくる。


 彼女の瞳が俺に気づいた。


 どきん──胸が高く鳴った。階下から、彼女が俺を見ている。俺は急いで階段を駆け降りた。


「……おかえりなさい」


 そばまで行けば、俺が彼女を見上げることになる。(すみれ)色のまなざしが俺を見て、なごむ。


「うん」


 そっけなくうなずくだけ。


「お食事はいかがなさいますか」


 ワトキンスの問いに、エディットは首を振った。美貌には陰りがあり、かなり疲れているようだ。それもそうだ。昨日の今日で、すぐに仕事に行ったんだから。


「いい。王后陛下のご陪食にあずかった」

「お湯殿は」

「……明日の朝頼む」

「かしこまりました」


 眼光鋭い黒服の執事は一礼して引き下がる。エディットは、穴が開くほどしげしげと、俺の顔を見つめてきた。


 な、なに?


 まるで久しぶりに俺を見た、とでも言いたげな、妙に熱心な視線が痛い。


「……カイル」

「はい」


 いきなり手首をつかまれた。


「あ、あの」


 問いかけても抵抗しても、受けつけてもらえない。エディットはぐいぐい俺を引きずって階段をのぼってゆく。連れていかれた先は、彼女の部屋だ。


「座れ」

「えーと、僕になにか……」

「いいから、座れ」


 こうも怖い声で命じられては、長椅子に腰を下ろすしかない。なにか話でもあるのかと思いきや、エディットは俺を置き去りにし、書棚の前へ立つ。


 ずらりとならぶ本の列から、五冊ばかりを抜き取って引き返してくる。重たい革表紙の本を、どさどさと手渡された。


 どういうことなの?


 俺は本を受け取ったはいいが、馬鹿みたいにぽかんとしていたはずだ。エディットはなぜだか唇をとがらせて言う。


「どれでも好きな本を読んでいい」


 はあ。


「わたしは寝る」


 え?


「こちらを見るなよ」


 長い黒髪がひるがえった。好きなように言うだけ言って、さっさと寝室へ向かう。わけがわからず振り返ると、エディットも制服の襟に指をかけ、こちらを振り返ったところだった。


「……見るなと言っただろう」


 きつくにらまれてしまった。俺はあわてて前へ向き直った。


 いったいなんなんだ?


 ともあれ、渡された本の表紙を開いてみる。一冊目は、海底神殿を探すことに生涯を捧げた男の物語。次が、(きこり)の息子が乱暴ものの竜と知恵比べをするお話。こっちは大陸で最大の迷宮を踏破したある一団(パーティ)の探索記録──どれもなかなか面白そうだ。


 ふーん。俺の好み、結構知ってるんじゃないの。


「──失礼いたします」

「は、はいっ」


 つい(こた)えてしまったが、いいのか?──などとあせる暇もなく、扉が開く。執事のワトキンスがお茶のセットを運んできた。分別くさい顔をして、俺の前にソーサーを置き、ティーカップを載せる。


 あつあつの、だが、色味の薄いお茶がなみなみとカップへそそがれた。ちょいとミルクをひと垂らし、ついでに、カッ──と、黒光りするまなこが光線のごとく俺を見据えたが、他意はあるまい。ワトキンスならいつものことだ。


「……では、ごゆっくり」


 丁重なお辞儀をして、出ていってしまった。


 エディットは、着替えをすませてベッドに入ったらしい。寝室からはもう、彼女が動く気配がしなくなっている。


 なんだかよくわからない。わからないけど、たぶん。


 いや、きっと。


 彼女は俺に、()()()()()って言ってるんだ──そう思うことにして、俺はティーカップへ手を伸ばした。





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