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「──よおっしゃあーッ!!」
男たちは皆、固めたこぶしを天井へ向けて突き上げ、吠えた。
俺はただただ目を丸くしていた。若造だったりおっさんだったりさまざまだが、ほぼ全員が、むさくるしいひげづらの、大の大人である。それが、こんなふうに感情をあらわにする場面など、出会ったことがない。
コンラート広場でアーノルド組が一網打尽──その知らせが彼らにもたらしたものは、「悲嘆」や「失望」ではない。明らかに「歓喜」だった。
こいつら、俺に呼び出し状を渡した近衛騎士の仲間なんじゃないのか?
「静かにおし!」
甲高いが、そこそこ威厳に満ちた声が部屋中に響き渡った。ならずものどもは一時に静まり返る。長椅子から、姐御が、しゃなり、と立ち上がった。
「……聞いたね? みんな?」
全員が、力を込めて応えた。「おう!」
「アーノルドのじじいが、しくじった!」
「おおう!」
「こっからはあたしらが巻き返す番だ! 今度こそ、褒賞金はいただくよ!」
「うおおおおう!!」
血気盛んな皆の顔を見回し、姐御の口角が、ニッ、と上がる。真っ赤な唇のはしから、鬼歯がのぞかないのが不思議な気さえする。
──褒賞金?
「このベリンダ姐さんともあろうものが、らしくない真似しちまった。もう手段を選んじゃいられないよ! 例の手紙は、あたしらのもんさ!」
おおう!! と、野太く威勢よく、皆が再びこぶしを上げる。
「で、どうしやす?! 姐御!」
彼女のかたわらの若いのが、勢い込んで問う。
「殴り込み、かけやしょうか?!」
「よぉし! 押し込んで皆殺しだ!」
「馬鹿、それじゃ肝心のブツのありかがわからねえ」
「──お黙りったら!」
姐御はキンキラ声で一同を怒鳴りつけ、あきれたように息を吐いた。なぜだか艶っぽい、無駄になまめかしいため息である。
「だからおまえたちは唐変木がそろってるって言うんだ。もう少しここをお使いよ」
物語に出てくる魔女みたいに長い爪が、自身のこめかみの辺りを、ちょんちょん、とつつく。
「使うったってさぁ、なあ、みんなぁー」
間延びした声を出すのは、俺を拉致ったはげの大男、ヨーヨーだ。「うちで一等切れもののジェネジオさんが、あっさりこけたんだぜえ?」
はん、と、顔中ひげだらけのおっさんが、肩をすくめて笑う。俺に賽子の振りかたを教えてくれた男である。
「でけえ口たたくばかしの魔法使いになんざ、任せるからさ」
「俺ァ、まだるっこしいのはごめんだぜ」
「よぉし! ならやっぱり殴り込みだ!!」
「なんべん言やぁわかるんだ。さてはおめえら、しゅしってもんをわかっちゃいねえな?」
かまびすしくくり広げられる粗野な議論のひと言ひと言を、俺は頭の中に必死で書き留めようとしていた。
これまでの様子や会話をまとめてみる。やはりこいつらの目的は、エディットの部屋に隠された『証拠の手紙』に違いない。手に入れたものには、どこかから「褒賞金」が出るようだ。「アーノルド組」とやらは、こいつらとは別の集団だが目的は同じ、いわば競争相手だろうか。
姐御の組──ベリンダ組とでも言おうか──は、アーノルド組に先んじて、エレメントルート伯爵家へ腕利きの魔法使いを送り込んだ。それが、先月うちに押し入った盗賊二人。だが、彼らの試みは失敗した。
ベリンダ組はこけた。今度はアーノルド組が俺に、コンラート広場まで呼び出しをかける。秘書のオーリーンが言ったように、俺から『証拠の手紙』の隠し場所を聞き出すつもりだったんだろう。けれど、俺が指図に従わず口外したため、アーノルド組は一網打尽になった。
さしずめこんなところか?──筋は通っているように思える。だが、どこかおかしい。ぬぐえない違和感の元をたどろうとすると、またヨーヨーに殴られた頭が痛んでくる。
俺は考えるのに夢中になっていて、周りの空気が一変しているのにまったく気づいていなかった。
……え?
