結婚式 従者の詠嘆
(ああ……)
精悍だがややくたびれた中年男が一人、ひっそりとため息をついていた。
王都の夏空はさわやかに晴れた。荘厳な鐘の音が鳴り響く。大聖堂の内はもちろん、外に詰めかけた人々からも、いっせいに歓呼の声があがる。男のかそけき吐息など、あっけなくかき消されてしまう。
男の名はボリス。エレメントルート伯爵家に仕える、忠実な従者である。
本日はボリスのあるじの結婚式だ。彼自身も伯爵家のお仕着せに身を包み、警護という名目で同僚と二人、壁ぎわにたたずんでいる。
現王の姪で、王太后が溺愛する孫娘。アセルス王国で最も美しく、最も勇敢な女性と謳われるボリスのあるじ。その婚礼に、本来なら胸は喜びに打ち震え、感涙がとめどなく流れても不思議はないはずなのに。
「しかたがないでしょ。うちの姫さまは一度お決めになったらてこでも動くおかたじゃないんだから」
と、若い相棒は、至極のんきなことを言う。
(だからといって)
まだ花咲きそむる春のころだ。子だくさんだという評判を頼りにアルノーくんだりまで出向き、バルドイ男爵家を調べたのはボリスだった。いるんだかいないんだかよくわからなかった末っ子には手を焼いた。苦労を重ねて実在することを突き止め、報告書に載せたのだ。それについては責任を感じている。
ディルク姓を持つ爵位のある家。金さえ出せば言いなりになる貧乏貴族。跡取りではない成人した独身男性。──条件はそれだけだった。ボリスがあるじの命に忠実であったがために、このような事態に陥ってしまった。
同じバルドイ家の兄弟から選ぶとしても、五、六男の双子ならあるじと似合いの年ごろだし、四男なら結構な二枚目だった。少々年を食ってはいるが、一族の代表で列席している二人も、次男はなかなかの切れもの、三男は実直で誠実、と伯爵家の家士たちに評判がよい。実際、田舎町で親父の手伝いなどさせておくのが惜しいくらい、見どころのある若者たちなのだ。
(だが、あの七男坊はどうだ)
まるで深窓の姫君みたいに、ろくに外へも出ずに暮らしてきたという少年は、十五歳というふれこみだが、もう一つ二つは下に見える。少女のようにひ弱げな顔つきのくせに、人に馴れない猫みたいな緑の瞳。なんとも微妙な赤い髪が、あつらえた礼服に似合わないと、金髪のかつらまでつけさせられている。
今、新郎新婦は祭壇の前で頭を垂れ、神官の祝福を受けている。どうかどうか最後までそのままで、とボリスは切に願う。
こうして見ると二人の背丈はほぼ同じだが、とんでもない。新郎は新婦より二十五センチも小柄なのだ。王都一の製靴工房、スタンリー商会に作らせた特注の「あしながおじさん」のおかげである。
美し過ぎる新婦に比べ、見映えのせぬ新郎をどうにかしようと、皆が苦労させられている。
「どうせなら替え玉を使えばいいと思いますけど。ねえ、私なんかどうです? 背丈もあるし」
(そういうことは式が始まる前に言え)
申告の通り、相棒はどえらいのっぽである。とぼけた横顔をにらむボリスは、はからずも上目になってしまう。
相棒は人を食ったようににやにやしている。場をわきまえろと言いたいが、彼はこれが地顔なのでしかたがない。
「そういえばご存じですか? 私たちのどちらかが、あの坊ちゃまのお守り役になるみたいですよ」
「……なんだと?!」
「私はやってもいいかなあ。きっと楽ちんですよ。本ばっかり読んでるおとなしい子なんでしょ?」
などと無駄口をたたくあいだに、指輪の交換のため、若い二人が列席者のほうへ向き直った。
──突然、ぐらり、と新郎の体がかたむいた。
素晴らしく豪奢な純白のドレスをまとった新婦が、新郎の腰へすかさず腕を回す。新郎は赤面しつつもなんとか体勢を立て直した。
新郎は年下であり、新婦は女ながら騎士の称号を持っている。それを知る人々は、なにをどう思ったのか、割れんばかりの拍手を送る。窓辺や戸口にむらがる連中からは、冷やかし混じりの口笛まで飛んでくるありさまだ。
そら見たことか。おそれていた通り、靴がずれたのだ。ボリスはそっと、額に浮かんだ汗をぬぐう。
「あー、惜しい! ひっくり返れば面白かったのに」
冗談ではない。そんなはめになったら、世間の笑いものになるのはあるじのほうである。
「うわ、すごい指輪だなー。結局どこの宝石屋に決まったんでしたっけ?」
ミレイ夫人の店だ。アセルティアの菫の君の婚礼に、王都中から多くの宝石商が、ぜひとも指輪を作りたいと名乗りをあげた。その選別だって、大変な苦労だったのだ。
白く美しい手が絹の手袋をはずす。指輪をつまんだ新郎は、まるで親の仇を見るような目つきをしている。──ややしばらく時が経ち、新婦の瞳ときっかり同じ色の石を埋め込んだ指輪は、たどたどしくもどうにか左手の薬指に収まった。
「お、しますよ、しますよ、ボリスさん、ほら、見ないんですか?」
(うるさい)
新郎新婦が誓いの儀式をすませるまでのあいだ、ボリスはあさってのほうへ目を向けていた。