いつのまにか、全員の血走ったまなこが俺に集まっている。
「こんな小僧一匹、捕まえたところでねえ」
姐御はじろじろと、なめるように俺を見回して、濃厚な息を吐いた。
「うちには伯爵閣下ご当人をさらってくるくらいの、度胸のある野郎はいないのかい?」
俺のことならどうぞおかまいなく、と、今さらながら念じてみる。でも、ここでかまわないでくれるわけ、ないよね……
「ジョナス!」
「へい! 姐御!」
呼ばれた兄貴が、しっぽを振らんばかりに飛んで出た。姐御は俺を見て、にんまり笑う。
「とりあえず、知ってることは洗いざらい吐いてもらおうか。──名はなんていうの? ボ・ク?」
まさに、捕らえた子どもを頭から喰らってしまおうという、恐ろしい山姥の笑みそのものだ。
俺、馬車の中でなんて名乗ったっけ? 確か、兄さまたちの誰かの名前を言ったんだ。アウグスブレヒトじゃなくて、マクシミリアンじゃなくて……
「姐御、レオンハルトっすよ」
と、ジョナスが俺の三番目の兄の名を口にしてくれた。助かった。
「地下が空いてる。おまえとヨーヨーとで、レオンハルト坊やをちょいと可愛がっておやり」
「任しといてくんなぁ、姐御ぉ」
ヨーヨーがにきびづらに、にやにや笑いを浮かべた。「ヨーヨー」とは名ばかりで、こいつの手の早いのは先刻承知である。ぜひとも逃げ出したいところだが、そうはいかないようだ。怖い顔の猛者たちにぐるりとかこまれ、俺は天を仰いだ。
なるべくお手やわらかにお願いします……
◆◇◆
奥まった納戸の床には、鉄格子の上げ蓋がしつらえてあった。ジョナスが蓋を開け、俺たちは梯子のように急な階段を降りてゆく。本来は倉庫かなにかだろう。天井近くに幅の狭い明かり取りの窓が開いているだけの、薄暗い湿った空間だった。
「まあ、その辺にでも座んな」
ジョナスは転がっている空き樽を起こして、腰を下ろした。俺も彼にならって木箱へ腰かける。ヨーヨーがいかにも用心棒然と腕を組み、階段の前に立つ。
「すまねえな、とんだ面倒に巻き込んじまった」
兄貴は俺へ、そんなふうに切り出した。
「いいかい、レオン坊。俺たちゃなにも、おまえさんのご主人がたに恨みつらみがあるわけじゃねえ。おまえさんは、知ってることを話してくれりゃ、それでいい」
どうだか。
腹の内はさておき、うなずいておく。俺が使用人だと思われているから、この程度ですんでいるのだ。もしも俺が、エレメントルート伯爵本人とばれたら、もっと悲惨な目に遭うのは間違いないよね。
「レオン坊の役目はなんだい? お小姓か?」
「は、はい」
「伯爵さまのか? それとも、お勇ましい奥方さまのかい?」
あんまり細かい話は、ぼろが出るからやめてほしいんだけど……
エディットの身の回りの世話をするのは、侍女のバルバラだ。女主人には女性の使用人が仕える。となれば、俺は伯爵さまのお付きなことにしておくか。
「えーと……僕は、伯爵さまの……」
「どんなおかただい?」
自分のことを自分で説明するなんて……どう答えたらいいのやら。
「普通、の人です……」
「普通か。──ま、婿さんは、あんましいい家の出じゃないそうだしな」
と、ジョナスは笑う。悪かったね、あんましいい家の出じゃなくて。
「奥方さまはどうだい? すげえ美人だが、お優しいかたかい?」
──カイル、あなたを選んだのは、わたしだ。
彼女が欲しかったのは、死んでしまってもかまわない、無意味で無価値な存在。
「…………」
思わず黙り込んだ俺を見て、ジョナスの眉が下がった。
「騎士さまだし、おっかなそうだもんなあ」
「そんなことはありません」
自分でも驚くほど、はっきりした口調になった。ジョナスは目を丸くした。ヨーヨーも腕組みを解き、もたれていた階段から身を起こす。
「ま、ま、そうだよな。こいつは俺が悪かった」
ジョナスはとりなすように、樽から尻を浮かせた。
「レオン坊、俺たちにゃ、欲しいもんがひとつきり、あるだけだ。──おおっと、勘違いすんなよ。金なんかじゃねえ。ただの紙切れ一枚さ」
彼が舌先へ上せる言葉に、先ほど感じた違和感が、少しずつ甦ってくる。
「な、おまえさん、知らないか?」
ジョナスは身を乗り出して、俺の顔をのぞき込んだ。
「奥方さまの、大事なものの隠し場所だ。侍女か誰かから、聞いちゃいねえかい?」
どうして彼らは、彼女が大事なものを隠していることを知ってるんだ?
「俺たちに教えてくれねえとな、おまえさんは、ちいっと困ったことになっちまう」
そう言って、ジョナスはただのおしゃべり兄貴ではない目つきを、ちら、と見せた。
「国のおとっつぁんおっかさんに、二度と会えなくなっちまうかもしれねえぜ? ええ?」
「………………」
俺はかぶりを振った。
「知りません……」
「だよなあ」
ジョナスは天井を見上げてため息をついた。
「兄貴はさぁ、ぬるいんだよおー」
ヨーヨーが、にきびの浮いた頬をパンパンにふくらませている。
「代われよ。おいらがあることないこと、みーんな吐かせてやるからさぁー」
「ないことまで吐かせてどうするんだ、馬鹿」
極めてまっとうな返しを口にし、ジョナスは立ち上がった。
「こんな小僧が、お家の大事なんざ知ってるわきゃねえんだよ。──せいぜいおとなしくしといてもらおうぜ。人質にくらい、なるかもしれねえ」
「人質ィ? こんなガキがなるかよぉー」
「じゃあ、なんでわざわざ連れてきたんだよ!」
さあ、行った行った、と、ジョナスはヨーヨーを階段の上に追い立てた。
「悪く思うな! あとで飯くらい差し入れてやるからよ!」
ガシャン!
格子戸が閉じた。ガチャガチャ、と鍵をかける音。俺は踏み板に両手をつき、階段のなかばまでのぼってみた。ジョナスが俺からなにも聞き出せなかった言い訳を、しきりとくり返している。
「………………」
俺は黙って暗い地下へ引き返した。
窓から入る日の光は、ほんのわずか。まもなく日没だ。俺は、部屋のすみに積んである藁の上に寝転がった。じっとりと湿りけを帯び、不快なかびのにおいがする。それでも、一人にしてもらえて助かった。朝からずうっと張りつめ通しだった気持ちを、ほどこうとする余裕ができた。
夜まで待とう。姐御も「巻き返す」とは言ったが、具体的な計画まではなさそうだ。今夜襲撃はないと見ていいだろう。
でも、急がなきゃ。アーノルド組を捕らえたから、きっとみんなは安心してる。ベリンダ組も、まだ『証拠の手紙』を狙っているのだ。早く帰って知らせなければ──
そこまで考えて、思い出した。
……帰るって、どこへ?
俺は、アルノーの実家へ帰る、と言って、屋敷を飛び出してきたんだ。
日が暮れると、階上はにぎやかになった。どうやら宴会が始まったらしい。ジョナスが言った「飯」の差し入れはなかったけれど、たいして気にならない。俺はこんなとき、ほうっておかれるのには慣れている。
格子から落ちる何条かの光と、喧騒だけが地下へ届く。俺はずっと考えていた。
上の連中のことではない。『証拠の手紙』のことでもない。彼女の──エディットのことを。
俺は今まで、思い違いをしていたんだ。クララさまのお茶会のとき、俺はクローディア王女とテオドア王子と散策中、近衛騎士から呼び出し状を渡された。戻ってきた俺を見て、彼女は尋ねたじゃないか。
……どうした?
エディットは、俺の様子がおかしいと気がついた。ほかの誰からも訊かれなかったのに、彼女はそれを言葉にした。なのに俺は、なにもない、と嘘をついた。彼女が秘書へ言いつけたことに、腹を立てた。
エディットは、少なくとも今は、俺を意味のない人間だと思っていない。そうじゃなかったら、俺を気にしてなにかあったか尋ねたりはしない。
宴会はなかなかお開きにならなかった。明かり取りから、ひんやりした夜の空気が流れ込んでくる。俺はただ、時間が過ぎるのを待っていた。時折うつらうつらしてしまったが、すぐに目覚めた。
ついに、待っていた時が訪れた。
階上から、話し声や器の触れ合う音がしなくなった。──聞こえてくるのは、幾人かのいびきだけ。ようやく全員が寝静まったのだ。
窓から見える外の色が変わってきたから、じきに夜明けだ。今をおいて、逃げ出す機会はない。
俺は足音を忍ばせて、階段をのぼった。
緊張で胸が高鳴る。──大きく息を吸いこむ。吐き出す。何度も何度もくり返すうち、次第に鼓動が落ちついてくる。
鉄格子のすきまから手を差し出す。頑丈な鎖の先には、鞄型の錠前がつながっている。鎖に触れて音を立てないように、鍵穴へそっと、右手の人差し指をあてる。
──魔法の力はわが手に宿る。
「……『さえぎるものよ われこそは正当なる所有者』」
破る力は右の手に。
「『開け そしてわが前へ示せ』……」
指先まで通した魔力を、鍵穴へ。大丈夫。きっと、できる。
──カチリ、と、錠が回った音がした。
うちへ、帰ろう。